Title  毎月抄  Author  藤原定家  Description 毎月入御百首、能々拜見せしめ候ぬ。凡このたびの御歌、まことにありがたう見申候へば、年來をろかなる心に、かたじけなき仰を、いなみがたさばかりをかへりみ候とて、わづかに、先人申をき候し庭訓の、かたはしを申候き。定て、後の世のわらはれ草もしげうぞ候らむ。なれども、さすがに其跡やらむと、御歌も、こと外によみつのらせおはしまして候へば、返返本意におぼえさせ給て候、抑歌はたゞ、日來しるし申候しごとく、萬葉よりこのかたの勅撰を、しづかに御覽ぜられて、かはりゆき候ける姿どもを、御心得候へ。それにとりて、勅撰の歌なればとて、必す歌ごとにわたりてまなぶべからず。人にともなひ世にしたがひて、歌の興廢見え侍り。萬葉はげに代もあがり人の心もさえて、今の世にまなぶとも、さらにをよぶべからず。初心の時、をのづから古體をよむ亊あるべからず。但、稽古年かさなり、風骨よみさだまる後は、又萬葉のやうを存ぜざらむ好士は、無下の亊とぞおぼえ侍る。稽古の後よむべきにとりても、心あるべきにや。すべてよむまじきすがた詞といふは、あまりに俗にちかく、又、おそろしげなるたぐひを申侍べし。よろしくそれは今定申にをよばず。此下にて御了見候へ。この御百首に多分古風のみえ侍るから、かやうに申せば、又御退屈や候はんずらめなれども、しばしはかまへてあそばすまじきにて候。いま一兩年ばかりも、せめてもとの體をはたらかさで、御詠作あるべく候。もとの姿と申は、勘申候し十體の中の、幽玄樣の亊可然樣、麗樣、有心體これらの四にて候べし。此體どもの中にも古めかしき歌どもはまゝ見へ候へども、それは、古體ながらも、くるしからぬ姿にて候。たゞ、すなほにやさしき姿を、まづ自在にあそばししたゝめて後は、長高樣・見樣・面白樣・有一節樣・濃樣などやうの體は、いとやすき亊にて候。鬼拉の體こそ、たやすくまなびおほせがたう候なる。それも練磨の後は、などかよまれ侍らざらむ。初心の時よみがたき姿にて侍るなるべし。まづ歌は、和國の風にて侍るうへは、先哲のくれ%\書をける物にも、やさしく物あはれに、よむべき亊こそみえ侍るめる。げに、いかにおそろしき物なれども、歌によみつれば、優にきゝなさるるたぐひぞ侍る。それに、もとよりやさしき花よ月よなどやうの物を、おそろしげによめらむは、何の詮か侍らん。さてもこの十體の中に、いづれも有心體にすぎて歌の本意と存ずる姿は侍らず。きはめておもひえがたう候。とざまかうざまにてはつやつやいらせらるべからず。能々心をすまして、その一境に入ふしてこそ、稀にもよまるゝ亊は侍れ。されば、よろしき歌と申候は、歌ごとに心のふかきのみぞ申ためる。あまりに又、ふかく心をいれんとて、ねぢすぐせば、入がほの入くり歌とて、堅固ならぬ姿の心得られぬは、こゝろなきよりは、うたてくみぐるしき亊にぞ侍る。このさかゐが、ゆゝしき大亊にて侍る。猶々よく/\斟酌あるべきにこそ。此道をたしなむ人は、かりそめにも執する心なくて、なをざりによみすつる亊侍べからず。無正體歌讀いだして、毀人の難をだにおひぬれば、退屈の因縁ともなり、道の毀廢とも又なり侍べきにこそ。されば、或は難をおひはてゝ、おもひ死にまかりしたぐひも聞え侍、或秀歌をまろながらとられて侍る、沒して後其人の夢に見えて、我歌かへせと、なく/\かなしみけるによりて、勅撰よりきりいだしける亊も侍るにや。かゝるためし、是にかぎらず。