いろいろ辞典

明星東遊(あずまあそび)
御室(おむろ)
神楽神楽歌かせぎ郭公賀茂祭
呉織(くれはとり)
国歌大観
早蕨さりとも
(しとね)・秋風楽(しゅうふうらく)・ したむ
凄い
其駒
鳥辺山
舎人
帚木范蠡
ひび
船岡山
陪従
時鳥子規蜀魂ほどろ
舞人
みたらし
例なら・ず




【〈杜鵑〉・〈時鳥〉・〈子規〉・〈不如帰〉・〈杜宇〉・〈蜀魂〉・〈田鵑〉】 ほととぎす
(名)
(1)ホトトギス目ホトトギス科の鳥。全長約30センチメートル。尾羽が長い。背面は灰褐色。腹面は白色で黒い横斑がある。ウグイスなどの巣にチョコレート色の卵を産み、抱卵と子育てを仮親に託す。鳴き声は鋭く、「テッペンカケタカ」などと聞こえる。夏鳥として渡来し、山林で繁殖して東南アジアに渡る。古来、文学や伝説に多く登場し、卯月(うづき)鳥・早苗(さなえ)鳥・あやめ鳥・橘鳥・時つ鳥・いもせ鳥・たま迎え鳥・しでの田長(たおさ)などの異名がある。[季]夏。《―平安城を筋違に/蕪村》
(2)(「時鳥草」「杜鵑草」「油点草」の文字を当てる)ユリ科の多年草。丘陵や低山の湿った場所に生える。高さ約60センチメートル。葉は互生し、狭長楕円形で基部は茎を抱く。秋、葉腋に白色で紫斑がある花を一〜三個ずつつける。花被片は六個。和名は花の斑を(1)の胸の斑に見立てたもの。ほととぎすそう。[季]秋。
(枕詞)
(1)が飛ぶ意から類音の地名「飛幡(とばた)」にかかる。「―飛幡の浦にしく波のしくしく君を/万葉 3165」


【蜀魂】しょっこん しよく―
〔蜀の望帝の魂が化したという伝説から〕ホトトギスの別名。蜀魄(しよくはく)。蜀鳥。

ホトトギス(杜鵑‖時鳥‖不如帰) ホトトギス
ホトトギス目ホトトギス科の鳥の 1 種, または同科の総称。 ホトトギス
Cuculus poliocephalus(英名 Eurasian little cuckoo) ( イラスト ) はカッコウ類の 1 種で,全長 28cm,背面とのどは暗灰色, 腹面は白と黒の横縞模様をしている。 雌雄同色だが,雌にはまれに全体に赤褐色の羽色をした赤色型がある。 カッコウやツツドリによく似ているが, この種のほうがひとまわり以上小さい。 ヒマラヤから沿海州にかけてのアジアの東部で繁殖し, 秋・冬季には南アジアや大スンダ列島に渡る。 日本には夏鳥として 5 月中旬に渡来し,九州から北海道中部までの各地で繁殖する。 ただし,九州では通過するもののほうが多い。 “キョッキョ,キョキョキョ”と鋭い大きな声で鳴き, この声は“テッペンカケタカ”とか“特許許可局”とも聞こえる。 初夏を告げる鳥としてよく知られ,昔から短歌や俳句によく詠まれている。 この鳴声は日中だけでなく夜間にも聞かれる。 低地から山地にかけての森林にすみ, 樹上で昆虫,とくに毛虫をとって食べる。
 托卵 (たくらん) の習性をもち,巣づくり, 抱卵,育雛 (いくすう) はいっさい行わない。 托卵相手はほとんどがウグイスで,まれにミソサザイやセンダイムシクイにも托卵する。 卵はウグイスの卵と同じチョコレート色をしていて, 一つの巣に 1 個だけ産みこむ。 この際,巣内のほかの卵を一つ飲みこむか捨てるかしてしまう。 雛は約 10 日で孵化 (ふか) し,まだ孵化していないほかの卵を背中に一つずつのせて, 巣の外に放り出してしまう。 こうして巣内を独占し,仮親の世話を自分だけのものにして育つ。
 ホトトギス科Cuculidae (英名cuckoo) の鳥は, 極地や大洋島,高山を除いてほとんど全世界に広く分布しており, 約 130 種に分類される。 全長 28 〜55cm,くちばしはじょうぶで下方に湾曲しており, 尾は一般に長く多少ともくさび状である。 対趾足であしゆびは 2 本ずつ前後に向かいあっている。 羽色は全体に灰色や褐色のじみなものが多い。 羽毛は密に生えているが,皮膚が薄いため抜けやすい。 かなり多様な分類群であるため,この科は一般にカッコウ類 (50 種), キバシカッコウ類 (30 種),オオハシカッコウ類 (4 種), ミチバシリ類 (13 種),コウア類 (10 種), バンケン類 (27 種) の 6 亜科に分けられる。 生態のうえでもかなり多様で,森林, 低木林,農耕地,草原,荒地,半砂漠などさまざまな環境にすみ, 昆虫や小動物をとって食べている。単独生活をしていることが多く,大きな群れをつくることはない。 托卵の習性をもっているものはカッコウ類の全種とミチバシリ類中の 3 種である。 日本ではカッコウ類のカッコウ( イラスト ), ホトトギス,ジュウイチ( イラスト ), ツツドリ( イラスト ) の 4 種が繁殖する。
誇剏 広芳

