Title   『撰集抄』<松平文庫>  Description 生死の長き眠いまた醒やらて、夢にのみほたされつゝ、水の面の月を実とおもひ、鏡の内の影を、けにとふかく思入て、明暮はたゝ妄の心のみ打つゝきて、生死の船をよそへすして、屠所のひつしの歩は、我身の外にもてはなれ、鳥部舟岡の烟をよ所にみて、過にし方四十余年の霜のいたゝき、行末不知、今日にしもや有らむ。しかれは、同夢のうちの遊にも、新旧の賢跡を撰求けることの葉を書集め、撰集抄と名て、座の右に置て、一筋に知識に憑申むと也。巻は九品の浄土に思宛、十に一をもらし、事は八十随好に思よそへて、百に廿を残せり。抑凡夫のならひ、明眼しゐて真月をみす。心乱れて断妄の利剣おこらさる物なり。されは偏に冥助をあをき奉らんか為に、巻毎に神明の御事を注載奉るに侍り。   <巻一第一 僧賀上人> 昔、僧賀上人と云人いまそかりけり。いとけなかりけるより、道心ふかくて、天台山の根本中堂に千夜篭て、是を祈り給けれとも、猶実の心や付兼て侍りけん。或時、たゝ一人伊勢太神宮に詣て祈請し給けるに、夢に見給ふやう、道心を発さんと思はゝ、此身を身とな思そと、示現を蒙給けり。打驚きておほすやう、名利を捨てよとにこそ侍るなれ。さらは捨よとて、き給へりける小袖衣、みな乞食ともにぬきくれて、一重なる物をたにも身にかけ給はす、赤はたかにて下向し給けり。みる人、不思議の思を成て、物にくるふにこそ。みめさまなんとの、いみしさに、うたてやなんと云つゝ、打かこみ見侍れ共、露心もはたらき侍らさりけり。みち/\物乞つゝ、四日と云に山へ上り、本すみ給ける慈恵大師の御室に入給けれは、宰相公の物に狂ふとてみる同法もあり、又、かはゆしとてみぬ人も侍りけるとかや。師匠の、ひそかに招入て、名利を捨給ふとは知侍りぬ。但、かくまて振舞は侍し。はやたゝ威儀を正して、心に名利を離れ給へかしといさめ給ひけれ共、名利を長くすてはてなん後は、さにこそ侍るへけれとて、あらたのしの身や。おう/\とて、立走給けれは、大師も、門の外に出給て、はる/\見送り侍りて、すそろに泪を流し給へりけり。僧賀は、つゐに大和国多武峰と云所へさそらへ入て、智朗禅師の庵のかたはかり残りけるにて、居を卜給ける。けにもうたてしき物は名利の二也。正く貪瞋癡の三毒より事起て、此身を実ある物と思て、是を助けん為に、そこはくのいつはりを構るにや。武勇の家に生るゝものは、胡録の矢をはやくつかい、三尺の剣を抜て、一陣を懸て命を失も名利勝他の為也。柳の黛細くかき、蘭麝を衣にうつし、秋風の名残を送る姿ともてあつかふも、名利の二に過す。又墨染の袂に身をやつし、念珠を手にくるも、詮は唯、人に帰依せられて世を過んとのはかりこと、或は、極位極館をきはめて公家の梵莚に列、三千の禅徒にいつかれてと思へり。名利の二を不離。此理を不知類は不及申、唯識止観に眼をさらし、法文の至理を弁侍る程の人達の、しりなから捨侍らて、生死の海にたゝよひ給ふそかし。誰々も、是をもて離れんとし侍れと、世々を経て思なれにしことの、改かたさに侍り。しかあるに、此僧賀上人の、名利の思を頓而ふり捨て給けん、有かたきには侍らすや。是又、伊勢太神宮の御助にあらすは、いかにしてか此心も付侍るへき也。貪癡の村雲引おほい、名利のとこやみなる身の、いすゝ川の波にすゝかれて、天照太神の御光に消ぬるにこそ、返々忝なく貴く侍り。此事いつの世にか忘奉るへき也。   <巻一第二 祇園示現・御歌> 過にし比、九重の外白河の辺に、形はかりなるいほりむすひて、深く後世のいとなみする人侍り。此人、親の処分を無故人に押取られて、詮かたなく侍りけるまゝに、祇園に七日篭て、ことはり給へと祈申侍りけるに、七日と申に暁、御殿の御戸を開かれて、やゝと被仰けれは、大明神の御託宣にこそと思て、急きおきなをり、畏て侍るに、気高き御声して、  なかき世のくるしき事を思へかし仮の舎を何歎らん と御託宣なりぬと思ひて、打驚きぬ。此御歌に付てつく/\案するに、実もあたにはかなきは此世也。よひにみし人朝に死し、朝にありし類夕に白骨となる。悦もさむる時あり、なけきもはるる末有。無常転反憂喜手の裏をかへす世中に思を留て、おろかにも来世のなかき苦を歎かさりけん事のはかなさよとおもひて、はや、手つからもととりを切て、妻子にもかくもいはすして、白川の辺にて、竹なと拾あつめて、如形いほりし廻て、明暮念仏をそ申侍りける。此身をおしむにはあらさりけれは、たゝいきのかよはんを限とすへしと思ひて、里に出て物をこふわさも侍らす。唯二心なく念仏を申侍りけれは、あたり近き人々哀みて、命をつくたよりをそし侍りける。かくて日数へにけれは、妻子聞得て、彼所に来侍りて、とかくこしらへ侍りけれと、敢て返事もし給はす、弥々念仏をそし給ける。何してか、道心もさむへきなれは、こしらへかねて帰り侍りぬ。さて、彼女房の沙汰にて、いほりさるへき様につくろい、世渡へきほとの具足とゝのへ送りけれは、手自いとなみてそ日数を送り給ける。去ほとに、世中隠なきわさなれは、処分押取ける人、是を聞て、浅増や。かくほとまては思はさりけるにも、長き世の暗こそ、悲しかるへきにとて、押とりける所をは、本の主の道心おこせる人の北方にとらせて、頓而もととり切て、白川のいほりに至て、しか/\と云に、本の聖も哀に思て、よゝとなくめり。さらにいつちへかおはへき。これにてもろともに念仏し給へかしといへは、さうなり、いつちへか帰るへき。一所に侍らんこそ、本意ならめと云て、内に入ぬれは、むつましき友と成侍りて、同声に念仏し給へりけれは、功積貴すみ渡て、夜を残す老の寝覚には哀と聞て、泪をなかす人のみおほく侍りけり。かくて二とせと申ける三月十四日の暁に、先に世遁給し人は、西にむき座し、後に家を出給し聖は、かの座せる上人のひさを枕にて、眠れる如くして終を取給へり。あけにしかは、人雲霞のことく走集て、往生人とて結縁し侍りける。其形をうつして留て、今に侍とかや。此事を聞に、そゝろに涙所せきまて侍り。如此よしなく人にさまたけをなさるゝには、かなはぬまても、夜ひる隙を伺て、すゝろに心をつくし、神仏に詣ても、あしかれとのみ祈て、いとゝおもひに思を重ね、ます/\歎に歎をそへて、此世むなしく、来世いたつらに成はてぬるは、世中の人なるそかし。しかるに、此聖の、神のみことのりをけにと、ふかく思入て、悲しふおほえしをんな、いとをしかりし子をふり捨て、桑門の類と成給けん、すへて難有には侍らすや。我こときのものゝ、いまの示理を蒙り侍りたらんには、先申所をはかなへ給はて、あはれ道心の歌、何ともおほえすと神をそしり申とも、よも此世をは振捨しと、いとゝ口惜く侍り。又、押取けん人の発心は、なをたけ有て貴く侍り。さ様の敵なとの出家遁世せんは、いとゝうれしくて、ます/\財宝にこそつなかるへきに、浅増と思ひて、一いほりに行て、後世のつとをたくはへ給けん事、筆にものへかたく侍り。印度もろこし我朝に、つら/\昔の迹を訪に、うき事にあひてのかるゝ類は多く侍れとも、未聞、よろこひ有て世を捨てとは。されは往生の素懐をとけ給も理也。和光利物の御めくみ、返々もかたしかえなく侍り。本躰慮舎那、久遠成正覚、為度衆生故、示理大明神、是也。久遠正覚の如来、雑類同塵し給らん、殊にかたしけなく侍りけり。   <巻一第三 無縁僧帷返> 中比、都のうちにいつくの物ともしられてさそふ僧侍り。かしら面より始て、足手とろかたにて、気色浅増きか、肩またき物なんともきす莚薦なとうちきつゝ、人の家に入て物を乞、世を渡り侍るになん。心はへのいみしくよくて、又心たしかに侍り。聊の木の枝なとも、ぬしの許侍らねは、取用わさも侍らさりしかは、人あはれみを垂て、命をさゝゆるほとの事は侍りけるとかや。或時、人の、家によひ入て、是きよとて、帷を得させ侍りけれは、此僧の云様、御志は、返/\も難有侍り、かゝるたより無ものは、人の御憐みならては、何とてか何時も侍るへきなれは、便宜よく侍る時は是を給る。但、我等は莚こもをきなれて、さやうの物を肩にかけ侍れは、是はいとあたらしく侍るへけれは、返奉り侍る。唯莚こもなとのすて給へき時侍らん。それらをは得させ給へきとてかへしけれは、あるしおもはすにおほえて、おしてとらせ侍れとも、思様侍りとて、露手にもかけねは、無力てやみにけり。物なとも凡多はくはす。人のゑさせなんとするにも、今日はたへぬれは無由とて、とらすそ侍りける。後のためとてたくわうるわさもなし。念仏申、要文なと誦して、思入たるさまなれとも、法文のかたには、もて離たるさまをそしける。或時、迎西と云聖の許により来けるに、聖、対面して、心のはるけ侍法文一こと葉の給はせよと、ねんころに聞え侍れは、そはなるかきに、あさかほの咲るに、露の置て侍りけるに、折ふし風の吹て、露の落侍りけるをみて、うち泪くみて、  みるやいかにあたにも咲る槿の花に咲立けさのしら露 是こそ法文よとて出侍りぬ。其後は、いつちへかさそらへ行にけん、ふつとみえぬ給はすとなん。此聖の有様承るこそ殊に尊く覚て侍れ。けにあるにもあらぬ夢の世に、はかなくあたなる身に思を留て、山林にも篭やらて、名利の心もはれさんめるに、ひたすらまほろしの世、かりの身をもて離、徳をかくして、乞食頭陀の有様を示されけん心中、実潔くそ覚侍そ。昔の賢跡をみるにも、一挙万里によちて、徳をかくすと云り。されは、何なる智者の心を発せるにておはしけるやらん。返/\もゆかしく侍り。歌さへ難有侍るそや。槿花をこそは、はかなきためしには申めるに、花に先立白露、落ては更に迹もなく、吹過ぬる風、又とゝまる所もみえす。花、又ひかけに随てしほみ、日虚山に傾きぬ。あたなる世中に、白駒もすきやすく、金烏も難留。されは侍とてしはしか程も、いたつらとして過せるそや。額にはすゝろに老の波を重ね、眉には霜のつもれるをも弁へすして、はかなき嬰児の父母に貪することくにして、空しくはせ過、来世のくるしみをおもへは、仏語にはあらすや。知かほにして不知は,生死の無常に侍るそかしな。哀此乞食の人の心のことくなる思か、須臾はかり付かしと覚えて侍る。此事、江師の往生伝に注載給へり。み捨かたさに、たくみの詞を、いやしけに引なし侍る也。見およはさるには非す。彼記には平の京東山のほとりにて往生の素懐を遂ぬと侍るをみるに、すゝろに泪落て侍りき。哀悲き我等かな。十二因縁輪廻の環、巡て無終、廿五有流転のちょう緤・て不尽。前際定て輪廻の日郷より来り、後際必妄想の宅に帰て、互に愛網を不出。有情為に或は父母となり、或は師弟となり、主従として是も着し、彼も貪て、後先たつ時は、往因の酬所をもしり侍らて、唯一世の悲と思ふ。紅涙その事となく袂を染て、我後の世の有様をも不知、実におろかなるに侍らすや。往事を春の夢かと思へは、別のつらきは、夢にもあらす。旧遊を谷の響かと疑は、古の音は、再不聞。仲尼哭鯉、顔回失路。上人も此悲をまぬかれす。上代其難を離れ侍らす。我朝実徳右将軍は、少して厳親に先たち、京極大相国、老て長嫡に哭まし/\けん。時に取、御身に当て、千万之恨唯一身に有とこそ思食侍りけめ。可知、無情は唯生死の家、軼有此分段之日郷也。閑に此理を思ひ解て、額の波の寄はてす、まゆの霜の消さる先に、後の世の勤をはけまし給へとなり。   <巻一第四 七条皇后・長歌> 七条の皇后失させ給しかは、人々散々に成行て、宮のうちあれはてゝ、物寂しき有様にて侍りけるに、様を替袂を染給ふ方も、いまそかりけるなんめり。其中に、彼御所に侍らひける伊勢と云女房の許へ人のとふらひ聞侍りける、返事に、  おきつ波 荒のみ増る 宮のうちは 年へて往し いせのあまも 船なかしたる 心ちして よらむかたなく かなしきに なみたの色の くれなゐは われらか中の しくれにて 秋の木色と 人/\は をのかちり/\ わかれなは 頼むかけなく なり果て とまる物とは 花すゝき 君なき庭に むれ立て 空をまねかは はつかりの なき渡りつゝ よ所にこそ見め と読侍りけるを、宮のうちの人々、是を聞給て、殊に哀み思はれけるにや。さらなり、さこそかなしくもをはしあひ給けめな。憑をかけ奉る皇后におくれ奉て、日数もいまた不重、袂もさかりと沾る比、あはれにはかなき事をきゝ給けん心のうち共は、さこそ侍けん。されとも、浮世を思ひ取たくひ、さすか希なるに、国行の三位と聞し人、此歌をみ給て後、いよ/\歎の重なり給て、手自本鳥押切、忽に妻子をふりすてつゝ、いつちともなくまきれ失給けり。後には、つゐに亦もみえ給はてやみぬと、伝承そ、けに有難覚侍り。指て、日比心を発給へる人とも見えたまはさりけるに、さりかたき妻、いとをしき子をふり捨て行方不知成給けん、心の貴さは、筆にも難述、詞にも尽しかたし。実に、妻子珍宝王位、臨命終時不随身とて、三途のちまた中有の旅には、妻子珍宝身にそはさるのみならす、帰て悪趣にたゝよふ物也。されは、此まほろの、しはしのほとの愛着、なかく菩提の戸さしたらん、心憂に非すや。唯戒及施不放逸 今世後世為伴侶とて、冥途悪みちには、戒施不放逸のみこそ、身をはたすくなれ。しかし、早恩愛をふりすて、戒施の功徳をたくわへんと思侍れと、年をへて思なれにし事の、難忍て、まことすくすに侍り。然るに、此三位の、俄に発心して勤給けん、浦山しきには非すや。道心のさめ給はさりけれはこそ、亦も見え給はさりけめと貴く覚侍り。さても往生の素懐を遂給なは、最初引摂の人には、伊勢のみにてこそ侍らめと、すゝろにあはれに侍り。   <巻一第五 宇津山僧> 以往、あつまちの方へさそらへまかり侍りしに、宇津の山辺の桜み過しかたく覚て、奥深尋入て侍りしに、いとゝたに蔦の細道は心ほそきに、日影ももらぬ木本に、形のことくなる庵給て、坐禅せる僧有。齡は四そちはかりにも成らんと見侍り。いかにいつくの人の、何に懸ては、是には住給ふ覧。又発心の縁聞まほしきよし尋侍りしかは、我は是相模国の者也。武勇の家に生れて、三尺の秋の霜をよこたへて、胡録の箭をつかふへきしなの者也。しかあれとも、生死無常のおそろしく覚て、より/\心をしつめて、坐禅なとし侍りしかとも、忽に世をふり捨得すして侍りしほとに、年比の女なん身まかりにしかは、いよ/\心もとゝまらて、本とり切て、此山に篭侍り。初は、松嶋と申寺に侍りしを、親物共とかく申事の六惜て、人にも知れす、此二とせ爰に侍る也。時々、里に出て物を乞て、如形の命をつくに侍る。今又、心の澄て、いたく物なんとのたへたきわさも侍ねは、月に二三となんとくひ侍る也とその給はせし。あまりに貴く浦山しく覚え侍りしかは、我ももろ共にすまむへきよし聞え侍りしかは、更によしなし。我も人もあやまる。互に知識にも難成。いつくの所にも心を澄たまへ。又、尋てもをはせよかしとて、いたくもて離れてはみえさりしかとも、心憂不覚の心にて、頓而すみかとも定て、後を契て出侍りぬ。さても都へかへるさには、なをさりかてらならす、尋奉るへき心ちして侍りしほとに、思はさるに陸国にさそらへ罷て久侍りき。上りさまには、異道よりつたひ侍りしかは、忘れ奉るには侍らさりしかとも、つゐに空しくやみぬ。発心の有様、殊にすみてそ侍る。印度月支唐朝もろこしは、堺遥に隔たり侍れは、且閣之、我国秋津嶋の昔の賢き人は、見奉らねは不知。いかゝおほしけん。是はまのあたりみ侍りしに、貴さたくひなく侍りき。谷深かくれて、峰の松風に雲消て、すめる月を見給けん、殊に浦山しくそ侍る。唯何となく書置は迹を聞にも、海のほとり、深山のすまひのすめる事を見には、其事となしに、なみたを催す事侍る。まのあたり其有様を見奉りしに、幾たひ随喜の泪か流けん。扨も、今又いかなる浄土にかおはすらむと、返々も浦山しく侍り。抑坐禅とは、いかなる観法そや。万境を捨て、心に心を懸かへて、心をすつへきにや。又、泥牛空にはしり、木馬天にいはふなんと云公案をむねにもつへきにや。もちては又いかゝあらん。たゝよきりなく守へきにや。詮は実の道心侍らは、修門は何にても侍りなん。念は、老鼠の如し。覚は、猫刃に似りと云古人の言葉在。よく/\心をとめて、坐禅し給はゝ、是そ三業の中の意業行に侍れは、百千無量の仏塔を造らんにもまさりやし侍らん。何なる善も、たゝ心によるへきとそ覚え侍る。   <巻一第六 越後上村見> 過にし比、越後国したの上村と云方にまかり侍りたりしに、彼里は海のほとりにて、奥よりの津にて、貴賎あつまりて朝の市の如し。たゝ海の鱗、山の木の実、布絹のたくひを、うりかふのみに非す。人馬の族を売買せり。其中にいとけなき、又さかりなるは不及申、頭はしきりに霜雪をいたゝき、腰にはそゝろにあつさの弓をはりかゝめて、今明とも不知物の、しはしの程の命を資けんとて、そこはくのいつはりを構、人の心をたふらかし売買せる。見侍りしに、すゝろ泪のこほれて侍りき。空也上人の、山かけの寂寞の扉を、物さはかしと悲て、都の四条か辻ことさこそ物さはかしきに、是こそ閑なれとて、莚こもにて庵引廻ておはしけん昔も、哀に思出され侍りて、とにかくに悲の泪せきかねて侍き。世中を何にたとへん、あさ朗漕行舟の迹の白波の消ぬめるは。秋の田をほのかに照す宵の稲妻の、やかて光の見えさんめるは。僅にしら波の立なから、光ほのめくにはかされて、年はいたくたけぬれと、心は昔に替らて、思入か念仏の功もなくして、はや、無常の鬼にとられ侍らんこと、返々心憂侍り。むなしく北窓の露ときえぬる夕へは、むつましかりし妻子、難去かりし親子も、かゝへもたんと云事や侍らん。たゝ急きて野辺に送り、薪につみて、一片の烟にたくはへては、空しくよこきる雲はかりをうらみ、朝に行て別れし野辺をみれは、浅茅か原の秋風のみ身に入て、僅に名残とみゆるは、形もなき白骨也。然は、我もはかなき身、人も仇なる世也。其に思ひを染て、とはぬまを、うらむらさきの藤の花、何とて松にかゝりそめけるそと、かりの身に恨を残し、あふことや泪の玉のをとなりけん、しはしたゆれは、おちてみたるゝうさと悲て、かりのやとに思を増、いとゝはかなき愛着にそ侍るへき。たま/\人界の生をうけて、難遇教法にあくまてむつれ奉る時、十二因縁流転環をきり、廿五有生死のきつなを、くり果給へし。さて、今生物憂てはせ過て、悪趣におもむきなは、億劫にもあかりかたかるへし。昔五戒十善の力により侍りて、悪趣のちまたを離れ侍りて、又、人界へ来たりとも、法燈末に望て、風にほのめく時ならは、長夜の闇をも、照す事かたかるへし。法水終て此所に帰は、生死海の舟をよそへすしてこそ、又悪趣へおもむき侍らんすらめと、悲覚に侍り。凡六道四生の間、あそここゝに徘徊し、爰に蹴躅して、すこしも車の庭をめくるにたかはす。しはしもとゝまる所には、生老病死、残害等の苦に責られ、すゝろに浮世にほたされぬる、悲とも申もおろか也。浮ふとすれは沈み、沈むとおもへは浮。浮もうかふにあらす、沈も沈にあらす。たゝかたちをかへてめくり、実にはてしなかるへし。   <巻一第七 新院御墓> 過にし仁安のころ、西国はる/\修行仕侍りし次、讃州みゝ坂の社と云所に、しはらくすみ、侍りき。太山辺のならの葉にていほりむすひて、妻木こりたく山中の気色、花の梢に弱る風、たれとへとてよふこ鳥、よもきのもとのうつら、日終にあはれならすと云事なし。長松のあか月、さひたるさるのこゑを聞にそゝろにはらわたを断侍りける。栖は、後世の為とも侍らねとも、心そそゝろにすみておほゆるにこそ。かくても侍るへかりしに、浮世中には、思をとゝめしと思侍りしかは、立離なんとし侍りしに、新院の御墓おかみ奉らんとて、白峰と云所に尋参り侍りしに、松の一村茂れる辺に、くきぬきしまはしたる。是なん御墓にやと、今更かきくらされて物も覚えす、まのあたり見奉りし事そかし。清冷紫震の間にやすみし給て、百官にいつかれさせ給、後宮後房のうてなには、三千の美翠のかんさしあさやかにて、御まなしりにかゝらんとのみ、しあはせ給しそかし。万機の政を、掌のにきらせ給ふのみにあらす。春は花の宴を専にし、秋は月の前の興つきせす侍りき。あに思ひきや、今かゝるへしとは。かけてもはかりきや、他国辺土の山中の、おとろの下に朽させ給ふへしとは。貝鐘の声もせす。法花三昧つとむる僧一人もなき所に、たゝ峰の松風のはけしきのみにて、鳥たにかけえぬ有さま見奉りしに、そゝろに泪を落し侍りき。始ある物はおはりありとは聞侍りしか共、いまたかゝるためしをは承侍らす。されは、思をとむましきは此世也。一天の君、万乗のあるしも、しかのことく苦みを離まし/\侍らねは、せつりしゆたかはらす。宮もわら屋もはてしなき物なれは、高位もねかはしきにあらす。我等もいくたひか、彼国王とも成けんなれとも、隔生即忘して、都おほえ侍らす。唯行てとまりはつへき仏果円満の位のみそゆかしく侍る。とにもかくにも、おもひつゝくるまゝに、泪のもれ出侍りしかは  よしや君昔の玉のゆかとてもかゝらん後は何にかはせん と打なかめられて侍りき。盛衰は今に始ぬわさなれとも、殊更心驚れぬるに侍り。さても、過ぬる保元の初の年、秋七月のころをい、鳥羽の法皇はかなくならせ給しかは、一天むら雲迷て、花のみやこくれふたかり侍りて、含識のたくひ、うつゝ心も侍らす。歎身の上にのみつもりぬる心ちともにておはしましゝ中に、僅に十日のうちに、主上々皇の御国あらそひありて、上を下にかへし、天をひゝかし地をうこかすまて、乱れたゝかひ侍りて、夕へに及て、大炊殿に火かゝりて、黒烟おをひしに、御方は軍勝に乗、新院の御方軍破て、上皇、宇治の左府、御馬に召て、いつくともなく落させ給ひしを、兵者追懸奉て、いさゝかも恐奉らす、いまいらせ侍りしを見奉しに、無由都に出てと返々心憂侍り。さて後にこそ承しか。新院は、ある山の中より求出奉て、仁和寺へうつられ給、宇治左府は、矢に当らせ給ひて、御命絶させ給ぬとは。奈良の京般若野の五三昧に土葬し奉りけるを、勅使立て、死かい実検の為に堀おこし奉けると承はりしに、哀六借世中かな。誰か不知る、浮世はかゝるへしとは。ことにあやうくはかなき身をもて、したりかほにのみ侍りて、空しく明暮過て、無常の鬼にとらるゝ時、声をあけてさけへとも不叶して、悪趣にのみ廻り侍らんは、いとゝかなしかるへし。盛衰もなく、無常の離侍らん世なりとも、仏のくらゐ目出しと聞奉らは、なとかねかはさるへき。况や盛衰はなはたしきをや。無常すみやかなるをや。たゝ心をしつめて、往事を思給へ。すこしも夢にやかはり侍ると、悦も歎も、盛も衰も、みないつはりの前の構なるへし。   <巻一第八 行賀切耳> 昔、奈良の京山階寺の僧にて、行賀僧都と云人いまそかりける。平備大徳の遺弟にてそ侍りける。並なき智者にて、いみしく法の験ともを施し給へりける人也。三面の僧坊にすみ給へりけるに、或夕暮方に、四そちあまりにみえ侍る法師の見めさまより始て、すかたあり様見る目うちなんと、見え侍る程の物の、忍ひやかに来て、打泪くみて、行賀僧都に聞けるやう、懸ても思ひよるましきわさなれは、申ともふつに叶へしとも覚え侍らねとも、思わひて、それはかりこそたすけ給はめと思て、恐々申になん。我うしろに悪瘡出て、已に死に侍らんとす。命のおしきはさる事にて、此苦痛にいきてなからふへくも侍らぬほとに、当時聞え給へる医師にみせ給へと、貴駆らん聖人の左の耳を取て来れ。つくろいやめんと云。さらては、設七珍の財を山つかとつめりとも、苦痛やむへからすと申侍りしかとも、何なる上人も、我耳切て与給ふ事侍らしと思侍て、たゝかひなき泪のみこほれて侍りつるほとに、おもはさるに、そこの御事こそ貴御事なれは、打わひ申さんには、さる事や侍らんすらんと、人のつけ侍りつれは、もしやと參侍りたりとて、さめ/\となくめり。上人哀に覚て、いかなる瘡そ。見んとの給ひけれは、打かたぬき侍り。見に目も宛られす、かはゆしとも事もなのめならす侍りけれは、さる事ならはいと/\やすき事とて、剃刀をもて、左の耳を切てとらせ侍りけれは、手を合て、泪を流し、臥拝て去侍りぬ。さて上人は、我身のいたき事は、露思ひ給はす。此法師の行衛のみそおほつかなく思ひ給へりける。かくて、又人に交へくもなかりけれは、今はひたすら、学道を思捨て、三輪と云所に、思澄てそ篭給へりける。清きなかれにすゝきてし衣の色を又はけかさしの、玄賓の昔の跡ゆかし、けにと思入て、月を送日を重ね給へり。かくて、何のころにか侍りけん、僧都のまとろみ給てけるに、十一面観自在菩薩、枕の上にわたらせ給ひて、いつそや給し耳は、速に今返奉る也。実に慈悲は深くをはしけり。あらかしめさむる事なかれとて、かきけつやうに失給ぬ。打驚て、まつ耳をさくり給ふに、すへてつゝかなし。されは、何とてかたかい侍るへきなれは、いさゝかもかはらすそ侍りける。あなふしき、されは仏の御しわさにこそと覚て侍りるよりは、いとゝかなしくてうつゝ心もいませさりけりと、伝承こそ返/\有難貴く覚て侍れ。おろ/\もろこしの昔の迹を尋侍るに、玄奘三蔵の渡天し給けるに、或山中して、慈悲を以て、くさくけからはしき病人を、頭より足のあなうらに至まて、ねふり給ふ時、観音と成給て心経をさつけさせ給へりとは承る。其外、もろこしにも、我朝にも、古今すへてかゝるためしを不聞及侍り。三蔵は、鼻をそはめる舌をふれ、僧都は、身のいたく、かたわなるへきをかへりみす、耳をきり給ひけんは、なを難有そ侍るめる。彼は上代、是は末代、彼は大国、是は小国、三蔵は権者、僧都はたゝ人なり、更にくらへて云へきに侍らねとも、今の振舞たまへる様は、たとへなくそ侍る。うへたる虎に身を与へ給けん昔の因行にも、いつくかおとりて侍へき。しかれはこそ、大聖其機をかゝみさせ給て、かゝる不思義をもあらはし給へなんと、返々いみしく覚て侍る。人のならひ、わか身は世にありて、さて仏法をも弘め、衆生をもすくはんとこそおもふめるに、いやしき法師の為に耳をそきて、我身は隠居し給へる、けに筆に書述奉るにも、すゝろに泪のもれ出て、そこはかと見えわかす。筆の立所も、かれ野にさせるさゝかに、いとかきみたして、そことも見え侍らぬまゝには、とにかくに、くもてに物を思つゝ身をつくしなるうさの宮、神のめくみの春雨に、うるほされつゝわれら迄、慈悲の心を付たまはせよかしと覚て侍り。哀、心憂身ともかな。何事も夢にのみなる世中に、思ひを留て、竹の葉にあられふるなりさら/\と、聞は独は寝ぬへき心ちもせす。夕暮は物思ふ事のますかと、よ所にならても問たくこぬ人を恨はてぬ物ゆへに、松に懸れはうらむらさきの藤花、かけひの水のたえ/\になり行底にかけみえて、心細さの音を聞にも、むねの埋火きえやらて、風になひける烟にむせひて、明暮過しほとに、霜雪眉が上積り、四海の波額にたゝみて、鏡に向へは、昔のかたちにも非す。友に交てむつことをのへんとすれは、耳もおほれて不聞。花を見んとて梢をなかむれは、さらに其形もみえわかす。腰かゝみて、手足もしちいたくて、老苦に責られ、無道の鬼目の前に来れとも、都て驚く心も無て、此世いたつらに老過て、閻魔の庁庭に至て、功徳罪障の交量ありて、善事を尋られん時、いかにか答ん。つくれる功徳はあらはや。あれとも申へき。其時悔しく悲てこそ侍るらんすらめ。頗梨の鏡に向はゝ、きあしく腹立る姿、たゝ貪着恋慕のかたちのみこそ、みえ侍らんすれな。所々に仏多くまし/\、野辺に花さくといへとも、一枝手折て、後世の為とて奉る事なし。教法みちみてりといへとも、絵に書ても習学するわさなくて、たゝ無由女の色にほたされて、すゝろに心を冨士の高ねによそへて、あさまのたけの烟にくらされて、月日をすこして、心とうきめを見るわさ、けに/\無慙にそ侍るへき。さても行賀僧都の慈悲堅固にして、耳を切給し功には、流来生死のきつな、悉切捨て、三界火宅の外に出て、ほのをにこかるゝ衆生を、哀とみそなはしていまそかりけると、くり返し貴くそ侍る。此事、遊心集にかたはかりのせ侍りしやらん。結縁もあらまほしくて、書載するに侍り。たくみのこと葉をいやしきさまにひきなしぬる憚り一方ならす侍れとも、もらしてやみなん事のあたらしさに、又筆を染ぬる也うき世中の、草かくれ無迹まても、我をそはむるわさなかれと、ちかふらくは、身はたとひ那落の底にしつむとも、此僧都の慈悲をは忘奉らし。三世の仏達、我二なき心をかゝみ給て、聊の慈悲の心をもおこす身となさせ給へ。   <巻二第一一 和僧都・春日託宣> むかし、興福寺の僧にて一和僧都と云人あり。智行ともにそなはりて、僧都の位に登り給へり。