Title  西行法師家集  Author  西行  Subtitle  春  0001:  初春 岩間とぢし氷もけさはとけそめて苔の下水みちもとむなり  0002: ふりつみしたかねの深雪とけにけり清瀧川の水の白浪  0003: たちかはる春をしれとも見せがほに年をへだつる霞なりけり  0004: くる春は峯の霞を先だてて谷のかけひをつたふなりけり  0005: こぜりつむ澤のこほりのひま見えて春めきそむる櫻井の里  0006: 春あさみすずのまがきに風さえてまだ雪消えぬしがらきの里  0007: 春になる櫻が枝はなにとなく花なけれどもむつまじきかな  0008: すぎて行く羽風なつかし鶯はなづさひけりな梅のたちえに  0009: うぐいすは田舎の谷の巣なれどもだみたる音をは鳴かぬなりけり  0010: かすめども春をばよその空にみてとけむともなき雪の下水  0011: はるしれと谷の細水もりぞゆく岩間のこほりひま絶えにけり  0012:  鶯 うぐひすのこゑぞ霞にもれてくる人めともしき春の山ざと  0013: 我なきてしる秋なりとおもひけり春をばまてやうぐひすの聲  0014:  霞 雲にまがふ花の盛をおもはせてかつがつかすむみよしのの山  0015:  海邊の霜と申す亊を伊勢にてよみ侍りしに 浪こすと二見の松の見えつるはこずゑにかかるかすみなりけり  0016:  子日 春毎に野邊の小松をひく人はいくらの千代をふべきなるらむ  0017:  若菜に初子の日あひたりしに、人のもとへつかはし侍りし 若なつむけふは初子にあひぬればまつにや人のこころひくらむ  0018:  雪中若菜 けふはただおもひもよらで歸りなむ雪つむ野べのわかななりけり  0019:  雨中若菜 春雨のふるののわかな生ひぬらしぬれぬれつまむかたみぬきいれ  0020:  寄若菜述懷 わかな生ふる春の野守に我なりてうきよを人につみしらせなむ  0021:  すみなれし谷に鶯のこゑせずなり侍りしかば、何となくものあはれにて ふる巣うとく谷の鶯なりはてば我やかはりてなかむとすらむ  0022:  梅にうぐひすの鳴き侍りしに 梅がかにたぐへてきけば鶯の聲なつかしき春の明ぼの  0023:  旅宿の梅を ひとりぬる草のまくらのうつり香は垣根の梅の匂ひなりけり  0024:  嵯峨に住み侍りしに道をへだてて隣の梅ちりこしを ぬしいかに風わたるとていとふらむよそにうれしき梅の匂ひを  0025:  きぎすを おひかはる春の草葉をまちわびてかれののはらにきぎすなくなり  0026: もえいづるわかなあさるときこゆめり雉子鳴く野の春のあけぼの  0027:  霞の中に歸雁を なにとなくおぼつかなきは天の原かすみに消えてかへる雁がね  0028:  歸雁を長樂寺にて 玉づさのはしがきかとも見ゆるかなとびおくれつつ歸るかりがね  0029:  歸雁 いかでわれ常世の花の盛見でことわりしらずかへるかりがね  0030:  燕 かへる雁にちがふ雲路のつばくらめこまかにこれやかける玉章  0031:  梅 色よりも香はこきものを梅の花かくれむものかうづむしら雪  0032: とめて行く主なき宿の梅ならば勅ならずとも折りてかへらむ  0033: 梅をのみ我が桓ねにはうゑおきて見にこむ人にあとしのばれむ  0034: とめこかし梅さかりなるわが宿をうときも人はをりにこそよれ  0035:  柳風にしたがふ 見わたせばさほの川原にくりかけて風によらるる青柳の糸  0036:  山家柳を 山賤の片岡かけてしむるののさかひに立てる玉のをやなぎ  0037:  花 きみこずば霞にけふはくれなまし花まちかぬるものがたりせよ  0038: 吉野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる年にもあるかな  0039: 山さむみ花さくべくもなかりけりあまりかねてぞたづねきにける  0040: 山人に花さきぬとやたづぬればいさしら雲とこたへてぞゆく  0041: よしの山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたのはなをたづねむ  0042: 吉野山人に心をつけがほに花よりさきにかかるしらくも  0043: 咲きやらぬ物ゆゑかねてものぞおもふなどか心のたえぬならひに  0044: 花をまつこころぞなほもむかしなれ春にはうとくなりにしものを  0045: かたばかりつぼむと花を思ふより空また風の物になるらむ  0046: またれつる吉野の櫻咲きにけりこころをちらす春の山風  0047: さきそむる花を一枝まづをりてむかしの人のためとおもはむ  0048: あはれ我がおほくの春の花を見てそめおく心たれにゆづらむ  0049: 山人よ吉野の奧のしるべせよ花もたづねむ又思ひあり  0050: おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲  0051: 春をへて花のさかりにあひきつつ思ひ出おほきわがみなりけり  0052: ねがはくははなの下にて春しなむそのきさらぎの望月のころ  0053: 花にそむ心のいかでのこりけむすてはててきとおもふわか身に  0054: よしの山やがて出でじとおもふ身を花ちりなばと人やまつらむ  0055: ちらぬまはさかりに人もかよひつつ花に春あるみよしのの山  0056: あくがるる心はさても山櫻ちりなむのちや身にかへるべき  0057: 佛には櫻の花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば  0058: 花ざかりこずゑをさそふ風なくて長閑にちらむ春にあはばや  0059: しら川の梢を見てもなぐさむる吉野の山にかよふこころを  0060: わきてみむ老木は花もあはれなり今幾たびか春にあふべき  0061: 老づとに何をかせましこの春は花まちつけぬわが身なりせば  0062: よしの山花をのどかに見ましやはうきがうれしき我身なりけり  0063: 山路わけ花をたづねて日はくれぬやどかし鳥の聲もかすみて  0064: 鶯のこゑを山路のしるべにて花みてつたふ岩のかけみち  0065: ちらばまたなげきやそはむ山櫻さかりになるはうれしけれども  0066: 白川の關路の櫻さきにけり東よりくる人のまれなる  0067: 谷風の花の浪をし吹きこせば井ぜきにたてる峯の村まつ  0068:  那智にこもりたりけるに花の盛に出でける人につけて遣しける ちらまでと都の花をおもはまし春歸るべきわが身なりせば  0069: いにしへの人の心のなさけをば老木の花の梢にぞしる  0070: 春といへばたれもよしのの山と思ふ心にふかきゆゑやあるらむ  0071: 曉とおもはまほしきこゑなれや花に暮れぬる入あひのかね  0072: 今のわれもむかしの人も花見てむ心の色はかはらじものを  0073: はないかにわれをあはれと思ふらむ見て過ぎにける春かぞへても  0074: なにとなく春になりぬときく日より心にかかるみよしののやま  0075: いまさらに春をわするる花もあらじおもひのどめてけふも暮さむ  0076: 咲かぬまの花には雲のまがふとも雲とは花の見えずもあらなむ  0077: よしの山梢の花を見し日より心は身にもそはずなりにき  0078: 勅とかやくだすみかどのいませかしさらばおそれて花やちらぬと  0079: かざこしの峯につづきて咲く花はいつさかりともなくやちるらむ  0080: よしの山風こすくきに咲く花は人のをるさへをしまれぬかな  0081: ちりそむる花の初雪ふりぬればふみわけまうき志賀の山ごえ  0082: 春風の花の錦にうづもれて行きもやられぬしがの山ごえ  0083: 吉野山谷へたなびく白雲は峯の櫻のちるにやあるらむ  0084: たちまよふ峯の雲をばはらふとも花を散らさぬあらしなりせば  0085: 木のもとに旅ねをすればよしの山花の衾をきするはるかぜ  0086: 峯にちる花は谷なる木にぞ咲くいたくいとはじ春の山かぜ  0087: あだにちるこずゑの花をながむれば庭には消えぬ雪ぞつもれる  0088: 風あらみ梢の花のながれきて庭に浪たつしらかはのさと  0089: 春ふかみ枝もゆるがでちる花は風のとがにはあらぬなるべし  0090: かぜにちる花のゆくへはしらねどもをしむ心は身にとまりけり  0091: おもへただ花のならむ木の本はなにを陰にて我身すみなむ  0092: 何となくあだなる花の色をしも心にふかくおもひそめけむ  0093: 花もちり人も都へかへりなば山さびしくやならむとすらむ  0094: よしの山一むら見ゆる白雲は咲きおくれたる櫻なるべし  0095: ひきかへて花みる春は夜もなく月見る秋はひるなからまし  0096: うちはるる雲なかりけりよしの山花もてわたる風とみつれば  0097: はつ花のひらけはじむる梢よりそばへて風のわたるなるかな  0098: おなじくは月のをり咲け山櫻花見る春のかげはあらまし  0099: 木ずゑふく風の心はいかがせむしたがふ花のうらめしきかな  0100: いかでかはちらであれなとおもふべきしばしとしたふなさけしれ花  0101: あながなちに庭をさへふく嵐かなさこそ心に花をまかせめ  0102: をしむ人の心をさへにちらすかな花をさそへる春のやまかぜ  0103: 浪もなく風ををさめし白川の君のをりもや花はちりけむ  0104: をしまれぬ身だにも世にはあるものをあなあやにくの花の心や  0105: うき世にはとどめおかじと春風のちらすは花ををしむなりけり  0106: 世の中をおもへばなべてちる花のわが身をさてもいづちともせむ  0107: 花さへに世をうき草になしにけりちるををしめばさそふ山水  0108: 風もよし花をもちらせいかがせむおもひはつればあらまうきよに  0109: 鶯の聲に櫻ぞちりまがふ花のことばをきくここちして  0110: もろともに我をもぐしてちりね花うき世をいとふ心ある身ぞ  0111: ながむとて花にもいたくなれぬればちる別こそかなしかりけれ  0112: ちる花ををしむ心やとどまりてまたこむ春のたねとなるべき  0113: 花もちりなみだももろき春なれやまたやはとおもふゆふぐれの空  0114:  あしたに花をたづぬるといふこころを さらにまた霞にくるる山路かな花をたづぬる春のあけぼの  0115:  獨尋花 たれかまた花をたづねてよしの山こけふみ分くる岩つたふらむ  0116:  花をたづぬるこころを 吉野山雲をはかりにたづねいりて心にかけし花をみるかな  0117:  熊野へまゐり侍りしにやがみの王子の花ざかりにておもしろかりしかば社にかきつけ侍りし まちきつるやがみの櫻さきにけりあらくおろすなみすの山風  0118: 上西門院女房法勝寺の花見られしに雨のふりて暮れにしかばかへられにき。又の日、兵衞の局のもとへ花の御幸思ひ出させ給ふらむとおぼえてなど、申さまほしかりしとて申しおくり侍りし 見る人に花もむかしを思ひいでてこひしかるらし雨にしほるる  0119:  返し いにしへをしのぶる雨とたれかみむ花もその世の友しなければ  若き人々ばかりなむ、老いにける身は風のわづらはしさにいとはるることにてとありし、いとやさしく聞え侍りき  *左注心中集下にて補ふ  0120:  花の下にて月をみて 雲にまがふ花の下にてながむればおぼろに月の見ゆるなりけり  0121:  かきたえこととはずなりたりし人花見に山ざとへまかりたりしに としをへておなじ梢に匂へども花こそ人にあかれざりけれ  0122:  白川の花のさかりに人のいざなひ侍りしかば見にまかりてかへりしに ちるを見てかへる心や櫻花むかしにかはるしるしなるらむ  0123:  すみれを ふる里のむかしの庭の思ひ出でてすみれつみにとくる人もかな  0124:  杜若 つくりすててあらしはてたる澤小田をさかりにさけるうらわかみ草  0125:  早蕨を なほざりにやきすてし野のさわらびはをる人なくておどろとやなる  0126:  〓冬家のさかりたりといふことを 山ぶきの花のさかりになりぬればここにもゐでとおもほゆるかな  *〓:(ヒ/矢+欠:「款」の異字体)  *詞書心中集より補ふ  0127:  蛙 ますげ生ふるあら田に水をまかすればうれしかほにも鳴くかはづかな  0128:  春の中に郭公を聞くといふ亊を うれしともおもひもはてぬほととぎす春きくことのならひなければ  0129:  三月一日たらで暮れ侍りしに はるゆゑにせめても物をおもへとやみそかにだにもたらで暮れぬる  0130:  暮春 春くれて人ちりぬめりよしの山花のわかれをおもふのみかは  Subtitle  夏  0131:  卯月朔日になりて後花をおもふと云亊を 青葉さへみれば心のとまるかなちりにし花のなごりとおもへば  0132:  夏の歌よみ侍りしに 草しげる道かりあけて山里は花見し人のこころをぞしる  0133:  社頭卯花 神垣のあたりにさくもたよりあれやゆふかけたりとみゆる卯の花  0134:  無言し侍りし頃時鳥の初音をききて ほととぎす人にかたらぬ折にしも初音きくこそかひなかりけれ  0135:  夕暮のほととぎす 里なるるたそがれ時の郭公聞かずかほにてまたなのらせむ  0136:  ほととぎすをまちてむなしく明ぬるといふ亊を 時鳥なかであけぬとつげかほにまたれぬ鳥のねこそきこゆれ  0137:  郭公の歌あまたよみ侍りしに ほととぎすきかぬものゆゑまよはまし花をたづねぬ山路ならずば  0138: ほととぎすおもひもわかぬ一聲をききつといかが人にかたらむ  0139: ききおくる心をぐして時鳥たかまの山のみねこえぬなり  0140:  雨中の楚魂を 五月雨のはれまも見えぬ雲路より山時鳥なきてすぐなり  0141:  郭公 我宿に花橘をうゑてこそ山ほととぎすまつべかりけれ  0142: きかずともここをせにせむ時鳥山田のはらの杉のむらだち  0143: 世のうきをおもひししればやすき音をあまりこめたるほととぎすかな  0144: うき身しらで我とはまたじほととぎす橘にほふとなりたのみて  0145: たちばなのさかりしらなむ時鳥ちりなむ後のこゑはかるとも  0146: 待ちかねてねたらばいかにうからまし山ほととぎす夜をのこしける  0147: 時鳥花橘になりにけり梅にかをりしうぐひすの聲  0148: 鶯の古巣よりたつほととぎすあゐよりもこき聲の色かな  0149: ほととぎすこゑのさかりになりにけりたづねぬ人にさかりつぐらし  0150: うきよおもふわれにはあやな時鳥あはれもこもるしのびねの聲  0151: ほととぎすふかき峯より出でにけり外山のすそに聲のおちくる  0152: 郭公いかなるゆゑのちぎりにてかかる聲ある鳥となるらむ  0153: 高砂の尾上をゆけど人もあはず山ほととぎすさとなれにけり  0154:  五月雨 早瀬川つなでの岸を外にみてのぼりわづらふ五月雨のころ  0155: 川ばたのよどみにとまる流木の浮橋となるさみだれのころ  0156: 水なしとききてふりにしかつまだの池あらたむる五月雨のころ  0157: さみだれに水まさるらし宇治橋のくもでにかくるなみの白いと  0158:  花橘によする懷舊といふことを 軒ちかき花橘に袖しめてむかしをしのぶなみだつつまむ  0159:  夕暮のすずみをよみ侍りしに 夏山のゆふべおろしのすずしさにならの木陰のたたまうきかな  0160:  海邊夏月 露のぼる芦の若葉に月さえて秋をあらそふ難波江のうら  0161:  雨後夏月 ゆふだちのはるれば月ぞやどりける玉ゆりすうる荷のうは葉に  0162:  對泉見月といふことを むすぶ手に涼しき影をそふるかな清水にやどる夏の夜の月  0163:  夏野草 みま草に原の薄をしがふとてふしどあせぬとしか思ふらむ  0164:  旅行野草深といふことを 旅人のわくる夏野の草しげみ葉末に菅のをがさはづれて  0165:  山家秋を待といふ亊を 山里は外面の眞葛葉をしげみうらふき返す秋を待つかな  Subtitle  秋  0166:  山家の初秋を さまざまにあはれをこめて梢ふく風に秋しる深山邊のさと  0167:  初秋のころなるをと申す所にて松風の音をききて つねよりも秋になるせの松風はわきて身にしむものにぞありける  0168:  七夕を ふねよする天の川瀬のゆふぐれはすずしき風やふきわたるらむ  0169: 七夕のながき思ひもくるしきにこの世にかぎれ天の川なみ  0170:  秋風 おしなべてものをおもはぬ人にさへ心をつくる秋のはつかぜ  0171: あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風たちぬ宮城野のはら  0172:  雜秋 たへぬ身にあはれ思ふもくるしきに秋のこざらむ山里もがな  0173:  鴫 こころなき身にもあはれはしられけり鴫たつ澤の秋の夕暮  0174:  日ぐらし あしひきの山陰なればとおもふまに梢につぐる日ぐらしのこゑ  0175:  露 おほかたの露には何のなるならむ袂におくはなみだなりけり  0176:  月 身にしみてあはれしらする風よりも月にぞ秋の色は見えける  0177: いかにぞやのこりおほかる心ちして雲にはづるる秋の夜の月  0178: 山陰にすまぬこころのいかなれやをしまれている月もある世に  0179: 待出でてくまなきよひの月みれば雲ぞ心にまづかかりける  0180: うちつけにまたこむ秋のこよひまで月ゆゑをしくなるいのちかな  0181: 人も見ぬよしなき山の末までも澄らむ月のかげをこそおもへ  0182: なかなかに心つくすもくるしきに曇らばいりね秋の夜の月  0183: 播磨がたなだのみおきにこぎ出でてにしに山なき月をみるかな  0184: 夜もすがら月こそ袖にやどりけれむかしの秋のおもひいづれば  0185: わたの原浪にも月はかくれけり都の山を何いとひけむ  0186: あはれしる人見たらばと思ふかな旅ねの袖にやどる月影  0187: 月見ばとちぎりおきてしふるさとの人もやこよひ袖ぬらすらむ  0188: くまもなき折しも人をおもひ出でて心と月をやつしつるかな  0189: 物おもふ心のたけぞしられける夜な夜な月をながめ明して  0190: 月のため心やすきは雲なれやうきよにすめるかげをかくせば  0191: わび人のすむ山里のとがならむくもらじものを秋のよの月  0192: うき身こそいとひながらも哀なれ月を詠めて年を經にける  0193: 世のうきに一かたならずうかれゆく心さだめよ秋の夜のつき  0194: なにごともかはりのみゆく世の中におなじ影にもすめる月かな  0195: 世の中のうきをもしらですむ月のかげは我身のこころにぞある  0196: いとふ世も月すむ秋になりぬればながらへずばとおもひけるかな  0197: すつとならばうき世をいとふしるしあらむ我身はくもれ秋の夜の月  0198: いにしへのかたみに月はなれとなれるさらでのことはあらばあるかは  0199: ながめつつ月にこころぞおいにける今いくたびかよをもすさめむ  0200: いづくとてあはれならずはなけれどもあれたる宿ぞ月はさびしき  0201: 山里をとへかし人にあはれ見せむ露しく庭にすめる月かげ  0202: 水の面にやどる月さへ入りぬれば池の底にも山やあるらむ  0203: 有明の月のころにしなりぬれば秋は夜なき心ちこそすれ  0204:  八月十五夜を かぞへねどこよひの月のけしきにて秋のなかばを空にしるかな  0205: 秋はただこよひ一夜の名なりけりおなじ雲井に月はすめども  0206: さやかなる影にてしるし秋の月十夜にあまりていつかなりけり  0207: 老もせぬ十五の年もあるものをこよひの月のかからましかば  0208:  八月十五夜くもりたるに 月まてば影なく雲につつまれてこよひならずばやみに見えまし  0209:  九月十三夜 雲きえし秋の中ばの空よりも月はこよひぞ名に出でにける  0210: こよひはとこころえがほにすむ月のひかりもてなす菊のしらつゆ  0211:  後の九月に 月みれば秋くははれる年はまたあかぬこころもそふにぞありける  0212:  月のうたあまたよみ侍りしに 秋のよの空にいづてふ名のみして影ほのかなる夕月夜かな  0213: うれしとやまつ人ごとに思ふらむ山のはいづる秋の夜の月  0214: あづまにはいりぬと人や思ふらむみやこに出づる山の端の月  0215: 天の原おなじ岩戸にいづれどもひかりことなる秋の夜の月  0216: ゆくすゑの月をばしらず過ぎきぬる秋またかかるかげはなかりき  0217: ながむるもまことしからぬ心ちしてよにあまりたる月の影かな  0218: 月のためひるとおもふはかひなきにしばしくもりてよるをしらせよ  0219: さだめなく鳥や鳴くらむ秋の夜は月のひかりをおもひまがへて  0220: 月さゆる明石の瀬戸にふく風はこほりの上にたたむしらなみ  0221: 清見がた澳の岩こす白浪にひかりをかはす秋のよの月  0222: ながむれば外のかげこそゆかしけれかはらじものを秋のよの月  0223: 秋風や天津雲井をはらふらむふけゆくままに月ぞさやけき  0224: なかなかにくもると見えてはるる夜の月はひかりのそふここちする  0225: 月をみて心うかれしいにしへの秋にもさらにめぐりあひぬる  0226: ゆくへなく月に心のすみすみてはてはいかにかならむとすらむ  0227:  野徑秋風を すゑ葉ふく風は野もせにわたるともあらくはわけじ萩の下露  0228:  草花みちをさへぎるといふ亊を ゆふ露をはらへば袖に玉ちりて道わけまよふ小野の萩はら  0229:  行道の草花を をらでゆく袖にも露ぞしをれける萩のえしげき野路の細道  0230:  薄當野路滋といふことを はなすすきこころあてにぞわけてゆくほの見し道のあとしなければ  0231:  野萩似錦といふことを けふぞしるそのえにあらふから錦萩さく野べに有りけるものを  0232:  月前埜花 花の色をかげにうつせば秋の夜の月こそ野路の鏡なりけれ  0233:  女郎花帶露といふこころを はながえに露のしら玉ぬきかけてをる袖ぬらす女郎花かな  0234:  池邊女郎花 たぐひなき花のすがたを女郎花池のかがみにうつしてぞみる  0235:  月前女郎花 庭さゆる月なりけりな女郎花霜にあひぬる色と見たれば  0236:  野花蟲 花をこそ野邊のものとは見にきつれ暮るれば蟲の音をも聞きけり  0237:  田家蟲 小萩さく山田のくろのむしの音に庵もる人や袖ぬらすらむ  0238:  獨聞虫 ひとりねの友にはならできりぎりすなく音をきけばもの思ひそふ  0239:  廣澤にて人々月を翫ぶこと侍りしに 池にすむ月にかかれる浮雲ははらひのこせる水さびなりけり  0240:  讚岐の善通時の山にて海の月を見て くもりなき山にて海の月みれば嶋ぞ氷のたえまなりける  0241:  月前の落葉 山おろしの月に木の葉を吹かけてひかりにまがふ影をみるかな  0242:  秋のうたどもよみ侍りしに 鹿の音をかきねにこめて聞くのみか月もすみける秋の山里  0243: 庵にもる月の影こそさびしけれ山田はひたの音ばかりして  0244: おもふにも過ぎてあはれにきこゆるは萩の葉わくる秋の夕かぜ  0245: 何となくものがなしくぞ見えわたる鳥羽田の面の秋のゆふぐれ  0246: 山里は秋の末にぞおもひしるかなしかりけり木がらしの風  0247:  擣衣 ひとりねの夜ざむになるにかさねばやたがためにうつ衣なるらむ  0248:  山家紅葉                     みやま そめてけりもみぢの色の紅をしぐると見えし太山邊の里  0249:  寂然高野にまゐりて、深き山のもみぢといふ亊を、宮の法印の御庵室にて歌よむべきよし申し侍りしに參り會ひて さまざまの錦ありける深山かな花見し峯の時雨そめつつ  0250:  むしのうたあまたよみ侍りし中に 秋風の穗ずゑなみよるかるかやの下葉に蟲の聲みだるなり  0251: 夜もすがらたもとに虫の音をかけてはらひわづらふ袖の白露  0252: 虫の音にさのみぬるべき袂かはあやしや心ものおもふべき  0253:  曉初雁をききて 横雲の風にわかるるしののめに山とびこゆるはつ雁のこゑ  0254:  遠近に雁をきくとにふことを 白雲をつばさにかけてとぶ雁の門田の面の友したふなり  0255:  霧中鹿 晴れやらぬ深山の霧のたえだえにほのかにしかの聲きこゆなり  0256:  夕暮鹿 篠原や霧にまがひて鳴く鹿の聲かすかなる秋の夕ぐれ  0257:  曉鹿 夜をのこすねざめにきくぞあはれなる夢野の鹿もかくやなくらむ  0258:  山家鹿 なにとなくすままほしくぞおもほゆる鹿あはれなる秋の山ざと  0259:  田家月 ゆふ露の玉しく小田の稻莚かけほすすゑに月ぞやどれる  0260:  菩提院の前齋院にて月の歌よみ侍りしに