Title  グリーン・カード 03  緑の札 03  ----五十年後の社會----  懸賞當選映畫小説  Note  大阪朝日新聞 夕刊  昭和五年七月二十三日(水曜日)  Author  石原榮三郎 原作  小島善太郎 畫  Subtitle  プロローグ 三  Description 「どちらへゐらし【や】つたんですか」  博士は問うた。 「べルリンヘ行つてましたの、三 月振りに日本へ歸るんですわ」 「ホホウ、三月、ずゐぶん長い旅 だつたんですね」 「ヱヽちよつと。でも時々それ位 の旅はすることがあるんですわ、 妾とても放行が好きなんですの」 「ぢや遊山旅行といつたものです ね」 「アラ、先生、そんな呑氣なんぢ やないんですの、これでも仕亊を 持つてるんですよ」 「さうですか。失禮ですが御職業 は?」 「何に見えて?」  ヒカルは、媚びのある眼を博士 の眼に集中して、ニツと笑つて見 せた。 「映畫女優ぢやないかな」博士は フトそんな氣がした。  さういへば、さつきからどこか で見覺えのあるやうな氣がしたの は、或ひはスクリーンの上で見た 印象が殘つてゐるせいかも知れな い。さう度々映畫を見に行かない タキには、無論女優の名前などに 覺えはなかつたが、その顏、美し い瞳はクローズアツプとなつて、 タキの頭にその印象を刻みつけた のかも知れない。すると上海の病 院で逢つたといふのは思ひちがひ だつたか。 「お判りにならない?」 「どうも----」  博士は言葉少なに答へた。と彼 女はその口を博士の耳元へ持つて 來てさゝやいた。 「…………」 「ヱツ!」  あまりに近づいたヒカルの口か ら、耳元へ熱い息を感じたその驚 きよりも、いまヒカルが、ドイツ 語でさゝやいた言葉の方が、タキ 博士を一層驚かした。 「ホホ……吃驚したでせう、誰で も吃驚するんですわ、餘り妾の態 度が蓮つ葉なもんだから。でも先 生、妾の生れつきなんだから仕方 がないわね。だつて、誰も無邪氣 だとは思つてくれないんですも の。」  ヒカルのいふのは、彼女は、べ ルリン大學の電氣科の學生だとい ふのだ。そして現在高壓電氣學で は、世界第一の權威者である、ハ インリツヒ教授の教へを受けてゐ る一人だといふのだ。 「判つたでせう、だから妾、教授 と一しよに、あちらこちらへ旅行 するんですわ。そして見學したり 研究したりしてるんですの」  さういつてヒカルは、さつき博 士が小説だと思つてゐた本を示し た、それはやはり電氣學の難かし さうな原書だつた。  さういへば、ヒカルの態度は、 蓮つ葉なやうではあるが、考へ方 によつては無邪氣にちがひなかつ た。媚を賣つてゐるやうに見える のは、こつちで、不純な氣持ちが 働きかけてゐるからで、虚心坦懷 で見れば、ヒカルのあけつ放した 態度には、大學の學生としての無 邪氣さがある、と思へぬこともな かつた。  タキ博士はちよツと赤面した。 「學生だつたんですね。そいつは 失禮しました。職業婦人かと思つ たもんだから」 「アラ先生いゝんですわ、誰だつ てさう思ふんですもの、それに妾 先生のお名前は前から聞いてゐた んです、どうぞよろしくね」 「そして、今度は? 休暇です か?」 「日本へ歸るの? ヱヽ、休暇な          ヽヽ んですわ、三月位はひまがあると 思ひます、だからその間、ゆつく り休養したいとも思ふんですけれ ど、實は少しは野心もあるんです わ」 「ホホウ、野心つて?」 「ヱヽ野心よ。とても素晴らしい 野心なの、話して見ませうか」  End  Data  トツプ見出し:  廣告:  底本::   紙名:  大阪朝日新聞 夕刊   発行:  昭和五年七月二十三日(水曜日) 第三版  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: IBM ThikPad s30 2639-42J   入力日: 2003年7月18日  校正::   校正者: 大黒谷 千弥   校正日: 2003年7月26日  $Id: gc03.txt,v 1.7 2005/09/16 02:35:24 nitobe Exp $