後には、世をのかれて、外山と云山里に住渡り給へりけるとかや。其初、遊心集を見侍りしに、此僧都の有様おろ/\注載て侍りしは、彼興福寺維摩会とて、可謂方なく目出き法会侍る。講師は、八宗明匠、時名高を撰給ふ事にこそ。読なる縁起は、菅丞相の御筆、かけまくも賢き神の御ことのりに侍り。持なる如意は、聖宝僧正の道具とそ、勅使立なんとして、殊やんことなき無上梵莚に侍り。しかれは、彼講師に応するを以て、道たヽなむ思出とし侍る也。此一和僧都、彼撰に入らんすらんと思ほとに、はからすして、性延といふ人にこされにけり。何事も前世の宿業にこそ侍らめと、思止め給へとも、なを難忍侍りけれは、なかく本寺をはなれて、年薮修行の物ともなれかしと思ひて、弟子ともにもかくともしらせす、本尊持経はかり竹のをいに入おさめて、竊に三面の僧坊を立出て、四所の社檀にまうてゝ、なく/\今は限の法絶奉り給ふ。心の中のいふせさは、さなからおもひやられて侍り。さすかに、すみなれし寺もはなれかたく、なれぬる友もすて難くや侍りけん。指ていつくとしも行さきもさため給はさりけれとも、あつまちの方に趣きて、尾張のなるみかたにも着侍りぬ。しほひのひまをうかゝひて、熱田の社に参られ侍りしは法絶なと奉て侍りけるに、けしかる禰きの出来りて、一和をさして云様、汝うらみをふくめる事ありて、本寺を離れり。迷へる人習、うらみはたえぬ物なれは、理にし侍れ共、心にかなはぬ世也。陸奥国ゑひすか城へとおもふとも、そこにも、つらき人あらは、又何の所とてか越行かん。たゝ、急本寺に帰て、日比の望みをとくへしと侍る時、一和、頭を垂、思もよらぬ仰かな。かゝる乞食修行者に、何の恨か侍るへきと云に、禰宜、大にあさけり侍りて、  つゝめともかくれぬものはなつむしの身よりあまれるおもひなりけり と云歌の古を出して、汝をろかなり。さらは示て聞せん。汝維摩の講師を性延に越されて、恨を含にあらすや。彼講師と云はよな、帝尺の札に記する也。其次は、則、性延、一和、義操、観理とある也。帝尺の札に記しぬるも、是昔のしるへ也。とく/\憂念を止て、本寺に可帰なり。汝は更情無、我を捨といへとも、我は汝を捨すして、是まてしたひ示なり。春日の山老骨已につかれぬとて、あからせ給ひにけれは、一和かたしけなく貴く覚て、急帰上にけり。結かさぬる草枕、泪の露のしとろにて、急雨はるゝ秋の野原の心地して、いくしほかまの染衣、すゝかれ果て侍りけん、けにとおほえて、哀に侍り。此事書をく跡を見侍りしに、そゝろに涙落て侍りき。恨みもかはり侍らぬに、年を経てすみ馴にし所のおもひすて難きに、やすくも立別給へりけん心の中は、さそ中/\すみておはしけんな。又汝は更情無、我を捨といへとも、我は汝をすてすして、是まて示す也と御詫宣の侍りける承るに、そゝろに袂のしほりあへす侍る。凡仏の世に顕れさせ給へりしには、地獄の衆生まて参集て、皆得益を得侍りき。我等むなしく御出世にもれぬ。三会の暁もはるかなる暗中に生をうけて、たゝ明暮は夢にのみはかされて、おなし瀬に立水の泡の流れ消る心地して侍我等を哀と見そなはして、尺迦大師のなき跡の衆生をすくひ給はんとて、神と現給て、いまも彼一和を利し給にこそ。こゝ住よしに非すとて、藻しほの煙の風になひくを守り、浜千鳥の跡を尋て、あらぬすみかまの浦に尋至て、すみかとせんに、そこにもつらき人有は、又いつちとてか行へきな。浄土にあらすは、心叶所侍らし。聖衆にましはらすは、思に随ふ友もなからんする物にこそと、今の御詫宣身に入て覚侍り。口惜かな、心とくるしき所に留り居て、そゝろに胸をこかす事を。抑、此維摩会を帝尺の札に記給ふらん、難有覚て侍り。世にをつても、彼講師にのそまさりけれはこそ、かくつたなく、さきもあさき身と生れけめと、返/\心憂侍り。比は神無月中の十日の事にてなん。殊に目出とそ承る。さても又、一和世を遁て、鳥もかよはぬ所に、いまそかりけん事、貴覚侍り。本尊より外には、又頼むへき人もなし。松風より外には、事とふ物侍らさりけり。聞に哀に覚えて、貴そ侍る。   <巻二第二 青蓮院真誉法眼> 過にし比、筑前国へさそらへ罷て侍りしに、人の語侍りしは、中比此国のみかさの郡、をのゝ里と云所の山の中に、何の物とも無てすみ渡る僧有。いたく思下へきしなとは見えすなから、浅増くやつれ侍りて、かみひけなんともそりもあけすして、つたなきさましたるありけり。凡物なともおほくはくはす。たゝ、いつとなく打しめり、時/\念仏しなんとしても、涙を目に浮てのみ侍り。狩すなとりし、網引なんとするを見ては、けしからすなきもたへて、相構て念仏し給へとなん云て、山の中に入て座せりしか、此所に一とせはかり住て、其後里へも出さんめれは、已に身まかりけるにこそと、人/\あはれにて、或時、彼いほりに尋まかりたるに、其身は見え侍らて、かたはらなる板に数/\に物を書たり。見侍れは、 昔は天台山の禅徒として、三千の貫首に至らん事を思ひ、今は小野の山中に住て、弥陀の来迎に預らん事を願ふ  世の中はうきふししけきくれ竹のなといろかへてみとりなるらん   久寿二年三月九日 青蓮院法眼真誉 とかゝれ侍り。又同手して、遥に山の奥なる木をけすりて、書つけゝる。  心からくらはし山の世をわたりとはんともせすのりのみちをは とかゝれて、見えす侍きとて、今の世まて恋みあい侍り。都まても、さる人やきゝ及侍る。手跡のいみしくて、一文字二文字つゝ、みなわかち取侍きと、語伝へ侍りしに、そゝろに泪のせきかねて、袂をはやみに落侍りしは、みちの国の衣河とは是ならん覚えて侍りき。此青蓮院真誉法眼と申は、鳥羽院の第八の宮、伏見大夫俊綱の御娘藤つほの女御の御腹の御子にていまそかりき。女御はかなくならせ給しかは、彼御菩提の為にとて、七の御歳山のほせ参らせられけり。智行目出て、世の末には難有程に聞させ給へりしか、法眼まてならせ給て、十八と申けるに長月の中の十日比になん、いつちともなく失させ給へりき。此由山より奏せしかは、法皇、殊歎思召れて、御ことのりを普く国に下されて、尋奉るへしと侍りしかとも、かひなくて、鳥羽院もかくれさせ奉るに侍り。あさましや、さは是まて流浪していまそかりける事よ。御齢はたちに及給はぬほとなれは、御心の中、よろついふせく思ひやられて侍り。かてのともしく、御身の苦きことのみこそ渡らせ給ひけめ。何とて、けに筑紫まて、さそらへおはしましけるにや。御足もかけつかれてそ侍りけんと、返/\哀に侍り。憂世の中を、いつもみとりに色もかはらすなけき、心とくらはし山にたとり侍りて、のりの道をはありとも知ぬわさのうさを、かきとめさせ給ふ、けにやるかたなく、すみておほえ侍り。物なとも、多はきこしめさすして、悪をつくるものを哀み泪をなかし、念仏すゝめさせ給へりけん、わくかたなく貴侍り。つら/\思へは、又けにも適悪趣のちまたを離て、忝も人界に生れ、釈迦の遺教にあくまてあへる時、心をはけまして、生死海をうかひ出るはかり事を廻らさん道には、か様に心をもたてはうかひかたくや侍らんと、くり返し貴く侍り。哀三世の諸仏の、彼青蓮院の御心を、十か一の心はせを付給はせよかしと迄思ひやられて、そゝろに涙のこほれぬるそとよ。さても、なを御命のきえやらて、天の下になからへていまそかりもやすらん、今は又、浄土にもや生れ給にけん。乞願は、名のみを残御事にしある物ならは、一浄土のともとおほして、哀みを、たれさせ給へと也。若宮にて山にのほらせ給へりしには、御とも仕て侍りしそかし。   <巻二第三 依妻別発心・播州平野> 中比、播磨国に平野と云所の山の麓に、海に向て、かたはかりなるいほり結て行ふ法師侍り。明暮念仏を申てなん侍りけり。ある時、人行て発心の因縁を尋侍りけれは、いとむつましく侍りし妻なん、はかなくみなしてしかは、何の所に、いかなる苦をうけてかなけくらんと、かなしく覚て、彼女の後世を訪ひ侍らんと思ひて、田なとの侍りしをも皆捨て、かく罷なりし後には、念仏すへて懈りなく侍りとそ語ける。里へ出るわさなんともせさりけれは、人/\哀て、食物かたのことくしてそ渡世をしける。ある時、例ならす、此僧里に出て、人々にいふやう、をのれは、暁往生し侍るへけれは、今限の対面もあらまほしくて、いて侍る也。此日比のあはれひ尽しかたく覚侍りと、よにも哀に云けれとも、実しくもおもはさりけるに、云しことく、暁息たえてけり。あやしき雲、空にそひき、常ならぬ熏いほにみちて、眠れるかことくして、西にむき手を合て侍りけり。此事伝聞に、あはれに悲しく侍り。実妻男となれるならひ、偕老同穴の契こまやかに、来ん世を引かけて頼むわさあさからす、かのもろこしの御門の、空をかけしはつはさをならふる鳥となり、地にすまは枝を連る身とならむ契、此大和国には、うつらと成て泣をらんなんと聞める、けに罪深くたのむめれとも、死て後は、人の心うたてさは、あらぬ色にのみうつりて、頼めし人のことは忘はてゝ、こま/\に後世とふらふなさけを尽さるに、此僧の思入て勤けん、けに難有覚えて侍る。訪聖往生し侍りぬれは、とはるゝ女よもむなしきわさ侍らしと、返々浦山しく侍り。けにいかなれは、いけるほとは、其事となく身のいたつらになりぬるまて、思ふ人の死て後の苦みを歎かさる覧と、悲しく覚て侍り。さても、此聖は、いつくの人にてか侍りけん。所も知侍らす。姿ありさまなんとは、つたなけに侍りける。なりときくにも、いよ/\心中ゆかしくおもひやられて侍り。発心の始より命終のをはるまて、すみてそ覚侍る。   <巻二第四 花林院発心・山階> さいつころ、帥大納言経信の、田なかみと云山里に住給ける。長月の下の弓張の程、たそかれ時になりて、齢六そちに傾て、まみ有様実賢くやん事なき僧の、入来て物を乞事侍り。姿はことにやつれぬれと、いかにも只に非すと見え侍りけれは、大納言留聞て、さま/\にいたはりなんとして、夜ふけぬる程に、竊に此僧を人しつかなる方に招て、いかなる人の、何とて、かくはおはするにかと尋られけれは、はか/\しく云やりたる方も侍らす。世わたらひのともしく侍りしまゝに、かく罷なりたりと聞ふめれと、猶、けにもとも覚ねは、強に尋給ふ時、此僧なく/\うちくときて云やう、我は興福寺花林院と云所に住侍る者也。公家の梵莚にも、年をへて連り、位階をも、心のまゝにのほりて侍りしか、先世の宿業にや侍りけん、年のまかり老ぬるに随て、方はらの寂しく侍りしに、おもはさるにけしかる女とつれて侍りし程に、しはしはつゝみ侍りしかとも、天の下みかさの山の甲斐もなく、もりて人の知侍りしかは、さやうのわさする身をはをかぬ事に侍れは、一寺発て、おい侍りし程に、する方もなきまゝに、かく罷成て侍り。彼女捨かたくて、ひちさけ侍れは、うき世のほたし、けに是ならんと覚て侍る也と聞えさすれは、おもはすなから哀におほして、しかあらは、其人をももろともに思ひあて侍らん。是にすみ給へとの給はせ侍れは、いと/\うれしき事にこそ侍らめとそ云ける。さて、大納言も帰り入給て、明るやをそきと、かの所におはして見給に、有し僧はなくて、目出手にて一首の歌をそ書たりける。  うしやけに田なかみ山のやまさひてのりのみちしはあとしなけれは と書てつゐに見えすなり給ぬるいふせさに、彼大納言、興福寺の官主、内さまに付て、委く尋給へりけるに、花林院永玄僧正と云人、年ころ世を遁るゝ心深て、度々閑に篭り給へりしを、寺をしみ留奉る、心にも非すなからのへ給し程に、いにしさ月の比、官主あかるへきよし、其聞侍りしかは、はやあとなく失給にしかは、弟子とももうつゝ心なくて侍り。いつくにこそおはすとも聞さりしかは、流浪し給ふらんよとて、玄覚官主のすゝろになき給ふ也。姿有様、聊もたかはすとて、大納言も浅増てしほれ給へりけれと。此事承るに、物も不覚悲しく侍り。とをつ国の清山水の流をもとめて、物さはかしき君か代には、すまぬまさり、よをうしと思ひ、又はけかさしなと云衣の色は、むかしならの京の御時、僅に伝聞玄賓の昔の跡にこそ。凡、多世をのかるゝ人の中に、山田守僧都のいにしへは、聞も殊に心のすみて貴く侍りしか、今の僧正の有様、いてこしかた思ひやる、すゑにも難有そ侍る也。凡人の習、世を背まても、骨をはうつむとも名をは埋ましと思ふめるに、(よし)なき色にふけりて寺を離るゝよしのいつはりをのへられけん心中、思ひやられて、わくかたなく哀に侍る。止観の文かとよ、実をかくし、狂を顕せと侍るは是ならんと覚て侍り。しかれは、もろこしにも此国にも、けに/\しく世をのかるゝ人は、みなかやうに侍るとかや。けに人にはつたなき物と思ひ下されて、心ひとつにおもひすまして侍らんは、いみしくすみ渡りてそ侍へき。さて又、あちこちさそらへゆかんに、心に叶はぬ所あらは、おもひはなるゝそかしなんと、そゝろにゆかしく侍り。世を捨とならは、かくこそあらまほしくて、身のちからもいたくつかれ侍らさりしころ、広く国々に経まはりて、やうことなき寺々面白所々に徘徊し侍りしか、指当て身のうれへも忘られ侍りしかは、かくて一期を過したらんも、罪深からしと覚侍りき。况や、発心堅固にして、心もかしこくさきらあらん人の、なにか心もすまて侍るへき。こしの白山雪積て、老曽の杜のはゝき木風になひきやすし、佐野の野原のほや薄そよめきて、同心のすゑ葉の露は、風に乱てしとろなる有様、木曽の梯、佐野の船はしなんと見侍しに、心も留るへき程なり。逢坂の関の関守とめかねし、秋こし山の薄紅葉見すてしかたく、浜千鳥跡ふみつくるなるみかた、ふしの山辺は、時しらぬかのこまたらの雪残り、浮嶋か原、清見か関、大磯小磯の浦/\は、過かたく侍るそや。此僧正は六そちに傾き給ぬれは、さやうの所を見いまそからんもかなはてや侍らん。さても何なる所に、思澄ておはすらん。返々ゆかしく侍り。哀、此身を思すつる心の、いさゝかなりとも、つけねかしと覚て侍るそや。   <巻二第五 雲林院聞説法発心> 中比、東の京に、いといたうまつしからすすみける男女ありけり。下れるしなの人なるへし。此男ある時、雲林院の説法の侍りけるに、聴聞の為に、彼庭に詣てゝけり。導師、云しらす目出御法を説侍れは、みな人々もよゝとなくめり。此男のいたく心を発て、やかて家にも帰らすして、手自本とり切て、東山の奥に、庵かたはかり造て、閑に念仏し、時々里に出、物をなん乞、僅物をも得侍りけれは、其をなん用て、又里に廻るわさもなんなかりけり。夜は必里を廻て、高らかに念仏し侍り。されは、夜をのこす寝覚の牀には、哀と情をかけすと云事なし。或時、人のたつね行て、いかに身の苦しきに、夜はありき給にか。ゐもね給はては、つかれ給には侍らすやと云けれは、其事に侍り、昼は無何、さるていなる女なんとを見侍るに、我なしみたりしものゝ思出さるゝ時も侍り。おさなきものをみる時は、振捨出し子の俤に立て、いかにも乱ぬへく侍り。夜は、さやうの事もなし。心のすみ侍れは、ありき侍るなり。さて又、をのつから耳にもれて、哀と聞そなれし、一念随喜をもし、念仏をもし侍る人有は、其をなん他を利する心をせんと思侍るにこそと申けれは、尋行ける人も、袖をしほりて、拝つゝ去にけり。さて、三年はかり経て後に、三日まて里にも出す侍。いふせさに人々まかりて侍りけれは、西に向て手合てなんいき絶にけり。浅増悲しく覚て、急人に触なとして、来をかみ侍りかえるとなん。けに、難有かりける心也。下れる人は、いかにも情のすくなくて、たゝさし当たる事のみを思て、後の世の罪をは、さしはなちて思はさるめるに、御法の心にしみて、さはかり身にかへていと惜く悲き妻子を振捨て、并ひ見すなりなん、殊に貴く覚侍る。又、昼はなにわさに付ても、心の動きぬへく覚ゆるとて、いたく里にもいてさりける事、思取侍る心の中おもひやられて、いとゝかしこく侍り。さても生死の無常のおもはれて、いもねられす侍りけん、身に入て貴そ覚侍る。世をすつる人多いまそかれとも、眠は捨かたく侍るに、無智なるあやしの心の、さほとに侍けん事の難有さ、やるかたなく侍り。悲哉、昨日有し人今日はなし。朝に世路に誇る類ひ、夕への白骨と成、月を詠むる友忽後に零落し、花にたつさふる族ら、空風に誘はれて、跡なく成ぬる世間に、をろかに思を留て、いたつらに我身に積る年月の、首は露の霜にかはりて、長月の末野のはらのかれのゝ草にたくへて、無跡なりはてんとする事をもおもはす、心のあるにまかせて、秋の長夜すから、其事となくねふりて、はかなき夢をのみ見て、むなしく月日を過さん、けにも心憂わさなるへし。されは、善導和尚は、頭燃を払かことくにせよとすゝめ、恵心の僧都は、あたかも眠を今、此僧の有さまこそ、これらのをしへに叶て侍れ。浅ましや、世をすつといへとも、心を是をすてす、袂は染ぬれとも、心はそまぬものにして、身心かたちかへにて万行いたつらになしはてぬる事よ。しかあれは、心の師とは成とも、心を師とする事なかれと、仏もをしへ給へる、是なるへし。とにかくに、涙のすゝろにしとろなるに侍り。   <巻二第六 死人頭誦法華・慈恵> 過ぬる比、陸奥国ひらいつみの郡、手列と云里に、しはしすみ侍りし時、其あたり見侍りしに、さかしは山と云山あり。木の生たる有様、岩の姿、水の流たる、絵に書とも筆も難及き程に見え侍り。里を離れて十余町もや侍りけん。あちこち徘徊し侍るに、河のはたに高一丈余なる石の塔を立たり。くきぬきしまはし、草払なとして、目出くみえ侍りしかは、是はいかなる事にかと尋侍りしに、或人の申しは、中比、此里に猛将侍り。其娘に有けるもの、法花経の読たく侍りけるか、をしふへき者なしとて、朝夕なき歎て過侍りけるに、或時、天井の上に声ありて云やう、なんち経を求て前にをけ。我こゝにてをしへんと聞ゆ。あやしく思ひなから、経を得て前に置侍るに、天井の上にて、ゆかしきこゑにてをしへ侍り。八日と云に習終りぬ。其時此娘いかなるわさならんといとゝあやしく覚て、天井を見侍るに、白くされ苔生たるかうへに、舌のいきたることくなる有。此白骨のをしへ侍るにこそと思驚て、こは誰にてかおはすらんと強に尋聞ゆるとき、我は是延暦寺の昔の住僧、慈恵大師のかうへ也。汝か心さしを感して、来てをしへ侍り。又、いそき我をさかしは山に送れと侍りけれは、哀に忝事、たとうへき物なんなく覚て、泣々此山に納て、如此塔婆なんとし侍り。此ころまても山中に、貴き御経のをとする折侍り。さて、此女は尼に成て、此山の中に庵結て、思澄して侍りしか、此二十余年先に往生して侍る也。其いほりの形今にあり。見よと申侍りしかは、かの人々ともなひて、山のおくに入侍りて見るに、口三間なる屋の、神さひて、形はかり残りし見侍りしかは、かきくらさるゝ心地して、今更物もおほえす侍りき。かゝるためし、けに有かたく侍るへき。先御経ならふへき人もなき辺土の境に生れぬる女の身に、けに明暮経のよみ奉らまほしく覚て、ねても覚ても、此事をのみ歎をれりけん、心の中の貴さは、つたなき筆には難尽侍り。然はこそ、慈恵大師の白骨を顕て、授給ひけめと、忝侍。もろこしの昔こそ、まつしき男の経をえよまさるとて、おもひ歎侍りけるに、いつくのものともなくて、見めよき女の来て妻と成て、一部授をはりて、後には観音と顕れて、失給へりきと、秦の明記に載て侍れと思出されて、くり返貴く侍り。又、上代はさるためし余た侍れと、世下ては、けにとも覚ぬわさ也。又、さまかへて思澄て侍りけん、殊に羨しく侍り。今はいつれの浄土にかむまれぬらんと、返々ゆかしく思ひやられて侍るそや。我らかなましいに家を出て、衣は染ぬれと、はか/\しき信心をも発さす、深山に思ひすます事なくて、年のいたつらにたけぬる、そゝろに悲しく侍る。偖も慈恵大師の、遠つ国の仏法希なるさかしは山に跡を垂て、無仏世界の衆生を渡し給はんとかや。御経のこゑの聞ゆるは、是にも猶驚かぬ心ともにて、殺生鬪諍の盛なる里にて侍る悲さよと思ふに付ても、何としてもうかむへき衆生共と覚て、そゝろに歎かしく侍り。猶々、此女名字もしらまほしく、その性其流も尋たく、年月も勘たく侍りしかとも、つまひらかにしれる人無て、注及ひ侍らす。此所はか様の事、無下に情なき里にて、廿余廻の前のふしきをも、慥に不知侍り。哀、其弟ならんと云人もなからへてもや侍らんと、尋合まほしく侍り。   <巻二第七 本来無去・禅僧> 播磨国と聞えしなんめり。おほろけならては人もかよはぬ山の中に、そまする人のみたりつれて入侍りけるか、山中を見めくりけるに、山の谷あひに、木くらき事もいたくはなかりける処に、木の枝、木の葉なとにて、とかく構たる形はかりなる庵りに、木の葉を敷つゝ、黒き衣はかり着たる僧の死て侍りけるを、鳥の来て有けると覚て、目なんともつき損て侍。傍にけしかる硯筆はかり侍り。大なる木にかく書付侍り。 死生共に四生にあらす。無来無去にして本来寂静なり と書たりと語り侍りけれと、其里の人尋至て、見る事も無く止侍りしと伝聞き。いかなる人にていまそかりけん。返々ゆかしく侍り。谷の深に隠居して、峰の松風に思をすます禅僧にこそ。いつれの比より彼所に住けん、庵なんとは神さひてふるめしきさまに見えけるなれは、年へけるにこそ。何とて露の身をさゝゆるわさも侍りけるやらんと、心苦く貴て侍り。生死も生死に非す、又来も去も是には侍らさりけん。心の中やるかたなくすみ渡侍りて、かやうの坐禅なとは、世の末には難かるへしなと云人も侍りけれは、必しもさは侍るましきにや。片岡山のわひ人の機もうへて臥ていまそかりける事なんとを伝え聞侍るには、坐禅の機は中/\、当時其比にや侍らんとおほえ侍り。哀貴かりける事かな。硯より外には何ももたさりけんも、よしありて覚侍り。世をのかるゝ人の有様、しなしなに侍れとも、海の辺、深山のすまひは、殊に浦山しくも侍れとも、さしあたつては、身一たすくる粮のはかりかたさに、独居の太山のすまひも難叶て、世にふるそかしな。詮はたゝ此身を惜顧思のはなはたしきにこそ侍れ。なにゝか此身をおしむへき、おしますは、なとか山ふかく思澄さて侍る。抑本来寂静なりとは何の静寂そや。無来無去なりとは何の物をかさし侍りけん。   <巻二第八 迎西上人・成通卿被仕事> 過し比、侍従大納言成通卿、東山に住給けるころ、いつくの者ともしらぬ法師の来て、此殿に宮仕へ侍らんと云けれは、大納言聞給て、いと思はすの事かな。法師は僧の下にこそ侍るへけれ。何とて是には宮仕し侍らんと云にやあらん。但、さてもあれかしとて、其殿に召仕れ侍りけり。浅ましく心はへいみしくて、万に付て正直に侍りけれは、其内の人、聖庵とそ名付にける。するわさもなかりけれと、心さまのなつかしくて、殿にも、いみしくいとおしきものにおほされ奉て、きる物なとも、さはやかに与へ給へは、二三日は肩に懸たんめれと、後には無跡失けり。かくする事度/\に成侍れは、人あやしみて、女なとをかたらひたるにや。さも侍れ、けしからす又其心も見えさめりなと、煩しきまて沙汰し合侍り。大納言、此事もれ聞給て、又きる物なんとたまはすとて、いかにかくは無跡なしはつるそ。此度は、あらかしめ不可失と、よく/\仰含め給へりけれは、此僧も畏て取侍りけり。其後、人々目を付て見侍れは、此僧、隙を伺て、門より外さまへ走行を、見かくれに見侍りけれは、法勝寺の辺に、殊寒くかはゆけなる乞食、き物をぬきくれて、我身はたゝ合せなる物はかりきて、帰にけり。此見あらはせる人、目もめつらかに心驚て、急き大納言に此よしを聞てけり。其後、よしある人/\こそとて、日比にも似す、殿も重くおほし、人ももてなし聞えけれは、よにもほいなけに思たりけるか、二三日ありてかきけすやうにうせてけり。殿より始て、皆人々忍ひ合給へりけれと、つゐに見え給はてやみにけり。此僧うせて後、廿日はかりへて、大納言歌読の内に撰はれ給て、冷泉中納言俊忠と申人になん合られて、いかゝして名歌読て君の御感に預り侍らんとおほして、この事のみを歎給けるに、或日の暮に、ありし僧来て、君の煩給へる歌、思寄てこそ侍れとて  水のおもにふるしら雪のかたもなくきえやしなまし人のつらさに  うらむなよかけみえかたの夕月夜おほろけならぬ雲ままつ身を と読て、にけさり給ひけるを、袖を引留て、誰人にてかおはすらん、此日比の情に、慥にの給はせよと侍りけれは、泊瀬山の迎西とてなんふりほとき、出給にけり。其後はふつと見え給はて止み侍りけり。一方ならぬと、何もみな名をはうつましとのみこそ思ひあひ給ふめるに、わさと名をしつめて、いさきよき実の心を隠て、思はさる所にいたりて、つふねとなり、得る所のきる物を、忍ひやかに、わひ人にほとこされ侍りけん、うらやましきには非すや。すてんとおもへと、生る身はさすかなるに、やつれはてけん心こそ、思へはかしこく侍れ。読給へる歌は、大納言の歌とて金葉和歌集にのれるほとに侍れは、中/\、ともかくも申に及ひ侍らす。なを/\やさしくすみ渡りてこそ覚え侍。又、慈悲の其事となく深くいまそかりけむ、いみしく身に入て貴くそ侍る。けにも閑に案れは、いきとしいける物、ありけらの類まて、思放へき物にはあらさりけり。我等も多、百千劫の間、鳥獣と生れて、秋の田のおとろかすなる山田玄賓僧都のひたの声に驚むらすゝめまても侍りけん。をのか羽風になるこならして、心とさはく鳥、かり田の面に魚をひろふ旅鳫としては、越路の空にもかへりけん。魚と成て、いくたひか人の味をもましけん。駒に生てはおもきをおひて、九重の雲にいなゝき、牛と成ては浮世の車をかゝりて、なけきおれる時もおほかりけん。さては、かれらも余所のものに非す、みなひとしく心を奥し侍り。是又、併、世々をへて思を顕し、心を尽し、秋風に名残をおしみ人なり。さもあらす、恩潤深き主君、或は哀願はなはたしき父母にても有けん。しかあれは、かれら心にもてはなれんは、いみしくをろかの事にこそ侍らめ。あらかしめ人をそはむるわさなく、畜類を哀と見そなはし給はゝ、尺迦大師の御恩徳、やうやく報し奉る心なるへし。生をへたつるとて、いかなる事やあらん。皆人の此理知なから、心にはおもはぬそとよ。乞願は三世の仏達、此所うちつゝき、人をそはむる心をやふりて、心に思へとしらぬそかし。乞願は、実の浄慮を普くほとこし給へな。悲哉、適人界に生れ侍る時、いかにも勤は物憂てはせ過て、思とおもふ事は、悉く流来生死の業をきさし、つみ集て昔の五戒十善の種のゆくゑなくなし果ぬる事を、悔ても甲斐なし。実にはくひさめり、衆罪は草露のことくにして、恵日は是をきやす事はやし。恵日といへる、則外に不可求。我心是也。恵日の心、品々なるに非す。たゝ道念の一門也。されは、道心を発さは、無始よりつみ集をける罪の、さなから皆消て、本有常住の月を胸の中にすまさん事、更に遠きにあらす。本覚の月すむならは、立浪吹風、みな妙なる御法にて侍るなるへし。さて、迎西上人は、終に長谷寺にて終ぬと承侍るは、迷ひかへり給けるにこそ。なお/\心中やる方なく、貴く覚て、聞に其事となく、泪のもれ出侍りき。今又書述も、涙のすみに落副て、おもふはかりもかゝれす侍れは、いとゝつたなき筆の跡ふしをもそはむるわさなくて、草かくれ、無跡まても、そしりをは我に、な残しそと覚て侍り。   <巻三第一 見仏上人> 以往、或聖と伴ひ侍りて、こし路の方へ越侍りき。能登国いなやつのこほりのうちに、さむかひましはりて、こともおもしろくおほゆる所侍り。人里遥に離たる岩ほさかしくて、いたくあら磯也。よにも心のとゝまりておほえ侍りしかは、暫休らひて見侍りしに、岸そのことゝ無そひへあかりて、木ともらよしありておいて、岩屋の目出きみゆめり。ゆかしさに、急き寄て侍るに、齡四そちはかりの僧坐して侍り。彼いは屋は南向にてなん、海を前にうけ侍り。ことに心もすみていまそかりけに侍りき。只きのまゝ、帷衣の外には、なに物もあたりに見えさんめり。なつかしくおほえて、いつくの人にかいますらん。所さま、さこそすみよしとおほすらんと申侍しかは、此聖、すこしほゝゑみ給て、かく  なにはかたむらたつ松も見えぬうらをこゝすみよしとたれかおもはむ との給はせ侍りしかは、何となう哀に覚て、かく、  まつか根のきしうつ浪にあらはれてこゝすみよしとおもふはかりそ と読て侍りしかは、此聖もいとをかしけにいまそかりき。さても誰人にてかいまそかるらん。いつも此所に住給ふにやなんと尋侍りしかは、いさとよ、人は月まつしまの聖とこそよはひ侍れ。又いつも爰に住には非す。月に十日は必す来てすむ也。