「さりともと〜」の歌について


0827
 遠く修行することありけるに、菩提院の前の齋宮にまゐりたりけるに、人々別の歌つかうまつりけるに
さりともと猶あふことを頼むかな死出の山路をこえぬ別は

「さりとも」の意味が分からなかったので、手持ちの古語辞典で調べたら、
「伊勢物語六五」

さりともと思ふらむこそかなしけれあるにもあらぬ身をしらずして

が、引用されていました。
ひょっとして西行さんこれを「本歌取り」してます?

まだ誰も言っていないなら私が言出しっぺです。


ご参考:

伊勢物語 六五

むかし、おほやけおぼして、つかうたまふ女の、いろゆるされたるありけり。おほみやすん所とていますかりけるいとこなりけり。殿上にさぶらひけるありはらなりけるおとこの、まだいとわかゝりけるを、この女あひしりたりけり。おとこ、女がたゆるされたりければ、女のある所にきて、むかひをりければ、女、いとかたはなり、身もほろびなむ、かくなせそ、といひければ、

おもふにはしのぶることぞまけにけるあふにしかへばさもあらばあれ

といひて、ざうしにおりたまへれば、れいのこのみざうしには、人の見るをもしらでのぼりゐければ、この女、おもひわびてさとへゆく。されば、なにのよき事と思ひて、いきかよひければ、みなひときゝてわらひけり。つとめて、とのもづかさの見るに、くつはとりて、おくになげいれてのぼりぬ。かくかたはにしつゝありわたるに、身もいたづらになりぬべければ、つゐにほろびぬべしとて、このおとこ、いかにせむ、わがかゝるこゝろやめたまへと、ほとけ神にも申けれど、いやまさりにのみおぼえつゝ、なをわりなくこひしうのみおぼえければ、おむやうじ、かむなぎよびて、こひせじといふはらへのぐしてなむいきける。はらへけるまゝに、いとかなしきことかずまさりて、ありしよりけにこひしくのみおぼえければ

恋せじとみたらしがはにせしみそぎ神はうけずもなりにけるかな

といひてなむいにける。このみかどはかほかたちよくおはしまして、ほとけの御なを御心にいれて、御こゑはいとたうとくて申たまふをきゝて、女はいたうなきけり。かゝるきみにつかうまつらで、すくせつたなくかなしきこと、このおとこにほだされてとてなむなきける。かゝるほどに、みかどきこしめしつけて、このおとこをば、ながしつかはしてければ、この女のいとこのみやすどころ、女をばまかでさせて、くらにこめてしおりたまふければ、くらにこもりてなく。

あまのかるもにすむゝしのわれからとねをこそなかめ世をばうらみじ

となきをれば、このおとこは、人のくにより夜ごとにきつゝ、ふえをいとおもしろくふきて、こゑはおかしうてぞあはれにうたひける。かゝれば、この女はくらにこもりながら、それにぞあなるとはきけど、あひ見るべきにもあらでなむありける。

さりともと思ふらむこそかなしけれあるにもあらぬ身をしらずして

とおもひをり。おとこは女しあはねば、かくしありきつゝ、人のくにゝありきてかくうたふ。

いたづらにゆきてはきぬるものゆへに見まくほしさにいざなはれつゝ

水のおの御時なるべし。おほみやすん所もそめどのゝきさきなり。五条のきさきとも。

以上下記より引用
伊勢物語 六五
日本語テキスト・イニシアティブ

2000年12年15日