くまもなき月の光にさそはれていく雲井までゆく心ぞも  0261:  老人月をもてあそぶといふこころを われなれや松の梢に月たけてみどりの色に霜ふりにけり  0262:  春日にまゐりて常よりも月あかくあはれなりしに三笠山を見あげてかくおぼえ侍りしに ふりさけし人のこころぞしられけるこよひみかさの月をながめて  0263:  雁 からす羽にかく玉章の心地して雁なきわたる夕やみのそら  0264:  鹿 三笠山月さしのぼる影さえて鹿なきそむる春日野の原  0265: かねてより心もいとどすみのぼる月まつ峯の小男鹿の聲  0266: 山里はあはれなりやと人とはば鹿のなく音をきけとこたへよ  0267: 小倉山麓をこむる秋霧にたちもらさるるさをしかのこゑ  0268:  田家鹿 小山田の庵ちかくなく鹿の音におどろかされておどろかすかな  0269:  西忍入道西山にすみ侍りけるに、秋の花いかにおもしろからむとゆかしきよし申しつかはしける返亊に、いろいろの花おくりてかく申しける しかの音や心ならねばとまるらむさらでは野べをみなみするかな  0270:  返し 鹿のたつ野邊の錦のきりはらはのこりおほかるここちこそすれ  0271:  蟲 きりぎりす夜ざむに秋のなるままによわるか聲のとほざかりゆく  0272:  雜秋 たれすみてあはれしるらむ山里の雨降りすさぶ夕ぐれの空  0273: 雲かかる遠山ばたの秋されば思ひやるだにかなしきものを  0274: たつた山時雨しぬべくくもる空に心の色をそめはじめつる  0275:  秋の暮 なにとなく心をさへにつくすらむ我なげきにてくるる秋かは  0276:  終夜秋ををしむといふことを北白川にて人々よみ侍りしに をしめども鐘の音さへかはるかな霜にや露をむすびかふらし  Subtitle  冬  0277:  時雨 初時雨あはれしらせてすぎぬなり音に心のいろをそめつつ  0278: かねてより梢の色をおもふかな時雨はじむるみやまべのさと  0279: 月をまつ高ねの雲は晴れにけり心あるべきはつしぐれかな  0280:  十月の初めのころ、山里にまかりたりしに、きりぎりすのこゑわづかにし侍りしに 霜うづむ葎がしたのきりぎりすあるかなきかのこゑきこゆなり  0281:  曉の落葉 時雨かとねざめの床にきこゆるは嵐にたへぬ木の葉なりけり  0282:  水邊寒草 霜にあひて色あらたむる芦のほのさびしく見ゆる難波江の浦  0283:  山家寒草 かきこめしすそ野の薄霜がれてさびしさまさる柴のいほかな  0284:  閑夜冬月 霜さゆる庭の木の葉をふみわけて月はみるやととふ人もがな  0285:  夕暮千鳥 淡路島せとのしほひの夕暮にすまよりかよふ千鳥なくなり  0286:  寒夜千鳥 さゆれども心やすくぞ聞きあかす川瀬の千鳥友ぐしてけり  0287:  舟中霰 せとわたるたななし小舟心せよあられみだるるしまきよこぎる  0288:  落葉 木がらしに木の葉のおつる山里はなみださへこそもろくなりぬれ  0289: 紅の木の葉の色をおろしつつあくまで人に見するやまかぜ  0290: せにたたむ岩のしがらみ浪かけて錦をながす山川の水  0291:  冬月 秋すぎて庭の蓬のすゑみれば月もむかしになるここちする  0292: さびしさは秋見し空にかはりけり枯野をてらす有明のつき  0293: 小倉山ふもとの里に木の葉ちれば梢にはるる月をみるかな  0294: ひとりすむかた山陰の友なれやあらしにはるる冬の夜の月  0295: まきのやの時雨の音をきく袖に月のもりきてやどりぬるかな  0296:  凍 水上に水やこほりをむすぶらむくるとも見えぬたきのしらいと  0297:  雪 雪うづむそのの呉竹をれふしてねぐらもとむる村すずめかな  0298: うちかへすをみの衣と見ゆるかな竹の上葉にふれる白雪  0299: 道とぢて人とはずなる山里のあはれは雪にうづもれにけり  0300:  千鳥 ちどりなくふけひのかたを見わたせば月影さびし難波江のうら  0301:  山家の冬のこころを さびしさにたへたる人のまたもあれないほりならべむ冬の山ざと  0302:  冬の歌どもよみ侍りしに 花もかれもみぢもちりぬ山里のさびしさをまたとふ人もがな  0303: 玉かけし花のかつらもおとろへて霜をいただく女郎花かな  0304: 津の國の芦のまろやのさびしさは冬こそわきてとふべかりけれ  0305: 山櫻はつ雪ふれば咲きにけり芳野はさらにふゆごもれども  0306: よもすがらあらしの山に風さえて大井の淀に氷をぞしく  0307: 山里は時雨しころのさびしさにあられの音はややまさりけり  0308: 風さえてよすればやがてこほりつつかへる浪なき志賀のからさき  0309: よしの山ふもとにふらぬ雪ならば花かと見てやたづねいらまし  0310:  雪の朝靈山と申す所にて たちのぼる朝日の影のさすままに都の雪はきえみきえずみ  0311:  山家雪深といふ亊を とふ人も初雪をこそわけこしか道たえにけりみやまべの里  0312:  世のがれて東山に侍りしころ年の暮人まうで來て述懷し侍りしに としくれしそのいとなみはわすられであらぬさまなるいそきをぞする  0313:  としの暮に高野より京へ申しつかはしける おしなべておなじ月日のすぎゆけば都もかくや年はくれぬる  0314:  歳暮 むかしおもふ庭にうき木をつみおきて見し世にもにぬ年の暮かな  Subtitle  戀  0315:  戀 ゆみはりの月にはづれて見しかげのやさしかりしはいつかわすれむ  0316: しらざりき雲井のよそに見し月の影をたもとにやどすべしとは  0317: 月まつといひなされつるよひのまの心の色を袖に見えぬる  0318: あはれとも見る人あらばおもはなむ月のおもてにやどすこころを  0319: かずならぬ心のとがになしはててしらせでこそは身をもうらみめ  0320: 難波がたなみのみいとどかずそひてうらみのひまや袖のかわかむ  0321: 日をふればたもとの雨のあしそひてはるべくもなきわがこころかな  0322: かきくらす涙の雨のあししげみさかりにもののなげかしきかな  0323: いかにせむその五月雨のなごりよりやがてをやまぬ袖のしづくを  0324: さまざまにおもひみだるる心をばきみがもとにぞつかねあつむる  0325: 身をしれば人のとがともおもはぬにうらみがほにもぬるるそでかな  0326: かかる身におふしたてけむたらちねの親さへつらき戀もするかな  0327: とにかくにいとはまほしき世なれども君がすむにもひかれぬるかな  0328: むかはらば我が歎きのむくいにてたれゆゑ君がものをおもはむ  0329: あやめつつ人しるとてもいかがせむしのびはつべきたもとならねば  0330: けふこそはけしきを人にしられぬれさてのみやはとおもふあまりに  0331: 物おもへば袖にながるる涙川いかなるみをにあふせありなむ  0332: もらさじと袖にあまるをつつままし情をしのぶなみだなりせば  0333: ことにつけてけさの別はやすらはむ時雨をさへやそでにかくべき  0334: きみかへり暮まつ袖ぞしぼれぬるおきつる人は露ならねども  0335: なかなかにあはぬ思ひのままならばうらみばかりや身につもらまし  0336: さらにまたむすぼほれゆく心かなとけなばとこそおもひしかども  0337: むかしより物おもふ人やなからまし心にかなふなげきなりせば  0338: 夏草のしげりのみゆくおもひかなまたるる秋のあはれしられて  0339: くれなゐの色に袂のしぐれつつ袖にあきあるここちこそすれ  0340: 今ぞしる思ひ出でよとちぎりしはわすれむとてのなさけなりけり  0341: 日にそへてうらみはいとど大海のゆたかなりける我がなみだかな  0342: わりなしや我も人めをつつむまにしひてもいはぬ心づくしは  0343: やまがつのあら野をかけてすみそむるかただよりなきこひもするかな  0344: うとかりし戀もしられぬいかにして人をわするることをならはむ  0345: 中々にしのぶけしきやしるからむかかる思ひにならひなき身は  0346: いくほどもながらふまじき世の中に物をおもはでふるよしもがな  0347: よしさらばたれかは世にもながらへむと思ふおりにぞ人はうからぬ  0348: 