其程はなにもくい侍らすと、の給ひ侍しに、浅増て、さては見仏上人と聞え給ふ人の御事にこそと、忝覚て、我をは西行となん申すに侍りと、恐々申侍りしかは、さる人ありと聞との給はせ侍りき。さてしも侍るへきにあらさりしかは、名残は多く侍りしか共、心留法文なと問奉りて、泣々別さり侍りき。帰さには見え給はさりしかは、わさと四日の道をへて松嶋へ尋参て、彼寺に二月はかり住て侍りき。此事、けに思出に、泪のいたく落まさりて、書述へん筆立へき所も見えわかす侍にこそ。此松しまのあり様も、ゆかしく閑にして、心もすみぬへきをふりすてゝ、多の海山をへたてゝ、はる/\能登のさかひまていまそかりて、松風に付いとゝ思ひをまし、よりくる浪にすめる心をあらひ給けんほと、いといさきよくおほえ侍り。身にしたかへる人もつかす、命を助くるかてをもしらへ給はて、十日の間住渡てをはしけん心の中の貴さは、ならふる物やは侍る。責て春夏の程は、いかゝせん。冬の空の、心地の雪の岩屋のすまひおもひやられて、そゝろに泪のしとろなるに侍る。いかなれは、人の同心おこしなから、山をへたつるまてにかはるらん。道心ふかき人なとも、世を遁侍りて、閑なる寺なとにすむはならひ成そかしに、鳥のわつかに啼声と、庭を払風のより/\いらかに音つるゝ外は、すみかへりたる松しまをさしおきて、人もなきさの浜風に、僅にあさの衣袖をふかせてすみ給けんは、心なき身にも哀に覚るを、弟子なとにもしられ給はさりけめはこそ、尋来る人もなかりけめ。松しまに侍りし程にも、上の弓張の十日の程は、かきけし失給にしは、又能登の岩やに住給にこそと、哀にかなしく侍り。失給へる程は、一の弟子の寺のはからひ侍りける也。月毎にあるわさなんめれは、今更思驚く弟子も侍らさりき。   <巻三第二 静円供奉> 過にしころ、摂津の国住よしの社の社司のもとに、仏事行事侍りき。折節、其あたりにふれはひ侍しかは、結縁もあらまほしくおほえて、のそみ侍しに、唱道は誰にてかいまそかりけん。さしも道心も篭り、さきらありし人とは覚す侍りき。只乞食かたわらとなとのみこそ多く侍りしか、其中の莚のやれたるをかたはかり腰にまきて、鈴と云物をふりて、おしの物を乞ふ侍り。見れは天台山<静円>供奉也。僻目かとみれは、あたかもまきるへくもなし。定てそれなる。こはいかにと悲しく覚て、多の人をわけつゝ供奉の方へまかり侍れは、我を見付給て、ちともさはかす、門様へ出給ぬれは、誰も人閑ならん所に行て、閑にきこえ侍らんと思て、尻さまに付てまかり侍りぬ。さて、人もなき松の根に、もろ共に休み侍りて、静円の給ふ様、我山のとさまにすみにくゝて、あちきなくいつまてかかゝらんと思ひて、さそらへて出たりし程に、其後は道心もさめなをして、帰らまなしかりつれ共、とかくさたせられんうさに、かゝる身とこそ成ぬれ。さても大宮の大相国のあたりに何事か侍る。よにもいふせくこそ侍れ。さらは無何見る目もつゝましきに、帰給て、夜なん必すおはし侍れ。宮の事も聞まほしく侍るにとて、所委をしへ給て、必と侍しかは、くるゝをたのめて、行別侍りき。日の山の端に傾く程もをそく覚て、暮るやおそき、の給はせし所に行たるに、ふつと見え給はす。悲さは空たのめにこそと思侍りしを、もしやとて、その夜、ゐあかしぬれと、つゐにむなしくてやみ侍りぬ。明て後、その里をなん、いかに尋侍りしかとも、ふつと見え給はす。此静円供奉は、尊恵僧正の遺弟、大宮の大相国伊通のすゑの御子にそ。いとけなくをはしける当初より、世をのかるゝ心の深くて、さるへき所の閑なるを尋て、常には篭り給けるとなむ伝承しか、ついにはたして、早く世を捨果ていまそかるにこそ、貴く侍り。いかなれは是を見にも驚かぬ心にて、あさましき身をおしみ捨やらさるらんと、返々も心憂侍り。さこそすて給世なりとも、わつらはしく、おしのまねをさへし給らん事のわりなさよ。それ、とくをかくすに多の道有。唐の釈の恵叡の八千里隔る堺に至て、あやしの姿にやつれて、羊をなむ買ひ給へり。此国の真範はつたなき形と成て、おしのまねをなんし給へり。是皆、徳をかくしかねて、とかく煩給めり。けに、物いはぬさま示さん程に、難きわさや侍るへきと覚て哀なり。いかなりけるふしにや、今更山をも離れ給けめと、世を秋風の吹そめけむも、そゝろにおほつかなくも侍り。倩思ふに、岸の額に根を離れたる草、江の辺につなかさる船にたかはす。此身今に無常の風の吹きて、いつくともなく舟のはなれ、草の四方に乱ぬ先に、落付へき事をこしらへ侍るへきにてあり。其はかりこと、たゝ、静円供奉の有やうを閑に心に思めくらして、此振舞をすへきにこそと覚て侍り。   <巻三第三 室遊女捨世> むかし、播磨国竹の岡と云所に、庵を結て行尼侍る。本は室の遊女にて侍りけるか、見めさまなとも悪からさりけるにや、醍醐中納言顕基に思はれ奉りて、一とせの程、都になんすみ渡り侍りける、いかなる事か侍りけん、すさめられ奉て、室帰りて後は、又も遊女の振舞なとし侍らさりけるとかや。或時、中納言の内の人の、船に乗て西国より都さまへ行けるを伺見て、かみを切て、陸奥国紙に引裹て、かく書たり。  つきもせすうきを見る目のかなしさにあまとなりてもそてそかはかぬ と書て、舟になけ入侍りて後、ひたすら思取て、此所に、庵とかくこしらへて、思すまして侍りける也。中納言、是を見給て、雨しつくとなきこかれ給けるなる。さて、此尼は、たゝわくかたなく明暮念仏し侍りけるか、ついに本意のことく往生して、来ておかむ人多く侍りける。其庵の迹とて、今の代まて朽たるまろ木の見え侍りしは、柱なとにこそ。たゝすこしくすくなる様にうゑたる木節なんとも、さなからいふせくて侍しみ侍しに、すゝろに昔ゆかしく思やられて侍り。人里も遥に遠さかり侍に、かなはぬ女の心にて、とかくしてあやしけにこそ、引つくろひ侍りけめ。粮なとをは、いかゝかまへ侍りけんと、返/\いふせく侍り。同女と云なから、さやうのあすひ人なとに成ぬれは、人にすさめらるゝわさなとをもいたく思とるまてはなけなる物を、ひたすらうき世にことよせて、こりはてにけん心の程、いみしく覚て侍る。此中納言も、いみしき往生人にていまそかりけると、伝にはのせて侍れは、さやうの事にてやいまそかりけん。つれもなき心のおもひおとろきて、世を秋風の吹にけるにこそ、今は又、むつましき新生の菩薩ともにてこそいまそかるらめと思はれて、其事となく哀にも侍るかな。   <巻三第四 観尺聖・歌> 昔、観釈聖とて、世を遁れる人侍る。なま君達にて、殿上の交りなんし給て、遠江守に成なんとして侍けるか、いかなる事か侍りけん。俄に家を出て、本とり切て、頭陀をなんし侍りける。自元、御子はいませさりけれは、知所なとをは、さなから北方に譲給て、出られしに後には、又も彼家へは指入給はすとかや。たゝ人の家に入きて、よも山のそゝろ事、昔今の物語をして、日を送るわさにて、はか/\しく勤なんともなかりける人にて、面白き物語をなんし給ひけれは、大臣家なとに常はめされて、無何世をなん過られにけり。き物は何をもきらはすき給ひける。足も手もあらいもあけすいまそかりけり。或時、冨家入道殿の中将にていまそかりけるころ、二条になん住ておはしましける時、かの観尺聖、参り給て、今日身まかり侍るへし。いかならん山中にても、(はい)隠れ侍らんと思ひ給ひつれとも、往生をなん遂侍るへきにて侍れは、誰/\にも縁を広く給ひおかんと思ひ給ふれは、此殿の方はらににてと思て侍り。こちなくや侍らんとの給はせけれは、殿をかしからせ給て、さら也。何かはと仰の有けれは、うれしき事にこそとて、御所の東の山きはの滝の落て、誠に面白き所に、石上に西向になん手を合ていまそかりけるか、けに其まゝにて、やかて息気絶てけり。紫の雲上に覆ひ、たえなる香御所にみちてそ侍りける。人々集ておかみける也。其形躰を移し留て、同石に居へ給へりける、今に侍り。かたひらのかたの落たるをきて、こもとゆふ物を後に引かけ給へる姿也。ころは十二月三日とそ。殊に哀に侍るかな。多の財宝を皆取捨、そこはくの田薗をさなからもて離て、賎きさまにやつれ給て、知しらぬ家共に入居て、袖をひろけ給けん、さすか、人も岩木ならねは、見る目もさらにかきくらされてこそ侍けめ。さそらへ出て後は、又も旧里に帰り給はさりけるも、かしこくそ侍る。又、世を捨ても、すみなれし所、しれるさかひなとにては、袂をひろくる業はいかにも難有かむめるにと、それさへすみて覚侍り。無何物語にて其事となく、日を送り給けんは、外の有様は物さはかしきに似たれとも、内の心はすみ渡て侍りけり。大隠は朝市にありと云。是ならんと覚て侍り。   <巻三第五 三井寺法師隠居> 以往、丹波国大江山いく野の里を過侍りしに、人里離て、道より東に五六町山の中に入て、庵結て、六そちはかりに傾きたる僧いまそかりき。懸ひの水はかり心すこく流て、いほの内すみ返て、き給へるあさの衣の外は何も見え侍らす。殊に貴く覚て、委く尋奉り侍りしかは、昔三井寺の学徒にて侍りしか、山と寺と中悪事の有て、山のために、寺やかれ侍りしかは、情なくあちきなくて、罷出、国々迷ひありき侍りし程に、今は年も傾きぬれは、此所になん住侍り。当初は里へ出侍りしか共、今は又おしむへき程にも侍らねは、有に任て、里へも出侍らね共、人の時々尋来て、命を継に有とそ、の給はせ侍りし。ゆゝしくいさきよく、すみ渡て見え給はせ侍り。けにも、北嶺の内には、山寺とて仏法もさかりに侍れは、教待和尚の三会の暁まて可有寺なりとて、智証大師に譲り聞給し、実なりと覚て侍るに、多の仏塔・法文・聖教さなから煙と登りけんを見侍りけんは、さこそかなしく侍りけめ。法滅の道心哀にも賢も侍るかな。悲哉、かりの世仇なる身を不知して、いつとなく我執をのみよこたへて、はてには寺をさへほろほし侍らん事よ、名を尺子にかり、姿を沙門に成て、さきらをみかく人たにも、うき世の中の習にて、戦陣の企あり。まして、法文の至理をわきまへ侍らぬ人の、心任に振舞侍らんは、理にそ侍るへき。只、けにもひたすら思離れすは、此苦は未はれしと、猶/\かしこく侍り。抑、人の身にきはまりて苦きはうらみ也。恨は何よりおこるそ、世にあるより起物にこそ。世にあれはこそのそみはあれ。のそみあれはこそうらみはあれ、うらみあれはそ瞋恨すれはそ、戦場する。されは、心と苦をうけて作病せるは、是世にある人にこそ。   <巻三第六 宝日上人・歌> 昔、御室戸の法印澄明と云やんことなき智者、もろこしに渡給はんとて、西の国に趣て、播磨の明石と云所になん住ていまそかりけるに、浅ましくやつれたる僧の、来て物を乞侍り。さなからあかはたかにて、ゑのこをわきにいたき侍り。人、尻さきに立て、笑なふりける。あやしの物やとおほして見給へは、清水寺の宝日聖人にていまそかりける。僻目にやとよく見給へと、さなからまかふへくもあらさりけれは、かきくらさるゝ心地して、伏まろひて、あれはめつらかなるわさかなと、の給はせけれは、聖人ほゝゑみて、実に物に狂ひ侍るなりとて、走出給ふめるを、人余多して、とり留め奉らんとし侍りけれ共、さはかり木くらきしけみか中に入給ぬれは、力なくやみ侍りけり。澄明法印は、あまりすへき方なく悲く覚給て、其事となく、其里にとまり居給て、広く尋いまそかりけれとも、其後は又も見えす成給ひにき。さて、里のものに委く事の有さまを問給へりけれは、いつくのものとも人にしられて、此村にすみても廿日はかりなりとそ答侍ける。(此)事無限哀に覚侍り。何とけに、世を捨といふめれと、身の有程は、き物をはすてすこそ侍る哉。凡、此聖人は万物くるはしき様をなんし給へりける也。或時は、清水の滝の下に寄て、かうしと云物に水をうけて、かくれ所をなむあらひ給ふこと、つねの態也。いみしくしつかに思澄給ふ時も侍るめり。一かたならすそ見え給し。すみ渡る心のうちは、いつもおなしさきなれ共、外のする舞は百に替けるは、無由人の思を我のみ一方にはとゝめしとおほしけるにや。此聖人そかし、中関白の御忌に、法興院に篭て、暁方に千鳥の啼を聞給て、  あけぬなりかもの川原に千とりなくけふもはかなくくれむとそする と読て、拾遺集に入給へり。あけぬるよりはかなくくれぬへき事の、兼て思はれ給へりけるにこそ。彼拾遺集には、円松法印とのりて侍るは、聖人の事にこそ。   <巻三第七 瞻西上人施女衣> 東の京雲居寺と云所に、瞻西聖人と云人いまそかりけり。智行共にそなはりて、偏に此世をなん思捨て、わくかたなく後世のいとなみのみにて侍りける。或時、京極の大殿の御所、粟田口になん住給ける比、冬なりけるなめり。けしかる女の出来侍りて、あまりに寒侍り。いかはかりの物なりとも得給へと聞侍れは、さこそさむかるらめと、哀におほして、き給へりける小袖をなん給てけり。さて、明る日、又ありし女来て云やう、昨日の小袖は、はからさるに、失て侍り。又給はらんと云やりて又給てけり。さてあるへきかとおほす程に、又次日、莚はかり身にまとひ、き物得給へと云時、此聖人心得す思して、の給やう、二とは慈悲をもて汝に与へぬ。さのみは身の力なし。かなふましと宣ふ時、此女気あしく成て、汝はきはまりて心ちいさかりけり。心ちいさき人のせをは、我受すと云て、二の小袖をなけ返して、かきけすかことく失侍る。聖人、化人の来りて、我心をはかり給へりけるにこそとて、心の程を自はちしめて、悔悲み給へりけるそ、哀に忝覚て侍る。かやうの事なとは、世にありて書をくあと多く侍れとも、すゑの世にはためしまれなるへし。されは、いつれの仏菩薩来て、女の姿と見えて心をはかり給ひけんと、ゆかしく覚て侍り。但、彼聖人は文殊の化し給へるにやと、の給はせけれは、いかなるしるしの侍りけるやらん。聖の心の露はかりもけかれさりけれはこそ、すめる月の空くもりするあやまりも侍りけめと、返/\ゆかしくおほえて侍るそや。けに悲しき我等哉。心一のしつまり入て、引給ふ太山の草の庵にあとゝめかたくして、只はかなき嬰児の遊の如して、空く月日過行て、老の波路にたゝよひ侍りて、なきさに寄すれは岩ほにくたかれて、をのれのみ生死海に帰る事の心憂さよと。さて又、仏菩薩の御心に背けれは、御ことのりをも聞さるまゝに、弥々くらきよりくらきにまとひて、むねの月には心もかけさるうさは、更に書述へくも侍らす。   <巻三第八 正直房被人仕> 美濃国と聞しやらん。中比、其国にあやしの僧、里を廻て、人にみやつかふ侍りけり。いみしく心はへわりなくて、何事にも心得たりけれは、人にも、我も/\とあらそひやからい侍る。二三日つゝなんつかへけり。わさと一つ所には久しくはいすそ侍りける。心たての云へき方なくすなをに侍りけれは、正直房と名付てよふ人もあり。又、直心なとなん云族も侍りけるとかや。其里に廻りつかふるわさ、五とせはかりをへて、かきけち見えすなりにけれは、誰もあやみ忍合て、普く尋ねけるよ、ある山のふもとに西に向てうるはしく座して、手を合て、気たへ侍りぬ。そはなる木にかく書たり。  保延二年二月十五日、もゝすちり房、まかるなから往生しぬ。と目出き手にて書たる。余にかなしくたうとくて、其国の人々、皆々力を合て、いさゝかもたかはす、形躰をなんうつしとめて、置奉て侍り。其姿はかみなとも長くて、帷一にひかさと云物しき給へる也と語侍しを聞に、随喜の泪せきかねて侍りき。いかなる智者の、一挙万里によりて徳をかくし、五とせの程心安きつふねとなりていまそかりけん。今更保延の昔恋しく侍る。又、わさと一所に久跡をはとめ給はさりけむも、定てふかき心侍らんと覚て、たうとし。よもみのゝ国はかりには限り給はし物を。外の国にても、つふねとなりてこそは、又さるへき縁尽て、此国にて隠はて給けるにこそ侍らめと、哀に覚て侍る。としてもけに、はては隠もなき物を、何中/\に、徳をしつめ給らんと、悲ふ覚侍る。心の潔く澄めるほとは、いくらはかりと、はかりいふへきふしも不覚。さても、百すちりゆかみ房とこそ書給ぬるに、なにとて心いたく、すなほにはをはしけるやらんと、おかしく覚て侍る。此事聞侍りしに、余に貴く侍りしかは、彼国に罷下て、移し留奉る姿をも、拝見し侍らんと思給て、すてに、備前のほそ谷川まて出侍りしか、心地の悩しくて、行さきの道もいふせく思ひやられ侍りしかは、そこより思返て、きひつ宮に帰り侍りき。其後は、つれもなき心にて、いつも朽せぬ御かたちにし侍れはと、心一をやかて、今は年の闌ぬるそかし、よく縁もうすく侍るのこそと、返々心憂侍り。しかあれとも、よひ暁の心のすむ時は、野寺の鐘のつく/\と思出され奉りて、そゝろに泪のもれ出るに侍る。哀貴く是はかりの心なりとも、やかて、暁の鐘のこゑよりして、打つゝきさめぬ事にて侍れかし。何とあれはか、心にかはりて、世を秋風の身に入て思離るゝ人もいまそかるらんと、浦山敷覚て侍れは、縁起難思の徳はさりともむなしからしと、憑母敷覚て侍り。けに、心のすみ居なん後には、いかならん友にましはるとても、なとかは可乱。ます/\こそすみ侍らめと、ゆかしく侍るそや。此世にははかなきつふねの僧の姿にてこそをはすとも、今は安養界の聖衆につらなりましますか。又、碧落遥へたゝる都率陀天の雲の上にもや生れ給けん。又、さもあらす補陀落の南の岸にいまして、大悲の法文をいつも耳にふれ給ふ聖衆にもやましはり給ふらん。御形代は独浮世の中に残て、旧き情をとゝめ給へり。けに、いとゝ哀さやる方なく覚て侍り。   <巻三第九 貧俗遁世> 過にしころ、紀伊国の方にまかりて侍りしに、かつらきの山の麓に、よもはれ渡りたるか、風なともさしもいたむへきほとにもあらぬ所に、浅増きいほり有。たゝ身一をかくすへき程にこそ侍れ。哀にて見侍る人なし。あやしや、此所に、すみける人も、已に思離るゝにこそと、哀に覚て、暫休みして侍るに、けしかる男の五そちはかりなるか、とかく構て、峰さまにのほりたるめり。見侍れは、さむき空に袖もなき帷をなん肩にかけゝるか、此いほりに入つゝ、打休みて、いねたり。こはいかにとあやしくて、委尋侍るに、我、世中に侍りし時、類ひもなくまつしき身にて侍しかとも、物の職になんかゝりて、むさほりすき侍りしほとに、なすへき物きはまらすして、人のいたくけはしく、恥々と申しに、爰にてもろともに、いたつらにこそなりなめと思ひ侍しか、倩思へは、しはしかほとの世の中の名をおしみて、後世を徒になし果ん事の悲く覚侍りしかは、日比すみし家をなん、其かたにわきまへて、妻子はなにとしても世をわたれと思ひて、かくまかりなるに侍り。今はかしこくそ、かくうきふしの有て、世をすてゝけり。さるへき知識にこそと思ひ定て、うれしく侍り。本とりなんきりたく侍れ共、たれそりてくるへしともおほへぬまゝには、よし/\心たにもすみなは、さまはとてもかくても侍なんと思ひて、すてに七ケ廻をへて侍りとなん語聞侍りしに、余に哀に覚て、さまもしられすいほの前にふしまろはれて侍りき。さらは、かみそりて奉らんといひしかは、それはよく侍りなんと聞しかは、かみそりて侍き。けに有難かりける心かな。人の習、我か身のひかみたるをはしらす。人のとかく云侍るには、心に怨を結て、立所にいたつらになしいつる物なるを。仇なる夢の中の、しはしかほとの世中には、名をもうつめかしと思ひのとめてまゝに、未進をわきまへて、いとをしく悲き妻子をふり捨て、人も問こぬたかまの山の岑の白雲に臥て、明暮弥陀の名号を唱けんは、今一きは仏もいかに哀と見そなはし給けんな。所のありさまもいたくすみて覚え侍り。見侍りし比は、神無月の十日あまりの事に侍れは、月はかけする木ゝの無れとも、はれくもる光は一方ならて物哀なるを、木の葉かくれに行嵐の、かれのゝすゝきに、弱りて、そよめき渡り世を秋風のはけしくて、泪に染る紅葉のもろくちるさまなんとにも、無常思ひ知れて、哀なるそや。されは、義浄三蔵は好て所を求めよと宣ひ、知朗禅師は心は所によりて、すむなんとこその給ふめれと思出されて、哀にも侍る哉。猶々、此男の発心、まめやかにやる方なく哀に侍り。あやしの身にて、何とて、此世はかりそめのわさ、来世はなかきすみかとは思ひけるそや。可然先の世にたくはへける善種の縁を得て開けるにこそと、いみしく侍り。み山おろしに夢覚て、西に傾く月をは、心とこそなかめ侍るけめと、返/\ゆかしく思ひやられ侍り。   <巻四第一 真近別母発心> 中比、相模国に土肥と云所に、平三郎真近と云弓取侍りけり。いとけなかりける時、父は身まかりにけり。其後は、成人になるまて、母のはくゝみにて、世をなんすき侍りける也。いみしく心猛て、戦場の庭に一陣を懸すと云事侍らさりき。しかあるに、三十三と云ける年、はからさるに母におくれ侍りぬ。残留て歎悲も、理にも過たり。兄弟と云物、又もなかりけれは、父母のあと、わく方もなく譲得ぬるに付ても、悲のみ覚え侍りけれは、法師に成て、七日/\の仏事をなん、心に入て訪聞ける。かくて、五旬も馳過るにも、哀は、いとゝうき身一に積心地の覚て侍りけれは、我屋敷の後に、五間四面の桧皮葺の堂いみしく造営弥陀の三尊目出かさり奉て、ありとある田園皆法華三昧つとむへき布施に思当て、我か身はあさの衣の墨染にやつれて、いつちともなく出にける。後には終に行末もしられす侍りと、伝承に、哀さやるかたなく覚え侍り。まことにおやこの情はわりなくて、いくほとなき世の中にも、おくれ先立わさをふかく歎めれと、日数むなしくうつれは、思ひははるゝ末も侍り。又、歎はやまされとも、うつりし人の後世をこま/\と訪なんとする人たにも、希にいまそかるめるに、思深て仏を造堂を立て、財をさなから三昧の布施にむくふるたにも有難く覚え侍るに、身をたになき物となして、かきけち失にけん心中、けに/\有難そ侍る。凡、悲母の恩の深事は、仏たにも一劫の間には説尽し難とこそ、仰せられたむめれは、つたなき我らいかてか其きはまりをはかり侍へき。始て胎内にやとりて、十月身をくるしめ、百八十石の乳をすいて、朝夕の間をつゝき、ひさとひさの上にて遊て、百度母のゑみを垂て養立し有様、有は有に付てくるしみ、無は無に付ていとなみて、成人となるまて、能哀みをたれられ侍る恩いかはかりそや。はかりて云へきに非す。しかあれは、いかにも孝養報恩の志を致はやと思ぬれと、深く身にしむ心のなきまゝに、さてのみ日数もつみぬるそかし。いきて此世になからへ給ふ父母にたにも孝行の思はおろかなり。况や、うつりし後は、只しはしの程の歎にて、色の藤衣ぬきかへぬれは、さてのみこそ侍る事なるを、此人の、思取てさまを替、すみなれし郷を離れて流浪し給けむ、貴さやるかた無侍り。ことはりを弁ぬる人すら、かやうの事はいまた見え侍らぬを、いかにとて、東夷のあらけなき心に、かくまて侍りけるそや。けにむつましかりける人にこそ。さても今は何の浄土にかいまそかるらんと、返/\ゆかしく侍り。   <巻四第二 良縁僧正 近比、志賀の中将頼実と云ふ人いまそかりける。餝おろし給て後は、今橋の僧正良縁となん聞え給へりしは、冨家の大殿の、法性寺にすませ給ける年のなか月はかりに、彼御所の前に、めつらかなるみとり子を紅梅のきぬに押裹て、衣にかく、  身にまさる物なかりけりみとり子はやらんかたなくかなしけれとも と書てすてたる事侍りけるを、殿聞召して、哀とおほしけるにや、父母といはん物は必尋来。ひとしく哀へしとて、御所にてなんそたてさせ給て、中将まて成り給へるなるへし。かくて志賀と云山里になんすみ給ける比、夕暮かたに、あさまとやつれたる僧の、ちかく家を出にけると見えて、月しろなとあさやかに見めり。中将、折ふし仏の御前にいまそかりけるか、見給て、いかにいつくのものにかと尋給ふに、いさゝか申入へき事の侍るなり。委は此文に聞て侍るとて、なけおきて去りぬ。中将、何ならん、思懸ぬわさかなと、不思議に覚て、いそき文を見給に、我はかたしけなくも殿の父にて侍るなり。平らかに身身とならせ給しかは、いかにも身にそへ奉はやとおもひ侍りしかとも、すへきかたなくまつしく侍りしかは、あはれとをのつから見そなはす人もやと思給て、すてたてまつりしに、今又かく成出ていまそかれは、かしこくと、返々うれしく侍り。かなしなかにもと思ひて、身にそへ奉りたりしかは、目出果報の程はあらましと覚侍り。扨も、夫妻ともに女形、うき世の中をすき侍りぬるに、此廿日余の、さきに彼におくれ侍りぬれは、後世を訪はんとて、かくまかり成て、所も更に定めす、母の後世をとひいませかしと思てなん申すに侍りと書たり。見るに心も身にそはす。されは、をはしつるは父にていまそかりけるにこそ、母堂のうせ給になん、家を出て、流浪の行者と成給にこそと、悲く、覚侍りけれは、妻子にいとま乞給ふにも及はすして、いつちともなく足にまかせてをはしける程に、大和山城の堺の、河風さむし衣かせ山とよみける、泉川の北のはたに、夜のほの/\とするになん付給に、さて、河のはたてにて、手自本鳥切て、水になかしつゝ、興福寺の千覚律師の東北院へ立入て、かしらおろして、法名授かり給て、広く国々修行して、父母の後世を訪て、法のしるし共あまた施して、目(出)智者にてなんいまそかりけれは、僧正まて成給ひけるなるへし。此事、おろかなる心にも、哀さ身にしみてやる方なく侍り。人の習、我身世に有て、父母の後世を訪ひ功徳をも造らむなとこそ思ふめるに、更行末いとゝさかふへき栄華の藤の華を思捨て、やすくもやつれ給へる墨染の袂に、道しはの露払つゝたとりありき給けん心の中の貴さをは、争三世の仏達のみすこさせ給へきと覚侍り。むつましく覚給し妻子にも、又かくともいふ事なく、ゆふされの空に走出給て、夜もすからいつちともなくおはしけん、けに/\とかくいふへきにあらす侍り。又、此父母の心優にして情のふかさは、昔より今まてあるへしとも覚えす。身にまさる物なしと書て、すてぬるこのかくさかへんには、我こそ父母なれと云て、尋来る人も有へし。又、ことの葉に付て、ほのかにそれよとしらする族も侍るへきに、露しらすしてすくしけん、有難そ覚え侍る。母の身まかり、父は流浪の桑門と成て、後世問給へとて、文をなけをき去けん心の中、返々もゆかしく哀に侍り。いたくよもくれたるしなの人には侍らし。歌はよみ人不知とて詞華和歌集にのれる。彼集を披たひに、此歌の所に至て、すゝろ涙のしとろなるに侍り。けに哀なるわさかな。何にたとゑん世中をこき行舟の跡の白波、秋の田をほのかに照すよひのいなつまに事寄し、あめの下にはかなくあたなる物、身にまさる物なしとて、腹かきわけて生めるみとり子を、空をあをきて捨けんは、おろかなる心ちして覚侍れと、閑に思へは、後問さりけんに、心もいとゝすみておほえ侍り。   <巻四第三 西道発心 過にし比、紀伊国ゆらのみさきを過侍りしに、渚近く釣船漕寄て、四そちにかたふき、五そちはかりに見え侍る男の、舟の内になき居たる侍り。何なる態をうれふらんと、哀に覚て、深く水におり立、舟はたに取懸て、いかに何を歎らんと云に、此男、泣/\聞ゆる様、是は釣する者に侍り。只今、この浦にて殊に大なる亀のつられて侍りつるを、殺さんとし侍りつるに、亀左右の眼より紅のなみたをなかして歎けなるかたちの見え侍りつれは、あまりに悲て、ゆるして本の所にはなたんとし侍りつるを、つれの釣はりにて目をつきて侍つれは、くるへきまとゐつるか、余に身にしみてかなしく覚侍りとて、舟よりとひおりて、はまにあかりて、ねかはくは、かしらおろしてえさせよといふを、いかゝとためらい侍りしかとも、けに思ひとりて見え侍りしかは、かみそりて侍りき。扨、我にともなふへしとて、それより具足して、高野粉川まいりありきて、終に都にのほりて、西仙聖人の庵に引付、発心の因縁なと語り奉り侍りしかは、哀なる事かな。堺は南西に替といへとも、かれも釣人我もつりうとなる哀さよ。よし/\是におはせよとて、行すまして侍り。今目出後世者にて、西道となん云めり。物の哀をおしむことのかはゆくもおほえす、いける類をころすはまことの罪ともしらされはこそ、四そちあまりまて、網引釣し侍りけめ、いかなる亀の、今更よりきて、おとろかぬ心をもよほしけん。血の涙なかすわさなとは、実に、時にとりて身にしむほとの事なれとも、たちまちにうき世をこりはてける心は、たれはかりかはいまそかるへきと、けにたゝ事ともおほえす。仏菩薩のいさゝかのたよりにて、善種を顕はすへき人と見そなはかさせ給て、亀とけしてつられましますにやとまて覚て、其事となく泪のこほるゝに侍り。地に倒るゝ物は地に依て立と云事あり。実なるかなやと覚て侍り。