まことに哀にぞおぼえ侍る。相構て、兼日も當座も、歌をば能々詠吟して、こしらへて出すべきなり。疎忽の亊は、かならず後難侍べし。常に心ある體の歌を御心にかけて、あそばし候べく候。但、すべて此體の、よまれぬ時の侍る也。朦氣さして、心底みだりがはしき折は、いかにもよまむと案ずれども、有心體出來ず。それを、よまん/\としのぎ侍れば、いよ/\性骨もよはりて、無正體亊侍なり。さらむ時は、まづ景氣の歌とて、姿詞のそゝめきたるが、なにとなく心はなけれども、歌ざまのよろしくきこゆるやうを、よむべきにて候。當座のとき、ことさら心得べき亊に候。かゝる歌だにも、四五首十首よみ侍りぬれば、朦昧も散じて、性機もうるはしくなりて、本體によまるゝことにて候。又、戀・述懷などやうの題を取ては、ひとへにたゞ、有心の體をのみよむべしとおぼえて候。此體ならでは、よろしからぬ亊にて候べきか。さても此有心體は、九體にわたりて侍べし。其故は、幽玄にもこゝろあるべし。長高にも又侍るべし。殘りの體にも又かくのごとし。げに%\いづれの體にも、實は、心なき歌はわろきにて候。今此十體の中に、有心體とていだし侍るは、餘體の歌の心あるにては候はず。一向、有心の體をのみさきとしてよめるばかりを、えらび出して侍るなり、いづれの體にても、たゞ、有心體を存べきにて候。又、歌の大亊は、詞の用捨にて侍るべし。詞につきて、強弱大に候べし。それを、能々見したゝめて、つよき詞をば、一向に是をつゞけ、よはき詞をば、又一向に是をつらね、かくのごとく案じかへし/\、ふとみほそみもなく、なびらかに聞にくからぬやうに、よみなすが、きはめて重亊にて侍也。申さば、すべて詞に、あしきもなくよろしきも有べからず。たゞつゞけがらにて、歌詞の勝劣侍べし。幽玄の詞に、鬼拉の詞などをつらねたらむは、いとみぐるしからんにこそ。されば、心を本として、詞を取捨せよと、亡父卿も申をき侍し。或人、花實の亊を、歌にたて申て侍るにとりて、古の歌は、みな實を存して花を忘れ、近代のうたは、花をのみ心にかけて、實には目もかけぬからと申ためり。尤さとおぼえ侍る。古人、古今序にもその心侍るやらん。さるにつきて、猶このしたの了見、愚推をわづかにめぐらし見侍れば、可心得亊侍るにや。いはゆる實と申は詞也。必、古の歌の、詞つよくきこゆるを、實と申とは定がたかるべし。古人の詠作にも、心のなからむ歌をば、無實歌とぞ申べき。今の人のよめらんにも、うるはしくたゞしからんをば、有實とぞ申侍べく候。さて心をさきにせよと教ふれば、詞を次にせよと申ににたり。こと葉をこそ詮とすべけれといはゞ、又、心はなくともといふにて侍り。所詮、心と詞とかねたらんを、よき歌と申べし。心詞の二は、鳥の左右の翅のごとくなるべきにこそとぞ思給侍ける。但、心詞の二をともにかねたらむは、いふに及ばず、心のかけたらんよりは、詞のつたなきにこそ侍らめ。かやうには註申侍れども、又實によろしき歌の姿とは、いづれをさだめ申べきやらん。誠に、歌の中道は、只自知べきにて侍り。更に人のこれこそと申によるべからず候。家々に申つたへたるすぢ、秀逸の體、まち/\なり。俊惠は、たゞ歌はおさなかれと申て、やがて我歌にも、其の姿歌を秀逸とは思たりげに候けるとかや。俊頼は、えもいはずたけたかきを、よろしと申ためり。其外、しな%\に申かへてぞ侍。更短慮難及ぞおぼえ侍。なにもしれば、強大亊に成侍ならひなれども、ことに此道は、さとおぼえて侍り。