[民俗]
 ホトトギスは独特の鳴声で,田植や山芋を掘る時期を知らせるので, 農事に関係の深い鳥として〈四手 (しで) の田長 (たおさ)〉と呼ばれた。 山芋は端午の節供のハレの食物でもあったので, 熊本県阿蘇郡ではこの日に山芋を食べないとホトトギスになると伝えている。 ホトトギスは季節の節目を告げる〈四手の田長〉としてその初音が待たれる一方, 俗に〈一日に八千八声〉という昼夜をおかぬその鳴声が陰気で悲痛に聞こえるというので, 〈死出の田長〉であるとも考えられた。 ホトトギスを〈魂迎え鳥〉とか〈冥土の鳥〉とか呼んで,霊界との関係が深い鳥とみなす例は多い。 中国には蜀王望帝の魂が死後化してホトトギスとなったとする俗信があるが, 日本にもホトトギスを主人公とする小鳥前生譚の昔話が数多く伝えられている。 その一つである〈時鳥と兄弟〉では, 飢饉の折に食物をめぐる邪推から弟 (または兄) を殺してしまった盲目の兄 (または弟) が, 化してホトトギスになり,前非を悔いて鳴くのだと語られている。 この話は東欧と中国,日本にとくに多く分布する。 また,ホトトギスの鳴声をまねるのは禁じられ, これを犯すと吐血して死ぬとかいわれた。なお,ホトトギスはウグイスの巣に托卵する習性があるので, ホトトギスを〈鶯の養子〉という地方がある。
佐々木 清光

カッコウ
カッコウ目カッコウ科 全長35cm
夏鳥として九州より北にやってくる。高原や河原のまばらな林や潅木まじりの広い草原に多い。モズ、オオヨシキリなどに托卵する。姿も見つけやすく声もわかりやすい。やっぱり毛虫が大好き。

ホトトギス
カッコウ目カッコウ科 全長27.5cm
夏鳥として九州より北の山林に渡ってくるが、九州と北海道には少ない。ウグイスに托卵する。托卵鳥の仲間ではいちばん小さい。「テッペンカケタカ」「特許許可局」と聞きなされる。夜もよく鳴く。