釣人と成てたうれはてぬと見えし人の、釣に依て倒ともなけれは、又、何のゆへに立へしとも覚す。あはれ、倒るゝ所をしりて立なはやと覚て侍り。抑、いける身の命を惜事、をしなへて皆等しかるへし。只宿報つたなくして、鳥獣と成ぬれは、物をいはぬにはかされて、思ふ心のうちをも不知して、是をころして我身の世を渡らん事、返々をろかに無慙なるへし。しかのみならす、是を食にもちゐる、又放逸なり。まさしくいける物なりしをと覚たり。しかし、鳥獣のたくひを口にふれさらんには。是を食すれはそ殺するつみ食つみみな積集て、此世はやすき侍らん事の悲さよ。たゝ物をおほくくひて、いたつらに過たにもをそろしきにや。されは、舎利弗は、一口二口くへとの給ひ、龍樹菩薩は、粮すくなくて、あせ、多し。いかにもつゝしめと侍り。仏は一粒の米をはかるに、百のこうを用たりと侍。さ様におほくの煩積重ぬる米を、日のうちにいくらはかりか食し侍らん。是をくひ、身をたすけて、いくら斗の聖教をか披き見つると、かへす/\あさましく侍り。   <巻四第四 範円事、別妻 中比、筑紫の横竹といふ所に、範円聖人といふ人いましかりけり。智行ひとしく備はりて、いきとしいける類哀給ふ事ねんころ也。観音を本尊として、常に大悲の法門をなん心に懸給へり。いまた此聖人かさりおろし給は(さ)りける前は、吉田中納言経光と申と申けり。帥に成て、筑紫下たまひける時、都より不浅覚給へりける妻をなんいさなひていましけるを、いかゝ侍りけん、あらぬかたにうつりつゝ、華の都の人は、ふ(る)めかしく成て、うすき袂に秋風の吹て、有か無かをも問給はす成ぬるを、うしと思ふ乱のはれもせぬつもりにや、此北方なん重く煩て、都へのほるへき便たにもなき、病はおもく見えける。とさまにして都にのほりなへと思侍りけれとも、心に叶ふつふねもなくて、海をわたり、山を越へむやうもおほえさりけれは、師のもとへかく、  とへかしなおき所なき露の身はしはしもことの葉にやかくると と読てやりたるを見侍るに、日来の情、今更身にそふ心地し給て、哀にも侍るに、又人のはしり重りて、すてにはかなく成せ給ひぬといふに、夢に夢見る心ちして、我身にもあられ侍らぬまゝに、手つから本鳥切て、横竹といふ所にをはして、行すましていまそかりかる。彼所は、前は野辺、・蘭茂成て風に破れ、虫声は草の根毎にしとろなり。後は山、颪より/\音信て、松葉琴をしらふ。右は海漫々としてきはもなし。左は清淵河岸高くして、岩打浪くたけつゝ、ほのかに聞え侍り。かゝる所に身(一)かくすへき庵引結、左のいたの月輪より、香煙ほそくひき、空に紫雲のたねをまき、念仏の声閑にして、西に聖衆の迎をまちておはしましけるか、天承の比、うせ給にけり。実/\いみしき往生し給ひけると、哀にも、貴も覚て侍り。実に、昔芝蘭の契こまやかに、階老のむつひさこそわりなく侍りけめとも、うるさき情の色にうつりて秋風のふき重ぬる人の身まかりけるに驚て、さしもすてかたき此世を離れんと思ひなり給へる心のうち、返々有難侍り。都にもいとをしき子もいまそかりけん。又今なしみ給ふ妻もさこそ難離く侍るへきをふり捨て、わく方なく後世のかてをいとなみ給ふ、うるせき心はせなるへし。されは、此失給し北方は、或旧宮の御娘なり。何なる契にか、此中納言具て互の契不浅侍りけれはにや、はる/\筑紫まてに下給へり。しかあれは、おほろけならていさめ聞え給ふへくもあらさるを、思ひ捨給も、可然うき世の中を離れ給ふへき縁にてこそ侍けめと覚て、いとゝ哀に侍り。此歌はよみ人しらすとて詞華集に入れり。さやうの宮なとの、帥にいさなひて西国に下給なと戴侍らん事の、さすかに覚て、読人不知とは入給ふにこそ。就其、哀に定なき世中かなとよ。忝もいすゝ川みなかみ清流にていまそかれは、国母・后にもあふかれて、三千美翠のかんさし、玉冠のかさりあさやかにて、もゝしき九重の上下にいつかれさせ給ふへき御事なりけるに、帥中納言に具足て、華の都を立わかれ、八重のしほちに日数へて、登も下り、下も登る舟のうちに、浪になみしく袖の上に、旧里に馴にし思かけいくゑかさぬる月を見て、身をつくしする甲斐もなく、いつしか秋風の袂にかよひて、涙の露のしとろにて、置所なく失はてゝ、うらみしと思ふ心の、我身は流石捨かたくて、とへかしと書絶し悲さよ。扨も、なからへはて給はさりける物故に、あにはかりきや、台をすへりて、中納言に袖をかはすへしとは。かけても思ひきや、すみし都を離て、辺土の蕀の下に朽給へしとは。盛衰はうき世のなか、宮もわらやもはてし無、とは聞とも、哀に悲き事、今更心にあらたなり。をき所無歎給ふまては、此世を去給ふへしとこそ覚えさりしか、出る息引いきを待ぬは無常なりとしれとも、かくまて速なりとは、人の思はさるにこそと、返/\もはかなく侍り。哀、けに無常の。心にいつもひしとそみて、我身に思を不留、此世をしたふ事のなき心のつきねかし。しからは、吹よき吹すきする風に付ても、無常むねをこかし、南枝北枝の梅、開落異にしてうつり、田地に氷消て芦錐短、新柳風にかみけつりて、旧苔浪ひけをあらふ。四季の替にも無常は心にそ深くしらるへきと覚て侍り。すはやゝう剋すてにうつりて、ゑん頭になりぬるは。ひつしの歩、我身<に>つもるをは不知とおほえて、身なからをろかにも侍かな。   <巻四第五 顕基卿事 昔、中納言顕基と申人いましかりける。後冷泉院の御時、朝に仕給て、寵愛いやめつらかにして、多の人を越なんとして、二しなの位にのほり給へりけるか、常は、林下の戸ほそをもとめて、世をのかるゝ心深なんおはしけるなん。しか有を、心離るゝ縁の未尽、やり給はさりけるに、御門はかなく成せ給しかは、中納言、天台山に登て、かしらおろして、大原と云所になん行すましていまそかりける。朝につかへしそのかみより、たゝあけくれは哀罪無して、配所の月を見はやとて泪をなかし、古墓何の世の人そ、姓と名とを不知、年々春の草のみしけしと詠して、けしからす泪をなかしけるとかや。目出行すまして、智行世に聞給へりしかは、宇治の大殿、結縁あらまほしく思召て、彼大原にみゆきして、中納言入道のいほに一夜をあかさせ給て、御物語の侍りけるに、此世事をは、かけふれ聞給はて、後生の事のみにて侍りけるなり。暁になりて、今はとて出させ給へりけるに、入道、いほの外に見をくり奉て、子息にて侍る俊実は、不覚のものにてなん侍りとはかりそ申されける。世を捨給へとも、恩愛の道の哀さは、俊実の卿を見すてさせ給ふなと被申けるにこそ。されは、宇治殿の御哀にて、大納言按察、心のまゝに被懸けりと承侍き。さて、中納言は、草のとさし閑にして、いひしらす目出往生をし給へり。遊心集に載られて侍りしを見侍りしに、其事となく涙のをちて、あやしきに、発心の始、ことにすみて覚え侍り。忠臣二君不仕と云。世俗の風儀をまもりて、餝をおろし、大原の奥に居をしめて行給ける、いと有難そ侍る。所から殊にすみて覚侍る。長山よもに廻て、僅に瓜木こるおのゝ音の山彦ひゝき、峰のよふことりのひめもすになきわたり、秋の草門を閉て、閨に葛のしけりて、虫のこゑ枕の下に聞えけん、さこそ心もすみていまそかりけん。たゝ、人はいかにもこのむ所をもとむへきなり。心は所によりて可住にや。彼印虫の竹林寺、波羅提寺、もしは跋提河、尼蓮河なとのすめるさまを聞には、かしこにそゝろにすみたく、唐土の江州終南山、芦山の恵遠寺なとの閑なる様を聞には、かしこにすむ身となとかならさりけんと、口惜覚侍り。大原小野里、吉野の奥のすまゐこそあらまほしく覚て侍れ。罪無して、配所の月を見はやと願給けん、けに/\哀に侍り。元和十五年の昔、思出されて、心の中そゝろにすみても侍るかな。旧世の墓其性名を不知。年のうつる毎に、春の草のみ生て,古き率都婆、霧くちて傾き立る様、思入て見侍は、そそろに哀にも侍るかな。しはしは名をはうつまねとも、それさへすゑは、訪きさみし率都婆も跡形なく、同上に焼上、同蕀か下にうつみ重て、やけは煙とのほり、埋は土と成さま社、身にしみて哀にも思給けめと思はれて、今も又涙のいたくおち侍る。大原の奥のいと薄、露のよすかの秋くれは、さもこそ玉のをゝよはみ、すゑ葉にすかり、かたふくらめと覚侍り。   <巻四第六 慶円事> 過にし比、こし<こしち>の方へ罷侍しに、舟さか河を舟にてなんわたり侍りしに、よわひはたちの内に見ゆる僧のあてやかなるか、さしも寒き空に、ひとへなる白帷一に、きぬのひとへなる衣きたる僧の、舟の中にて人目もつゝましけなる侍る。いかなる人やらんと哀に侍りしかとも、とかく聞え憚もそ侍るへきと思ひて侍る程に、此舟さしの、かいをもとらて、水に任て舟をくたし侍りしかは、無何かく、  みなれさほとらてそくたすたかせ川 と詠て侍りしかは、此にありつる僧のかく、  月のひかりのさすにまかせて と付て侍りし哀さに、とりつゝきて、いかに、いまた無下にいとけなくをはするに、たゝひとり、いつちとてかくいまそかるらんと尋侍りしかは、さしていつくと所もさためす侍り。我はならの京、東大寺にすみ侍り。大臣得業慶縁と云ものに侍と云て、後はついにの給ふ事侍らさりき。さて、こし地のかたへこそ越おはし給へりししか、さやうの人のいかなる事にてか出給ふらんと、いふせく侍りしかは、またのとし、東大寺にまうてゝ侍りし次に、俊恵法橋にかゝる事なん侍りしは、いかなる事にか侍りけんと尋奉しかは、さる事あり。さて、あひ奉り給ひけるにこそとて、雨しつくとなき臥給へり。やゝしはらくありて、泪のこひなとし給て、大臣得業慶縁とて、東南院の遺弟、久我大臣の御子に侍り。年はいまたいとけなくいまそかりしかとも、いつしか内外の才知ほからかにして、華実備給へりしか、此三とせのさき、神無月の比、暁俄に失給へり。  この世をはおもひはなれんとはかりにおもへはかねのうちさそふなり と、常におはしける障子に書付てなん出給へり。其後はふつと見え給はす。今迄も哀なる事にはかねのうちさそひてなとして忽合侍るなりと語給しに、哀さ身にしみてやるかたなくて侍りき。くれ竹のまた二葉にて、よゝを篭るふしのひあさき程のいとけなさに、思立て出給けん心の中、返々貴も侍り。なにとなく年もたけて、よろつ思入るゝ程の人たにも、思ひなから、なれぬるすみかのはなれかたく、行へきさきのいふせさに、さてのみはせすきて、いたつらと年のみたけぬるは、人のならいなるそかし。しかるを、此得業の、世を思はなれんと思ふかねに、暁の鐘の打さそひけるに、いまさらこゝろのもよほされて、村雲まよふ神無月、あらしはいとゝはけしく、時雨は旅の物憂に、はにふの小屋にたにも腰もやすめす、殊にさえくらすこしちのかたをさして、霜をかさぬる雪の上に、かれのゝ原を草枕として臥給けん、世を捨といひなから、返々もいとをしくおもひやられて侍り。おろ/\の心にては思ひたち給はし。世々へたる五戒十善のよき種々、この世のつとめにうち具して、はや世を秋風の身にしみて、此身を身とてをしむへきには侍らさりけり。惜とも甲斐あらし。かきり有命のつきなん後は、いたつらにくちはてゝ、鳥部舟岡のけふりとものほり、もしは野徑の土ともなり、或は虎狼の為に食せられて、心はかりこそ無常の殺鬼にはとられ侍らしめ。しかあれは、此身はたゝしはしかほと心をやとすうつは物也。何とてこれに思ひをとゝめ侍るへき。六趣形しななり<也>。いくたひか鳥獣とも成侍りけん。其時は又、鳥の形をこそ愛しそめ、今又此身を愛し侍りて、かゝみの影を見て、にくからぬかたちとひとりおもひおれる心のみいつわりに<し>て、又悪趣にかへり、さてもやみもせぬいく万のかたちをうけて、明暮くるしみをうけて、独かなしみひとりなけきおれらんは、いとゝはかなかなるへし。はや此身<身を>おもひ捨て、我身ををし<む心をはなれはやとおもひ侍れと、いかにも身のうき雲のあつく(近衛本〔岩波文庫〕による)>そひきて、本有の月あらはれかたきにや、都て此心の付侍らぬそとよ。いかなれは、いとけなくして、行末はる/\とおい出、三千の禅徒にいつきかしつかれ給ふへき人達の、身をなき物にし給て、かきけち、いまそかるらん、何にかゝるとしもなき老法師の、たゝ心のまゝにあらせて、空この世をくらさんすらん、口おしく覚え侍るそや。   <巻四第七 明雲僧正庵室・淡路国> 以往。淡路国にしはらく徘徊し侍りし事ありしかは、其国見ありき侍りしに、藤野の浦と云所侍り。前は南向海漫々として〔い〕きはもなし、後は北山けんそにして、今にさかしき所侍り。渚にそひてひかたをまもりて、彼所にはいたるに侍り。おほろけにも人のかよふうらにも侍らす。しかあれとも藤野といふ名の、無何むつましくおほえて侍りしかは、たとる/\罷りて侍りしに、あやしくあさましきいほりのやふれて残侍り。めつらかに覚えて見侍りしかは、庵の主は見え給はて、墨染の袈裟と硯とはかり見え侍り。傍なる板に、北嶺禅閣大僧正明雲の室也と被書侍。扨は此所に住給ふ世のおはしけるよと、哀に賢く覚て、そゝろに泪の落侍りき。いまた此所を出給はさりけれはこそ、硯、袈裟をは残し置ていまそかるらめと思侍りしかは、其日の傾まて侍りしに、夕に成て、僧正山の上よりいまそかり、山桜の華をなん手折給て下り給へり。こはいかにとよ。何とて尋いたりたるにや。都のかたになにわさの言の葉か侍らん。今は天台を離て、かくて侍らんとこそ思ひとりたれとの給ひ侍りしに、御返事申迄にも不及、随喜の涙せきかねて侍り。其夜は御庵の傍に侍て、何となく木<述>懐とも申出て、互に袖をしほりて、さて有へきにも侍らさりしかは、なく/\わかれたてまつりき。公家にも被用、寺にも重くし奉、よろつ執務していまそかりしかは、さきらはいまそかりとも、大方にてこそいまそかるらめ。〔と〕わきて身にしむまては、後の世の事おほし入給はしと、此日比は思けかし奉りけん事、浅猿ともおそろしきわさなるへし。けに何とあるやらん、高位にのほり給ふ人はいかにも情のわりなく、道心なともいまするそとよ。ゆ〔かた〕たかなるへき人そ、かやうにこそ後世を恐れて、人もなきさのほとりに行て、立浪、吹風に付て、無常をも観せさせ給へるに、何をするともなき、つたなき人のいたつらとあるまゝに、その事なき偽をかまへ、あるましき事のみを思て、ます/\流転のきつなをおほく我身に付て、此身を引損するわさ哉。うしと云ても、なお余はおほかるへし。されは閑におもひめくらし給へ、昔さかり有し人も、今は衰へ、昨日目出かりし姿も、今日はやつれ、あすか川のふちは瀬に成、せは又ふちと成、木草もおなしく、かれのゝ原となり、山もかれ、海もあせぬる世の中に、きはまりてあやうき身をもて、何のいさみかあれはか、こゝすみよしと思はん。いとをしく悲き妻子も、そひはつへきにあらす。つゐに別れの期あるへし。たとひ、万年か間命を保て侍りとも、別の悲く、命のおしかるらん、をしなへて、いつ(れ)もひとしかるへし。さて心とかゝるうき所にとゝまりて、かなしみをうくる事を、なとうしと思ふ事のなくて、きのふもすき今日もくれて侍るらん。あしたにもきえすして、夕へに及まて、命のなからへ侍るをは、けに不思儀と思へきに、いつまてもあらむするやうにのみ思て、後世のわさをは露斗もおもはて、いかゝして夕への煙を立、朝を向るたよりのあらんするのみ東西にはしり廻る姿、けに思入て見侍れは、哀にも侍るかな。   <巻四第八 慶祚事・三井寺> 昔、三井寺の禅徒にて慶祚大阿闍梨と云人いまそかりける。知行共備て、月輪観をこらし給けるには、彼いほの松の木の上に、明浄なる月顕れ出給て、まのあたりおかまれ給へりけるとかや。このあしやり、道心深くして、昔尺尊の御法とき給えりける鷲峰山、祇薗精舎なとのゆかしく覚給えりけれは、日数へてわたらんするいとなみの侍けるには、我もともなひ奉らんと云人、五十余人に及けるか、播磨国明石の浦迄は、卅人に落成給へり。筑紫にては、皆落給て、たゝ阿闍梨と心寂公とはかり二人に成給えり。宇佐の宮にまうてゝ、舟路の程哀を懸させ給へと祈給けるに、神明中天竺の仏法は跡もなし。祇薗精舎は虎狼のふしと、白鷺池は草のみしけり、流砂もはけしく、葱嶺も昔に似す、仏法すへてかたなし、思留れとそ御託宣侍りける、仏法の衰にける事を悲みて、阿闍梨も心寂も其よりかへり給へりけり。けに、心憂き事かな。我身のまいらぬまても、昔御法とかせ給し所々の仏法も盛に侍ると聞ものならは、たのもしく侍へきを、鷲の御山もあせ、白鷺池も草しけり侍<侍る>らん、いとゝ悲しく覚侍り。昔、玄弉三蔵の渡天し給て、普く百三十ケ国経廻せ給へりけるに、大乗流布の国は僅に十五ケ国とこそ、承はり侍り。それたに今にうせにけん、悲さやるかたなく侍る。人の心の浮雲にそらかくれする月とこそ常在霊鷲山の心をは、歌にもよみたれ、けにかくれはて給へるかとよ、今更かなしく侍る。されは、日をへて仏法はなくこそならめ、法燈の、風にほのめきて、僅にかゝける時、いかにも生死を浮出るはかり事をめくらし給へきにや侍らむ。   <巻五第一 永昭僧都事> 昔、山階寺に、やうことなき智者にて永昭大僧都と云人侍りき。唯識因明を明にせりとそ。世を背心深して、寺のましはりうるさく覚て、権長官まて至り侍りけれ共、本意ならす侍りて、人にも智られ侍らす、かきけつかことくして跡を暗くし侍りけれは、弟子共、さわき迷て、かしここゝ求尋れ共、さらに見え侍らす。かくて日を重けれは、弟子共も、ゆふ甲斐なく覚てちり/\に成ぬ。此僧都は、信濃国木曽と云所に落留まり給へり。或時は、山深く思入て、常なき色を風に詠、或時は、里に出て、便なきひなのすみかのとほそに立寄て、水をくみ薪を取て与へなとそせられける。何なるよしある人やらんといへ共、法文の方には、もてはなたるさまをそ振舞給へりける。玄賓の昔の跡に露もかはる事侍らす。山田をもるわさはいかゝ侍りけむ。つふねとなりて人に随ひ、みなれさほさして人を渡すいとなみは、めつらかなる事にも侍らさりけるとかや。なにわさにつけても、いかに心のすみていまそかりけん。世のましらいのうるせかりけれは、一挙万里によちて徳をかくして、世の中のことくさ(を)せしめて、いきとしいける類を、哀み済度し給けむ、いと/\有難く〔持〕侍るめる。凡、此人の有様、物さはかしきをもわひ給はす、人に交れる事をもとめ給にはあらさりけり<る>なめり。しかあれは、なにとてかつふねともなるへき。只山深くこそをはすへけれ。心のすみなん後には、何すちの人にましはるとても、何か露はかりもけかるゝ心侍らん。まつしきを見てはなけき、とめるを見ては悦ふ。憂喜の思ひたにも心にわすられぬる上は、其外の事、あにかへりみるへしや。此僧都最後臨終の有さまいかゝ侍りけん、返々ゆかしく覚ゆれ共、其おはれる所を不智。今は何の浄土にかいまそ〔う〕かるらん。殊にしのはしくこそ覚侍れ。   <巻五第二 近宗発心・依妻女嗔> 昔、頼義か良等に大瀬の三郎近宗と云者侍り。むらなき高の者にて侍りけり。頼義に(具て)貞任を責ける時、多のものを害したりける罪を思て、常には心を澄して念仏をそ申ける。かくて年月をすくす程に、可然善知識にや侍りけむ、日来つれたりける女、さしもの事もなかりけるに、けあしく腹立て、瞋恚のほのをおひたゝしくたきあけたりけるを見て、けうとく浅猿くて、いつち共なくまきれ出て、手自もとゝり押切て、処々しありきて、念仏し侍りける也。善悪につよかりける心なれはにや、道心よきりなく見え侍りける也。あちこちさそらへ行けるか、こしち方に落留て、人もといこぬ山中に、僅なる草のいほを結て、彼に居をしめてけり。きたるあさの衣のまとをなる外には、露はかりも物も侍らさりけり。あけくれの食事、人の哀にて、とかくしてそ過ける。或時、人の食をもちて行たりけれは、今日よりも五日はさしな入給そ。ちとつゝましき事侍りといふ。さら成り。ことうけして、約束のまゝに、五日さしも入侍らす。かくて五日すくるやをそきと、六日の朝かの所へ行て見けれは、西にむかひてをはりけり。其姿いきたる人のこと<し>く。真に有難かりける事には侍らすや。理をわきまへる人すら、此かせきはさりやらぬわさなるを、思はかりなき身にて、瞋恚を厭て、すみなれし堺を捨て、山深く思入つらむ心はせ、こと/\たとへも無そ侍る。大方、随心浄処即浄土摂と説れ侍れは、心たにも澄なは、浄土そかし。しかはあれ共、何の所も浄土にして、なしかはなれと、みたれやすき心の澄かたきには、悪き堺、悪友に合なんには、なにとてか乱れさるへき。我は嗔不起とねんし侍れと、人故なく腹立には、又我も起る事にこそ。しかれは、是を振捨て、智ぬ所にも行へきを、心よはき<さ>の顧<願>は、こゝ住吉と思はねと、我ときさせる思ひうせやらて離へぬに、思ひとりけむ心なれは、何とてかは仏の御心にもそむきたてまつるへきと、むかしのあとを思ひやれは、唯今もさる心のつけかしと思はれて、涙けにところせきまて侍れは、縁起難思のかきりならむと、いとゝたつとく侍る。   <巻五第三 内記入道事> 中比、内記入道保胤と云人いまそかりける。朝に仕しそのかみ、心に慈悲深て、いきとしいける類をは哀給へるわさ、父母の一子を思へるに過たり。或時、種々の食物をいとなみて、常にかはれける犬に給ける程に、憐<隣>より異犬のきてまもりけれは、又同やうにして、給けるに、此犬共の、一つひの飯を論していかみけるを見給て、これをかなしみ給て、あらい<は>しに御腹の悪くおはしける。其御心はや/\改め給いねとて、さめ/\となき給けるを、慈恵大師御覧して、唯人にてはおはせすとその給はせける。此心はせのおはしましけれは、終に出家して、往生の素懐をとけ給へりける也。殊<に>貴心かな。何とてか、そゝろに無縁の大悲のおはしけるやらむ。何さま物のいとをしく哀なるは、世間の妻子を憐なる心には大に異なるなり。内記入道の万の物を哀むは、如諸仏菩薩、堅固の大悲の深けれは、心の底もすみ渡て、少もたかはす菩薩の御心成へし。世間の妻子を哀むは、貪愛なれは大に迷されて、永く三途の苦果をきさすなるへし。哀心うき事哉。同物をあはれみなから、貪着する事を。法は本無違順。何を別てかにくしと見、何を取てかいとをしむと思はむ。いとをしにくしとおもはれむもの、本来なけれは、思ふ心も侍らし。はやく愛着の思ひをすてはやとし侍れと、ゆかみし心ためかたく、大悲をおこさはやと思侍れと、心のむら雲きえやらて、胸の月あらはれすしてやみなんにや。一挙万里して、山深尋入て心をすまさむよりも、大悲の深からんは、まさりてそ覚る。   <巻五第四 永縁僧正事> 中比、山階寺の別当にて永縁僧正と云ふ人なんをはしけり。知恵の人に勝れたるのみにあらす、六義の風俗をきはめ侍り。或時は、身を禅室にひそめて、心を法界にすましめ、或時は、花下月前に寄居て、詞を和州にやはらく。しつかかきねに卯華の咲そめ、山郭公の里なれしより、人の心情はみて、心もそらになるを、<おもひやりてなかめいましけん、いとなさけのふかくそ侍るへき(近衛本〔岩波文庫〕による)>。或時、相智友達の僧の来て、いかに此御歌は、学問の妨には侍らすやと問奉り侍りけれは、なしかはしからん。弥々心そすみ侍らめ。恋慕哀傷の風情をも詠ては、皆我心に帰すれは唯識の悟こゝに開かれぬ。もと心の外に法なし。唯心のいつはれる也。をのか<心か>心をさはかして、なにと学問の妨とはの給はするそ。いとゝ無下に侍りといはれて、涙を落てのきにけりとなん。唯法文の道に取入ぬ心すら、和歌の道にたつさはる輩は、心の優にて、歎もうらみも、共に忘るゝに、実の法に思入て詠とられけむ、うら山しくそ覚る。哀知恵は外にはなき物を、いつ村雲の晴やりて、実のけんけの出きて、澄る月をみむすらんと、いとゝ心許なく覚え侍る。。扨も三十七尊住心城ととかれたるを聞時は、やかてむねのうちをひらきて、是をおかまんと思ふ心のつき侍りしを、はかなき凡夫の眼、あに尊容を拝し奉んやと覚て、返て愚癡の心をあさけりて、今日も已に暮ぬ。   <巻五第五 或僧対覚尊事・嶋子歌> 中比、駿河国、いつくの者とゆくゑも智らぬ僧のつたなけなる侍り。冨士の山の奥、けしかる庵を結て、やすみ臥とゝはし侍りけるなめり。食物は魚鳥をもきらはす、き物はこもわらをいはす身にまとひて、そこはかとなきそゝろ事打〔立〕<云>て、物くるいの如し。しかはあれと、さす〔る〕<か>なる心も侍り思懸ぬ優事なん云ふ時も侍りける。ある時、覚尊聖、なすへき事侍りて、東路に思立て、なるみ方をすき侍りけるに、此僧よりて物を乞けるを、いかさまにもうちやりの乞食にしもは不見とて、居給へる対座によひすへけれは、露はかりたにはゝかるけしきなく座につき侍りぬ。此聖のとものものも、其里の族も、めつらかなるわさ〔なるわさ〕哉と思へる。やゝ物語きこえて後、扨も実の法文ひと詞承給はらんと聞けるに、此乞食僧打わらひて、かく、  なるこをはおのこ羽風<かはかせ>にゆるしかて心とさはくむら雀かな と読捨て、隠去ぬ。聖あへなく覚て、人をわかちて尋侍れと、いつ方へかいましにけむ、あとたになしとそ。けに、村雀のをのか羽風になるこをゆるかして、ねるこゑにさはくなる様に、心かとにかくに思付、物をわけおきて、かへりてこれにまとふに侍り。此歌は、唯識を思入て読りけるなるへし。いとと貴く覚へ侍り。扨も、この聖のつゐの有様を不智。いかなる山深くすみてか唯識の観をこらし給らむ。かくれたる信あれはあらはれたる感あり。徳をかくし兼て、又は<い>つら共しられぬ堺に至り給にけるやらん、ゆかしかりける人なりけんかし。   <巻五第六 中納言局発心> 待賢門院に、中納言の局と云ふ女房をはしましき。女院におくれまいらせて後、さまをかへ、小倉の山の麓におこなひすましておはし侍りき。うけたまはりしかは、長月の始つかた、かの御室たとり/\罷にき。草深く茂りあひて、ゆきから道も跡たえ、尾華くす花露繁くて、のきもまかきも秋の月すみわたり、前は野へ、つまは山路なれは、虫の音哀に、あい猿のこゑ殊に心すこし。荻の上風枕にかよひ、松の嵐閨に音信て、心すこきすみかに侍り。扨、かの局に対面申たりしに始の詞に、浮世を出侍<り>し始つ方は、女院の御事の常には心にかけて、あわれいかなる所にか、いまそかるらんと悲く覚、誰/\の人も恋しく覚侍りしか共、いまはふつに思忘れて、露はかり歎く心の侍らぬ也。さすか、行<ふ>かひ侍れはや、憂喜のこゝろに忘られぬるなるへし。。をろかなる女の心たにもしか也。年久く世を背、実の道に思立て、月日重給そこの御心の中、いかにすみて侍らむとその給はせし。有難かりける心はせかな。誠に、憂喜心に忘れぬ<れ>は則是禅也と、昔智者の詞なれは、いかにも是を忘れはやと思ひ侍れと、やゝ心と心に叶はてとめやらぬに、此局のわすられけん、けに此世一の宿善をうへ給へるか、聊の縁によりて、おい出ぬる成へし。我はつたなしといゑ共、世をそむく事も、彼局よりは遥のさき也。又都名利をおもはす、偏仏の道にとこそ思ひ侍れ共、はや、彼局の心はせにもおとり侍りぬるはつかしさよと思ひ、帰る道すから、又案するやうは、はつかしさ思ふこそ、憂喜の忘れぬなれと思ひとりぬ。帰て心を<物>たつれは、さては又いかゝせむと思ひかねて、小倉山を出侍り。又其後、三とせ経て後、此局おもく煩ふよし承り侍りしかは、訪も聞えんとて罷たりしかは、はやいき終にけり。西に向き掌を会<合>、威儀を乱すして終にけり。憂喜の心に忘れたりと侍りしは、実にて侍りけりと思定て、泣/\かへりにき。   <巻五第七 西山僧事> 近比、西山の麓に、如形のいほり結て、唯独居たる僧侍り。身にまとふあさの衣の外は、本尊持経より外は、もたる物なけれは、夢にも人の主にしられておかす事なし。法文をしれるよしを示さゝれは、をのつから尋けるわさもなく、いつくの人としられねは、語ひ参る類もなし。いかにしてかは露の命明をもきへけむと、いとゝおほつかなくて侍り。此事、世中にかゝる僧侍りと沙汰し侍りけるを、徳大寺の大臣のいてや、いかなる僧そ、召とてめさるゝに御返事をたに申されさりけれは、御使あやなく覚て、此由を申にいかさまにも様あり。たゝ召てまいれとて、重て人を遣されけるに、このすみかをはひきたてゝ跡形なくそ成にける。さてもとの、内をひらきてみれは、そはのいたくかく、  すき行し方もくやしゝしはの庵わかすみかとてなにたをりけむ と書付て、あとかたなく見えす。此歌の心をおろ/\心得るに、此聖は、いほを我為とてたをりけむをくゆる成へし。