わが心の中にて、歌の昔今を思合てみるに、いにしへよりも當時は、亊外に、よむうたごとにわろくのみ覺えて、これはと思ていだすは、稀にぞ侍る。仰ばいよ/\たかき亊に侍めりと、先賢の遺訓も、今こそ思ひしられて侍れ。先歌に、秀逸の體と申侍べき姿は、萬機をもぬけて、物にとゞこほらぬが、この十體の中の、いづれの體とも見えずして、しかも其姿をさしはさめるやうに覺て、餘情うかびて、心なをく、衣冠たゞしき人をみる心ちするにて侍べし。常に、人の秀逸の體と心得て侍るは、無文なる歌のさは/\と讀て、心をくれ、たけあるのみ申ならひて侍る、それは不覺の亊にて候。かゝらむ歌を、秀逸とだに申べくば、歌ごとにも、よみぬべくぞ侍る。詠吟亊きはまり、案性すみわたれる中より、いまとかくもてあつかふ風情にてはなくて、にはかに、かたはらよりやす/\として、よみいだしたる中に、いかにも秀逸は侍べし。其歌はまづ、心ふかく、たけたかく、たくみにことばの外まであまれるやうにて、姿けだかく、詞なべてつゞけがたきが、しかも也すらかにきこゆるやうにておもしろく、かすかなる景趣たちそひて、面影たゞならず、けしきはさるから心もそゞろかぬ歌にて侍り。これをば、わざとよまんとすべからず。稽古だにも入候へば、自然によみいださるゝ亊にて候。又、古の歌今の歌にも、世にいひおほせられぬやうに、きこゆることの侍るなり。さおぼゆる亊は、いかにも初心のほどなるべし。上手のわざとこゝまでと、詞をいひさす歌侍なり。あきらかならずおぼめかしてよむ亊、これ己達手がらにて侍べし。それをうらやましと思てまなびも物から、未練の人のよめるは、何にもつかぬかた腹いたきことにてぞ侍る。大かた歌にうけられぬは秀句にて候。秀句も、自然に何となく讀いだせるは、さてもありぬべし。いかゞせむと、とかくたしなみよめる秀句は、きはめてみぐるしく、みざめする亊にて侍るべし。又本歌とり侍るやうは、さきにもしるし申候ひし花の歌を、やがて花によみ、月の歌を、やがて月にてよむ亊は、達者のわざなるべし。春の歌をば、秋・冬などによみかへ、戀の歌などをば雜や季の歌などにて、しかもその歌をとれるよと、きこゆるやうによみなすべきにて候。本歌のこと葉を、あまりにおほくとる亊は、あるまじきにて候。そのやうは誰もおぼゆる詞二ばかりとりて、今の歌の上下句にわかちをくべきにや。たとへば、夕暮は雲のはたてに物ぞおもふ天津空なる人をこふとて、と侍る歌をとらば、雲のはたてに物思ふといふ詞をとりて、上下句にをきて、戀の歌ならざらん雜・季などによむべし。此ごろも此歌をとるとて、夕ぐれのことばをも、とりそへてよめるたぐひも侍り。夕ぐれなどは、とりそへたるになどやらん、あしくもきこへず、めづらしくせむとおぼゆる詞を、さのみとるがわろく侍也。又、あまりにかすかにとりて、その歌にてよめるよともみえざらむは、なにのせむか侍べきなれば、よろしく、これらは心えてとるべきにこそ。又、題をわかち候亊、一字題をばいくたびも、下句にあらはすべきにて候。二字三字より後は、題の字を、甲乙の句にわかちをくべし。結び題をば、一所にをく亊は、無下の亊にて侍とやらん。又、かしらにいたゞきて出たる歌、無意と申すべし。ふるくも秀逸どもの中に、さやうのためし侍れども、それを本にひくべきにも候はず。かまへて/\あるまじき亊にて候。但、よくいできたる歌にとりて、すべて五文字ならで、題の字のをかれざらむは、制の限にあらずとぞうけ給りをきて侍し。