【郭公】 かっこう くわく―
カッコウ目カッコウ科の鳥。全長35センチメートル内外で、翼と尾が長い。背面は灰色、腹面は白で細い不規則な黒の横しまがある。日本には夏鳥として渡来する。開けた林や草原にすみ、カッコー、カッコーと鳴く。自分で巣を作らず、ホオジロやモズなどの巣に産卵し、ひなはその巣の親に養われる。閑古鳥(かんこどり)。呼子鳥(よぶこどり)。合法鳥(がつぽうどり)。[季]夏。
〔平安時代以来、ホトトギスに「郭公」の字を当てることがある〕


カッコウ(郭公) カッコウ common cuckoo‖Cuculus canorus
ホトトギス目ホトトギス科の鳥( イラスト )。 托卵 (たくらん) 性の鳥としてもっともよく知られている。 全長約 35cm,体上面と胸は灰色,腹は白地に黒帯がある。 ツツドリによく似ているが,カッコウのほうが一般により淡色で, 腹面の黒色横帯の幅が狭い。 雌雄同色であるが,雌には全体に赤褐色の羽毛をもつ赤色型のものもいる。 アジア,ヨーロッパ,アフリカに広く分布し, 日本では北海道から九州までの各地で繁殖する。 秋・冬季には温暖な地方へ渡っていって越冬する。 日本では代表的な夏鳥。 明るい林から低木の散在する草原までの開けた環境にすみ, 雄はこずえでカッコー,カッコーと大きなよくとおる声で鳴く。 飛びながら鳴くこともある。 日本でこの声が聞かれるようになるのは, 5 月 20 日前後である。
 自分では巣をつくって繁殖せず,ほかの種の鳥の巣に自分の卵を産みつける。 托卵相手はこの類では比較的幅広く, 日本では二十数種が知られているが, おもにモズ,オオヨシキリ,ホオジロである。 托卵するのは午後であることが多い。 雌は托卵相手の鳥の巣にいき,その巣の中から卵を一つくわえとり, 自分の卵を一つ産みこむ。 くわえた卵は食べてしまうか,もち去る。この托卵に要する時間はほんの数秒間である。 この間,托卵される側の鳥はけたたましく鳴いて脅したり, 実際にカッコウに体当りして追い払おうとしたりする。 托卵される巣は産卵中のものである場合が多く, 抱卵が開始された巣に托卵することは少ない。 一つの巣には,ふつう 1 個しか托卵されない。卵は仮親のものよりひとまわり大きく, 色や斑はしばしば非常によく似ている。 雛は 10 日前後で孵化 (ふか) する。 このときには仮親の卵はまだ孵化していないことが多く, カッコウの雛は,それらの卵を一つずつ背中にのせて巣外にほうり出してしまう。 こうして巣内を独占し,その後の仮親の世話を自分だけに向けてしまう。 雛は巣立ち後もかなり長い期間にわたって仮親の世話を受ける。
誇剏 広芳