すへてなにももたさるに、よしなきかり初のやとを結置て、我身を爰にをく故に、心にもあらぬ事を聞ことのむつかしさよと読にや。此人いかに心のすみていましかりけむ。何もなくは、何とてか露はかりの<執もとまるへき。山ふかくすみて心に(近衛本〔岩波文庫〕による)>執たにも侍らすは、なにとてかすまさるへき。心のみたるは、妻子珠宝のため也。是をみては貪し、彼をみては嗔恨すれは、心やゝ乱て、まことのさとりはおこらぬなるとかや。それに、我身の外には物をももたえて、僅のすみかをさへくやしむ程の心はせ、けに、さそいさきよかりけむ。けに/\うら山しくそ侍る。扨もこの人は、よも又しはのいほりをもむすひていませし。何の山峰、いかなる野のほとりにやいまして、本<ほ>ゐのことくをはしけんと、すきしかたいとゆかしくそ侍る。あはれ、ちかき程の事にて侍らは、さすか世の中は天より外のしたはあらしなれは、広尋て、聊の縁をもむすひなんとそ覚てこそ。   <巻五第八 勝円僧正事> 昔、修学院の僧正勝算御弟子に勝円阿闍梨と云ふ人いまそかりける。知恵のさきらいみしくて、又道心堅固に侍り。住山の折節、冬深く成て、あまた重ぬる袂すら、なを風さむみ身にしみ、床に霜たゝへて、さむさたへかたりけるに<か>、いかに乞食共の、かた全き物もきて、云にひえいねけん、さこそたへかたく侍らめと、深く慈悲を発て、有とある物をさなからひちさけて、一つゝあたへんと思ひて、尋ありかるゝ程に、四の小袖を四人に皆々ほとこして、我きのまゝの小袖一帷一をきて被帰けるに、谷の方におめく声のきこえけれは、何なるらむと、哀に覚て、声を尋ており下り侍るに、うはら足にかゝり、おとろ身をまとふ。かかる所には、さて何ものなれは有らむと覚て、いとゝ涙そもれいて侍りける。からくしておりたれは、莚のやれたるを、僅に腹はかりに宛て、物いわすなきけり。阿闍梨、手をとりていかに/\との給はするに、此上の坊のきわにいねて侍りつるか、此さむさにあちこちねなをらんとし侍りつるほとに、落て皆々うちかきて血おほくあへて、寒いたき事なのめに侍らすといふ。けにもと哀におほえて、我小袖をぬきてきせけれは、同くは其帷をもきせ給へと云ふ。いと/\安しときせられ侍り、我身はさはかりの寒さに、ひたはたかにて、乞食の手を取てそおはしける。かくて夜半もあけむすれは、はたかなるありさま、朝戸あけぬ先にかへりなん。さて、人をおこせむとの給けるに、此乞食いや/\、ふつに思寄す。かへり給なは、長き恨にし侍るへしと云へは、さこそ心弱おもふらめと(思ひて)、傍になきおはする程に、はや山の端しらみて、寺々の鐘の音も聞へけり。此乞食さらは我をおいて、此上へこし給へと云けれは、からうしておゐこしぬ。爰におろし給ねとていふを、いたむ所やあらんと、やをらおろして見返り給たれは、故勝算の行ひふるし奉り侍る十一面観音に、我小袖をきせ奉りてけり。こはいかにと思ふ程に目もくれて、手を合涙を流して、尊容をいたき奉てけり。所は山の麓とこそ思しに、我住所にて侍りけり。やかて三井寺の勝算の坊にそ奉置ける。哀に貴く侍りける事哉。仏菩薩にておはしまさすは、誰かはかくはかり慈悲深からん。慈悲は諸善の根本、諸仏の躰也。若彼心無は、一切功徳更立へからす、発心僻越しぬれは、万行いたつらにほとこすとは是なり。しかれは誰も此心をおこさはやとこそ思侍れと、瞋恚の境界、強に来る時、杖をとりはをくいしはる習、実に無力事に侍り。然るに、此聖、そゝろに無縁の大悲の起けん、殊に貴そ侍る。されはこそ観音の其貴機をかゝみおはしまして、始は憂の姿を化し、終は本の御形を顕給けん、けに世のすゑには有へし共覚へぬ事也。   <巻五第九 真範僧正事> 其比、真範僧正とて、山階寺の貫首にて年久なる人いまそかりける。齢五旬にたけて後に、世をいとふ志深く、本寺を離れ、近江国志賀の郡にたよりよき所に、かたの如なるいほをむすひ、心を修ていまそかりける也。人中にし侍れと、前は野辺後は山路にて、清き滝落て、前に流行さまなんとも、よにめつらかに侍る成けり。其近き辺の人は、此滝をくみけるとやらむ。女童部なとの女をくむとて、何となきそゝろ歌うたひ、すちともなき事をいひつゝ、くみ通る中に、或童部の申、このいほの内に貴けなる聖のおはしけるそと云。そそろ事な聞<そ>はとて、其後、人多集て、見おかみ侍りけれは、我本寺を離侍りし事は、徳をかくして心の底はかりをさまさんとてこそ離しか。又爰にて徳顕けりと本意なくて、いつちともなく迷ひ出て、偏につたなきさまをしてそさそらへありあかれける。宇津の山辺に深く分入て、水のきよくなかれたる河のはさまに、南に向て、ねふるかことくして合掌してそ居られたりける。見に入侍りける物、しか/\と人々に語侍りけれは、まことの道心者にこそ、しかあらは雨時雨をは、いかゝはし給ふへきとて、おの/\さるへきほとに庵室をつくりて、如形の食事はたれ/\も訪聞へむと儀して、又使を山に入て、此事かきくときくはしく聞ゆれと、露返事もし給はす。やゝ久程経て、此使返て、しか/\といへはさらなり。うるせき人々こそ侍らめ。誰々にもいさなゐつれて、かくといはんには、なとかとてあまたつれて行たるに、見え給はす。かくて其後遥に程経て後、其里人なんすへき事侍て、越後のこうを過けるに、此聖町に交てひそめきありかれける。こはいかにと尋聞けれは、鈴をふりて、おしのまねをして物をいふ事なし。かくて見付て侍れは、又海の方へさそらへ行給けるとなん。されは、是は哀なる事哉。昔は、山階寺の貫首としして三千の禅徒にいつかれきといえ共、今は、他国辺鄙のちりに交て、其徳をかうし給ふ事を。百千万の仏を供養奉りてもよしなし。心一すますは、いたつらにやほとこさん。唯夢をさます心のみこそ、けにあらまほしく侍れ。知恵よりおこる道心、なしかはさむる時あらんと、いとゝ貴う侍る。一念随喜者と聞は、さり共と憑しく覚侍り。さても、此真範は、つたなけなる姿にやつれ、又大和国に帰て、三輪<の>麓に東向て、南無春日大明神とて、眠ることくしておはりをとり給へりと、伝には載侍り。道心の深きと云は是なり。我心のまゝなりし寺に侍れは、露はかり恨も無りけれと、実の心のおこりて、遥のさかひに至て、或時は、人もなきさの浦にしほたれ、或時は、山水きよく心をすまし、或は、市に出て無言をしのまねをし、或は念仏をすゝめて、あまねくいきとしいけるたくひを利せられけむ自利々他の行、ことにやことなく覚ゑ侍り。   <巻五第一〇 江州男発心・別愛子> 近比、近江国に男侍りき。財録ゆたかにして、朝には霊沢のうまき味をとゝのへ、夕には神嶺のよき類をつくして・、ともしき事侍らさりき。しか有に、最愛の子なん侍りけるか、病におかされて、医家薬を尽し、陰陽術を極しかとも、露しるしなくて、つゐにはかなく成にき。父母かなしふこと理に過たり。さこそは侍りけめ。かくて五旬漸すきて、此父思ふやう、哀情なかりけるは生死かな。若干の<宝>室、さらに身をささゆる物には侍らさりけり。しかし我仏道に入なむ、と思て、妻にいとまをこひ、やかてもとゝり切て、いつち共なく迷出にけり。深山に入時は、木葉のめくみ散に付て、無常の観をなし、浦のほとりをすくる時は、生死海のはやきことを思へり。かくて、遥に本国を離て、讃岐国といふ所にて、西に向ひ、掌を合て往生し侍りけり。さも浦山しかりける心哉。先何よりも、若干の<宝>室をむさほる心侍らて、かへりてこれをあたとして、浮世を離るゝなかたちとし侍りけむ、有難くは侍らすや。実に、無常といふ事は、至極深甚の法にもあらされは、誰かしらさる、芭蕉の破易蜉蝣のあたなるとは。しかあれと、おろかにしりてこれを不智。さためなき世とは思ひなから、愚癡の妄見の深くおこりて、厭はさるに侍り。哀、冥官の呵責をきかん時は、くやしかるへき物を。はやく誰々もうき世をいとひ給ねとな<り>る。さても、仙洞忠懃のそのかみは、偏に六義の風情を翫て、月の秋は、広沢の池のほとりにたたすみて、浪にしつめる月をも見、小野のしの原にいたりては、露のやとりのしけきかけをも詠て、華の春は、吉野初瀬のかすみとともにそひきて、明し暮し侍りき。かくても、我すみ家をしめをきて、妻子をあはれみて、すへて世のはかなき事を智らさりき。あにはかりきや、かゝる乞食修行の身となる事は。今は残別哀傷の風情を詠しても、詮は唯心に帰て法をさとるたより共侍れは、返々うれしく侍り。   <巻五第一一 江口尼事> 治承二年長月の比、或聖とともなひて、西の国へ趣しに、さしていつく共なきまゝに、日のかたふくにもいそかすして、江口桂本なといふ遊女かすみか見めくれは、家は南北の岸さしはさみて、心は旅人のしはしのなさけを思ふ様、さもはかなきわさにて、扨もむなしくこの世を去て、来世はいかならん。是も<前>則世の遊女にて有へき宿業の侍りけるやらん。露の身のしはしの程をわたらむとて、仏の大にいましめ給へるわさをする哉。我身一の罪は、せめていかゝせむ。多の人をさへ引損せん事、いとゝうたてかるへきには侍らすや。しかあれ共、かの遊女の中に、たゝ往生をとけ、浦人の物の命を断ものゝ中に、終いみしき侍り。こは、されはいかなる事そや。前世の戒行によるへくは、なにとてか今生にかゝるうたてき振舞をすへきや。又此世のつとめによるへくは、あに彼等往生をとけむや。是をもて閑に思ふに、唯心によるへきにや。露命をつかんとての謀事侍れは、心にもあらす、是に交り彼にともなへ共、是に心を移さす彼に心をしめて、常に後の世の事を思はん人は、口に悪きこと葉をはき、手にわろき振舞侍れ共、心うるはしく侍らむには、さら成けるにや侍らんと、或聖と打語て、其里を過なんとするに、冬を待えす村時雨のはけしくて、人の門に立やすらひて、内を見入侍に、あるしの尼の、時雨のもりけるをわひて、いたを一ひちさけて、あちこち走ありきしかは、無何かく、  しつかふせ屋をふき<そ>にわつらふ とうちすさみたるに、此尼、さはかり物さはかしく走りありつるか、何とてか聞けむ、板をなけ捨て、  月はもれ時雨たまれと思ふには と付侍りき。さも優に覚て、見すくしかたかりしかは、彼のいほりに一夜とまりて、連歌なとし侍りて、暁かたに、つれたる僧、かく、  心すまれぬ柴のいほかな と付侍りたるに、あるし、又、  都のみ思ふ方とはいそかれて と付侍し事の、けに胸をこかして覚侍りき。六十余州さすらへて、多の人に見なれしか共、是程の物にて、かくまてなさけはみたる物は侍らさりき。哀、をのこにしあらは、とかくこしらへて、いさなゐつれて、うへをなくさむるともにもしてなんと、いとゝなつかしくそ侍りし。このつねの聖は、立出る道すからさも恋しき江口の尼かなとそ侍りし。   <巻五第一二 厳嶋> 安芸厳嶋の社は、後山深くしけり、前海、左は野、右は松原也。東の野の方に清水きよく流たり。是をみたら井と云ふ。御社三所におはします<欠>〔る〕、又すこし前の方に引のきて、南北へ三十二間、東西へ廿五間の廻廊侍る。塩のみつ時は、彼廻廊の板敷の下まて海に成、塩のひく時は、しらすなこ五十町はかりなり。しか有(は)、しほのさしたる時、まはれは、船にて廻廊まてはまいる也。けたか<く>しいみしき事たとへもなく侍る。但、いかなる御事やらむ、御簾の上には御正躰の鏡を懸まいらせて、御すより下にかけまいらする也。彼御神は女房神にて御座なれは、(かくは)ならわせるやらん。大方は御社は山上にあかり、廻廊は平地にあり。東西南の三方はれ渡て、殊に心もすみ侍り。所にしゝをからされは、御山には男鹿啼、草に露落、野地東なれは、虫の声盛に侍り。何心なき人も、此御社にては心のすむなると申伝て侍り。   <巻五第一三 宇佐宮・覚知一心文> 筑紫の宇佐の宮と申は、山城の男山の気色にたかはす。長山四方に廻て、松風心すこく、旅猿のこゑ殊にあはれなる所なり。山のそひへるすかた、木の生たるありあさま、偏に補陀落山かと疑ふ。中にも清水あり、みたらゐとは是ならむ。何わさにつけても心すみぬへき御社なり。空也聖に対て御姿をあらはし、弘法大師に向て正直理世を述させましましけむ神言神躰思出して、涙弥々所せくそ侍る。かくて、西の国は金かとみさきまて修行し侍りき。かくて帰さまに、摂州こやのといふ所を過侍りしに、齢六そちにたけたる僧の、かみはくひのほと迄おいさかり、きる物は如形も肩にかけす、むしろき、やせおとろへて、かほよりはしめて足手まてとろかたなるか、さゝらをすりて心をすまし、うちうち吹て、人に目も懸ぬ僧一人侍り。ことさま有難く覚て、近く居寄て何わさをし給ふにかと尋侍りしかは、さゝらする也との給はするを、それはしかなり。法文いかに。我も仏道に志深く侍り。心のはるけぬへからん事一詞の給はせよとせめしかは、覚智一心生死永歌とて、其後は又の給はする事もなくてにけさり給ふを、猶ゆかしく侍りと、涙をこほしてもたへしかは、義想既滅除審観唯自心とて遥ににけさり給ぬ。名残おほく侍れ共かひなし。其里人に、此聖のありさまを委尋侍りしかは、或人の語しは、いとき物もほしからす、たま/\得たるをも、なにとし給ふらん、ほとなくうしなひ給ふ。明暮さゝらをすりて、独うたうちうたひてなん、あちこち廻ありくに侍りと答侍り。けに道心深き人なめり。ほかのすかたよりうちの心まてすみてそおほえ侍る。けに一心と智なん後は、何とてか生死には輪廻し侍るへきと、返/\ゆかしく覚侍り。世の末にもかゝる道心者もいまそかりける。   <巻五第一四 春日社・俊恵美嘆事在之> 同比、ならの京巡礼して、春日の御社にまいり侍れは、春日野のけしき二基の塔の有様、またしの橋を足もとゝろに蹈けむ、若紫の〔ゆ〕ゆかりあれは、すみれ摘なる小篠原、玉さゝの上には玉あられつもり、ひろはむ事も片岡の松のみとりは君の為に、千世の色をやこめつらむ。立寄とりてみむとすれは、萩の下露袂に落る色は紅なり。尾華くす花露散て、山たちのほる月影の、千里をかけて照すに、入唐して仲丸かふりさけ見けんことの葉思出て、殊に哀になむ。<漸>御分入は、杉村高くしけりて、六の道わかれたり。六道のちまたにこれをきせり。正き道や是ならん、善趣の橋を過ぬれは、御社も漸近く。四御殿三の廊二階の楼門そはたてり。より/\社檀にたゝすめは、般若理趣分のこゑすこしく、しは/\宝前にさすらへは、瑜加唯識声たえせす侍り。貴事詞に難述侍る。かくて、俊恵の住給東大寺の麓に尋まかりて、何となく歌物語し侍しかは、いかなる歌か読たるととひ給しかは、讃岐国多度郡に、如形のいほりを結て侍りしに、かく、  山里にうき世いとはん友もかなくやしくすきしむかし語らむ 又、難波の渡をすき侍りし時、  津の国の難波の春は夢なれや蘆のかれ葉に風わたるなり とよみて侍ると申しかは、其昔も人にすくれて読給しか共、猶/\けにゆゝしく読出給けりと、〓〔口+賛〕徳を蒙り侍りき。かやうの事書のふるは、憚も多く恐もしけけれ共、今は身の仏道に思入ぬる上は、必しも人の嘲をかへりみるへきにあらされは、有のまゝに俊恵の詞を載るに侍る。かゝる事、<在>有俗の時ならましかは、慢心も侍り、悦ふ心もありなまし。今はすへて是等何共覚す。さすか仏法の力にこそ侍らめと覚侍り。   <巻五第一五 作人形事・於高野山> 同比、高野の奥にすみて、月の夜比には、或友達の聖と諸共に、橋の上に行合侍りてなかめ/\し侍りしに、此聖、京になすへきわさの侍りとて、情無ふり捨て登りしかは、無何、おなしくうき世を厭華月のなさけをもわきまへ(ら)んとも恋しく覚しかは、思はさるほかに、鬼の、人の骨を取集侍りて人に作りなす様に、可信人のおろ/\語り侍りしかは、其まゝにして、広野に出て、骨をあみ連らねて造て侍れは、人の姿には似侍りしかとも、色も悪く、すへて心もなく侍りき。声は有共、絃管声の如し。けにも、人は心かありてこそは、声はとにもかくにもつかはるれ。たゝ声の出へき間のことはかりしたれは、吹そんしたる笛のことし。大かたは、是程に侍るふしき也。扨も、是をは何とかすへき、やふらんとすれは、殺業にやならん。心のなけれは、唯草木と同しかるへし思へは人の姿也。しかしやふれさらんにはと思て、高野の奥に人も通はぬ所におきぬ。もし、をのつから人の見るよし侍らは、はけ物成とおちを(そ)れむ。扨も、此事不思義に覚て華洛にいてゝかへりし時、をしへさせ給へりし徳大寺へまいり侍りしかは、御参内の折節にて侍りしかは、空く罷帰て、伏見の前中納言師仲の卿の御許にまいりて、此事を問奉りしかは、何としけるそと仰せられし時、其事に侍り。広野に出て、人も見ぬ所にて、死人骨を取集て、頭より手足の骨をたかへてつゝけ置て、ひさらと云ふ薬を骨にぬり、いちことはこへとの葉をもみ合て後、藤の若はへなとにて骨をからけて、水にて洗侍りて、頭とて髪の生へき所には西海枝のはとむくけの葉とをはいにやきて付侍りて、土の上にたゝみをしきて、彼骨をふせておきて、風もすかすしたゝめて、二七日置て後、其所にゆきて、沈と香とを焼て、反魂の秘術をゝこなひ侍りきと申侍りしかは、大方はしかなり。反魂術猶日浅侍るにこそ。我は、思さるに四条大納言公任イの流を受て、人を作侍りき。今卿相にて侍と、其とあかしぬれは、作たる物も他せられたる物もとけうせけれは、口より外には出さぬなり。其程まて智られたらむには教申さむ。香をはたかぬなり。其故は、香は魔縁をさけて聖衆を集徳侍り。然るに、聖衆生死を深くいみ賜ふ程に、心の出くる事かたし。沈と乳とをたくへきにや侍らむ。又、反魂の秘術をゝこなふ人も、七日物をくうましき也。しかうして造賜へ。すこしもあひたかはしとそおほせられ侍りし。しかあれとも、由無と思帰して、其後は造らぬなり。又、なかにも土御門の右大臣の造給へるに、夢におきな来て、我身は一切の死人を領せる物に侍り。主にもの給あはせて、なと此骨をは取給にかとて、うらめる気色みてけれは、若此日記を置物にあらは、我子孫造て霊に取れなん、いとゝ由無とて、やじかてやかせ給にけり。きくも、無益のわさと覚侍り。よく/\可心得事にや侍らむ。但、呉竹の二子は、天老と云ふ鬼の、頻川のほとりにて作出せる賢者とこそ申伝たるなれ。   <巻六第一 渡天・玄弉等如真> 昔、玄弉三蔵、仏法をひろめ給はんか為、天竺へ渡給て、広く百卅国に遊行して、普く聖跡を拝み給けるに、祇薗精舎はむなしく礎のみ残、白鷺池には水たえて草ふかく、退凡下乗の卒都婆はかたふきて、文字きりくちすみかれて、其跡みえさりけれは、流砂葱嶺の嶮難をしのき、はる/\渡ましませる甲斐もなく、もろこしにて遠く思ひやりたりしには似すとなむの給て、且は仏法のすゑになりぬる事を歎、且は釈尊在世の古にあわさる事を悲て、すみ染の袂をしほりかね給にきと、ほの伝聞に、理と覚多、涙をおとしき。六義の風俗を翫ふたくひは、此道をこのむ輩を友として、はなれむ事を思て、七日をかきる花の色、あへなき風にさそはるゝわさなんとをたにも、もたへこかるゝわさなるそかし。それに仏法をつたへんとて、そこはくの煩を見、命を捨てとてんし給へるに、鷲の御山は風はけしくて、朗にてらせる月の影もなく、抜提河は岸さひて、すめる気色もなく、みのりとかせをはしましし所/\も、虎狼野干のすみかとなりし有様、さこそ悲くおほされけめ。雲をしき風を友にせる聖人もいませねは、弥昔のみ恋しく覚給へりとなん。しかあれ共、仏の生れ、又法説給へる国なれは、返/\ゆかしく侍り。常在霊山と説れて侍れは、忝そ侍る。されは、此やまとの国奈良の御門の太子、長岡の親王とていませしは、すへらきの儲君にてをはせしか、浮事にあはせて後、御かさりおろさせ給て、道詮律師の室に入て、真如親王と申けるは、智恵徳行ならひなくて、三論宗をもてあそひ給のみならす、宗叡僧都の禅林寺の閑庵に閉篭ては、鹿谷薗の水に見思の垢をすゝき、修円大徳の伝法院にやすみしては、覚知一心の悟を開き、弘法大師に随ては、真言宗を極め給へり。かゝる有知高僧の人々もなをあきたらすやおほしけん、もろこしの御門、渡天のこゝろさしを哀て、さま/\の宝をあたへ給へりけるに、それよしなしとて、みな/\返しまいらせて、道の用意とて大柑子を三とゝめ給へりけるそ、聞もかなしく侍める。さても宗叡は帰朝すれとも、友なひ給へりける返事に、渡天とて師子州にて村かれる虎の遭て、くひ奉らむとしけるに、我身を惜にはあらす。我は是仏法のうつはもの也。あやまつ事なかれとて、錫杖にてあはくりけれと、つゐに情なくく〔ゐ〕奉つと、側になん聞ゆと侍りけるに、御門をはしめまいらせて、もゝのつかさ、皆袂をしほりけり。此親王も、さすか天竺を心にくゝ思ひ給<欠>ひけるなんめり。あにはかりきや、にしきのしとねを出て、かさりをおろすへしとは。かけても思はましや、他国のおとろか下に骨をさらすへしとは。是世中の定なくはかりなきためしなるへし。しつかに目をふさき往事をおもへは、眇忙として夢にたかはぬ世なれは、悦もなけきもみな空し。窺ゆひを折て古人をかそふれは、賢もさりぬ、愚なるもとゝまらす、たゝ空しき名のみ残す事のあはれさ。海漫々として、雲の浪。煙のなみ、いとふかき所に三の神山あり。不死の薬おほくありとて、方士をして年/\に薬をとりにつかはしし秦皇漢武もむかし語になり、周穆王の八駿の駒にむち打て、一世界をかけりし、今何れの所にかある。今日暮、明日過て、年月を送る程に、荒原に日にさらされし骨もくちうせて、たえせぬ名のみ残せり。   <巻六第二 後冷泉院崩御事> 扨も、治暦四年の卯月の中の十日のしのつかたの比、後冷泉院御煩のよし聞えし程に、僅に五日はかり御悩侍りて、十九日の夕へ、はかなくならせ給し。浅猿とも申に及はさりしに、同日のあかつき、女院又うせ給しかは、歎になけきをそへ、悲に悲をそへて、月卿雲客の花の袂、涙にあらはれ露にそほちて、夙夜せしたくひ、声をとゝのへて、叫声しはしはしつまらす〔す〕となん。(彼)もろこしの天宝のとし秋七月、夜ふけ人しつまりて、玄宗楊貴姫に契て、天にかけらは比翼の鳥たらん。地にすまは連理の枝とならんと契り給しむつひたにも、禄山かためにうははれて、前後にこそわかれ給しに、是はいかにも契まし/\けるそや。其ゆふへまて、つゝかもましまさゝりし女院の、俄に息たえていまそかりける事、返々あはれに侍り。後冷泉院かくれさせ給へる日、後三条院位につかせ給しかは、一方は俄に目出、一方は歎の泪にしほたれ、一りはすへらきの位にいまそかれは、二りは無常の鬼にとられ給へり。一天憂喜相交、悦の中の歎、なけきの中の悦、いつれも盛衰のためし、なけきもおはりあり、悦も又すゑあり。憂喜あらたまりて、安事侍らす。後三条院位にまし/\しかは、よろつ賢き御はからひのみにていまそかりけれは、上下悦あへりしほとに、僅に六とせをへて、延久のをはりの年、玉躰不予にいまそかりけるか、つゐに五月の上の〔内〕みはりに、しての山路の鳥のねにさそはれ給にけり。もゝつかさの歎は、延喜村上の二世に別れ奉しにも、なをかはらす。民のうれふるわさは、仁徳の御門をうしなひ奉しにも、猶まさり侍りき。御年四そちとかや、実におしかるへき程の御事そかし。雲の上には、誰かうつゝ心侍し。たゝ夢とのみこそ覚しか。衾をかはさせ給し国母、しとねにちかつきて、いまそかりし人々のなけき聞ゆるも、おろかに侍り。一天かきくれて日月のひかりをうしなへる姿に侍りけるとかや。かき根の卯花の、風にさそはれ、雨にし<ほたれ>ほれたるもおりふしことにあはれなり。禁中悲あまり、九重うちしめりき。位にまし/\しそのかみの悦、六年の間<の>楽み、まさに一時に<す>つきて、悲く香隆寺のうしとらのすみ、蓮台野の御山をくりの有けるに、子規<郭公>のいく声とかすわきかぬるまてに啼けるも、しての山路の鳥ときけは、さそひ奉りつとやなきけむ。又なをもはやめ奉る声にしもや侍らん。折から鳥の音も物うくそ侍る。但、子規<郭公>は昔の人を恋なれは、すてにむかしかたりにならせ給ぬる程に、いつしか恋しとや鳴わたるらむ。しかあらは誰もおなし心なるへし。かくて、月日はくれ竹のすきぬる世々の恋しさ、僅に色の藤衣涙またひて、ぬきかへぬ中に、宇治の大相国もうせ給ぬれは、歎やまさりけるうさよ。古きかたみとのこらせ給へるに、誰をたのむの身にしあれはか、なけかさらん。こその悲みにうちしひぬるわさのうたてさと思しに、あくる年の秋、又大二条殿の第三年の御仏事には、いよ/\あわれに侍き。哀はかなき世中かな。誰か一人としても、此世にとゝまりはてゝやむはある。玉母一万の寿算夢のことし。かはらんとおもふ命はおしからてさてもわかれん事そかなしきとよみて、住吉の明神に祈し母もとまらす。いのられし子も、百の命をや過し。百年すくる程なさ、たゝ夢の心ちし侍る。百年をへんすら、その終りあるへくは、かなしむへし。况哉老不定のさかひをや。命たえん事、今日にやある。明日にやある。無常といふ事は、深法門にあらす。誰か是をしらさらん。しるとならは、なとか後世のためにつとめさるへき。無常の理をわきまへさらんは、おひて是をいはす。しりて、あにいたつらとしてすくへきや。中にも、いとけなきは行末〔も〕をもたのむ方もありぬへし。頭に雪をいたゝきける人の、なとかきえなん事をしらさる。いとけなからんすら、明日をたのむへきにはあらぬ世の中なり。蜉蝣の空にとふを見、あさかほの日にあたるをみるに、かはらぬは人の身なり。それは猶夕へをまつ。我らはしらす、朝にやきえむ。さかへる物たのしみはてす、必おとろふる時あり。栄<公>か三楽も〓〔虎米升〕徳の初年、なか月のはつしもにをかされて去。又禄山か胡旋の庭には、木すゑの花の風にたくふよりもはやかりし子のためにほろほさる。須達か七珍の財、命とともに朽にき。無常もし高位をはゝからは、天子そ独り此世にとまりはて給ふへき。もし兵者に恐れは、禄山いかてか剣のさきにかゝらん。財宝によるへくは、須達そのこりとゝまるへき。目をふさき、心をのとめて、閑に世中をおもふに、はしめあるものは終あり、<生るゝ>生るものは必死すといへる、殊に身にしみてそ侍る。それ、春になるといふ日より、吉野の山にうそふけは、いつしか霞たなひき、枝いまた気力なけれと、風先動て、なにとなく風もゆるくなるまゝに、木々つのくみて花つほめる。一ふさ開けしかは、都は春とて、花所々歌酒家々にして、翫ふ程に、嵐より/\音信て、南枝北枝の梅のひらけ整のおらさるに、かつちりて梢はひとりあさみとり、庭をさかりに移す花を見る程に、或は浪にしほたれ、或は風の為にちりて、ゆKゑなくなりはてぬ。二月の比は、嵯峨野わたりをなかむれは、多の草ともの春雨にうるをされて、をしなへてみとりに見ゆる中に、人手をにきると詠せし紫塵の蕨ももえ出て、ゆう/\とみる程に、漸日をへて立のひくろみわたりて、事の外にかはりて見ゆ。夏になりぬれは、盧橘に香をとめて啼子規<時鳥>をまちて、五月やみにもなけかし、しのゝめの雲にもおとつれよかしと、うつゝ心もなくまちし程に、郭公の声もうちたふるまゝに(は)、野へ〔は〕草花のはやくさきねかしと、人しれす待し甲斐に、草にさきみたれて錦をおれるかと覚て、野へに日をくらしうてはやと思ふ程に、六十余廻みれともあかすと、心のそこを述けん人のゆかしく思居て侍れは、すてに月日のつもり、夜さむに秋のすゑにのそみ、霜さえて、枯野の薄あともなく、木々のもみち散はてし枝には雪のふりかはり、雪たきえ侍しありさま、感衰の姿、無常転変のかなしみ侍り。此理を心にかけて、常に仏の御名を唱奉り給は、往生の大事は、よもとけはつし侍らし。大方は、妻子をすてゝ、よろつを閣て勤めんこそは、(い)みしき事にて侍るへけれとも、それかなふましく侍らは、心にこそよるへき事なれは、何事をいとなむとも、是をおこたりなく思ひ出事にて侍れかし。火宅の中の家居して、今にほのをにやかれなん事をわきまへさるかなしさよ。あはれ仏の御政には偏頗をはしまさぬものなるをや。   <巻六第三 林懐僧都> 昔、唐院僧都林懐とて、山階寺の貫首にて、年久つめる有智の人いまそか〔け〕ける。いとけなかりけるそのかみ、神無月の比、木々の紅葉の、嵐にさそはれて庭につもり、時雨かきくらし、あられましりて、木の葉のうへにおつとみれはかつきえゆくをみるに、先の世の宿善やたよりを得てひらけし。