病の亊は、平頭の病はくるしからず、聲韻のやまひは必さらまほしく候。平頭の病も、なからむにはをとりて候。四病八病などは、人のみなしれる亊にて候へば、ことあたらしく勘申に及ばず候。天性病にをかされぬほどの歌になろぬれば、いづれの病もいたづらにて候べし。さて、よろしからぬ歌の、しかも病さへ候はむは、又、徒亊にてこそ候はめ。三首の歌、五首の歌十首にいたるまでも、おなじ詞をよむ亊は、心あるべきにて候。めづらしからぬ詞は、あまた所によめるもくるしからず。耳にたつ詞のめづらしきは、ながことばにて候はぬ共、ニ字三字もあまたよみつれば、あさましき亊にて候。地體その詞をこのむこと、人に聞なさるまじき亊と、亡父卿も制し候しに候、げに候又わろくおぼえ候。雲・風・夕暮などやうの詞は、いくつよめらむも、よもくるしき亊は候はじと覺えて候。それもよからむ歌のすへてかたからむは、いくらも同こと葉を讀すへて、さて候なん。無下のゑせ歌の、みだりがはしく、おなじ詞をさへよみまぜたらんは、いとよからじにて候。當時あけぼのゝ春・夕暮の秋などやうの詞つゞきを、上なる好士どもも讀候とよ、いたくうけられぬ亊にて候。やう/\しげに、明ぼのゝ春・夕暮の秋・などつゞけて候へども、たゞ心は秋の夕暮・春の明ぼのを出ずこそ候めれ。げに心だにも詞を置かへたるにつれて、新しくもめでたくもなり侍らば、尤神妙なるべく候を、すべて、なにの詮ありともみえず候、ことにをこがましき亊にて候。これらぞ、歌のすたるべき體にて候める。且は、いま/\しき亊候。返々申をき候しにも、さきにしるし申にて十體をば、人の趣をみてさづくべきにて候。器量も器ならぬも、うけたる其體侍るべし。或は幽玄の體をうけたらむ人に、鬼拉のやうをよめとをしへ、又長高樣をえたる輩に、濃體をよめとをしへむ亊は、何かよるべき。たゞ佛のとき給へるあまたの御法も、衆生機にあたへ給へるとかや。それにすこしもたがふべからず。我このむやう、うけたる姿なればとて、此體をよめと、えざらむ人にをしへ候はん亊、返々道の魔障にて候べし。その人のよめらん歌を、能々みしたゝめて後に、風體をさづくべきにて候。いづれの體をよまんにも、なほくたゞしき亊は、わたりて心にかくべきにこそ。さればとて又、其一體に入ふして、餘體をすてよとには候はず。得たる體を地盤として、正位によみすへて、さて餘の體をよまんはくるしくは候まじ。たゞ、正路を忘て、あらぬ方におもむくを、つゝしむべき亊とぞおぼえ侍る。今の世にも、かたをならべて、たがひに達者のおもひをなしたる輩も、多分此趣をわきまへかねて、たゞ、わがよむやうをまなべとのみ、をしふる亊、無下の道しらぬにて侍べし。もしわれにこえて、物をもたかく案じ、すぐれたる姿を天骨とよむ人のあらむに、かやうに提撕せば、なにかよろしく侍るべき。俊頼朝臣・清輔などの庭訓抄にも、よしをばよく申ためりとぞみえ侍る。かまへて邪におもむく所をぞ、いかにもまもりをしふべきにて候。加法機量なる人も、をしへをうけずして、我意にまかせてよみいたれば、口の自然に邪におもむく亊の候なり。まして、非器の人のことに、われとたゞをさへて、よみならはんとし候へば、あしくなり行候へども、すぐになる道は候はず。凡歌をよくみわけて、善惡をさだむる亊は、ことに大切の亊にて候。たゞ人ごとに、推量ばかりにてぞ侍るとみえて候。其故は、上手といはるゝ人の歌をば、いとしもなけれどもほめあひ、いたくもちゐられぬたぐひの詠作をば、拔群の歌なれども、結句難をさへとりつけて、そしり侍るめり。