六調子 ろくちょうし
日本音楽の理論用語。 現在の雅楽の唐楽で用いられている 6 種の調子をいう。 唐楽六調子ともいい,〈りくちょうし〉と読む立場もある。 6 種とは,壱越 (いちこつ) 調 (壱越が宮 (きゆう) (五音(ごいん) の主音)。 呂(りよ) ),平調 (ひようぢよう)(平調が宮。 律),双調 (そうぢよう)(双調が宮。呂), 黄鐘 (おうしき) 調 (黄鐘が宮。律), 盤渉 (ばんしき) 調 (盤渉が宮。律), 太食 (たいしき) 調(大食調とも。 平調が宮。呂) で,打ち物のみで奏される乱序(らんじよ) を除いて, すべての唐楽曲は,六調子のいずれかに属する。 六調子は五行説と結びついて,四季に配されたり, 葬儀に用いられたりする。
(1) 壱越調 選定曲 (1876 年と 88 年に宮内庁雅楽局によって制定された曲目) となった舞楽がもっとも多く, かつ変化に富んでいる。 非当曲 (当曲として扱われる曲以外の曲) として, 調子,音取(ねとり) のほかに乱声(らんじよう) の類を有するのも特徴となっている。 枝調子に沙陀 (さだ) 調がある。 宮の壱越が十二律の基準であるところから, 壱越調も六調子の第 1 にあげられ,季節の配当は土用で, 四季通用とされる。
(2) 平調 管楽器の手ほどきや,鑑賞入門の教材にされる曲が多く, その意味でなじみ深い調子である。 律の催馬楽(さいばら) は平調として扱われる。 秋の調子とされる。
(3) 双調 舞楽がもっとも少なく,管絃の演奏においては, ほかの調子からの渡物(わたしもの) を多く用いる。 低い音域を比較的多用し,篳篥 (ひちりき) の塩梅 (えんばい) (指遣いを変えずに音高をなめらかに変化させる技法) の技巧が少ないため, 全体に素朴な印象を与える。 呂の催馬楽は,双調として扱われる。 春の調子とされる。
(4) 黄鐘調 やはり舞楽が多くなく,かつ, 旋り (めぐり) (旋律の動き方) の独自性がもっとも稀薄な調子である。 枝調子に水 (すい) 調がある。 夏の調子とされるが《喜春楽》などの曲名がある。
(5) 盤渉調 都節 (みやこぶし) 音階化した主旋律が, 日本人にもっとも親しみやすく感じられる調子で, 篳篥の塩梅の技巧の駆使が目立つ調子でもある。 冬の調子とされるが《秋風楽》《千秋 (せんしゆう) 楽》《万秋楽》など, 曲名には秋のつくものが多い。 葬儀の際は盤渉調が用いられる。 上記の 5 種の拍子は,呂 2 種,律 3 種なので, 呂も 3 種とするために加えられたのが太食調である。
(6) 太食調 宮が平調と同音高であるうえに, 箏の調弦に呂と律の両方があり,後者は平調とまったく同じである。 太食調の舞楽は,一曲一曲がきわめて独自の趣を有している。 6 番目の調子として加えられたものであるから, 五行説とは無縁で,特定の季節に配されることもない。 ⇒調子
蒲生 郷昭


秋風楽(しゅうふうらく・しうふうらく)
雅楽の一。左方の新楽。盤渉(ばんしき)調の中曲。常装束で舞う平舞の四人舞。嵯峨天皇の南池院行幸の際、常世乙魚が作舞し、大戸清上が作曲したという。現在廃曲。長殿楽。寿春楽。


例なら・ず
(1)いつもと違う。珍しい。「この女、―ぬけしきを見て/宇津保(嵯峨院)」
(2)体がふつうの状態ではない。病気や妊娠をいう。「―ぬ心地出できたり/平家 6」



はらか【腹赤】
〔「はらあか」の転〕魚、ニベの異名。一説に、マスの異名。「―釣る大曲崎(おおわださき)のうけ縄に/山家(雑)」






ははき-ぎ 【帚木】
(1)ホウキグサの別名。[季]夏。
(2)信濃国の薗原にあって、遠くから見ればほうきを立てたように見え、近寄ると見えなくなるという伝説の木。情があるように見えて実のない人、また会えそうで会えないことなどにたとえる。「―の心を知らで園原の道にあやなくまどひぬるかな/源氏(帚木)」
(3)(はじめの二音が同音であるところから)母にかけていう。「大后の宮…日の本には、―と立ち栄えおはしましてより/栄花(駒競べの行幸)」
(4)源氏物語の巻名。第二帖。