忽に無常をさとりて、おさ/\しき心に袂をうるをすまてに涙しほれて、父母の前にまうてゝ、我をは僧になしておき給へとねんころに聞えけれは、今更あやしく覚て、委く思ふ様を尋に、世の無常の心にしみて、よろつ哀になむ侍れは、仏のをしへに随て、かしらおろし侍りて後よをもとり、誰々の人をも導き奉らんと思ふに侍りといふに、哀に覚て、十三といひける年の春比、山階寺(の)別当空晴の室に入て、侍りけり。一を聞ては十をしり、十を習ては百をさとるのみならす、うへをしのひ、眠を凌、素月の光に向ては、夜もすから唯識十軸のひもをとき、深窓に雪をあつめ、蛍火をもとめて学問をこたらされは、程なく一登して、別当年ひさしくし給へりける。さても、此人若く御座ける時、仲算大徳にともなひて、熊野へまいり給へりけるに、那智の御滝のすそにて、仲算大徳心経を貴くよみ給へりけれは、滝逆になかれて、滝の上に生身の千手観音の正しく顕れていまそかりけるを、まのあたりおかみ給けるとなん、仲算大徳の徳行はさる事にて、をかみ給へる林懐ありかたき事になん、其比申侍りけるとそ。さても、此人発心のはしめ、殊にありかたく、まれなるためしなるへし。世のはかなくあたにて、夜ゐに朗月にうそふきしたくひ、暁は東(代)山の雲にかくれ、朝に花になつさへし人、夕に無常の風にさそはるゝ、うき世中と(は)しりぬれ共、深く無明の酒にゑひて、愛着のつなにひかれて、かしらの雪そゝろに数をかさね、額の浪多くたゝみて過せるは、人の心そかし。さるに、此林懐の齢一旬にあまりにして、嵐にたくふ木の葉、とらんとすれはきゆる玉霰をみて、忽に浮世の無常を悟て、ふかくの涙をおとされけんは、おろ/\の宿善には有へしとおほえす。哀に貴かりける事かな。いかなれは人は無常を悟そ、いかなれは我はむなしく迷らん。いとけなきすら此理をさとるに、なと年のみ積て、かうへは雪、眉は霜にまかふまてになりぬれとも、身にしみ涙のこほるゝ迄おほえさらんと、口惜といへとも、一つ悦へる事あり。仙洞忠勤のむかしは、人によろつまさりて、露はかりも思ひおとされしと侍<り>しかは、九夏三伏のあつきにも、あせをのこひて、ひめもすに庭中にかしこまるを事とし、玄冬素雪の寒にも、嵐をともとして砂に臥ても、竜顔の御いきさしを守て、聊もそむき奉らしとふるまひ侍き。情ある色の女にあひなれては、嵐ものうく吹て、峰にわかるゝよこ雲のそらをかなしみ、面かけも契しもわすれなから、うつゝともおほえねは、夢かとわきかねても、誰にとはまし草の原、色かはる露をは袖にをきまよひても、霜かれはてゝし、野辺のうさなんとをかなしみ、或時は月にうそふき、或時は花になれて、月日のいたつらに明暮をもしらすしてまかり過しに、思はさるに、長承の末の年より無常心にしみて、君の忠勤よしなくて、妻子をふり捨て出侍しかは、我身は流浪の桑門となり、契を結ひし女はかさりおろして、高野の別所とかやにすみ侍り、娘はゆかりにつきて都にとゝまりきと承はりき。妻子三ところに別て、むつことのふるわさも侍らす。扨も、胡馬北風に嘶へ、越鳥南枝に巣くふといひならはせるにや。あまのぬれきぬおもひみて、又旧里によりきて住なれし所をみるに、ついちくつれて、門のかたふきたりしをみしに、なにとなく哀に覚て、立入みれは、ありしにもあらす荒はてし、人のかよふ気色もなし。軒の苔、かきの蔦、風そ僅に払ひ侍る。ふく事なけれはまはらにて、時雨も月もたまらしな。心のまゝにしけれる草の原には、虫のこゑ/\啼わたり、こゝをすみかとなりて、ことに面白<く>侍しかは、返て又是にもかくてすまはやとおほえ侍き。身は旧宅の如しと云文あり。このすみかのあれたるさま、我身の無常おもひしられて、いとゝ袂をしほりて帰り侍き。   <巻六第四 西山上人事・并西住死去事歌〔その一〕> 過ぬる八月のはしめつかた、西山の西住聖人と伴て、難波の渡を過き侍しに、折ふし日ことにうらゝかにて、風もたち侍らねは釣ふね浪にうかひて、木のはのことく(に)見ゆ。いかに多く(の)魚つるらむ。あら無誓や。いさや、此舟にのりて、彼魚の為に念仏して、後世とはんといへは、けに然へしとて、遠あさ遥に歩みよりて、舟にのせ給へといふ<に>、是は釣舟にて外へ行へきにあらす。乗給ひて何の用か侍らんといふ。強にいひて乗侍り。又さて、魚のために竊に念仏して、後世を訪侍りき。かしここゝの浦によりて、釣するを見侍りしかは、なにとなく、  難波人いかなる江にかくちはてん とうちすさみ侍るを、此西住聖人つけんとてかほ杖つきて、うちうめきけるに、釣する翁のことの外にとしたけたるか、とりあへす、  あふことなみに身をしつめつゝ とつけたるに、めつらかに覚て、舟にかしこくしひて乗侍りて、かゝるおほえぬ事聞ぬる嬉しさよとおもふ事、喩へんかたなし。此翁も、いまはひたすら釣をやめて、連歌に心を入侍り。翁の句おもしろく侍しかは、又おもひよりしは、  舟のうち浪のしたにそおひにける といひたるに、又うちあんして、  あまのしわさもいとまなの世や と詠し侍りき。互に詠し侍し程に、日も西の山のはにかたふきぬれは、あまのとまやにこきもとして、いまはいつちへも行へきよし、翁にいとまこひ侍しかは、暮ぬとあなかちにとゝめしかは、彼翁のすみ家にやとりて、昔今の物語し侍き。翁の云様、我は山影の中納言とかや申侍ける人のすゑに侍けり。父にてありし人は、東山の辺にすみて侍けるか、世中しわひて、比島に落留、浦人の腹に我をうませて侍ける。我三と〔せ〕申ける年、父母共にはかなくなり侍き。其後は、母方のうはなりし人に相かゝりて侍しか、十二といふに、又彼にもをくれて侍しかは、何とて今更世中をふへき共おほえて侍しか共、魚ひきて命をつくに侍り。うき世中のすみうさに、かみをろして、いかならん所にも侍らはやと思侍るも、さすかに捨えて、たゝ身一を助けんとて、おほくの物の命をたつ事の心うさ。今も、もとゝりきらんと思ひ侍る事、一日に必二度三とはおもひ出て、涙のこほるゝなり。そのおりしも、父の具足の中に、何となき歌ともかきをき侍るを見て、心をなくさむるに侍り。妻子といふ物もなくて、すてに五とせあまりの年を送り侍りき。各々の有様を見奉るに、殊にうらやましく侍り。我もともなひ奉らんとて軈て手つからもとゝりきりて、我か年のすみ家をは、日比したしかりける人になんととらせて、いさなひつれて行住と名付て、むらなき後世者にて侍りき。其後都にのほりて、西山のふもとにいほり結て行ひ侍けり。西山聖人と聞侍しは、此人の事にて侍き。ゆゝしく行ひなりて、聖人とあおかれ給へり。実には、其しなをいはゝ、下れる人に侍らね共、海士のとまやに生れていねもせて、うしほをくみて是を焼、みるめをかりて身を助け、綱を引て命をいきて、五旬のよはひをへにける人の、俄に発心し侍る、いとありかたき事には侍らすや。年へて都にまかり上侍し次に、彼いほりに尋行て侍は、山かけの清水きよくなかれて、前は野のはる/\とあるに、四壁も侍らて、蘭荊には野干ふしとをしめ、松葉には梟なける所々虫の音ととも<し>く、鹿をしたしみ契り侍り。庵うつくしく結ひて、座禪の床にしつまり給へり。見るに貴く侍り。彼聖の申されしは、その御故に、かゝる身となり、現世後世、心のまゝにしほせ侍は、返々もうれしく侍り。此恩をは、争か報し侍らさらんなれは、いそき得脱し侍りてとこそおもへとそのたまはせし。此聖も、いとけなかりけるより、無常を心にかけ給へりとそ承はる、弟子にて有ける僧の、何事か後世の為にはよく侍ととひ奉りけるに、心をのとめて無常を観せよとこその給はせつれ。   <巻六第五 西山上人事・并西住死去事歌〔その二〕> 西住聖人、わつらひの事侍りと聞しかは、今は限の対面もあらまほしく覚て、高野の奥より都に罷出て、聖のいほりに尋行て見侍れは、事の外におとろへて、はか/\しく物もいひやらぬ我をうちみて、嬉しくとて涙くみし事の哀に覚侍て、そゝろに泪を落し侍き。閑居のつれ/\をは、我こそなくさめ申に、そこのひとり残給て、いかにおほくなけかむとて、袂をしほり侍れは、たゝあわれさ身にあまりて、其夜は留りて、よろつひまなく、後のわさなんと聞えしかは、さり共、やかて事はきれしとこそ思侍しに、其暁、西向て念仏して、終りをとり侍き。今の別は、実にかなしく侍れ共、一仏浄土の再会はさり共と心をやり侍て、涙をおさへて、最後の山送して、泣/\煙となし、骨をひろいとりて、高野にと心さし侍き。其いとなみし侍しおりふし、花山院中将かならす参るへき由仰給て侍しかは、西住聖人の事も申さはほしくて、まいりて、角と申に、涙にくれ給て、此春、東山の花見にともなひ給へりし事の、最後の対面にありけるそやとて、  なれ/\て見しは名残の春そともなとしら川の花のした風 とうちすさみ給へるに、殊に哀に覚侍き。帰道すから、露けくて、すみ染の藤衣色かはる迄侍りき。仙洞忠懃のそのかみより、鵝王帰依のいまゝて、ふかく契を結て、何の所へもいさなひつれ侍しに、おくれしかは、けにいきてあるへくも覚侍らす。草木をみるにつけても、かきくらさるゝまゝに、かへるさの月の光もおほろにみえて、いとゝ心もはれやらぬに、風しのゝは草にゆるくとをり、草の露もろく、物かなしき折ふし、初雁かね雲井ほのかに啼わたるを聞に、行宮にあらされともはらはたをたち、千鳥にあらされ共心をいたましめ侍き。かくて高野へ帰て、夢に見るやう、ありし聖人来て、我は都卒の外院に生れぬと見て、夢さめにき。かく聞し後は、内院にあらさる事のうらめしさよ、と思ふ方も侍れとも、外院も(又)貴くそ侍る。もし昔のことく在俗にて朝に宮仕せしかは、あに外院の往生をとけましや。今生は実にひんをかき、装束をたゝしくして、帝の御まなしりにかゝり、禁中に出入しゆゝしく侍るに、年かたふきて、もととりを切、月しろ見えわたり、あさの衣にやつれるは、おこかましきに似たりといへ共、実の心とは是にそ侍るらん。此世は、はかなくあたなる堺也。それに、しはしの程をへんとて、名利にほたされて、長劫の間、三途のちまたにしつみ侍らんには、返々口惜き事にはあらすや。たのみかけし主君もたすけ給はす、あはれみ、はくゝみし妻子眷属も、中有の旅にはともなひやはし侍る。たゝひとりかなしみ、ひとりまよへる(は)、これ世にある人の後の世に侍り。况や、妻子をふり捨て、面白所々をも拝み、山々、寺々をも修行し侍るは中/\にたのしくそ侍へき。もとより、世になけれは望もなし。おそろしき主君も侍らねは、御勘気をも蒙らす。いとをしき妻子ももたねは、貪着もおこり侍らす。財宝を身にそへねは、野山にふすも、盗人の恐侍らす。又、かゝる世捨人には、何の敵か侍らん。後生の昇沈は、又不及申。   <巻六第六 冨家殿事・春日御詫宣> 鳥羽院(の)御位の比、冨家入道殿と申人いまそかりける。京極大殿の御むまこ、後二条殿の御子にておはしましき。藤氏の嫡庶として、よろつ天下のことわさをとり行はせ給せしかは、百寮おもくし奉りし事は、さらにかきのふへくも侍らさりき。しかはあれとも、月日空く暮行て、御くしは雪をいたゝき、御眉は霜の置てみえさ〔せ〕給しかは、御出家の御志ありて、御いとま申さんと思召され侍りけれは、春日の明神に御まいり侍けるに、十一二のおさなき児童、俄にけたかく、らうた〔れ〕姿になりて、雖観事理皆不離識、然此内識有境有心。心起必詫内境生故。あな面白やといふに、禅定殿下只事ならす思召て長給へるに、此童のいふ様、我是春日(の)第三の神也。此たひの見参は殊うれしく侍り。其故は、世の常なき事を思食て、俄にかさりををろさんとし給へるうれしさに、随喜の涙(の)ところせきをもしらせ奉らんとて、詫宣し侍り。あひかまへて忘れす、無常を心にかけ給へ。それそ我はうれし<く>思侍へき。さても、二人の男子をもち給へり。二りなから氏の長者につらなり給へし。忠通公は、世の政すなをにて、手跡もうつくしく、詩歌管絃巧にまし/\侍は、よによき人と申侍へし。しかはあれと、道心のをはせねは、我心にはいたくも叶はす。弟の頼長公は、全経を宗とし世務きりとをしにて、人の善悪をはかり給へる事、掌をさすかことし。されは、末代に(は)ありかたき程の人にてをはすへけれ共、神事仏事おろそかにして、氏寺をなやまし給ふへき人なれは、我ともなはすと御詫宣なりて、あからせ給へりと伝承に、かたしけなくそ覚侍る。是をもて思ふに、道心ある物をは大に悦はせ給なり。実に一切の衆生をは我子よりもいとをしくかなしく思召なるに、火宅の中に家居してほのをにこかれなんとするを、、御心くるしく、悲く思召され侍る、聊も心をおこして、世の無常をもしり、火宅をのかるゝなかたちともし侍るに、さこそうれしくも思召らめ。我身にかへていとをしく覚侍らん独子の、火の中に馳入、煙に咽ひゐたらんは、誰か是をなけかさらん。又火の中を走出て、よき所へゆかん子をみて、母豈悦さるへきや。神仏の我らをおほさるゝ事、すこしもたかふましき事に侍り。あはれ、心うきわさかな。みよの神仏たちの、さはかり力を入て、すくひたてんとせさせ給へるに、まけしとすくりて、心うきめをみる事よ。抑、御詫宣の時、誦給へる文は唯識章とかやの文にて侍なり。深き心をは浅き身にてはいかてしり侍へきなれは、且くさしおきて、是をいわす。たゝなんとなく、雖観事理皆不離識、然此内識有境有心。心起必詫内境生故とよみつゝけたるに、心もそゝろにすみ、泪もいたくおち侍る。よく貴きみのりにて、かゝるおろかなる心をも催すやらむ。此文のせんは、たゝこゝろをも心とてなとめそといへるおもむきとせん。唯識至極の観門也とそうけ給。   <巻六第七 恵心僧都事・賀茂御歌> 昔、横川に恵心僧都とて、ならひなき智者いまそかりける。徳行たけ薫修年つもりて、法のしるし共を施し給へる人なり。或年の神無月の比、賀茂社にまういてゝを、をはしける程に、いかにも心のすみて覚給へりけれは、御前に通夜し侍けるに、時雨俄にさえとをり、嵐はけしくて、月の光も雲間なし、しかあれ共、はれ行雲のすゑの里人は、月なをまつらん物と見え侍り。かれ野の草の原、露のやとりしけからんと覚て、何となくあわれなるにつけても、世の定めなき事のおもはれて、かなしみ給ひけるに、御戸のうちより、実に気たかき御声にて、  つねなき世にはこゝろとゝむな ときこえけれは、僧都とりあへ給はす、  月花のなさけもはてはあらはこそ と付申され侍りけれは、御殿をとろ/\しくうこきて、あら面白といふ御声をまのあたり内記入道は聞給へりと伝承そ、かたしけなく侍る。是は僧都のさとれる実の心のそこをのへ給けれは、神もしきりにめてさせ給ふにこそ。けにこれこそMうるはしき法施にてはあるらめ。月花の情かありはては、此世に心とゝめなまし。   <巻六第八 佐野渡聖事> 永暦のすゑの八月の比、信濃国佐野ゝ渡をすき侍りしに、花殊面白く、虫の音声々に啼わたりて、行すきかたく侍て、野辺に徘徊し侍に、玉ほこのゆきかふ道のほかに、すこし草かたふくはかりにみゆる道あり。いかなる道に<か>あらんと床しく覚て、尋いたりて侍るに、すゝき、かるかや、萩、女良花を手折て、庵結てゐたる僧あり。よはゐ四そちあまり五そちにもやなりぬるらんとみえたり。前にけしかる硯筆はかりそ侍りける。実に貴けなる人に侍り。いほりの内を見入<れ>侍れは、手折ていほにつくれる草に、紙にて札をつけたり。薄のやりとには、  すゝきしける秋の野風のいかならんよる啼虫の声のさむけさ かるかやのしとみには、  山かけや暮ぬとおもへはかるかやのしたをく露もまたき色かな 蘭のふすまには  露のぬきあたにおるてふふちはかまあき風またて誰にかさまし 〔萩〕の花の戸には  夕されはまかきの荻にふく風の目に見ぬ秋をしる涙かな 女郎花のさけるには  をみなへしうへし籬の秋の色はなをしろたへの露そかはらぬ 萩のさけるには  萩か花うつろふ庭の秋風にした葉もまたて露は散つゝ と札をつけて、座禪し給へり。殊にやさしく貴く覚て、なにわさの人そ。いつくよりこゝへは来り給ふにやといふに、此春よりとはかり答て、其後は、何事をとひしかとも、終に物もの給はさりき。去程に、日もかたふけは、名残はつきせぬ共、泣々別てまかり侍しか、結縁せまほしくて、あさの衣をぬきて、彼いほにをきて出侍き。かくて西の方へあゆみ出たれは、まことにけはしき山あり。山水きよくなかれて、岩のありさまを見る目めつらかに絵にかくとも是にはにしと、心とまる程なる所あえい、河の水上を尋行は、一町あまりきぬらんと思程に、木のはさしおほひて、六そちあまりにたけたる僧いまそかりけり。こゝにも又、かゝる人をはしけりとおもふに、むねさはきて、いそきよりて見れは、うるはしく坐して、ねふるやうにていきたえ給へる人なり。木の枝に、かみにて札をつけ給へり。  紫の雲まつ身にしあらされはすめる月をそいつまて〔そ〕見る と云歌のふたなり。哀に悲く侍て、上の聖の同行にこそとおもひて、いそき行、しか/\と云に、いとあはれにこそとて、硯ひきよせて、紙にかくなん、  まよひつる心のやみをてらしこし月もあやなく雲かくれぬる とかきをはりて、筆をもちなからね<む>ふる様にして終られぬ。あさましくかなしくて、袂にとりつきてをめけとも、甲斐そ侍らぬ。又、山かけに住給へる人は、いかゝをはすると思て、泣々はしり行て見侍れは、首前にかたふきてい給へり。さてあるへきに侍らねは、煙となし奉らんと思<欠>ひ(て)、火打て、すてにやき奉らんとし侍し程に、あまりにかなしかりしかは、閑居の友ともし奉まほしくて、泪をのこひて、をろ/\かの姿を絵にとゝめとりて後、煙となし奉て、野への聖の方へ行てみれは、彼も首はかたふき給しかは、同く姿をうつしとゝめて、同火にてたきあけて、其夜は野へに留りて、終夜念仏して、一仏浄土へと乞願侍て、あけぬれは、庵の歌ともとりて、泣々さり侍き。あはれ貴かりける事かな。生死心にまかせ給へりけるそ、ありかたく侍る。目出禅僧なんとにてをはしけるにこそ。歌さへ末世にはあるへし共覚ぬ程に侍り。所から心もすむへきありさまに侍り。人里も侍らす、(又)持たくはへる物もみえす、何として、しはしの程の命をもさゝへ給けるそや。我、世を背て広国々を経廻しに、貴人々あまた見侍しかとも、かゝる人にいまたあはす侍き。さても、最後臨終にもあひ、煙ともなし奉り、骨を拾高野にも攀のほり、彼聖たちの筆の跡をもとり留、歌をも詠し侍れは、定て彼二所の力にて、我も浄土へ道ひかれ奉らんと覚て、嬉しく侍り。よみをき給へる歌、かき置給へる文字、世のすゑにはたくひ侍らしかし。   <巻六第九 恵遠法師事・盧山> 昔、もろこしに盧山の恵遠法師といふ人ありけり。恵覚禅師の弟子なり。   <巻六第八 佐野渡聖事> 彼恵覚、行徳いみしき人にて、そのあたりの猛将、もてなし敬事なのめにも過たり。   <巻六第九 恵遠法師事・盧山> 去程に、蘇国の将軍にて、隣附といふ人侍り。子を五人もち侍けるを、嫡子には我<職>識を譲らん。一人をは恵覚のもとにつかはして、僧になして後世のかためにせんとて、次良なりけるをつかはしてけり。かくて、百余日はかりありて、恵覚のもとより蘇国に使を立ていふやう、我にたひたりし人は、学問に心を入侍らさりしかは、とかくいましめし程に、此暁すてにはかなくなりぬ。ゆめ/\なけき給へからすといひおこしたり。父母、あさましなとはいふもをろか也、泪にくれふたかりて、とかく返事するにもおよはす、実にかなしけなる有さまにて侍り。なく/\力なきよしを返事してけり。日数空くふれとも、歎ははるゝすゑもなく侍りけり。さりとても、又日比おもひし事のすゑなくてあるへきにあらすとて、父母三良の十三になるを、学問心に入よとて、髪かきなてゝ名残の多きのみならす、さきの子にも見こりす、後世のつとゝて、恵覚の室にやりけり。父母の心たとへなく侍り。かくて五月はかりありて、又いひつかはすやう、此たひの人はさりとも思ひつるに、よにも心さまよからさりしかは、又なん法文せゝかむとて、打殺し侍りぬと告ける。たゝ事共おほえす。夢かとそ覚る。実にかなしかるへし。いまた二八にたにもおよはぬ物を、前に身をひかてやりつる事、いま更くひかなしめるありさま也。父母ともにおきあかりいふ様、さてあるへきにてもなし。さらは四郎をやらんとて、よひよせたり。八にそなりけり。めのとたゝ我命をうしなひて後、いつちへもやり給へと、なきこかれけれとも甲斐なし。つゐに恵覚の使に相そへて、又やりぬ。やりて後は、又いつか打ころされぬときかむと、父母うつゝ心なく、宵暁門をあらくも叩は、今巳に(と)告るにやと、心をけして過し程に、十三にて餝をろすよしつけたり。是を聞て、父母さこそうれしく侍りけめ。さて法師になりて見参せんとて、蘇国の父母の許に来れりけるに、父母悦て、いそきあひて、今は定てしりぬらん。いかにとしてか後世をはたすかるへきといふに、僧云様、無常を観せさせ給へし。何事も夢ま(ほ)ろしの世の中とおほせと〔と〕ふ時、父、忽に発心して、出家し侍<り>て子の僧に戒をはうけにけり。母は、卅余日へて後に、餝をろしてけり。この僧は則、恵遠法師是也。恵遠は都卒の内院に生れ、父母は西方の往生を遂けりと、漢の明記にのせたり。彼記をみしに此所に至て、たゝ涙おとしき。二りの子にもこりもせて、三人迄やりける心のたけさは、はかりていふへきにもあらす。当世には学問ものうしとて、いさめ殺す師もあるへからす。殺さるゝ上に、重てやるへしともおほえす。もし千万か一いたみなき子のしにたらは、師匠にも怨心をはむすはまし。あわれ、有難き父母の心かな。是ほとの心きはあらん人けにもなしかは、西方世界に生れても侍へき。返々ゆかしき心なりけんかし。   <巻六第一〇 性空上人事> 昔幡摩国、書写といふ山寺に、性空聖人と云人いまそかりけり。本院の左府時平のむまこ、時朝の大納言の侍に仲太小三<郎>良といふ男にてなんをはしけ<り>る。彼大納言の御もとに、昔より伝て目出硯侍り。錦の袋に入てをかれ侍り。司を給はる度に、此硯をはみるに侍り。されは、おほろけにては取出さるゝ事も侍らす。しかあるに、此殿、大納言にあかり給て、此硯を見給て、厨子におき給てけり。仲太、此硯の見たく覚て、御子の若君の十に成給ふを、すかしこしらへて、忍て此硯をあけて見る程に、足をとのあらゝかに聞えけれは、心迷してしたゝめおかんとする(程)に、とりはつしておとして、あやなく二にうちはりぬ。仲太いかゝせんとさはくに、此若君の給ふやう、いたくな歎そ。我わたりたりといはむ。我したりと聞給はゝ、をのつから思ひゆるし給ふ事も侍りなんとの給へは、仲太手をすり悦てのき侍りぬ。去程に、大納言此硯をしたゝめをかんとて見給ふに、正二にわれたり。浅猿なといふもおろかに覚給て、誰かわりたるにやと、実に腹立むつかり給へるに、此若君、うち涙くみて、我破てさふらふとい、聞え給に、大納言大にしかり、此硯は大職冠の住吉に詣て給へりけるに、大明神御詫宣ありて云、我、此所に跡を留て年を送<り>月を重ぬれ共、はけしき人、たれも見え来り給はさるに、嬉しくも訪給へり。此悦には、此硯を奉る。これは、我跡をうつす硯に侍り。身にとり極る事あらん時、見給へしと御詫宣なりて、大職冠の左の袂に此硯侍りけるをとりて、錦の袋に入てをかれける也。かゝる硯をわるものなれはたゝあるへきになしとて、くひを切れにけり。其時、仲太浅猿悲ふ覚て、且は若君(の)後世をもとひ奉らん、且は我身の咎をもはるゝはかり行はんと思ひて、軈てかさりおろして、性空とそ申侍りける。常は、世の無常を観して泪をなかし、六根をきよめて、法花を転読せり。幡磨国書写山に庵結て、読誦功積て、此身なから六根清浄を得給にけり。されは、彼若君の得脱は、よもさはり侍らしと覚へり。最初、発心の時より、久修堅固の今迄、をこたりなく行給へは、今は彼若公は霊山浄土にもや生れてもいまそかるらん。又、此若君の、人の事にあたるへき事を、みわひ給て、我と替て命を失ひ給へるわさ、たとへなき心にそ侍へき。中にも、十の人の幼なきには、此事けにと思はんやは。あはれ、なからへ給はましかは、いかなる人にか、おひ出給ふへきと、返々もゆかしく侍り。さても、此聖人、我<れ>法花読誦の功に依て、肉身にまのあたり、六根清浄の功徳を得たりといへ共、生身の普賢菩薩の尊像を拝み奉らぬ事、恨の中の恨に侍りとて、七日祈念していまそかりけるに、七日の暁のうつゝに、天童詫して云、室の遊女か長者を拝め。それそ実の普賢なると示して失給ぬ。不思議と思ひをとろきて、いそき室へいたり給なんとす。黒衣にては、遊女見んといはん事悪かりなんとて、白き衣き給て、同さましたる僧五人具して、室の長者かいほりに至りつき、やとをとり給に、長者出合へり。長者酌取、聖人に酒をすすめ奉れり。しゐ申とて、舞をまふ。周防みたらしの沢部に風の音信てとかすふれは、ならひゐたる遊女共、同声してさゝら浪立つ、やれかとつとうと拍しけり、されは、是は生身の普賢にこそと思給て、目をふさき心をしつめて観念をし給ふ時、端厳柔和の生身の普賢、白馬に居給て、法性無漏の大海には、普賢恒順の月光ほからかなりとうたはせ給へり。又、目をあきて是をみ給へは、遊女の長者也。うたふ声も、さゝら浪立と云也。又、目をふさき、心を法界にすませは、長者又生身の普賢にてまし/\けり。聖人貴馮しくいまして、いとまを申て出給ふ程に、一町はかり去給て後、此長者、<は>俄に身まかりにけり。此長者、遊女として年を送しかとも、誰か是を生身の普賢とは露思侍し。只なめての女とこそ思ひけめ。実の菩薩にてをはしましける事、けに/\忝そ侍る。すへて、かゝるみよの仏達、形をかくしてうち出給へ共、眼に雲あつくして、すめる月のあらはれぬに侍り。かなしきかなや、尊像に向きなから、遊女と見る事を。恨しきかな〔や〕、妙なる御法を聞なから、さゝら浪の詞と思ふ事を。さて又、此遊女の軈てはかなくなり給へりける事、いかなるやうのあるにや。実のあらはれぬとて、さりいまそかりけるやらむ。又、聖人にをかまれ給ぬれは、是やのそみにていまそかりけん。此ことは拾遺抄に載て侍<り>ることのみすこしかたさに、書のせぬるに侍也。見およはさるにはあらす。されは、悟のまへには、風のこゑ、浪の音、みな妙なる御法に<侍なる事>侍る事、此遊女の歌の法文なるにて、ひしと、けに思ひ定て侍り。あはれ、聊のさとりを開て見はや。いかに此世におもひをとゝめいれ(ら)ん人の、をろかに覚へん。爰におもひをとゝむるも、火宅とらさる程の時也。火宅としりなんに、何としてかしはしも留らんと思ふ事侍らん。さても、都に心をとゝめて思ふに、見すしらさる所は、且く是ををく。日本一州の分斎に、あらゆる人いくそはくかあり。其中に誰かひとりとして、此世になからへはつる。八そちの齢はたもつ物まれなり。抑、死て後何所へかゆく。又、何の所にかとゝまりはてん。生し生して、生の始をしらす、死し死して、死のをはりをもわきまへす。三途つゐの栖にあらす、めくるめくる所、みなしはしの程のやとりなり。たゝ蹴鞠の上下し、車の庭に廻に似たり。何を定る所としてか、仮にも思をとゝめん。此身形、又定相ある事侍らす。人に生れは人身也。鳥に報をうけぬれは、則、鳥の形なり。されは、此身もはてしなけれは、思を是にもとゝむへからす。只、行て留りはつへき仏果円満の位、うけて姿をあらためさるは仏身なり。しかあるに、とゝまりはてうけはつへきをはねかふ心なくて、此かりなるやとりの中のはかなき身に思をのこさん事、返々も愚に侍り。   <巻六第一一 武蔵野聖事> さいつころ、武蔵野を過侍しに、東西南北草のみしけりて人もすます、草色々に咲みたれて、もゝうらにからにしきをひろけたらん心ちのし侍りて、武蔵野は行とも秋のはてそなきいかなる風かすゑにふくらんとはる/\思やり侍り。かくて、やうやく分入て見侍に、花を手折て家居せる僧あり。年は五そち斗にもやならんとみゆる程なり。花の机に法華経まきならへて、入於深山思惟仏道とたうとき声してよめりけり。何すちの人ならんとゆかしく覚侍て、近より委く尋ぬるに、郁芳門院の侍に侍しか、女院にをくれ奉し時、世の定なきはかなさの思ひ知れて、手つからもと<と>ゝり切りて、すみなれし都をははなれ侍き。され共、何のつとめをすへしに、法花経の中に十方仏土中唯有一乗法、無二無三と説れて、一乗妙典にすきて目出みのりなしと説聞え給し事、けにと覚て、法花経をよみ奉りて、後世のつとゝはし侍らんと思て、をこたらすよみ奉になん侍り。此野中に住て、すてに多の年を送ぬれと、御経の力にや、虎狼にもあやまたれす。