風になびく富士のけぶりの空にきえてゆくへもしらぬわが思ひかな  0349: あはれとてとふ人のなどなかるらむものおもふやどの荻のうはかぜ  0350: おもひしる人あり明のよなりせばつきせずものはおもはざらまし  0351: あふと見しその夜の夢はさめであれなながきねぶりはうかるべけれど  0352: あはれあはれこの世はよしや遮莫こむ世もかくやくるしかるべき  0353: ものおもへどかからぬ人もあるものをあはれなりける身のちぎりかな  0354: なげけとて月やは物をおもはするかこちがほなるわがなみだかな  0355: 七草にせりありけりとみるからにぬれけむ袖のつまれぬるかな  0356: ときは山椎の下柴かりすてむかくまで思ふかひやなきかと  0357: わがおもふいもがりゆきて時鳥ねざめの袖のあはれつたへよ  0358: 人はうしなげきは露もなぐさまずさはこはいかにすべきおもひぞ  0359: うき世をばあらればあるにまかせつつ心よいたくものなおもひそ  0360: いまさらになにと人めをつつむらむしぼらば袖のかわくべきかは  0361: うき身しる心にもにぬなみだかなうらみむとしもおもはぬ物を  0362: などかわれことのほかなるなげきせでみさをなる身に生れざりけむ  0363: 袖の上の人めしられしをりまではみさをなりける我こころかな  0364: とへかしななさけは人の身のためをうき我とても心やはなき  0365: うらみじとおもふ我さへつらきかなとはで過ぎぬる心づよさを  0366: ながめこそうき身のくせとなりはてて夕暮ならぬをりもわかれね  0367: わりなしやいつを思ひのはてにして月日をおくる我身なるらむ  0368: 心から心にものをおもはせて身をくるしむる我が身なりけり  0369: かつすすぐ澤の小芹のねをしろみ清げにものをおもはするかな  0370: 身のうさのおもひしらるることわりにおさへられぬはなみだなりけり  0371:  みあれのころ賀茂にまゐりたりけるに精進にはばかる戀といふ亊をよみける ことづくるみあれのほどを過してもなほやう月のこころなるべき  0372: なほざりのなさけは人のあるものをたゆるはつねのならひなれども  0373: なにとなくさすがにをしき命かなありへば人のおもひしるやと  0374: こころざしありてのみやは人をとふなさけはなどとおもふばかりぞ  0375: あひ見てはとはれぬうさぞわすれぬる嬉しさをのみまづ思ふまに  0376: けさよりぞ人の心はつらからで明けはなれゆく空をながむる  0377: あふまでの命もがなとおもひしはくやしかりけるわがこころかな  0378: うとくなる人を何とてうらむらむしられずしらぬ折もありしを  Subtitle  雜  0379:  新院熊野の御幸の次に、住吉へ參らせ給ひしに かたそぎのゆきあはぬまよりもる月のさえてみ袖の霜におくらむ  0380:  伊勢にて ながれたえぬなみにや世をばをさむらむ神風すずしみもすその岸  0381:  承安元年六月一日、院、熊野へまゐらせおはしますついでに、住吉へ御幸ありけり。修行しまかりて、二日、彼の社にまゐりて見まはれば、住の江の釣殿あたらしくしたてられたり、後三條院の御行、神も思ひ出で給ふらむとおぼえて釣殿にかきつけ待りし たえたりし君が御幸をまちつけて神いかばかりうれしかるらむ  0382:  松のしづえあらひけむ波、いにしへにかはらずこそはとおぼえて いにしへの松のしづえをあらひけむ浪を心にかけてこそみれ  0383:  俊惠天王寺に籠りて住吉に參りて歌よみ侍りしに すみよしのまつがねあらふ浪の音を梢にかくるおきつしほ風  0384:  むかし心ざしつかまつりしならひに、世をのがれて後も、賀茂のみ社へまゐる亊にてなむ。年たかくなりて四國の方へ修行すとて、またかへりまゐらぬ亊にてこそはとおぼえて、仁安三年十月十日の夜、まゐりて幤まゐらせしに、内へもいらぬ亊なれば、たなうの社にとりつぎて、たてまつり給へとて、こころざし侍りしに、木のまの月ほのぼのと、つねよりもものあはれにおぼえて かしこまるしでに涙のかかるかなまたいつかはとおもふあはれに  0385:  寂超入道大原にて止觀の談儀すとききてつかはしける ひろむらむ法にはあはぬ身なれども名をきく數にいらざらめやは  0386:  阿闍梨勝命千人集めて法華經に結縁をさせけるにまかりて又の日つかはしける つらなりし昔に露もかはらじとおもひしられし法の庭かな  0387:  法華經序品を ちりまがふ花の匂ひをさきだてて光を法のむしろにぞしく  0388:  法華經方便品の深着於五欲のこころを こりもせずうきよの闇にまどふかな身をもおもはぬ心なりけり  0389:  觀持品 あま雲のはるるみそらの月影にうらみなぐさむをばすての山  0390:  壽量品 鷲の山月をいりぬとみる人はくらきにまよふ心なりけり  0391:  觀心 やみはれて心のうちにすむ月は西の山べやちかくなるらむ  0392:  心經 なにごともむなしき法の心もてつみある身をも今はおもはじ  0393:  美福門院の御骨高野蓮臺院へわたされ給ひけるを見たてまつりて 今日や君おほふ五つの雲はれてこころの月をみがきいづらむ  0394:  無常のこころを なき人をかぞふる秋の夜もすがらしをるる袖や鳥邊野の露  0395: 道かはるみゆきかなしきこよひかなかぎりのたびと見るにつけても  0396: かたかたにはかなかるべきこの世かな有るを思ふもなきをしのぶも  0397: こととなくけふくれぬめり明日もまたかはらずこそはひま過るかげ  0398: 世の中のうきもうからず思ひとけばあさぢにむすぶ露の白玉  0399: 鳥邊野を心のうちにわけゆけばいそぢの露に袖ぞそぼつる  0400: 年月をいかで我身におくりけむきのふの人もけふはなき世に  0401:  ちりたる櫻にならび咲き初めし花をみて ちるを見てまたさく花の匂ひにもおくれさきだつためしありける  0402:  曉の無常を つきはてむそのいりあひのほどなるをこの曉におもひしりなむ  0403:  きりぎりすまくらにちかくなき侍りしに そのをりのよもぎがもとの枕にもかくこそむしの音にはむつれめ  0404:  月前無常 月をみていづれのとしの秋までかこの世の中にちぎりあるらむ  0405:  無常 あはれとも心におもふほどばかりいはれぬべくはいひもこそせめ  0406: 世の中を夢とみるみるあはれにもなほおどろかぬわがこころかな  0407: 櫻花ちりちりになる木の下になごりををしむ鶯のこゑ  0408: きえぬめる本のしづくを思ふにも誰かは末の露の身ならぬ  0409: つの國の難波の春は夢なれや芦のかれはに風わたるなり  0410:  大炊御門右大臣大將と申し侍りしをり徳大寺左大臣うせ給ひし服のうちに母はかなくなり給ひぬとききて高野よりとぶらひたてまつるとて かさねきる藤の衣をたよりにて心の色をそめよとぞおもふ  0411:  親かくれて、またたのみたりける人はかなくなりて、なげきけるほどに、むすめにさへおくれける人に このたびはさまざま見けむ夢よりもさめずや物はかなしかるらむ  0412:  はかなくなりてとしへにける人のふみどもを、物の中よりもとめ出して、むすめに侍りける人のもとへつかはすとて なみだをやしのばむ人はながすべきあはれにみゆる水くきのあと  0413:  鳥邊野にてとかくのわざし侍りしけぶりの中より月を見て とりべのや鷲のたかねのすそならむ煙をわけて出づる月かげ  0414:  相空入道大原にてかくれ侍りたりしを、いつしかとひ侍らずとて寂然申しおくりたりし とへかしな別の庭に露ふかきよもぎがもとのこころぼそさを  0415:  返し よそにおもふわかれならねば誰をかも身よりほかにはとふべかりける  0416:  同行に侍りし上人をはりよくてかくれぬとききて申しつかはしたり 寂然 みだれずとをはりきくこそうれしけれさても心はなぐさまねども  0417:  返し この世にて又あふまじきかなしさにすすめし人ぞ心みだれし  0418:  跡のことどもひろひて高野にまゐりて歸りたりしに又、寂然 いるさにはひろふ形見も殘りけり歸る山路の友はなみだか  0419:  返し いかにともおもひわかでぞ過ぎにける夢に山路をゆく心ちして  0420:  