賀茂祭(かもまつり)
葵祭(あおいまつり)ともいう。京都の賀茂別雷(わけいかずち)(上賀茂)神社、賀茂御祖(みおや)(下賀茂下鴨)神社の両社の例祭。古くは旧暦四月中の酉の日に行われていたが、現在は5月15日に行われる。石清水祭、春日祭とともに三大勅祭の一つ。806年(大同1)官祭となり、810年(弘仁1)斎院がおかれ皇女有智子内親王が斎王になって以来、同祭に奉仕するようになった。祭りに先立って、斎王は賀茂川で禊を行い、祭り当日は勅使および東宮、中宮の使とともに両社へ行列を整え参向した。その行装は華麗を極め、京中は観衆で雑踏した。現行の祭儀は勅使以下、早朝京都御所に集まり、御所から下賀茂神社に向かう。同社にて祭典、東遊(あずまあそび)、走馬が行われたのち進発、賀茂川の堤を北上して上賀茂神社に到着、同社にて祭典、東遊、走馬の儀があり、終わって御所に帰る。
(岡田 荘司)


東遊(あずまあそび)
雅楽の一種目。そこで歌われる歌を東遊歌という。もと東国の地方芸能であったらしいが、奈良時代から平安時代にかけて〈東舞〉などと称して近畿でも行われるようになり、9世紀ごろ様式をほぼ完成させた。楽器は句頭(くとう)(歌の主唱者)の打つ笏拍子(しやくびようし)のほか、篳篥(ひちりき)、高麗(こま)笛(元来は東遊笛)、和琴(わごん)(各1名)が用いられる。
(田辺 史郎)


舞人(まいにん)
舞を舞う人のことで、〈まいびと〉ともいう。本来は舞楽(ぶがく)、大和舞(やまとまい)、、東遊(あずまあそび)などの演舞者を指す。《宇津保物語》の〈俊蔭〉に、〈賀茂に詣で給ひけるを、舞人(まいびと)、陪従(べいじゆう)例の作法なれば〉とあり、楽を奏する陪従と対に記す。とくに外来系の舞楽装束を唐(とう)装束というのに対し、東遊、大和舞など国風(くにぶり)の舞楽装束を舞人(まいにん)装束と称する場合があり、その演者をとくに舞人と呼ぶ。
(山路 興造)


陪従(べいじゆう)⇒「舞人」を見て下さい


御手洗(みたらし)
神仏を拝する前に、参拝者が体をきよめるため、手を洗い、口をそそいだ場所。伊勢神宮の五十鈴川のように、自然の川であることもあり、そうした場合にその川を御手洗川と呼ぶこともある。《義経記》に〈清川と申は、羽黒権現のみたらしなり〉とみえるのもその例である。世俗、日常の世界から神聖な社域、寺域に入るための禊(みそぎ)の行事と場所が簡略化された結果、成立したのが今日、各地の社寺にみられる御手洗であろう。京都北野天満宮の7月7日になされる御手洗祭は、祭神が歌を詠むので、そのための御手水(おちようず)を硯箱、水さしなどとともに神前に供えるのだとされるが、これは魂祭である盆を前にして禊が変容したものと思われる。同じ京都の賀茂御祖(かもみおや)神社には6月20日から晦日まで境内の御手洗川に人々が足をひたし息災を願った御手洗会(みたらしえ)があり、ただすまいりとも呼ばれていた。御手洗だんごはこのおりに売られたものであったという。
(西垣 晴次)


御神楽 みかぐら
神楽の美称で,皇室の祭儀として宮中で行われる神事芸能。 民間神事の神楽〈かぐら〉〈おかぐら〉〈里神楽〉などと区別してとくに〈みかぐら〉と称する。
 御神楽の起源は,天岩戸の前での天鈿女 (あめのうずめ) 命の舞であると伝えられるが,これに儀式としての作法が定まり,神楽譜が選定されるのは平安時代に入ってからである 現行御神楽の原形である〈内侍所 (ないしどころ) の御神楽〉は, 《江家次第》《公事根源》等によれば, 一条天皇の時代 (986‐1011) に始まり, 最初は隔年,白河天皇の承保年間 (1074‐77) からは毎年行われるようになったという。 これより古くから宮中で行われていた鎮魂祭,大嘗祭 (だいじようさい) の清暑堂神宴, 賀茂臨時祭の還立 (かえりだち) の御神楽, 平安遷都以前から皇居の地にあった神を祭る園韓神祭 (そのからかみさい)等の先行儀礼が融合・整理されて, 採物(とりもの),韓神,前張(さいばり), 朝倉,其駒 (そのこま) という〈内侍所の御神楽〉の基本形式が定まり, 以来人長 (にんぢよう) 作法,神楽歌の曲目の増減等, 時代による変遷はあったものの,皇室祭儀の最も重要なものとして, よく古式を伝えて今日にいたっている。
石田 百合子