又、くい物なんとは、時々、ゆゝしき天童の来て、雪の如に白き物をゑたひぬれは、くはさるさきに物のほしくもなく侍るになんといへり。既仙になりにけるにや、殊ありかくそ侍る。読誦念仏なんとは、無智のもの必巨益にあつかる事に侍り。此聖も、無智にをはしけるなめり。しかあれとも、読誦数つみて、すてに仙となれり。我一つ悦へる処は、如此にいみしき人々あまた見侍ぬれは、さすかに縁起難思の力も空しからしと覚侍り。世に仕へましかは、遥に雲ゐを見あけて、色なる袂に心をうつして、むねの煙は冨士のたかねにまかひ、袖の露はきよみかたのはやき浪によそへて、日数はつもるとも、思ひははるゝすゑなくて、空しく此世はくれぬへかりし身のはかなき世そと思ひなして、かく桑門のたくひとなり侍りて、蓮台の月をのそみ、聖衆の来迎を思ひて、少の善根をもし侍りぬと思ひ侍るおりは、法界の衆生にさなから及ほして、一つはちすの上に廻向するに侍り。抑、我等は、無上念王のそのかみ、彼国の黎民なんとにて、縁を結奉りけるにや、そゝろに、弥陀仏の馮しく貴く覚侍り。歎の家、悲のとほそにも、かこつ方とは、此仏の御名を唱へ奉り。恋慕哀傷のたくひ、貧窮孤独のすみか、荒屋燈きえて秋風ひとり冷しきやからまて、たゝ馮方とは、此御仏のみなり。されは夫と縁のふかくいまそかりける事は、是にてしり侍りぬへし。   巻六第一二 滝聖人於庵室値道心者事> さいつころ、頭をろして、侍し比、結縁もせまほしくて、三滝の聖人観空の庵にまかりたりしに、おりふし、聖人たかはれ侍しかは、まち侍らんと思て、東向なる妻戸の内に、うちやすみて侍に、あてやかなる姿さしをわさとやつせると見え侍り、月しろなんとあさやかにて、近く家をいてらん人と覚侍り。我には目もかけて、庭の草花をなかめてうちうめける、事さまの優に覚侍る程に、藤の衣の袖に、露おちかゝりしを、又つく/\とまほり侍し事からの、只の物とは見えさりしかは、  露をたにいまはかたみのふちころも と申侍しかは、この人とりあへす、  あたにも袖をふくあらしかな と付て侍りき。あまりに面白く覚侍しかは、誰と申にか。又、理髪の昔の御事も聞まほしく侍りと、かたらひ侍りしかは、我は近衛院にちかく召仕れ奉りて、忝<く>、清冷殿の月をも秋をかさねてなかめ、古射山のもみちをも年をへてみ侍り。僅に位三品に至り侍し程に、はからさるに、近衛院、ほの/\とありし齢にて、はかなくならせ給しかは、世の無常の思ひしられて、露はかりの具足をも身にそへす、年比の舎利のをはしまし侍けるはかりをとりて罷出て侍り。されとも、する懃も侍らすとの給はせし聞に、そゝろに涙もせきあへす侍りき。朝に生れ夕に死するはかなき世とは、誰も思<へ>るそかし。然に、今日は友にましはりて、日影のかたふくをもしらす、明日は世をわたりて、無常のかねの音にも聞おとろかす。鳥部山の煙とのほるをもしらさんめるに、此三位の、俄に、無常の心にしられ侍て、浮世をのかれていまそかりける、返々ありかたく侍り。見すや、露をこそはかなき物とはいふめるに、今朝のまのあさかほの花にをくれぬる事を。芭蕉の上にかける蜉蝣風になひけるは、芭蕉やさゐ立てややふれんとするに、蜉蝣やさきにきえんとする、共にあたなる身なり。人も又しかなり。春の朝に花を詠するやから、花やさき、人やさき、何れかさゐ立たんとせる。秋の夜月をなかむる人、月やさきに雲にかくれん、我やまさにかくれなん。けに、雲間をてらす稲妻の程なきほとの身をもちて、我身のうへをほめ、人の上をいひて、年の歩のちかつきぬる事をもしらさる事の、いと無慙には侍らすや。哀、深みのりをしるまてのさきらは侍らす共、無常をつねに忘れぬ程の心を仏のつけ給はりて、我身をさしはなちて、思をとゝめて、後世のつとゝし侍らはや。高野の大師の御詞に「曲蓬麻にましはれは、ためさるに自然に直る」といへり。実なるかなや。しかあれは、けに/\かゝらん人にそひて、常は世のはかなき事をも聞侍る物ならは、我心をためんとにはあらす、自然にすくにして、無常をさとるへし。   <巻七第一 帝子値骸骨> 昔、もろこしに帝子といへる人侍りき。彼は、我朝に太夫の史なんと様の人にそ侍ける。梁朝御世に、朝に仕へて公事を行ふ程に、冬の日くれやすくて、白駒西の山にかたふき、金烏東の峰にいつるほとに、公事はてけれは、我家になすへき(わさ)侍て、夜の深ぬるをもかへり見す、舎人一人をなん具して、はるかの道にそ趣れける。いたく夜ふけぬれは、人をとかむるさとの犬も侍らす、たゝそこはかとなく荊蕀の上には、白雪そゝろにつもり、つららにむすはぬ谷の水の岩間をくゝる<を>(□と)はかり、心すこくそ聞えける。人里もはるかにさりぬ。なくさむる野寺のかねもうちたえきこへねは、いとゝあちきなくそ侍りける。かくて、なをゆくほとに、かすかに火の見えけれは、うれしくおほえて、駒をはやめて、近くならん事を急く。かうくして尋付みれは、四壁あはれて、内もさらにとなるかと、けたかくらうたき女房の、髪ゆりかけて琴を引侍り。こはたれ人ならんと、見る目めつらにおほえて、いそき門をたゝきて、宿からんと云に、此女房、とはかりありて、ふつに思寄すと、もてはなちつるを、なをあなかちにいひけれは、とはかりうちためらひて、さらは是へとて入たり。あらはにてはさもあはれてみえけれと、内にてはさる屋に、高灯台に火かきたてゝ、〓〔巾+几〕帳をたれたり。宿近付みれは、弥恋まさりて、覚侍りける。琴の音常よりもおもしろく、心もすみ渡りてそ侍りける。さても、かゝる野中には、なにとてかすみおはします。いとおほつかなくなんといへは、此三年、この所にはすみ侍る也と答ふ。かくて、あり明の月も影うすくなり、東も漸しらみわたりて、野寺の鐘もほのかに枕の下にをちき。八声の鳥も妙になきわたれは、此帝子ちと四方を見廻したれは、広々たる野のすき一むらしける中に、死骸中にそいねたりける。あさましさかきりなくて、いそきおきつゝ馬にとりのり、むちをあけて里に行付て、此野中、しか/\の所には、いかなる事かある。かゝること侍りと聞れは、里のもの共、同こと葉にいひけるは、しかあらん、此里に梅頭といふ人、みめうつくしき娘侍り、常には琴をなん引侍りし、父母に先立て身まかりしかは、彼野のほとりにてすてをきて侍る。当時まて、彼骨、夜る女房に変して、琴を引なりと、答けりと語伝て侍り。いと不思議にそ侍る。是は、されはいかなることやらん。面白くおもひつけにし名残にしあれは、死て後も、なを彼野に心の通きて、我骨をもとめて、形をおほひきせて、琴を引けるにや。しか/\と聞ては、何となくおそろしく覚侍れとも、また艶なる方も待つゝされは、何事も心にいたく物をおもふましき事にや侍らん。   <巻七第二 経信卿花見・値僧連歌> 中比、帥大納言経信卿、西山の花みんとて、さるへきすき人ともいさなひつれて、大井川の千本の桜なかむとて、河のほとりにゐて、水の面にたゝよひ花の、浪におほれ、藻くつにましるわさをなん歎て、心をいたましめ、心なき嵐をうらみなんとして、日くらしなかめ給へりけり。筏にのり、向のはたにこきよせて、各おりたち、峰によち谷にくたりてあそひなんとし給ひけるに、或木の本に、齢五十はかりなるか、帷一をなんきたる僧の、禅定する侍り。人々見付てむらかりよりて、何ことをし給ふ人そ。いつくの誰かしといへる人にかなんと、尋られけるに、露斗のいらへもせす。やゝ程へて、先人々は何とて是には来給ふにかといふに、経信こたへられける様、我は、花を見に来れりとの給はすれは、此聖我もしかなりといふ。深くおもひ入たる人ならんと見えけれは、法文の、心のはるけぬへき、の給はせよと、あなかちにせめられて、煩悩即菩提、生死即涅槃と云文をそ誦し侍りける。されはこそとよ。只人/\はおはせさりけるにとて、重て、此文の心なんと問あはれけれは、実日比のやみもはるはかりいひけれは、各やかて本取おろして、同行とやならましと覚る程にそ侍ける。さても、此山にこもりゐて、ひとり人にもけかされす、さとり給はんは、さる事にて侍れとも、自利々他心平等なるこそ、菩薩の行には侍れは、京さまに出給て、人をも教化し給へかしと、各すゝめ給へとも露はかりたに、さりとおほしたる心侍らねは、此聖の名残をしきまゝに、誰々も宿へ帰り給ふ事も侍られて、さかしき山に浄衣をかたしきて、夜もすから法文をそ問れける。夜明て後、今は、さのみあるへきわさならねは、此聖にも泣々別て、又まいらむなんと契て後、俊頼卿かく、  なきてそかへる春の明ほの との給ひたるに、此僧やかて、  又もこん秋をたのむのかりたにも と付たるに、弥おもひ増て帰き。其後、尋行たりけるには、見え侍らすとなん。誠にあはれなる事かな。山に深くすみて、理事即一の悟り(開て)いまそかりけん心の中、清滝の流れはにこるとも、此人の心の底は、露はかりもにこらしとおほえて、ゆかしく侍り。凡俗は即真なり、真はやかて事なれは、谷の水を(む)すひ、峰の薪をとり、手をうち足をはたらかすも仏法にこそ。なにはの事か法ならぬなんとも、さとらぬ人の前に真俗大に、へたゝり暦して、善不善本来替れり。此悟の開けん、返々も貴くおほゆる。さても此経信この仏法の名残ををしみて、さかしき山路の谷あひに、岩根を枕にし、苔の衣を重て、夜を明されけむも、おとらす貴く侍る。結縁よもむなしからし。あはれ此世には、かゝる人/\はよもおはせしものを。   <巻七第三 相模国大庭僧事> 昔、相模国大庭といふ野の中に、如形の庵結ておれる僧一人侍りき。時々、里に出て物を乞て<いのちをつき人につかはれて身助るはかりことをなし>いつゝ、世をわたり侍りけるとかや。さて、其里に世心ちおひたゝしくはやりて、高卑しつ心なくやみをりけり其中に、する方もなく貧き物、夫をすてになき物に見なして、妻なりける者、また、彼病を継てやみふせりけり。やまさらんすら命もつきかたきに、まして跡まくらもおほえねは、いのちも絶ぬへく侍ると、里の者のさたし侍りけるを、此僧、ほの聞て、夜る人にもしられすかの所に行てみれは、火もともさす、やみくるひて、正念も侍らさりけるを、とかくこしらへてしつめて、物覚ると見ゆるときは、念仏をすゝめけり。かくて、漸く心ちもよけにみゆれは、えもいはぬ物なとして、すゝめて命をつきけり。此やみける女はもたる物も侍らねは、此僧の、里に廻りて、銭米を乞て、とかくいとなみて、人しれすして、いのちをさゝへけり。しかあるのみならす、常は教化して念仏を申させけるとかや。此聖のありさま、よろつにつけて哀の深くて、苦のおほき有情類を見てはなみたをなかされけれは、目はいつもなきはれ、袂はひるまもなかりけるとかや。かくて、さすらへおはしけるか、過にし延久の比、かの庵にて、三月廿五日の暁に、おはりをとり給へり。音楽空にきこえ、異香室にみちて、往生し給へりと、伝には載て侍り。この人の有様拾遺伝に載たりしを披見せしに、おほくなみたをなかしき。坐禪の床の上にては、眠をしのきてうへを忘れ、大悲の室の中には、闡提の誓とこしなへなりと侍るこそ、有かたく貴くおほえて、かなはさらんまても、このことく心をおこさはやとおもひて侍しか。   <巻七第四 仲算事〔その一〕> 昔、山階寺に松室といふ所に、仲算大徳とていみしき智者いまそかりけり。喜多院の空晴僧都の弟子にておはしける也。水の流より出き給へる化人とそ申伝て侍る。彼人いまた、空晴僧都の室におはしける時、空也聖人、法文の事尋奉らんとて、空晴のもとにいましてけり。おりふし、僧都他行のひまにて、この仲算大徳の童にておはするはかりをとゝめ置にけり。僧都は物へ出給ふよしを空也聖人に聞え給ふに、聖、此児の只独りある事をあはれみて、内に入てあの囲碁盤取ていませよ。碁うちて見せ奉んとの給はせけれは、仲算、碁はんを取あけんとし給ふに、更にあからさりけるを、聖人見給ひて、さらは、此念珠を盤の上に置給ひたれは、念珠、こはんの足をうちまきて、聖の所に持て来りにけりと申伝て侍り。仏法の様〔に〕おもしろき物こそなかりけれとそ覚侍る。彼空也聖人は延喜第五の皇子とも申。誓勘抄には化人と注せり。かやうに悟を開き給ふ人の前には心なき念珠まても、その徳をあらはす事、不思義にしも侍らしかし。   <巻七第五 仲算事〔その二〕> 延喜の御代の末つかたの比、この仲算大徳、同朋あまたいさなひて、ひかしのかたへ修行し給ひけるに、天下日てり、すへてたえせぬし水なとも、皆ひかはきて、うへつかるゝ者おほく侍り。あれとも、仏菩薩の御助や侍りけむ、近江国にある山中に、清水の有けるを、遥の遠所よりあつまり汲ける也。或女の水をいたたきて行けるを、仲算大徳つかれ侍り。ちとのとのうるゑむとあるに、此女云様、貴けなる聖の、水をもわかし出してのみ給へかし。我々かはる/\の所より、からうして汲たる物を乞給ふへき理なしと〔答〕答へけれは、此大徳さらなり。さらは水をわかしてのみなんとて、山の岸に走寄て、剣を抜て山のはなを切給ひたりけれは、冷しく清き水の、滝のことくにて流いて侍りけり。さめかへしの水と云は是なり。さて、其里の者とも、目もめつらかに覚て、あさみのゝしるわさ、事もなのめならす。其後は、いかなる日照にもたえすそ侍りける。さて、其四五日へて、浄蔵貴所の過られけるか、此清水の事聞給ひて、われもさらは結縁せんとて、又、そはを切られたりけれは、先のよりは少なけれとも、清水なかれ涌けり。こさめかへと云は是に侍る。あはれ、目出いまそかりける人々哉。但、此仲算大徳、〓〔艸+衣〕尾にて千手観音と顕て、滝につたひてのほり給ひしのちは、又もみえ給はすと伝には注せり。されは、久遠正覚の如来にていまそかりけれは、かやうの不思義も現し給ふわさ必しも驚さはくへきにしも侍らす。浄蔵は、善宰相の正き八男そかし。其に八坂の塔のゆ<か>るめ<る>〔る〕を、祈直し、父の宰相の此土の縁つきて去給ひしに、一条の橋のもとに行合て、且く観法して蘇生し奉られけり。伝へ聞も有かたくこそ侍れ。さて、其一条の橋をはもとり橋といへるとは、宰相のよみかへり給へる故に名付て侍り。源氏の宇治の巻に行はかへるはしなりと申たるは、是也とそ、行信は申されしか。宇治の橋といふはあやまれる事にや侍らん。   <巻七第六 恵心僧都事・水想観> 昔、延暦寺に恵心僧都といふやんことなき人おはしける。常は観法を修して、我身ならひに一室を悉く水になし給ふわさをなんし給ひけり。或時、内記入道保胤、往生の雑談せまほしくて、恵心僧都の室におはして、常に住給ふ所をあけて見給ふに、水湛て僧都も見え給はねは、いかさまにもやうある事とおほして出られける時に、あらはに枕の有けるを、水の中へなけ入て帰られにけり。かくて、次日又、内記入道おはし侍りけるに、僧都対面して申されけるは、某かむねにそ此枕を投入れ給ひて、よにむつかしく侍るに、とりて給はせなんやと聞えけれは、入道もゆゝしき人にていまそかりけれは、昨日の事よと心得て、左右に及侍らすと答られたれはうれしく侍りとて、且く目を閉ておはしける程に、恵心僧都の身きえ/\と水になりて、一室皆水を湛て波はけしく侍れと、内記入道はいさゝかもぬれ給はすそ侍し。さて、彼水に枕のうきたりけるを取て、障子よりそとへなけ出し給てけり。かくて、且く侍りて、又僧都出き給ひてけり。いと不思義に侍り。観法成就、けにゆゝしくそ侍る。心に道心ふかくて、坐禪入定をこたらす侍らねは、火生三昧に入時は身よりほむらを出し、水観に住する時には水を涌す習に侍り〔て〕、すへて、上代末代にはよるへからす。種姓の高下にも露よるましき事に侍り。たゝ道心のみこそ、如此のふしきを現するたねにては侍れ。誰もかくはおもへとも、野のかせきはなれかたく、家の犬常になれたり。あはれ、いつ実の心発り侍らんすやらん。   <巻七第七 無相坊事> 近世に、下野国とね川のほとりに、いつくの者ともしらす、かたのことくの庵り結て、あかし暮せる僧一人侍り。よろつ無相にて、露はかりもけかれる心なく、行末なく心さま柔和にて、腹を立るわさいまたみえされは、里の人も哀みたうとかりて、人は無相房とそ名に付てよひあひける。かくて二とせはかり経て、五月の比とね河おひたゝしく出て、思もかけぬ家の具足ともおほくなかれうせ、命をうしなふ輩、かそへつく(す)へくもなし。此里の人々、さても無相房は、一定なかれうせぬらん、あはれゆゝしかりし道心者にて有し人をなと、おの/\忍ひあひたれとも、其甲斐侍るましき事なれは、誰/\もねをのみなきてありけるに、年来、ことに檀那とたのみたりし男、あたりのありさまのおほつかなさに、跡をなりともみんとて、人々三人とりくみて、およき渡て見れは、庵はみな流て、此僧、水の上に坐して、目をひさきてゐたり。ふしきと云もおろかに侍り。いそきおよきよりて、いさゝせ給へといひけれは、遥に物もの給はす。やゝまたせて、今且くありて、手つからまい覧。各あやまちもそし給ふ。いそき帰り給ねとておはするを、猶あるましく、袖を引てゆかんとすれとも、露はたらき給はす。水の上にゐ給ひたれとも、き給へるものいさゝかもぬれさりけり。とかくいへとも聞入給はねは、此男三人は、くたひれもそするとて、つゐにむなしく帰りにけり。其後、はるかに日たけて後そつき給へりける。人々かゝる仏にておはしける物をとておかみけれは、なしかはとの給ひてけれとも、人々聞伝て、走集ておかみけれは、或夜の夜半はかりにうせ給ひにけりとなん。里のもの、歎悲て、尋求れ共、更にみえ給はすとそ。あたりに恋慕して、年来見なれ奉る仏師をよひて、其姿をつくりて、彼庵の跡に、本の様なる庵を立て、うせ給ひし日なれはとて、十八日ことに、一里の人々、寄集て、南無々相房南無々相房と云御名を唱て、縁を結けるとそ。此事、けにたゝことともおほえす。観音なとの化して、衆生をすくひ給ひけるやらんとこそ覚侍れ。失給へる日十八日に侍れは、悲花経の中に、八月十八日を観音の日とせんと誓給ひける、と説れたるに、そうとうて、殊いみしく覚ゆる。大水のゆきたりける日は八日とやらん。なにともあれ、その里の人は往生たのもしくそ侍るめる。同水になかれ〔花〕にけむ人々まても、むつましく侍り。彼御影は、まのあたりおかみ奉りき。   <巻七第八 覚鑁事> 近比、高野の御山に、覚鑁聖人とてやんことなき聖おはしけり。真言宗を悟きはめて、一印頓成の春の花は、匂は寂莫の霞の衣にうつし、禅心合掌の秋の月は、光を無垢の心の内に照して、弘法大師の昔のあとを問て、伝法院といふ所に立、龍花三会の暁を待て、入定し給へりけるとかや。時の人あさみあへるわさ、なのめにも過たり。西戎のつたなき、のほるもくたるも高瀬舟に、みなれ棹さしわひても、かの伝法院へまうて、東夷のけはしき、合坂山に駒をはやめて、遠きをしのきて、まいりあつまりて、高き卑き市をなして、道もさらにありあへす。さらなり、さこそ侍りけめ、事もけたゝましき程なり。かゝるまゝに、本寺僧徒、あつまて各議する様、我朝六十余州には、大師の外誰の人か定に入れるはある。中にも、世下て、我山にいかなる行徳ある者なりとも、争か大師の御まねをしては侍るへき。いさ、伝法院へよせて、かの覚鑁か入定さまさんと議して、俄に寄にけり。覚鑁の門徒、ふせくへき力なくて、ちり/\になり侍ぬ。本寺の僧、入定の所に乱入て見るに、不動尊二躰おはしましけり。一躰は、覚鑁の日比の本尊の不動におはします。今一は、聖の化したるとおほゆ。但、いつれとみわきかたし。いかゝすへきとためらひけるに、或僧の不動をさくり奉りけれは、少あたゝかにおはしけれは、是こそ覚鑁よとて、太刀にて切けれとも、つゆきれさりけるを、なしかはとて、いたく切ほとに、覚鑁、定さめてつゐにきられ給へり。かゝりけれは、人々、谷へはね入て帰りにけり。其後、覚鑁こは心にもまかせぬわさ哉。我この所に住ましとて、根来と云所に、庵を結ておはしけるか、七十二といひける三月三日、往生の素懐をとけ給へり。空に楽聞え、地に花ふりて、誠に目出て終をとり給へりとなん。さても書置給へる詞の中に、禅三昧の我を謗、我をうちたりし輩をも、都てそはめ、かれ/\におもふ事なし。信謗同く利せんとこそ書おき給ひけれ。この言、ことに身にしみて貴そ侍る。仏は皆誰々も我かまねをせよとこそ思食侍れと、人ありてつたなきまゝにこそうちかなはてある事なれ。然上は、此聖人の、大師のまねして、定に入るは、誰々も悦へきに、是をそはめけむ心、返々おそろしくそ侍る。此覚鑁は、たゝ人にはいませさりけるとやらん。白川院の、生身の仏を拝みまいらせんとて、七日御祈侍りけるに、七日にあたる夜の御夢にあすの何時に、高野のものとて、僧のまいり侍らんを拝せましませ。それそ、まことの生身の阿弥陀仏にていませんすると(御)覧して、御夢さめさせ給ひにけり。かくて、御心元なくて、いかなる者かまいらんすらむと待せおはしますに、此聖人、高野に伝法院建立の事を申さむとて、まいり給へりける、御前へめさせ給ひたりけれは、額より光さして院の御目には見えさせ給けれは、御夢不思義におほえて、やかて五ケの庄を給はせけると申伝て侍り。阿弥陀仏の姿を凡夫に化<同>ほしまし/\て、我等こときのさう/\の機のために縁を結ひて安容界へ導給ふ事、申出も事もおろかなれ共、此寺を見聞に、すゝろに泪もれ出て、袂をしほりかねき。されは、無上念王の御時、かの三国に生て、深く縁を結て侍りけるやらん。すゝろにたのもしくおほえて、歎憂人のある時も、此御名をとなへ、身のさむく、かてのともしきにも、かこつかたと御名を申せは結縁ふかくそおほえ侍る。   <巻七第九 義量召出法師事> 昔、信濃国に一条次郎義量と云武士のもとへ、つたなけなる僧の入きて、宮仕つかふまつらんといひけれは、それはいつくのものそといふに、遥の遠所の者にて侍り。年比、妻なりし者にあひかゝりてなんすへき侍りつるか、はかなくみなして後は、なにゝかゝりて命を継へしともなきまゝに、乞食なんし侍りと云を、家主あはれみて、おきにけり。されは、くひ物は、一日に一合はかり、只一度、午中はかりにくひける外は、すへてなにもくはす。人のあはれみて、よき物なんとを勧むれとも、かつてくはすそありける。物をもいはて、心よくつかはれけれは、あるしも又なきものにおもへり。誰々もいとおしみ、なつかしき心侍りとて、情をかけけり。一年あまり此所にありけるか、いかなりける事の侍りけるにや、かきけすことくにうせ侍りぬ。あるしをはしめてありとある人、さも思はしかりつる物をとて、泣かなしみけれとも、更かひなし。さて、かの住つる所をあけてみれは、誠に目出手跡にて、日々記をせし侍り。何事そと見れは、いく/\かの日に頭燃をはらふ思ひなして、念仏三百反申し、又其日は戌の半より辰の半まて坐禪しぬ。次日は不浄観、或時は唯識観を修すなんといふ、一筋に観法勧の日記にて侍ける。是を見るに、弥かきくらさるゝ心ちして、泪をなかさぬ人は侍らさりけり。誰と云智者の徳をなかして、つふねとなられけるやらむ。哀玄鬢僧都にやいまそかるらんと、昔の跡、ゆかしくそ侍る。物をおほくくい給はぬさへ、おもひ入らるゝふしの侍りけると、心のうち、すみて貴くそ侍る。はかりなき煩ひかり出くる物を、するわさもなくてくひつゝ、是に着して、厭離の心の侍らさらんは、実に罪ふかゝるへし。さても、此人、何所にか、心すましておはすらん、比おひは玄鬢に相当と、定てその人と定むる事をえす、あはれ床敷かりける心かな。   <巻七第一〇 吉野庵室> 長承の末の年、出家の望とけて、貴き所々をも巡礼し、面白き所をも見まゆかしく覚て、吉野山にさかのほりて、三とせを送り侍き。山のありさま、花の色、木のすかた、所の閑なる事、都にておもひやりしには猶まさりて、すこく侍りき。な<ら>しのはまてはこちたき、太山の嵐を花のすゑによはり、桜は雪にさきかはり行さま、めつらかに侍り。上下の御前、安山宝塔の御有様、心なからんすらみすこしかたく侍へし。されは、此所は心もとまりて覚侍しまゝに、三とせを過し侍りき。ある年のやよひの比、庵の前に桜の散みたれて、よにおもしろくなかめわたりて侍に、とし五十にたけたる僧の、誠につたなけなるか、片かたの袂に米をつゝめりけるるか、この花の下により来て、うちやすみゐたり。あらむさんの者や、道心なんとも侍らねと、世の過かたさに、人の門にたゝすみて、袖をひろくるわさをし侍るにこそとうち思ひて、なにとなく高らかに念仏して侍るに、此僧の立出かへりなむとするを、仏菩薩はいきとしいけるたくひをあはれみ給へは、あれをとても、みすこすへきにあらす。其上、同く仏性を備る人なり。すこしもそはむる心侍らしとおもひなして、且く、花なかめ給へといひたるに、僧うれしくもの給はせ侍り。たらし  さかぬまてこそすくれ山さくらさのみや花のかけにくらさむ とこそ覚侍れと、うち聞えたるゆかしさに、忠人にはおはせさりけるとおもひて、  散ぬまは花をのみまつ旅人のさけはなとてかなかめさるらん と返し侍しかは、此人、心よせけにおもひて、我も此山のおく世をのかれ侍る者なり。おはしてすみかも見給へかしと有しかは、やかていさなひつれて、みにまかりたれは、桜の四五本しける下に、松をもちて上をふき、そはにもたてまはして、着たる帷の外は、露もちたる物も侍らす。人里遥にて、おもひすませる庵ならむとみえて、いとうらやましく有まほしき住家に侍り。さても何としてか後世のやみは、はるけぬへきと尋侍しかは、三世不可得の観とこそ思ひて侍れとそ答られ侍し。たゝうちやりの乞食とこそおもひ侍りつるに、かゝる道心者にていまそかりける事よと、ありかたく覚て、此峰にすまん程はと、契て帰り侍りにき。事の様、まことに道心者とそ見え侍し。山ふかくすみて、三世不可得の悟を開ておはしけん心中、たとへなくそ侍る。   <巻七第一一 叡山宗順事> 昔、比叡の山に宗順と云人侍りき。初瀬の観音に詣てゝおはしける夜の夢に、観音のやゝと仰の有けれは、宗順居直畏たるに、汝大寺に帰なん時に、つり鐘風のために落て、たくの坊舎をうちやふり、人の命をおほく失ふへし。汝も彼かために、寿をほろほすへしといへとも、我に志ふかきによりて、今度の命にはかはるへしと仰らるゝとみて、夢さめ侍りぬ。されは、何事の有て、さはかりつよくつりたる鐘の落へきやと思ひつゝ、叡山に上り侍りぬ。さるほとに、二三日経て、永祚の風とて、末の世まて聞ゆる風に、つりかね俄に落て、人の家十家斗うちひさかれて、命をうしなふ人、かすあまた侍り。此宗順の坊うちひさかれてける内になん侍り。俄の事なれは、誰も何とてか遁るへきなれは、おほく死侍りしに、宗順阿闍梨、おりふし持仏堂につとめして侍りけるに、家のひさける時に、此本尊の等身の観音、宗順の上におほひて、ことなるあやまちつゆちりなかりけり。いと不思義にそ侍る。泊瀬にてみし夢に露たかはさりけり。観音の利生方便、ことに哀にそ侍る。さても、長谷の観音、本尊の観音に力をあはせ給ひて、宗順阿闍梨か命を助給ふなるへし。其より、此観音を、はせの観音になそらへ奉て、持仏堂を長谷堂とそ申伝て侍る。大聖の化用申出も、中/\おろかに侍れと、是はいと不思義にそ侍る。   <巻七第一二 大智明神・伯耆太山> 伯耆国に、大山と云所に、大智の明神と申神おはします。利益のあらたなる事、けに朝の日の山のはに出るかことくに侍り。御本地は地蔵菩薩にておはしますとそ。昔、俊方といひける弓取、野に出て、鹿禽を狩りける程に、例よりもしゝおほく、みなおもひのことく射とゝめにけり。(さて)此鹿ともをとらんとすれは、我持仏堂に千躰の地蔵をすへ奉りける五寸の尊像に矢を射立て、鹿なりつる悲くおほえて、地蔵にとりつき奉て、泣おめきけれとも、更にかひなし。やかて、手つからもとゝり切て、我か家を堂に造て、永く所の殺生をとめ侍りにき。さる程に、称徳天皇の御時、社に祝奉れと云詫宣侍りて、<やかて堂をやしろになして大智明神とは申侍り>(近衛本〔岩波文庫〕による)。利益あらたなれは、彼所の砂たに、夕には坂上て、朝に下て、参下向の相を示す。彼岡の松は、明神の御方に向て、みななひきける、帰依の姿を顕し侍るとかや。心なき草木砂まても、帰依し奉るわさ、実ありかたくそ侍る。誠に、此菩薩の御ことは、昔広目女と申侍しとき、母尸羅善現のために、堅固の大願を発し、おほくの宿願を立て、修しあかりまし/\て、今等覚無垢の菩薩とはなり給へり。