ただぬしによりて、歌の善惡をわかつ人のみぞ候める、まことにあさましき亊とおぼえ侍る。これは偏に、是非にまどへる故なるべし。おそらくは、寛平以住の先達の歌にも、善惡おもひにわかたむ人ぞ、歌のおもむきを存ぜるにては侍るべき。かくしれるよしには申侍れども、愚考もつや/\わきまへえたる亊待らずこそ。さりながら、さしも卑下すべからず去元久頃、住吉參籠の時、汝月あきらかなりと、冥の靈夢を感じ侍りしによりて、家風にそなへんために、明月記を草しをきて侍亊、身には過分のわざとぞ思給ふる。かやうのそゞろごとまで申侍亊、いとゞかたはらいたうこそ覺侍る。又古詩のこゝろ・詞をとりてよりてよむ亊、凡歌にいましめ侍るならひとふるくも申たれども、いたくにくからず、ことしげうこのまで、時々まぜたらむは、一ふしある亊にてや侍らん。白氏文集の、第一第二の帙の中に大要侍り。それを披見せよとぞ申をき侍し。詞は心をけだかくすます物にて候。尤歌よまむとき、貴人の御前などならば、心中にひそかに吟じ、さらぬ會席ならば、高吟もすべし。歌には、まづ心をよくすますは、一の習にて侍也。我こゝろに、日ごろおもしろしと思得たらむ詞にても、又歌にても心にをきて、それをちからにてよむべし。初心の程は、あながちに案ずまじきにて候。さやうに歌は、案ずべき亊とのみ思て、間斷なく案じ候へば、性もほれ、却りてしりぞく心のいでき候に候、口なれんためにはやはらかによみならひ侍べし。さて又時々しめやかに案じてよめる、亡父もいさめ申候し。はれがましき會の時は、あまりに歌數おほくよむこと不可然候歟。稽古も初心も用意おなじ亊にて候。百首などの讀歌には四五首己達は七八首よき程にて候べし。初心の時は、ひとり歌をつねに、はやくもをそくも自在にうち/\よみならすべく候。よみすてたらむ歌を、無左右人にちらしみする亊あるべからず。いかにも未練の程は、日ごろよみなれたる題にて、よむべきにて候よし、申亊にて候。〔わづらはしき題の、たやすくとりつきがたきは、いかにもわろかろべきにて侍り。くせ題などは、ちと讀口なれて、後今と覺えむ時、又よみならふべく候。難題などを手かけせずしては、不可叶候。歌をかまへて、たゞしく居て詠ならふべく候。或は立ながら案じ、うつぶして讀など、身を自由にして讀つけぬれば、晴の時、法式たがひたるやうに覺えて、よまれぬ亊にて候。何亊もくせに成て、詠なき亊にて侍るべし。萬のわざはたゞしきさまの、うるはしきをもてよしと申亊にて候。:イニナシ〕あからさまにも、座たゞしからずしてよむべからずと、いましめ申候しに候。又歌の五文字は、よく思惟して後に、をくべきにて候。されば故禪門も、歌ごとに五文字をば注につけ候しに候。披講の時沙汰いできて、さればなにの心に歌ごとに、初句のそばにかゝるらむと、人々不審し侍し返答に、五文字をば、後によみかき候程に、注のやうに候と申して侍りしに、滿座一ふしある亊聞えたりと思け〔ママ〕て、色めきてこそ候しか。今にはかに勘申候、さだめて髣髴きはまりなうぞ候らんと、あさましきまで思給候ながら、ひとへに愚訓をのみまぼる、そのおほせ、かたじけなく候まゝに、左道の亊どもしるし侍候。相構て候、不可及外見候。大體愚老の年來の修理の道、たゞこの條々の外は、またく他の用意なく候。隨分心底をのこさず書つけ侍り。必この道の眼目とおぼしめして御覽ぜられ候べく候。