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西暦2017年(平成29年)12月16日土曜日16時1分47秒(日本標準時)
皇紀二千六百七拾七年丁酉 神無月・旧十月大 廿九日丁丑
ユリウス日:2458103.793 太陽視黄経:264.514 月齢:27.805 Ver.2017

正論・「西行と流鏑馬(やぶさめ)」

要旨:2002年08月27日現在の結論(宗旨替えする場合があります)
  1. 「鶴岡八幡宮例大祭」や「鎌倉まつり」の「流鏑馬」は文治二年八月十五日に「西行」が「頼朝」に講義した結果、行われるようになった。比較的明白な事実なので私が言い出しっぺだとは主張しないが、もっと一般的に認識されて然るべきである。

流鏑馬は、文治二年に鎌倉で西行の指導を受けた頼朝が文治三年から始めて今日に至っている

> 文治二年
> 八月十五日△己丑△二品、御參詣鶴岡宮而老僧一人
> 徘徊鳥居邊恠之、以景季令問名字給之處、佐藤兵
> 衛尉憲清法師也今號西行〈云々〉仍奉幣以後心靜遂
> 謁見、可談和歌事之由、被仰遣西行令申承之由、廻
> 宮寺、奉法施二品爲召彼人、早速還御則招引營中
> 及御芳談此間、就歌道並弓馬事、條々有被尋仰事
> 西行申云、弓馬事者在俗之當初、憖雖傳家風、保延
> 三年八月遁世之時、秀郷朝臣以來九代嫡家相承
> 兵法焼失依爲罪業因、其事曽以不殘留心底皆忘
> 却了詠歌者、對花月、動感之折節、僅作卅一字許也
> 全不知奥旨、然者是彼無所欲報申〈云々〉然而恩問、不
> 等閑之間、於弓馬事者、具以申之即令俊兼、記置其
> 詞給縡被専終夜
〈云々〉
>
> 文治二年
> 八月十六日△庚寅△午尅、西行上人退出頻雖抑留、敢
> 不拘之二品、以銀作猫、被充贈物上人、乍拝領之、於
> 門外、與放遊嬰兒〈云々〉是請重源上人約諾、東大寺料
> 爲勸進沙金、赴奥州、以此便路、巡礼鶴岡〈云々〉陸奥守
> 秀衡入道者、上人一族也


奇しくも翌文治三年八月十五日、初めての流鏑馬が執り行われます。

> 文治三年
> 八月十五日△癸未△鶴岡放生會也二品、御出參河守
> △範頼、武藏守義信、信濃守遠光、遠江守義定、駿河
> △守廣綱、小山兵衛尉朝政、千葉介常胤、三浦介義
> △澄、八田右衛門尉知家、足立右馬允遠元等、扈従
> △有流鏑馬射手五騎、各先渡馬場、次各射訖皆莫
> △不中的其後、有珎事諏方大夫盛澄者、流鏑馬之
> △藝窮依慣傳秀郷朝臣秘決也爰属平家、多年在
> △京、連々交城南寺流鏑馬以下射藝訖仍參向關
> △東事、頗延引之間、二品、有御氣色、日來爲囚人也
> △而被斷罪者、流鏑馬一流、永可凌廢間、賢慮思食
> △煩、渉旬月之處、今日俄被召出之、被仰可射流鏑
> △馬之由、盛澄、申領状召賜御廐第一惡馬盛澄、欲
> △令騎之刻、御厩舎人、密々告盛澄云、此御馬、於的
> △前、必馳于右方也〈云云〉則出一的前、寄于右方、盛澄、
> △爲生得達者、押直兮射之始終、無相違次以小土
> △器、挾于五寸之串、三被立之盛澄、亦悉射畢次可
> △可射件三箇串之由、重被仰出盛澄、承之、既雖思
> △切生涯之運心中奉祈念諏方大明神、拜還瑞籬
> △之砌、可仕靈神者只今垂擁護給、者然後、鏃於平
> △〈仁〉捻廻〈天〉射之、五寸串、皆射切之觀者、莫不感
> △二品御氣色、又快然、忽被仰厚免〈云云〉今日流鏑馬
> 一番
> △射手△長江太郎義景、〈的立、野三刑部烝、〉盛綱、
> 二番
> △射手△伊津五郎信光、〈的立、河勾七郎〉政頼
> 三番
> △射手△下河邊庄司行平、〈的立勅使河原三郎〉有直
> 四番
> △射手△小山千法師丸、〈的立、浅羽小三郎〉行光、
> 五番
> △射手△三浦平六義村、〈的立横地太郎〉長重、