神楽歌 かぐらうた
国文学で狭義には平安時代に整えられた宮廷神楽歌を言い, 広義には神事歌謡をひろくさして称する。 《古今和歌集》巻二十に〈神遊 (かみあそび) の歌〉 (採物 (とりもの) の歌 6, 日女 (ひるめ) の歌 1,返し物の歌 1,大嘗祭の時の歌5) を収める。 神遊の歌は神楽歌の古称と見られる。 《拾遺和歌集》巻二十にも〈神楽歌〉11 首を収める。 神楽歌の平安時代書写本には源信義本, 鍋島家本,伝藤原道長本《神楽和琴秘譜》, 八俣部重種本がある。 ほかに承徳 3年 (1099) 書写《古謡集》に〈支多乃見加止 (きたのみかど) 乃御神楽〉〈介比 (けひ) 乃神楽〉が収められ, 前者の所在は一定しないが,後者は越前一宮の気比神社のものであろう。 宮廷御神楽 (みかぐら) のほかに里神楽が存し, しかも豊かなものであったことが察せられる。
 鍋島家本《神楽歌》の構成は庭火 (にわび)・阿知女法 (あちめのわざ)・採物・韓神 (からかみ)・大宜 (おおむべ)・阿知女法・大前張 (おおさいばり)・小前張 (こさいばり)・千歳法 (せんざいのほう)・早歌 (そうか)・明星 (あかぼし)・得銭子 (とくぜにこ)・木綿作 (ゆうつくる)・朝倉・昼目歌 (ひるめうた)・竈殿遊歌 (かまどのあそびのうた)・酒殿歌 (さかどのうた)・湯立歌 (ゆだてのうた)・其駒 (そのこま)・神上 (かみあげ) となっている。 神を迎え,神をたのしませ,神を送る順序で進められる。 神の来臨する憑代 (よりしろ) を手に取り持つ採物の歌に古風な信仰が見られ, また神をたのしませる大前張・小前張の歌は数多く, 民謡などを摂取し変化に富んでいる。 地方の神楽歌でも,伊勢神楽歌,諏訪神楽歌などは豊富多彩である。 ⇒神歌‖御神楽
(臼田 甚五郎)


明星・赤星(あかぼし)
〔「あかほし」とも〕
(1)さそり座のアルファ星アンタレスのこと。
(2)明けの明星(みようじよう)の古名。金星。
(3) 神楽歌の曲名。


其駒 そのこま
御神楽(みかぐら) に歌う 神楽歌の曲名。 御神楽次第の最終部に歌う神上げの歌で, 現行の歌詞は〈其駒ぞ や 我に 我に草乞ふ 草は取り飼はん 水は取り 草は取り飼はん〉で, これを 2 回歌うが,1 回目を其駒三度拍子, 2 回目を其駒揚拍子 (あげびようし) といい, 後者には人長(にんぢよう) の舞がある。この歌詞は,本来は本歌 (もとうた) として〈葦駮 (あしぶち) の や 森の 森の下なる 若駒率 (い) て来 (こ)  葦毛駮の 虎毛の駒〉があり, その末歌 (すえうた)としてあったものであろうが, 古くから末歌のみを用いたらしく,諸本は, ある説としてのみ〈葦駮の〉の歌をあげる。 《朝倉(あさくら) 》と《其駒》とはもと風俗 (ふぞく) 歌 (風俗) だったものが, 延喜年間 (901‐923) 神楽歌に編入されたという。
(石田 百合子)