あなかしこ/\ 承久元年七月二日、或人返報云々、以被草本爲備後生之用心聊染筆候也。                藤原朝臣爲家判 〔以下異本ニノミアリ〕 或同本奧書に、 建武四年五月十日、以彼寫本楚忽書寫之。此庭訓者、京極入道中納言令贈故衣笠内府許云々。條々之意趣、一々甚深也。可祕云々。                桑門凝然 文明九年三月五日、以或祕本令書冩之。和歌之祕傳當道之奧旨也。雖爲流布之抄、更不可處料爾者乎。                特進源通秀 同十七年小春上九、於燈下一時終功訖。彼本者中院一品通秀自筆也。依或人之尊之令書冩之處也。                【門】                 〔宗理:イ〕                桑明宋〓(王是)在判 以異本令讀合訖。尤可爲證本歟。 たれか見む 世にかずならぬ水ぐきの     あとははかなき すさびなりとも  Description  解題           【久松潛一】  本書は近代秀歌と同じく定家の歌論書である。毎月抄といふのは後人名づけた名稱で、定家卿消息、和歌庭訓ともいふ。承久元年七月に衣笠内府(藤原家良)に送つた書であると言はれる。冩本としては家藏本に傳道助法親王御筆の古冩本があり、公任の和歌九品と合せて一卷となつて居る。本文はそれによつた。その他高野辰之博士藏本に室町時代かと思はれる冩本があり奧に承久元年七月二日に或人に返報した旨の奧書があり、藤原朝臣爲家とある。刊本には群書類從本と古語深祕抄本とがあろが、群書類從本には高野本と同じ爲家の奧書があるが、古語深祕抄本は書名も和歌庭訓とあり、爲家の奧書はなく、群書類從本にもある桑門凝然の奧書、源道秀、桑門宋=(王是)の奧書がある。かくて高野博士本は群書類從本の原本らしいが、しかし以上の三本ともに本文の異同は殆どない。本書は毎月家良が定家に歌の添削を請うたのに答へて、歌を論じたもので、定家の著作の中で信ずべきものの中でも最も詳密なる歌論書である。幽玄樣、亊可然樣、麗樣、有心躰、長高樣、見樣、面白樣、有一節樣、濃樣、拉鬼體の十體を擧げて比較的精細に説き、殊に有心體を最も尊重して居る如き注意すべき見解である。さうして有心躰に就いては一面には和歌の普遍的な理想として形式内容すべてに調和した理想であり、從つて十體そのもののすぐれたものは有心體であるとするとともに、一方に和歌の持殊性として妖艷美を、有心體の性質としたのである。この十體論とともに詞と心との關係を述べ、心と詞とを兼ねた歌をよき歌としている。しかし定家に於ては心を通じて、もしくは詞のつゞけがらを通して心が現れるのを理想としたために、素樸な傾向と異なつて技巧的な傾向となつて居るのである。定家の歌論は日本の歌論の中で畫期的なものであるが、定家の歌論を精細に知り得る資料は毎月抄である意味に於て、本書の價値は高いのである。  End  底本::   著名:  中世歌論集   編者:  久松 潛一 編   発行所: 岩波書店   初版:  昭和九年三月五日   発行:  昭和十三年七月三十日 第四刷  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: IBM ThikPad s30 2639-42J   入力日: 2003年3月18日〜2003年3月25日  校正::   校正者: 大黒谷 千弥   校正日: 2003年06月20日