ゆかりなりし人はかなくなりて、とかくのわざしに鳥邊山へまかりて歸り侍りしに かぎりなくかなしかりけりとりべ山なきを送りてかへる心は  0421:  紀伊局みまかりて諸の人々各々歌よみ侍りしに おくり置きてかへりし野べの朝露を袖にうつすは涙なりけり  0422: ふなおかのすそののつかの數そひて昔の人に君をなしつる  0423: 後の世をとへとちぎりしことのはやわすらるまじきかたみなるらむ  0424:  鳥羽院の御さうそうの夜高野よりくだりあひて とはばやと思ひよりてぞなげかまし昔ながらの我が身なりせば  0425:  待賢門院かくれさせ給ひける御跡に、人々又の年の御はてまで候ひけるに、しりたりける人の許へ、春の花のさかりにつかはしける たづぬとも風のつてにもきかじかし花とちりにし君がゆくへは  0426:  返し ふく風のゆくへしらする物ならば花とちるともおくれざらまし  0427:  近衞院の御墓へ人にぐしてまゐり侍りけるに露いとふかかりければ みがかれし玉のうてなを露ふかき野べにうつしてみるぞかなしき  0428:  前伊賀守爲業ときはに堂供養しければ、したしき人々まうできたりとききていひつかはしける いにしへにかはらぬ君が姿こそけふはときはのかたみなりけれ  0429:  返亊 色かへでひとりのこれるときは木はいつをまつかと人の見るらむ  0430: 徳大寺左大臣の堂にたちいりて見侍りけるにあらぬことになりてあはれなり。三條太政大臣うたよみてもてなし給ひし亊只今の御亊と覺えてしのばしき心地し侍り。堂の跡あらためられたりける、さることありとみえてあはれなりければ なき人のかたみにたてし寺にいりてあとありけると見て歸りける  0431:  三昧堂の方へわけまゐりけるに、秋の草ふかかりけり。鈴むしの音かすかにきこえけるあはれにて おもひおきしあさぢか露をわけゆけばただわづかなるすずむしの聲  0432:  古郷の心を 野べになりてしげきあさぢをわけいれば君がすみける石ずゑの跡  0433:  寂然大原にてしたしきものにおくれてなげき侍りけるにつかはしける 露ふかき野べになりゆくふるさとは思ひやるだに袖しをれけり  0434:  遁世の後山家にてよみ侍りける 山里は庭のこづゑの色までも世をすさみたるけしきなるかな  0435:  伊勢より小貝をひろひて箱に入れて、つつみこめて皇太后宮太夫の局へつかはすとて書きつけ侍る うらしまがこはなにものと人とはばあけてかひあるはことこたへよ  0436:  八嶋内府鎌倉にむかへられて京へまたおくられ給ひけり、武者の母の亊はさることにて、右衞門督の亊をおもふにぞとて歎き給ひけるとききて 夜の鶴のみやこのうちを出でてあれなこの思ひにはまどはざらまし  0437:  福原へ都うつりありとききしころ、伊勢にて月のうたよみ侍りしに 雲のうへやふるき都になりにけりすむらむ月の影はかはらで  0438:  月前懷舊 いにしへを何につけてか思ひ出でむ月さへかはる世ならましかば  0439:  遇友忍昔といふこころを 今よりは昔がたりはこころせむあやしきまでに袖しをれけり  0440:  ふるさとのこころを 露ふかくあさぢしげれる野になりてありし都の心ちこそせね  0441: これや見し昔すみけむ跡ならむよもぎが露に月のやどれる  0442: 月すみし宿もむかしのやどならで我が身もあらぬ我身なりけり  0443:  出家の後よみ侍りける 身のうさを思ひしらでややみなましそむくならひのなき世なりせば  0444: 世の中をそむきはてぬといひおかむ思ひしるべき人はなくとも  0445:  旅のこころを ほどふればおなじ都のうちだにもおぼつかなさはとはまほしきを  0446: 旅ねする峯の嵐につたひきてあはれなりける鐘の音かな  0447: すてていでしうき世に月のすまであれなさらば心のとまらざらまし  0448:  天王寺にまゐりしに雨ふりて江口と申す所にて宿をかり侍りしに、かさざりければ 世の中をいとふまでこそかたからめかりのやどりををしむきみかな  0449:  かへし 遊女たへ 世をいとふ人としきけばかりの宿に心とむなとおもふばかりぞ  かく申して宿したりけり  0450:  伊勢にて、菩提山上人對月述懷し侍りしに めぐりあはで雲のよそにはなりぬとも月になれゆくむつびわするな  0451:  西住上人れいならぬ亊大亊にわづらひ侍りけるに、とぶらひに人々まうできて、またかやうにゆきあはむ亊もかたしなど申して月あかかりける折ふし哀に述懷を もろともにながめながめて秋の月ひとりにならむことぞかなしき  0452:  世をのがれてみやこをたちはなれける人の、ある宮ばらへたてまつりけるにかはりて くやしきはよしなく君になれそめていとふ都のしのばれぬべき  0453:  大原にて良暹法師のまだすみがまもならはねばと申しけむ跡人々見けるにぐしてまかりてよみ侍りける 大原やまだすみがまもならはずといひけむ人を今あらせばや  0454:  奈良の僧徒、科の亊によりてあまたみちのくへ遣されたりしに中尊と申す所にて罷り逢ひて、都の物語すれば涙ながす、いとあはれなり。かかる亊はありがたき亊なり。命あらば物語にもせむと申して、遠國の述懷と申す亊をよみ侍りしに なみだをば衣川にぞながしけるふるきみやこをおもひいでつつ  0455:  年來あひしりたる人のみちのくにへまかるとて、遠國の別と申す亊をよみ侍りしに 君いなば月まつとてもながめやらむあづまのかたのゆふ暮の空  0456:  陸奧國へまかりたりしに、野中に常よりもとおぼしきつかの見え侍りしを、人にとひ侍りしかば、中將の御墓とはこれなりと申し侍りしかば、中將とは誰が亊ぞととひ侍りしかば、實方の御亊なりと申す、いとあはれにおぼゆ。さらぬだに物がなしく霜枯れのすすきほのぼのとみえわたりて、のちにかたらむ言の葉もなきここちして くちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野のすすきかたみとぞみる  0457:  讚岐にまうでて、松山の津と申す所に新院のおはしましけむ御跡をたづね侍りしにかたもなかりしかば 松山の波にながれてこし舟のやがてむなしくなりにけるかな  0458:  しろみねと申す所にて御はかにまゐりて よしやきみむかしの玉のゆかとてもかからむのちはなににかはせむ  0459:  善通寺の山に住み侍りしに庵の前なりし松を見て ひさにへて我が後の世をとへよ松跡しのぶべき人もなき身ぞ  0460:  土佐の方へやまからましと思ひたつこと侍りしに ここをまた我がすみうくて別れなば松はひとりにならむとすらむ  0461:  大峰の笙の窟にてもらぬいはやもと平等院僧正よみたまひし亊おもひ出されて 露もらぬ岩屋も袖はぬれけりときかずばいかにあやしからまし  0462:  深山紅葉を 名におひて紅葉の色のふかき山を心にそむる秋にもあるかな  0463:  月を ふかき山にすみける月を見ざりせば思ひ出もなきわが身ならまし  0464: 月すめる谷にぞ雲はしづみける峯ふきはらふ風にしかれて  0465:  をばがみねと申す所の見わたされて月ことに見え侍りしかば をばすてはしなのならねどいづくにも月すむみねの名にこそありけれ  0466:  播磨の書冩へまかりけるとて野中の清水見侍りし亊、今は一昔になりて後、修行すとて通り侍りしに、おなじさまにてかはらざりければ むかしみし野中の清水かはらねば我が影をもやおもひいづらむ  0467:  ささと申すやどにて 庵さす草の枕にともなひてささのつゆにもやどる月かげ  0468:  へいちと申す宿にて月を見侍りしに梢の露たもとにかかり侍りしに 梢もる月もあはれにおもふべし光にぐして露ぞこぼるる  0469:  夏熊野へまゐり侍りしに、いはたと申す所にてすずみて下向し侍る人につけて、京の西住上人のもとへ遣しける 松がねのいはたの岸の夕すずみ君があれなとおもほゆるかな  0470:  ながらをすぎ侍りしに 津の國のながらの橋のかたもなし名はとどまりてききわたれども  0471:  みちの國へ修行しにまかりしに、白川の關にとどまりて、月つねよりもくまなかりしに、能因が秋風ぞふくと申しけむをりいつなりけむとおもひいでられて、關屋の柱にかきつけ侍りし 白川の關やを月のもる影は人の心をとむるなりけり  0472:  