舎人(とねり)
(1)皇族・貴族に仕えて、雑務を行なった下級官人。律令制下には内舎人・大舎人・春宮舎人・中宮舎人などがあり、主に貴族・官人の子弟から選任された。舎人男。舎人子。
(2)平安時代、貴族の牛馬などを扱う従者。
(3)旧宮内省式部職に属した名誉官。式典に関する雑務に従事した。


さわらび 【早蕨】
(1)芽を出したばかりのわらび。[季]春。
(2)襲(かさね)の色目の名。表は紫、裏は青。三月着用。
(3)源氏物語の巻名。第四八帖。宇治十帖の一。


ほどろ
ワラビの穂が伸びすぎてほうけたもの。また、ワラビの異名。
 「なほざりに焼き捨てし野の早蕨(さわらび)は折る人なくて―とやなる/山家(春)」


さりとも 【然りとも】
(接続)
(1)そうであっても。それでも。「―まかりて仰せ事たまはむ/竹取」
(2)いくらなんでも。よもや。まさか。「―と思ひつつ明くるを待ちつる心もとなさ/更級」


はんれい 【范蠡】
中国、春秋時代の越の功臣。別名、陶朱。呉王夫差(ふさ)と戦って敗れた越王勾践(こうせん)を助け、国力を養い夫差を討った。のち山東に住み巨万の富を築いた。生没年未詳。→陶朱(とうしゆ)猗頓(いとん)の富(とみ)


国歌大観 こっかたいかん
和歌索引。 (1) 1901 年より松下大三郎・渡辺文雄の編で正編が, 25 年より松下の編で続編が刊行された。 おのおの歌集部と索引部から成る。正編に《万葉集》,二十一代集など, 続編は六家集,《三十六人集》などを収める。 所収の歌のすべてに番号を付し,正編では 5・7・5・7・7 のおのおのの句を, 続編では上句下句を五十音順に配し, 検索できるようにした。 番号は以降の出版物に襲用され,国文国語の研究に画期的な寄与をした。 このような総合的索引は近世の《古今類句》などの継承であるが, 容易に利用できる点でははるかに優れている。 (2) 83 年からは,編集委員会制による全 5 巻 10 冊 (各巻とも歌集部 1 冊,索引部 1冊) の《新編国歌大観》が刊行され, 〈堀河百首〉などの定数歌や,歌
合, 物語・日記などの歌も収録されて,歌数は旧《国歌大観》の約 3 倍に当たる。 索引はすべて各句索引で,歌番号も付されており, 国文国語研究の基礎資料として一層重厚なものになった。
奥村 恒哉



[日本の火葬]
 仏教ではこの葬法を荼毘 (だび)ともいう。 これはパーリ語の音訳である。 一般に死者の葬法には土葬,水葬,火葬,風葬の 4 種があり,アーリヤ族古来の習俗であった火葬が仏教とともに日本に伝わり, もともと死体遺棄あるいは風葬や土葬であった日本の葬法に大きな変化をもたらした。 主として僧侶により採用された葬法であり, 記録では《続日本紀》文武 4 年 (700) 条にある元興寺の僧道昭の火葬を初めとするが, 6,7 世紀の火葬墓が発見されたり,《万葉集》に火葬を詠んだ恐刮フがみられることなどから, 僧侶だけに限られず,またその起源もさらにさかのぼるようである。 702 年 (大宝 2) 持統天皇が飛鳥岡に火葬され, 天皇火葬の初例となった。 文武,元明,元正の 3 天皇も火葬にされ, 奈良時代には貴族,僧侶の火葬が普及したが, 庶民のあいだでは一般的でなかった。 しかし軍防令,賦役令などに兵士,防人 (さきもり), 丁匠などの死者を火葬にすることが規定されていて, 行政的にも火葬法が採用されていた。 平安時代になると貴族,庶民とも火葬が盛んとなり, 各地に火葬場が設けられ,三昧 (さんまい) 所と称された。また疫病の流行や飢饉に際して,河原や荒野に遺棄された死体を念仏僧などが火葬にする風があった。 この時期,京都では鳥辺山船岡山などが民間の火葬地として知られていた。 また平安時代中期以降,遺骨を寺域に移す風がおこり, 三昧堂,妓剴ーなどが建てられ,さらに火葬骨を納めた五輪塔など石造墓塔が立てられ, 後世の寺墓のおこりもみられるようになった。 江戸時代には儒教の説によって,将軍や大名などは多く土葬を用いるようになり, それにともない一般庶民に対して火葬を禁止する藩もあった。 明治維新後,1873 年太政官布告によって火葬はいったん禁止されたが, 翌々年にはこの布告も解かれた。