四十数年後、弓の持ち方でひと悶着あり、西行の言が引用されています。

> 嘉禎三年(1237)
> 七月十九日△甲午△北條五郎時頼、始可被射來月放
> 生會流鏑馬之間、此初、於鶴岳馬場、有其儀。今日武
> 州、爲扶持之、被出流鏑馬屋、駿河前司以下宿老等。
> 參集。于時招海野左衛門尉幸氏、被談子細。是舊勞
> 之上、幕下將軍御代、爲八人射手之内歟。故實之堪
> 能、被知人之故歟。仍見射藝之失礼、可加諷諫之旨
> 武州、被示之。射手之躰、尤神妙。凡爲生得堪能由、幸
> 氏、感申之。武州、猶令問其失給。縡及再三、幸氏愁申
> 云、挾箭之時、弓一文字令持給事。雖非無其説、於故
> 右大將家御前、被凝弓箭談議之時、一文字弓持事。
>
> 諸人一同儀歟。然而佐藤兵衛尉憲清入道〈西行〉云、
> 弓ヲバ拳ヨリ押立テ、可引之様、可持也。流鏑馬、矢ヲ挾之時、
> 一文字持事、非禮也。者倩案此事、殊勝也。一文字持テハ
> 、誠ニ弓ヲ引テ、即可射之體ニハ、不見。聊遅キ姿也。
> 上ヲ少キ揚テ、水走。被仰下之間、下河邊、〈行平〉、工
> 藤〈景光〉、兩庄司、和田義盛、望月〈重隆〉、藤澤〈清親〉等、三
> 金吾、并諏方大夫〈盛隆〉、愛甲三郎〈季隆〉等、頗甘心、各
> 不及異議。承知訖。然者是計可被直歟。者義村云、
> 此事、令聞此説、思出訖。正觸耳事候キ、面白候〈云々〉。
> 武州亦入興、弓持様、向後可用此説〈云々〉。此後、被談弓
> 馬事、義村、態遣使者於宿所、召寄子息等、令聽之。流
> 鏑馬、笠懸以下作物故實、的草鹿等才學。大略究淵
>
> 源、秉燭以後、各退散〈云々〉。
以上、吾妻鏡本文データ国文学研究資料館)より抜粋。(着色:新渡戸)

知る人ぞ知る事実ですが、一般的な認知度が低すぎます。
「忘れてしまいましたわい」といいながらも朝まで講釈したというのですから、西行の交渉人としてのしたたかさが見え隠れします。頼朝から得たものは「銀の猫」だけではなかったのは想像に難くありません。
ひたく書房「西行全集」には「扶桑見聞私記」が掲載されており、文治二年八月十五・六日の事が図解入りで詳しく説明されています。それ自体は非常に面白いのですが、「吾妻鏡」を下敷きにしているのが明白であり、カタカナの使用、「コト」や「ドモ」の合字の多用からみて、一般的にいわれるように(本当に一般的か?かなりマニアックだと思うけど)、江戸時代の偽書の可能性が高いと考えますので、本稿での引用は控えさせていただきます。興味のある方はひたく書房「西行全集」を購入してご覧下さい(金15,000円也)。


第一稿:2002年8月27日 新渡戸広明

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