心ざす亊ありて安藝の一宮へまゐり侍りしに、たかとみの浦と申す所に、風にふきとめられてほどへ侍りしに、苫より月のもりこしを見て 浪の音を心にかけてあかすかなとまもる月のかげを友にて  0473:  旅にまかるとて 月のみやうはの空なるかたみにて思ひもいでば心かよはむ  0474: 見しままに姿も影もかはらねば月ぞみやこのかたみなりける  0475: 都にて月をあはれと思ひしは數にもあらぬすさびなりけり  0476:  遠く修行しけるに人々まうできて餞しけるによみ侍りける たのめおかむ君も心やなぐさむとかへらむことはいつとなけれど  0477:  東の方へあひしりたりける人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことのむかしになりたりけるを思ひ出られて としたけてまたこゆべしとおもひきや命なりけりさやの中山  0478:  下野武藏のさかひ川に舟渡をしけるに、霧ふかかりければ 霧ふかき古河のわたりの渡守岸の舟つきおもひさだめよ  0479:  秋遠く修行し侍りける道より、侍從大納言成通のもとへ申しおくり侍りける あらしふくみねの木の葉にさそはれていづちうかるる心なるらむ  0480:  かへし なにとなくおつる木の葉もふく風にちりゆく方はしられやはせぬ  0481:  遠く修行し侍りけるに、菩提院の前の齋宮にて人々別の歌つかうまつりけるに さりともとまたあふことをたのむかなしでの山路をこえぬわかれは  0482:  後の世の亊思ひしりたる人のもとへつかはしける 世の中に心有明の人はみなかくて闇にはまどはざらなむ  0483:  返し 世をそむく心ばかりは有明のつきせぬ闇は君にはるけむ  0484:  行基菩薩のいづれの所にか一身をかくさむとかき給ひたることを思ひ出でられて いかにせむ世にあらばやは世をもすててあなうの世やと更に思はむ  0485:  内に貝あはせあるべしときこえ侍りしに、人にかはりて かひありな君がみそでにおほはれて心にあはぬこともなきかな  0486: 風ふけば花さくなみのをるたびに櫻貝あるみしま江のうら  0487: 波あらふ衣のうらの袖がひを汀に風のたたみおくかな  0488:  宮の法印高野に籠らせ給ひて、ことのほかあれてさむかりし夜、小袖給はせたりし、又の朝にたてまつり侍りし こよひこそあはれみあつき心ちして嵐の音もよそにききつれ  0489:  阿闍梨兼賢世をのがれて高野にまゐりてあからさまに、仁和寺に出て僧綱になりてまゐらざりしかば申し遣し侍りし けさの色やわかむらさきにそめてけるこけの袂をおもひかへして  0490:  齋院のおりゐさせ給ひて、本院の前過ぎ侍りしにをりしも、人のうちへいりしにつきてゆかしう待りしかば、見まはりておはしましけむ折はかからざりけむかしと、かはりにける亊から哀に覺えて、宣旨の局のもとへ申しおくり侍りし きみすまぬみうちはあれてありす川いむすがたをもうつしつるかな  0491:  返し おもひきやいみこし人のつてにしてなれしみうちをきかんものとは  0492:  ゆかりなりし人の、新院の御かしこまりなりしをゆるし給ふべきよし申し入れたりし御返しに もがみ川つなでひくともいな舟のしばしがほどはいかりおろさむ  0493:  御返したてまつり侍りし つよくひくつなでと見せよもがみ川その稻舟のいかりをさめて  かう申たりしかばゆるし侍りてき  0494:  世の中みだれて新院あらぬさまにならせおはしまして、御ぐしおろして、仁和寺の北院におはしますとききてまゐりたりしに、兼賢阿闍梨の出會ひたりしに、月のあかくて何となくこころもさわぎあはれにおぼえて かかる世に影もかはらですむ月をみる我さへぞうらめしきかな  0495:  素覺がもとにて、俊惠などまかりあひて、述懷し侍りしに なにごとにとまる心のありければさらにしもまた世のいとはしき  0496:  秋の末に、寂然高野にまゐりて、暮の秋の述懷といふ亊をよみ侍りし なれきにし都もうとくなりはててかなしささそふ秋の山さと  0497:  中院右大臣出家おもひたつよしかたり給ひしに、月あかくあはれにて明け侍りしかば、かへり侍りき。そののちありし夜の名殘おほかるよしいひおくりたまひて 夜もすがら月をながめてちぎりおきしそのむつごとに闇は晴れにき  0498:  返し すむとみし心の月しあらはればこの世のやみのはれざらめやは  0499:  待賢門院の堀川の局、世を遁れて西山に住まるとききて尋ね參りたれば、すみ荒したるさまにて、人の影もせざりしかばあたりの人にかく申しおきたりしをききていひ遁られたりし しほなれしとまやもあれてうき浪によるかたもなきあまとしらずや  0500:  返し とまやには浪たちよらぬけしきにてあまりすみうき程は見えけり  0501:  同院の中納言の局世をのがれて、小倉山の麓にすまれし、ことがらいうにあはれなり。風のけしきさへことにおぼえてかきつけ侍りし 山おろす嵐の音のはげしさをいつならひけむ君がすみかぞ  0502:  同院の兵衞の局、かの小倉山のすみかへまかりけるに、この歌をみてかきつけられける うき世をばあらしの風にさそはれて家を出にしすみかとぞみる  0503:  ぬしなくなりたりし泉をつたへ居たりし人のもとにまかりたりしに、對泉懷舊といふことをよみ侍りしに すむ人の心くまるるいづみかなむかしをいかにおもひいづらむ  0504:  十月ばかりに法金剛院のもみぢ見侍りしに、上西門院のおはしますよしききて、待賢門院の御亊おもひいでられて、兵衞の局のもとへさしおかせ侍りし もみじ見て君が袂やしぐるらむむかしの秋の色したひつつ  0505:  返し 色ふかき梢を見てもしぐれつつふりにしことをかけぬ間ぞなき  0506:  高倉の瀧殿の石ども閑院へうつされて跡なくなりたりとききて、見にまかりて、赤染が今だにかかりとよみたりけむ折おもひいでられて 今だにもかかりといひし瀧つせのその折まではむかしなりけむ  0507:  周防の内侍我さへのきのとかきつけられしあとにて人々述懷し侍りしに いにしへはつかひし宿もあるものを何をかけふのかたみにはせむ  0508:  爲業朝臣常盤にて古郷の述懷といふことをよみ侍りしにまかりあひて しげき野をいく一むらにわけなしてさらにむかしをしのびかへさむ  0509:  雪のふりつもりしに なかなかに谷の細道うづめ雪ありとて人のかよふべきかは  0510: 折しもあれうれしく雪のつもるかなかきこもりなむとおもふ山路を  0511:  花まゐらせしをしきに霰のふりかかりしを しきみおくあかのをしきのふちなくば何にあられの玉とまらまし  0512:  五條三位うた集めらるるとききて歌つかはすとて はなならぬことのはなれどおのづから色もやあると君はひろはむ  0513:  三位返し 世をすてて入りにし人のことの葉ぞあはれもふかきいろはみえける  0514:  むかし申しなれたりし人の世をのがれて後伏見にすみ侍りしをたづねてまかりて、庭の草深かりしをわけいり侍りしに庭に、虫の聲あはれにて わけている袖にあはれをかけよとて露けき庭に虫さへぞなく  0515:  覺雅僧都の六條房にて心ざしふかき亊によせて花の歌よみ侍りけるに 花ををしむ心の色の匂ひをば子をおもふ親の袖にかさねむ  0516:  堀河の局のもとよりいひつかはされたりしに この世にてかたらひおかむほととぎすしでの山路のしるべともなれ  0517:  返し おふなおふなこそかたらはめ時鳥しでの山路にきみしかからば  0518:  仁和寺の宮、山崎の紫金臺寺にこもり居させたまひたりし頃道心年を逐ひてふかしといふことをよませ侍りしに あさくいでし心の水やたたふらしすみゆくままにふかくなるかな  0519:  曉佛を念ずといふことを 夢さむる鐘のひびきにうちそへてとたびの御名をとなへつるかな  0520:  世をのがれて伊勢の方へまかるとてすずか山にて すずか山うき世をよそにふりすてていかになりゆく我身なるらむ  0521:  中納言家成、渚院したてて、ほどなくこぼたれぬとききて、天王寺より下向しけるついでに、西住西蓮と申す上人どもして見けるにいとあはれにて、おのおの述懷しける 折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり  0522:  