すご・い 【凄い】
(形)[文]ク すご・し
(1)ぞっとするほど恐ろしく思う。たいそう気味が悪い。「―・い目つきでにらまれる」「―・い絶壁」
(2)常識では考えられないほどの能力・力をもっている。並はずれている。「―・い怪力」「―・い根性」
(3)恐ろしいほどすぐれている。ぞっとするほどすばらしい。「―・い性能の車」「―・い腕前」「―・い美人」
(4)程度がはなはだしい。「デパートは―・いこみようだ」→すごく(凄く)
(5)ひどくものさびしい。ぞっとするほど荒涼としている。「かれがれなる虫の音に松風―・く吹きあはせて/源氏(賢木)」「古畑の岨(そば)の立つ木にゐる鳩の友呼ぶ声の―・き夕暮/新古今(雑中)」
(6)ぞっと身にしみて寒気を感じるようだ。鬼気迫るようなおそろしさだ。「あたりさえ―・きに、板屋のかたはらに堂建てて行へる尼の住まひ/源氏(夕顔)」〔心に強い衝撃を受けて、ぞっと身にしみるさまの意が原義。平安時代から見える語で、良い意味でも悪い意味でも用いられた。近代以降、心理的圧迫感を伴わない用法が生じた〕
[派生] ――さ(名)――さ(名)


かせぎ 【鹿】
シカの古名。「山深み馴るる―のけ近さに/山家(雑)」


くれはとり【呉織】
1.(名)〔「はとり」は「はたおり」の転〕
 (1)上代、中国の呉(ご)から渡来したといわれる織工。
 (2)(1)の伝えた技術による織物。「―といふ綾を二むら包みて遣はしける/後撰(恋三詞)」
2.(枕詞)呉の織女の織る綾(あや)の意から、同音の「あや」にかかる。「―あやに恋しくありしかば/後撰(恋三)」


おむろ 【御室】
(1)〔宇多天皇が建立し、退位後その御所としたことから〕京都市右京区にある仁和寺(にんなじ)の別名。御室御所。
(2)仁和寺の周辺の地。
(3)仁和寺の門跡(もんぜき)。「仁和寺の―、みなこの殿の君だちにておはすれば/増鏡(藤衣)」


した・む 【〓(さんずい+胥)む・〓(酉+麗)む】
(動マ五[四])
(1)水分が残らないように、しずくを垂らし切る。「煮汁を―・む」
(2)水分を布に吸い取らせる。「着る物にて残らず―・み/浮世草子・一代男 6」


ひび 【〓(竹/洪)】 ノリ・カキなどの養殖で、胞子や幼生を付着させるため、遠浅の海中に立てておく枝付きの竹や粗朶(そだ)。もともとは、〓(竹/洪)を海中に並べ立て、一方に口を開け、満潮時に入った魚を干潮時に捕る仕掛け。


しとね 0 【▼褥/▼茵】
敷物。座布団・敷き布団の類。





引用:
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大辞林 第二版(三省堂) http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/jp-top.cgi