撫子のませにうりのつるはひかかりたりけるに、ちいさきうりどものなりたりけるを見て、人の歌よめと申しければ なでしこのませにぞかかるあこたうりおなじつらなる名をしたひつつ  0523:  五月のころ熊野へまゐりて下向しけるに、日だかに宿にかつみをあやめにふきたりけるをみて かつみふく熊野まうでのとまりをばこもくろめとやいふべかるらむ  0524:  新院百首和歌めしけるに、たてまつるとて、右大將見せにつかはしけるを返しつかはすとて 家の風ふきつたへたるかひありてちることの葉のめづらしきかな  0525:  祝を 千代ふべきものをさながらあつめてや君がよはひのかずにとるべく  0526: 若葉さすひら野の松はさらにまた枝にや千代の數をそふらむ  0527: きみが代のためしに何をおもはましかはらぬ松の色なかりせば  0528:  述懷の心を 何亊につけてか世をばいとふべきうかりし人ぞ今はうれしき  0529: よしさらば涙の池に袖なして心のままに月をやどさむ  0530: くやしくも賤がふせやの戸をとぢて月のもるをもしらで過ぎぬる  0531: とだえせでいつまで人のかよひけむ嵐ぞわたる谷のかけはし  0532: 人しらでつひのすみかにたのむべき山の奧にもとまりそめぬる  0533: うきふしをまづおもひしるなみだかなさのみこそはとなぐさむれども  0534: とふ人もおもひたえたる山里はさびしさなくばすみうからまし  0535: ときはなる深山にふかく入りにしを花さきなばとおもひけるかな  0536: 世をすつる人はまことにすつるかはすてぬ人こそすつるなりけり  0537: 時雨かは山めぐりする心かないつまでとなくうちしをれつつ  0538: うき世とて月すまずなることもあらばいかがはすべき天の下人  0539: こむ世には心の中にあらはさむあかでやみぬる月のひかりを  0540: ふけにける我が世の影をおもふまにはるかに月のかたぶきにける  0541: しをりせでなほ山ふかくわけいらむうきこときかぬところありやと  0542: あかつきの嵐にたぐふ鐘の音を心のそこにこたへてぞきく  0543: あらはさぬ我が心をぞうらむべき月やはうときをばすての山  0544: たのもしなきみきみにますをりに逢ひて心の色を筆にそめぬる  0545: 今よりはいとはじ命あればこそかかるすまひのあはれをもしれ  0546: 身のうさのかくれがにせむ山里はこころありてぞすむべかりける  0547: いづくにか身をかくさましいとひはてて浮世に深き山なかりせば  0548: 山里にうき世いとはむ人もがなくやしく過ぎし昔かたらむ  0549: 足引の山のあなたに君すまばいるとて月はをしまざらまし  0550: 山里は人こさせじと思はねどとはるることぞうとくなりゆく  0551: 朝日まつほどはやみにやまどはまし有明の月のかげなかりせば  0552: うき世いとふ山の奧へもしたひきて月ぞすみかのあはれをぞしる  0553: 古里は見し世にもにずあせにけりいづちむかしの人ゆきにけむ  0554: むかし見し庭の小松に年ふりて嵐の音をこずゑにぞきく  0555: 山郷は谷のかけひのたえだえに水こひどりのこゑきこゆなり  0556: 古畑のそばの立木にゐる鳩の友よぶ聲のすごき夕ぐれ  0557: 見ればけに心もそれになりにけりかれ野のすすき有明の月  0558: なさけありし昔のみなほしのばれてながらへまうき世にも有るかな  0559: あばれゆく柴のふたては山里の心すむべきすまひなりけり  0560: いづくにもすまれずばただすまであらん柴の庵のしばしなる世に  0561: いつなげきいつおもふべき亊なればのちの世しらで人のすぐらむ  0562: 世をすてて谷にすみけるうれしさは古巣にのこるうぐひすのこゑ  0563: さてもこはいかがはすべきよの中にあるにもあらずなきにしもなし  0564: 花ちらで月はくもらぬ世なりせば物もおもはぬわが身ならまし  0565: たのもしなよひあかつきのかねの音にものおもふ身はぐしてつくらむ  0566: 何となくせりときくこそあはれなれすみけむ人のこころしられて  0567: はらはらとおつる涙ぞあはれなるたまらずもののかなしかるべし  0568: わび人の涙ににたる櫻かな風身にしめばまづこぼれつつ  0569: つくづくと物をおもふにうちそへて折あはれなるかねのこゑかな  0570: 谷の戸にひとりぞ松もたてりける我のみ友はなきかと思へば  0571: 松風のおとあはれなる山里にさびしさまさる日ぐらしのこゑ  0572: 御熊野のはまゆふおふる浦さびて人なみなみに年をかさぬる  0573: いそのかみふるきをしたふ世なりせばあれたる宿に人すみなまし  0574: 風ふけばあたにやれゆく芭蕉葉のあればと身をもたのむべきかは  0575: またれつるいりあひのかねの音すなりあすもやあらばきかむとすらむ  0576: 入日さす山のあなたはしらねども心をかねておくりおきつる  0577: 柴の庵はすみうきこともあらましを友なふ月のかげなかりせば  0578: わづらはで月にはよるもかよひけりとなりへつたふあぜのほそみち  0579: ひかりをばくもらぬ月ぞみがきける稻葉にかかるあさひこのたま  0580: 影消えてはやまの月はもりもこず谷は梢の雪と見えつつ  0581: 嵐こすみねの木の間をわけきつつたにの清水にやどる月かげ  0582: 月をみるよそもさこそはいとふらめ雲ただここの空にただよへ  0583: 雲にただこよひの月をやどしてむいとふとてしもはれぬものゆゑ  0584: うきはるる雲なかりけり吉野山花もてわたる風とみたれば  0585: なにとなくくむたびにすむ心かな岩井の水に影うつりつつ  0586: 谷風は戸を吹きあけているものをなにと嵐のまどたたくらむ  0587: つがはねどうつれるかげを友としてをしすみけりな山川の水  0588: 音はせで岩にたばしる霰こそ蓬が宿の友となりけれ  0589: 態のすむ谷の岩山おそろしやむべなりけりな人もかよはぬ  0590: 里人の大ぬさこぬさ立てなめてむまかたむすぶのべになりけり  0591: くれなゐの色なりながらたでのほのからしや人のめにもたてねば  0592: ひさぎおひてすずめとなれる影なれや波うつ岸に風わたりつつ  0593: をりかくる波のたつかと見ゆるかな洲崎にきゐる鷺のむら鳥  0594: 浦ちかみかれたる松のこずゑには波の音をやかぜはかくらむ  0595: しほかぜに伊勢の濱荻ふせばまづ穗ずゑを波のあらたむるかな  0596: ふもとゆく舟人いかにさむからむこま山だけをおろすあらしに  0597: おぼつかな伊吹おろしの風さきにあさづま舟はあひやしぬらむ  0598: いたちもるあまみる關になりにけりえぞがち島をけぶりこめたり  0599: もののふのならすすさみはおびただしあげそのしさりかものいりくび  0600:  太神宮御祭日よめるとあり 何亊のおはしますをばしらねどもかたじけなさのなみだこぼるる  0601: かさはありそのみはいかに成りぬらむあはれなりける人の行く末  0602: さらにまたそりはしわたす心地しておふさかかれるかづらきの山   此集周嗣禪師不慮被相傳西行上人自筆處於法勝寺僧房燒失間   尋他書書冩之料帋躰被擬彼舊本數竒至動感諸者也  けぶりだに跡なきうらのもしほ草又かきおくをあはれとぞみる 頓阿   此西行上人集蔡花園上人此本卷始和歌十一首銘奧書歌副一首   新所被灑翰墨也雖未消遺恨之心灰聊擬殘芳之手澤而己   觀應二年辛卯七月日     修行者周嗣判  底本::   著名:  西行全集 第一巻        西行法師家集   校訂:  伊藤 嘉夫   発行者: 井上 了貞   発行所: ひたく書房   初版:  1981年02月16日 第 1刷発行  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: Apple Macintosh Performa 5280   入力日: 2000年11月15日-2000年11月24日  校正::   修正個所: 45箇所修正   校正者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   校正日: 2001年07月17日-2001年08月16日