されは、昔の因位の行をいはんには、何の仏の菩薩か、此尊には及給ふへき。されは、経の中に、久修堅固、大願大悲、勇猛精進、過諸菩薩と侍り。然あれは、この本師尺尊、・利天の麓にて、二仏中間の衆生は、悉く地蔵化導し給へとは仰られけめ。菩薩、かひ/\しくうけ取まし/\侍り。仏智も通し、菩薩の御心も、相叶侍るなるへし。中にも、今の大悪人の、殺生とゝめんために、鹿の姿を現していられ、後に尊像を顕して、罪悪の我等をして、堅固の信心を催さしめ給へる事、返々貴く侍る。   <巻七第一三 鹿嶋明神事> 治承の比、常陸鹿嶋の明神に参侍れ、御社は南向に侍り。前は海、後は山に侍り。社いらかをならへ、廻廊軒をきしれり。塩たにさせは、御前の打板まては海になる。塩たにも引けは、砂にて三里に及へり。南は、海にてきはもなく侍れは、昼はみなれ棹さす舟を見、夜は〔彼〕に宿かる月をみき。北は、山にて侍れは椙村にをちかへり鳴子規のはつ音いちはやく聞え、草むらに露をそゆる夜の鹿、あかつきさけふさるの、<こゑひら山おろしなみの音よに物>(近衛本〔岩波文庫〕による)哀に、心すこく侍り。東西は野辺色々の花は錦を覆へるに似たり。さても、何よりも面白く侍りしは、御殿の上の桜の、七日をかきる別をつけて、庭をさかりとうつりて侍し。折ふし塩みちて、花あそこに一村、こゝに一村、渚々に入江/\にゆられありき侍し。かねて、廻廊のうちにて、よみさして、末ゆかしく思へりしに、巫子の鼓うちて、思惟仏道の末をなを聞はやと詫宣侍りて、様々のなんと侍しにこそ、けに神もおはしけるとは覚し。其中に、  我、去ぬる神護慶雲に、法相を守らんとて、三笠山にうつりぬれと、此所をも捨す、常に守る とそ御詫宣は侍し。さても、塩のみつときは、おほくの鱗、波に随て御殿まてより、塩の引ときには、遥に帰れは、日に三度参下向に似たり。されは、結縁むなしからて、定て巨益にあつからんと、哀に侍り。又、はるかに御社に引のけて、御社侍り。いか川と申眷属の神にしおはします。天の下もらさす守らんと誓給へり。鶴千里に飛なを地を離れ、鷲雲にかける。いまた天の外にあ〔く〕されは、何れの鳥獣か利益にもるゝ侍らん。如此、一子のことくにおほして、我をすくはん、彼を助けん、とおほしたる仏神おほくましませとも、我等妄染の雲厚く覆て、心の晴ぬ程に、仏神も利益之処のましまさぬに侍り。あはれ、無下なりける心哉。惑障は対治のある物を、さてゆる、昔の五戒を行末なく成はてん事の心のうさよ。いかにせん/\。   <巻七第一四 北国修行時見人助> 同比、こしの方へ修行し侍しに、甲斐の白根には雪つもり、あさまのたけには煙のみ心ほそく立登るありさま、信濃のほやの薄に雪散て、下葉は色の野辺のおも、思ひまし行まのゝ渡瀬のまろき橋、つらゝむすはぬ谷川の水、流ゆきぬるはてをしらする人もなく、さかしき山路峰の岩木のしけきか本、木曽のかけ橋ふみ見しは、生て此世のおもひ出にし、死て後世のかこつけとせんとまて覚侍りき。あつまちこそ面白所と聞置し思ひ侍し、子細のかすにも非さりけり。野寺を過るには、武蔵野のしける中に入しよりも、むら/\さける草花、中/\心をいたましめき。山路に入おりは、宇津の山、つたの細道よりも、すみわたりてそ覚し。佐野の野辺には、袖はらふけきかけもなしとかや、しなのなるほやの薄風もあらは、となかめけん、いとおもひあはせられて、泪もそゝろに侍りき。かくて、漸く過行に、かこの渡りに、いますこし行付かて、山のきはにて僧一人、男一人侍り。此男あきれ様に侍り。事の見過しかたさに、いかに、何事にかと云に、たゝとはかりうちいひて、語事も侍らさりしを、なしかは、何事なりともくるしく侍るへき。すへて、うしろめたなきことは、ふつに侍ましきそと、<強>施に聞えしかは、此僧の云やう、其事に侍り。我、高をひかけて、斗藪を行する身に侍り。此殿は、いつれの人にかいますらん。たゝ道の程、且く行つれ侍りつるはかりなり。然ある程に、此人に重き敵の侍りて、行さきにも侍なり。已に方便をつくるなれは、帰へしとても、助かるへきならねは、ともに侍りつるをのこともゝ、命をまさる事なしとて、あそここゝにおち散て、たゝ一人せん方もなくてそおはしつるか、いとをしくてえなん過やり侍らす。いかゝして此殿の助かり給ふへきわさをせんとおもへとも、かなはて、日影もかたふけは、羊のあゆみの近つく心ちして、そはにて、いと悲しく侍りとて、泪もせきあへねは、此男も、今日一日の道の程はかりのなしみに、是程まてもおもひ給ふらむことの忘かたさ、いかなる世にか、報しまいらせんとて泣めり。事のさま哀なるまゝに、誰も袂をしほりて、聞こゆることもなく、三人なきゐたり。さても有へき事ならねは、此山ふしの〓〔竹+曲〕の中に、此人をかくし入て、ふたりうちともなひて、道を過侍るに、太刀はき弓もちたるおのことも、十余人あつまりて、過つる方に、しか/\の男や侍りつる、と尋侍しに、此山伏、いさゝかもさはかす、去人侍りきか、此渡をせむと有つるか、敵の待とかやつくる人侍りとて、又、越後へとてこそおもむき侍しか、と云事を聞て、こは、打にかし又、いさ追はんとて、馬にのり、鞭をうちて、はせ過にけり。さて、後は、からくして命を助て、越中の国に付侍りぬ。さて、此山伏やう/\にとゝめしかと、更に聞入れす過さり侍り<ぬ>。我をもさりかたくとめきこえ侍りつれとも(近衛本〔岩波文庫〕による)専助ける人すらとゝまらぬをやとおもひしかは、もてはなれける返事して、過侍りき。あはれたうとかりける山伏の心かな。年来したかへる奴婢すらはなれ行に、つゝきもなき人の、すゝろに歎て、我か高負にかくし置て、敵の前を過けん心、かへす/\ありかたきことにそ侍る。たゝ、道のほとりに行あひ侍るには、こと葉のつての情はするとも、誰かかくはかりは侍(る)へき。観世音の因位の大悲は、かくや深くおはしましけん。人の歎をわかなけきとし、他の悦喜を我か悦とおもへるこそは、誠の仏法には侍なれ。自利々他心平等是則名真供養仏と侍れは、誰々もこの心を守り給へと也。   <巻七第一五 伊勢国尼自> 近比、伊勢国に或山中に柴の庵りを結て、尼のやせおとろへて、かほより始て手足まことにきたなき尼の、泪を流して念仏する侍り。深く思入らん人とはみゆれとも、あまりにかほより始てきたなくおはするは、いかに、さまてはあらしはや(と)人々いひけれは、さらなり。さそきたなくおほすらん。されと、思ひ給はす女身なれは、さまもなたらかならは、そゝろなる事いひて、ほひならぬことも侍るへし。されは、わさと身をやつすに侍り。つねに泪のこほるゝことは、生死のおそろしさに、いかゝとおほえて、なかるゝに侍りといひけり。誠に、夜昼念仏の声おこたること侍らねは、人々も後世者にこそとて、たうとみて、命をさらふるわさをは、里の人々訪聞えけり。或時、この尼云やう、ちと人にもしられて、難去人の来りて、庵のありさまをもみんと申せは、いれきこえんとおもひて侍り。今我はゆめ/\たれ/\にもさしな入給ふそ、と云けれは、されはこそ。女は心うきものにて有けるそ。後世者とおもひたれは、夫やらん人しもしられて入へき人のありと云事よとて、あさみあへり。しかれと、約束のまゝに五日ゆきもせす。四日まては念仏聞えけれと、五日のあかつきより、念仏の声とたへけれは、人々あやしみて行てみるに、西に向て手をあはせて、ひき入にけり。日比のほひのことく、往生とけにけり。かやうのきはの人は、後世のこと心にかくることは更に侍らぬに、思ひとりけん心、いと有かたくそ侍し。阿弥陀仏の御誓は、更に偏頗侍す。たゝ我をたのまん人を救はん、と誓給へり。されは、何とてか、この尼の往生をとけさるへき。生死を慮えて、泪をなかし、弥陀を信して、宝号をこたり侍らさりけん事、けに/\ゆゝしき心とそおあほえ侍し。是を聞にも、さても最終臨終の有様おもひ出されて、そゝろに、あせあへてそ侍る。されは、何を方人としてか、浄土へもひくへき。何をもちてか、焦熱のほのほをけち、何によりてか、紅蓮の氷をとかすへき。さて又、するわさもなくて、おもひとおもふは、併、生死の因に侍れは、悪業おもく萠さして、昔五戒の功徳を行末なくなしはてんかなしさよ。槿花の上の露よりもはかなき命をさて、水のうへの泡よりあやうき身を助けむとて、阿僧祇那長夜の、苦種をうへんことのはかなさよ。されは、玄弉三蔵渡天のそのかみ、海賊の盗難にあひ給へる彼等を見て、豈、電光朝露の身のために、阿僧祇長遠の苦種をうへんやとの給ひしとき、海賊、悟を開侍りて、かしらおろして、奉仕したてまつると侍り。是、実にいみしき智識に侍り。人木石にあらされは、好めは発心するに侍り。いかにもかなはさらんまても、道心をこのみ給はゝ、功徳にこそ侍るへき。一反の念仏をも後世の為にと思向侍らは、なとてか阿弥陀仏みすこさせおはしますへき。あ<は>われ、いみしく侍りける伊勢の尼の心とおほえて侍しか。   <巻八第一 篁任宰相事・詩> 昔、嵯峨天皇、西山の大井河のほとりに、御所を立させおあはしまして、嵯峨殿と申て、めてたくゆゝしく造置かるゝのみならす、山水木立わりなくて、殊心とゝまるへきほとにそ侍りける。きさらき十日の比、御門始てみゆきの侍りけるに、小野篁も供奉し侍りけるに、御門、篁をめされて、御前の野辺の気色、ちと詩につくりて奉れと仰の有けるに、篁とりあへす、紫塵嬾蕨人挙手、碧(玉)寒葦錐脱嚢と造て侍りけれは、御門しきりに御感有て、宰相になされにけり。おほくの人を越て、その座につき給へりにけり。ゆゝしき面目なりけむそかし。篁逝去の後、大唐より楽天の詩ともを送りけるに、蕨嬾き人挙る手蘆寒錐脱嚢と云ふ詩侍り。意はすこしも篁の詩にたかはす、詞はいさゝか相替れり。時の秀才の人々の申しけるは、篁の句なをめてたしとそほめきこえける。けに/\心詞ことに面白く侍り。蕨紫色なれはかゝめり。かゝめれは、嬾に似たり。是又手を挙るかとみえたり。嬾するものかたふくと云、又は高野の大師の御詞に侍り。碧玉の寒蘆をひ出て侍れは、けにも錐嚢を脱に似たり。紫塵に対する碧玉、嬾蕨にあへる寒葦、実/\面白く侍り。相公になし給へる君の御心はへも目出、世を照せる鏡の塵つもらて人の能芸をはかる事くもり侍らぬ、いと有かたきことになん。されは人をおほく越て宰相に列しに、誰かは一人としても脣をかへす輩侍し。   <巻八第二 都良香詩・二首〔その一〕> 昔、宇多の帝の御比、都良香と云いみしき博士侍り。卯月の比、江州竹生嶋へ人々いさなひつれてまい(れ)りけり。遥に山のいたゝきに上りて御社へいたりぬ。四方見えわたり、実/\面白き所なり。かゝれは、都良香、三千世界眼前尽と造て詠せりけるに、神殿おひたゝしくゆるきうこきて、殊けたかき御声にて、十二因縁心裏空と云ふ御句の人々の耳にあさやかに聞え侍りける、かたしけなくそ侍る。実々高き御山のはれる所なれは、三千世界は眼の前に尽ぬと云も理に侍る。それに、十二因縁の心の裏に空く侍らん、返々いみしく侍り。けにも神ならすは誰はかりかかゝる句をはつけ給はんとそ覚侍るに、小野篁は人王の御意を悦はしめて、相公にいたり、都良香は明神の感歎にあつかる。能芸はけにかたしけなくそ侍る。さても都良香は、十二因縁心裏空云御詩を日に三度となへて、後世のつとに向けるに、はたして此意を悟りて終をとりにけるも、有かたく貴くそ侍る。   <巻八第三 都良香詩・二首〔その二〕> 延喜の初つかた、都良香、きさらきの十日比、内へまいれりけるに、朱雀門の辺にて、春風に青柳のなひきけるをみて、気霽風櫛新柳髪と詠して、下句をいはんとて、うちあんせるに、朱雀門の上より、赤鬼の白た<ら>うさきしてものおそろしけなるか、大なる声して、氷消波洗旧苔髪と付て、かきけすことくにうせにけりとなん。此詩、意詞たくひなくそ侍る。けに、風大虚に吹は、気はよもにはれて、あをやき髪とみえて風にけつれり。初きはるゝ春にしあれは、新柳と云も心宜きなるへし。鬼の付る下句、又ありかたくそ侍へき。水は氷に閉られて、みきはの旧苔すゝかるゝ世もなきを、気はれて新柳風もけつる春は、氷ひらけて苔の根やゝ水にあらはれて、柳をかみとすれは、苔ひけとする、草木の本末なる心まてこめたり。返々面白く侍り。   <巻八第四 清慎公事> 昔、延喜の御門の御位の時、清慎公中納言にておはしけるを、左大将にあかり給へき宣旨の下り(侍り)けるに、  滝山雲暗シ李将軍之在家  頻水ノ浪閑ニ蔡征慮之未レ仕 と云て大将を辞し申給へかしそ殊に御感侍りて、大納言にならせ給て、一位をうけ給りける。是も今の名句をかき給はて、大将を辞申されたらましかは、かくまて面目ほとこし給はし。   <巻八第五 野相公再日詩事> 昔、仁明の御時、野相公とかにあたりて、隠岐国へなかされ侍りけるに、  万里ニ東ニ来ハ何ノ再日ソ一生西望ハ是長キ襟也 と造れり。御門聞食て、流罪を留めたく思食けれとも、綸言すてに下侍りける程に、力なくてなかしつかはされ侍ぬ。次年、召返されけるに、去年の再日の名句によるとそ仰下されける。けにも有かたき句に侍り。万里の浪にたゝよひて、一生西におもむけらん、実にかなしかるへし。さても、此篁の、隠岐国になかされておはするに、あまのつり舟の、はるかに波にうかひて、こきかくれぬるを見て、  わたの原やそ嶋かけてこき出ぬと人には告よ海人のつりふね と読てけり。詩巧みなる人は、歌をもよくよめりけるこそ。まことに同し風情ならんと、返々ゆかしく侍り。   <巻八第六 朝綱卿成宰相詩> 昔、後江相公、常陸介になりて下されりけるに、信濃国にとゝまりたりけるに、旧里あしく夢にみえぬるは、何事のあるへきにや<と>思<さ>はきて、人を返しけるとき、  前途程遠馳思於鳫山之暮雲  後会期遥霑纓於鴻臚之暁涙 といふ詩をかけり。使いまた都につかさるに、相公の文詞の蔵焼にけり。是かはや先立て、夢には思ひおとろくまてに見えけるなるへし。さて、此詩、御門聞食て、いそき朝綱卿召返されて、宰相になして、伊与国を給はりにけり。上野国まて下侍れとも、常陸へもとをらて、都に帰りのほりて、相公につらなりて、一国を領せりける。身(に)取て面目を極めり。実<に>々此詩の心けにと覚て、あはれになん侍り。遠き途に趣て、思を鳫山の暮の雲にはせ、後会を遥に期せん事<鴻臚のあかつきのなみたにうるほせらん事(近衛本〔岩波文庫〕による)>さりとおほえて侍り。   <巻八第七 楽天詩> 昔、唐国の白楽天、言のすなをすきたるによて、尋陽の江のほとりに遷され侍りけるに、官途自此心長別世事従今日不言と作り給へりけれは、海龍、海の面にうかひて、泪をなかして、大なる声して、あはれ世のすなほならましかはとて、波に入侍りけり。けにもにこらぬ君にてましまさは、さこそ寵愛も侍へきに、あ(ま)さへ左遷に行はれ侍る事、唐国も無下に心おとりしてこそ覚侍れ。   <巻八第八 北野御事> 昔、延喜の御時、北野の大臣、事にあたりて、西の国へ流され給ひしに、父子五処にわかれ給へりしかは、泪にくれて、紅鏡更見えわかす、やみに迷へる心ちなんし給けるに、おりふし、初かりの雲井ほのかに聞て侍りしかは、  我為遷客汝来賓、  共是簫々旅漂身、  〓〔奇+支〕枕思量帰去日、  我知何歳汝明春 と造り給へりける、あはれに侍り。実も大臣は遷客、鳫は来賓、しかはれとも、同く旅の空に身をたたよはせり。閑に枕をそはたてゝ、旧里に帰らんことをはかるに、鳫は又の年の春なり、大臣は何年にかあらんと、あはれに侍り。つゐに旅にてこそ、御身はまかりていまそかりしか。抑又、  離家三四月、  落涙百千行、  万事皆如夢、  時々仰彼蒼 と云詩を此は天神の御詩なりとて、応和の末の年、もろこしより注申侍るこそ不思議には侍れ。されは、我朝にはひろまらさるを、誰か何として唐国には詠し侍けるにや、殊添くそ侍る。此延喜の御門は、仁流秋津洲之外、恵茂筑波山之影なんといはれ給しに、科もいませさりし北野を、遥の境流遣たまへる事こそ、いかなりける御あやまりやらんと覚侍れ。   <巻八第九 直幹事> 昔、橘直幹といふ文章博士、無実を蒙りて流さるへしとて、明日なん宣下くたると聞えけるに、ちからなし、先世の宿執にこそと思侍れと、年比いとをしく侍りし妻子も別かたく、すみなれし都をふりすてゝ旅たゝんことの難去覚て、北野こそかやうのことには、あらたなる事ともをはしまし侍るなれとて、その夜まいりこもりて、泣々よもすから祈念し侍ける。暁方に、御殿内に大きにけたかき御声にて、道風々々とよはせ給ふに、道風の声にていらへ申しけり。さて仰らるゝ、此直幹、歎申事、無実にて侍れは、御免除あるへき状かきて、直幹にたふへしと云御声あり。うけ給はるに、身のけいよたちて、忝く覚て泣ゐたるに、やゝしはしありて、たてふめる文を、みすの内よりさつろなけ出されたり。直幹いそき開て見れは、  文章博士橘直幹、  依無実蒙勅勘事、  返々不便也。  於今度者可有御優免之由、  天神之御気色、  作小野道風奉也。 とかゝれたり。悦をなして、やとにいそき帰りて、事の侍りけるありさまを委くかきて、此状を奏聞し侍るに、叡慮大に御驚ありて、道風か自書の申文をひらかるゝに、天徳二とせのむ月の十日あまりの比、近江守を望る状の、  紫震殿之皇后  七廻書賢聖之障子  大嘗会之宝祚  両度黷画図之屏風  親三朝之徳化  身猶雖沈本朝  隔万里之波濤  名是得播唐国 とかける手跡を、いさゝかもたかはさる上は、御門おそれをなさせ給ひて、流罪をとゝめ給て、あまさへ日比のそみ申ける式部大輔になされ侍りけり。殊あらたにそおほえ侍る。   <巻八第一〇 〔題欠(公任超斉信之時歌事)〕> 昔、四条大納言公任、斉信中納言を越て一<階>諧をし給へりける時に、かくそよみ給ける。  うれしさをむかしは袖につゝみけり今夜は身にもあまりぬるかな 実に身をたつるならは、さこそうれしく思給けめ。このことは、右衛門督斉信卿、清夏堂の御神楽事によりて、公任をこされ侍りけるなり。其時、公任、中納言の辞表をまいらせられけるに、君、匡房を御夫にて、これはことある辞表なれは、をさむましきなり。速に一<階>諧をそへ給と仰下されて、越られ給へりし恥をきよむるのみにあらす、越返し給へりけれは、人も目出き事になん申侍りけれは、身にあまるまて思給けるなめり。さても悦を袖につゝみ、又身にあまると云事、柿本かや。誰か是をそしりきこえん。   <巻八第一一 〔題欠(公任転大納言時歌事)〕> 同公任、大納言にあかり給て、出仕し給けるに、さても三条殿も東三条の執柄も、いまたおはしまさは、いかはかりうれしかり給はん。又何事もたのみこそ聞<え>て侍へきにとおほすに、いまさらかなしくて、  世の中にあらましかはとおもふ人なきはおほくもなりにけるかな とうち詠し給へりけるを、中務、もれきゝて、几帳のきはになきふしけるとそ。あたりにけしからすとそ、時の人は申侍りけれとも、さも思入ける中務かなと覚て侍り。我身の官職にすゝむに付ても、その人あらましかはと覚る事、いかなる人にもあるへきにこそ。   <巻八第一二 行平事> 昔、行平の中納言と云人いまそかりける。身にあやまつこと侍りて、須磨の浦に遷て、もしほたれつゝうらつたひしありき侍りけるに、絵嶋の浦にてかつきする海士の中に、よに心にとまる侍りけるに、たとりより給て、いつくにや住する人にかとたつね給ふに、此海士取あへす、  しら浪のよするなきさに世をすこすあまの子なれはやともさためす とよみてまきれぬ。中納言いとかなしう覚て、泪もかきあへたまはすとなん。波のよるひるかつきして、月やとれとはぬれねとも、心有ける袂哉。波になみしく袖の上には、月をかさねてなれし面影、其ぬれきぬをかたしきて、舟の中にて世ををくるあまの人の中にも、かゝるなさけあるたくひも侍りけりと覚て、殊にあはれに侍り。歌実に優に侍り。   <巻八第一三 為頼卿・歌> 昔、為頼の中納言の、内へまいり給て、年比むつましかりける人/\のおはする方にいておはしける程に、いかなることの侍りけるにや、若き殿上人、中納言をうち見て、かくれ忍ひ給へりけれは、中納言うちなみたくみて、  いつくにか身をはよせまし世の中に老をいとはぬ人しなけれは とよみて、たち給にけり。なみたのみつるまてに思給へる、よく思入れ給へりけるにこそ。けに、年たけぬれは、心もかはり、つき/\しくなるまゝに、人/\は、いとはるゝに侍り。不老門にのそまねは、老をとゝむるにあたはす。誰もまた老をいとへは、さては老ぬる身をは、いつくにかおかんと歎くに侍り。されは、老人は老人を友としてこそ侍へきに、それは亦むつかしくて、わかきともにましらまほしきことに侍るなり。しかあれは、是も老苦の数にや侍へき。   <巻八第一四 高光卿事・歌> 昔、高光の宰相のつかさ申けるに、かなはて、なけきにしつみ給ける比、九月一三日夜に、月前述懐と云題にて、内裏にて、歌合の侍しに、かく、  かく計へかたくみゆる世の中にうらやましくもすめる月かな とよみてまいらせけれは、御門しきりに御感有て、いそき宰相になさせ給にけれは、歌は人のよむへかりける物かな、心の中の思入るやみをも、こと葉に出さゝらましかは、いつもしつみてはるゝ世あらしとて、悦給けるに、けにと覚てあはれに侍り。   <巻八第一五 公任卿事・歌> 昔、村上の御門の末の比、きさらきの中の十日の初つかた、雪いみしくふりかさねて、月殊あかくて、暁梁王苑に入らされとも、雪よもにみち、夜〓〔广+臾〕公か楼にのほらねとも、月千里をてらす。木ことに花さく心地して、いつれを梅とわきかたきに、公任の中将を召て、梅花おりて参れとてつかはしけるに、程なく雪をもちらさす、おりてまいり給へりけるに、御門いかゝ思ひつると仰のありけるにかくこそ読て侍りつれとて、  しら/\ししらけたる夜の月影に雪かきわけて梅の花おる と申されけれは、大に目出させ給て、叡慮殊感して、ゆゝしきまてにほめ仰の侍りけれは、公任其座にてけしからぬまてに、落涙せられ侍けれは、主上も御泪かきあへさせおはしまさゝりけり。公任は君のかくほとまて思食けるかかたしけなさに、袖をしほらるれは、君は、中将心をはからせおはしまして、御袂をぬらさせ給ぬる、かたしけなくそ侍る。四条大納言の此世の思出は是に侍りとて、の給出る度には、袖をしほりかねていまそかりけるそ、さこそあるへけれと覚て侍れ。末の世には、かやうのためしも有ましきにや。   <巻八第一六 〔題欠(能宣出小野宮殿盃歌事)〕> 大中臣の能宣の、小野宮殿へまいりけるに、みすのうちより、底に日かけのありけるさかつきを出させ給て、酒をすゝめさせ給へりけるに、能宣、日かけをみて、  あり明の心ちこそすれさかつきに日かけもそいていてぬとおもへは とよみてけれは、小野宮殿、しきりに感せさせ給けり。実に面白く覚侍り。有明の月ならては、いかて日影はそふへき。うちきくには誰かよまさらんと、いとやすきやうに覚て侍れとも、きとさる人の御前なんとにて、耳をよろこはしむることは、有かたき事に侍り。されは此道をよく知人は、かやうの事を殊興し給なり。   <巻八第一七 素性事・歌> 昔、素性法師と云歌読の僧侍り。九重の外大原と云所にすみ侍りけり。花に元亮し紅葉に優遊する事、穏逸の如くに侍り。秋の夜のつれつれになかきに、ねもせられて、なにとなく泪ところせきけに侍りき。わくかたなく物哀なる暁に、松虫のなき侍りけれは、  いまこんとたれたのめけむ秋の夜をあかしかねつゝまつむしのなく 又、枕の下に、きり/\すの聞え侍りけれは、  きり/\すいたくなゝきそ秋の夜のなかきおもひはわれそまされる と読りける。実と覚てあはれに侍り。   <巻八第一八 扇合事・歌> 昔、九条殿にて、さるへき人/\七夕に扇合の侍りけるに、中務と聞え侍る女房の、扇に、  あまの河川へすゝしきたなはたに扇のかせをなをやかさまし と云歌をかきたりけるを、殿をはしめ奉りて、人/\、手ことにとりつたえて、殊感の侍りけり。さて、元輔の扇のおそくまいりてありけるを給に、をかしけなる手して、  あまの河あふきの風にきりはれて空すみわたるかさゝきのはし といふ歌をそ書侍ける。面白さ、わく方なかりけれは、此二の扇、かちに定りて、その外のゆゝしかりける扇ともは、花のあたりの深山木の心地して、心とめ見る人もなかりけり。   <巻八第一九 実方・歌> 昔、殿上のおのことも、花見むとて東山におはしたりけるに、俄心なき雨ふりて、人/\けにさはき給へりけるに、実方の中将、いとさはかす、木の本に立寄て、  桜かり雨はふりきぬおなしくはぬるとも花のかけにやとらん と読て、かくれ給はさりけれは、花よりもりくたる雨にさなからぬれて、装束しほりかね侍り。此事、有興ことに人/\おもひあはれけり。またの日、斉信の大納言、主上に、かゝる面白ことの侍しと奏せらるゝに、行成、その時蔵人頭にておはしけるか、歌は面白し。実方はをこなりとの給てけり。此詞を実方も<れ>きゝ給て、深く恨をふくみ給そと聞え侍る。   <巻八第二〇 〔題欠(兼方歌事)〕> 待賢門院かくれさせ給てのまたの年の春、兼方と云ふ随身の、彼御所へまいりたりけるに、人は歎の色ありて、元亮の人も侍らねとも、花は思事なく去年にかはらすさきみたれたるを見て、  去年見しに色もかはらす咲にけり花こそ物はおもはさりけれ と読たりけるを、俊成の聞給て、上の句は目出けれとも、下の花こその句、すこしも心にもかなはす、ひてふ風情の心地のし侍りとそしり聞え給けり。兼方、此ことをほの聞て、殊取つくろひて、俊成の宿所にまふてて、人をたつね出ていと便なき事に侍れとも、申入へき事の侍りまいりたると申させ給へといふに、俊成きゝ給て、此歌のこと云へきにこそなと心得給て、今まきるゝ事侍り。なにわさにか侍らんとの給けれは、兼方、かくと申させ給へとて、  花こそやとのあるしなりけれ とはかり云て出にけり。俊成きゝ給て、をちあはれ(ぬ)とその給はせ侍りける。花こそといふ句を、かたふき給と聞て、俊成の父俊忠の歌の花こそはいかにととかめけるなり。但し、中納言の難し給へるは、去年見しに色もかはらてさきにけりといふまては、いかなる風情の句もつきぬへけに侍に、はなこそものは思はさりけれといふ、こそをにくみ給にはあらし物を、しかる上は、なにしにか俊忠の歌にはひとしむへき。   <巻八第二一 忠峰・歌> 昔、忠峰といへる歌読の、きさらきの比、こしの方におもむきける。山にくもそひきて、木ゝもいと見えわかさるに、雪のおほくつもりて見え侍りけれは、  雲のゐるこしのしら山おひにけりおほくの年の雪つもりつゝ と読侍りける。いと目出く侍り。   <巻八第二二 伊勢・歌> 昔、伊勢と聞えし歌読の女、世中すきわひて、都にもすみうかれなんとして、世にふへきたつきもなく侍りけるか、うつまさにまいりて、心をすましつゝ勤めなんとして、  南無薬師あはれみ給へ世の中にありわつらふもおなしやまひそ と読て侍りけれは、仏殿うこき侍りけり。其夜の暁、夢に貴き僧のおはして、汝か歌の身にしみて思食さるれは、世にありつくへき程のこと侍へし。此暁、いそきてまかりいてね。もし道にて思はさること侍とも、いなふ心あるへからすとみつ。あはれかたしけなき事に覚て罷出ぬ。何となくくるしきまゝに、或はふる堂に人もなくて侍けるに立入、仏おかみなんとする程に、輿馬のりつれて、ゆゝしけなる人のとをり侍りけるか、何とか思侍りけん、此堂に入侍れは、伊勢すへき方なくて、うしろのかたへ行侍に、此中のあるしとおほしき僧のをひきて、かやうのこと、申につけてはゝかり侍れと、仏の御つけ侍りて、申になん。我すむ方さまをも御らんせられ侍れかしと、ねんころに聞侍り。是をたかへん事、仏のおほしめさんもおそろしく覚侍りけるまゝに、なひきにけり。殊に悦て、輿にのせて男山に具にいたり侍りぬ。八幡宮の検校にてそ侍りける。いつきかしつくことかきりなし。子ともあまたまふけにけれは、わくかたなくはりなき物に思てそ侍ける。此検校も、年比あひなれ侍けるつまに別れ、みめかたちあてやかに、こゝろさまのわりなからん人かなとおもひけるに、此伊勢を得てけれは、心のまゝにそ侍ける。   <巻八第二三 躬恒・歌> 昔、躬恒と聞し歌読の侍りける。家に花のいみしう咲たりけるに、大宮人むれきて、花をけこして、日の山の端にかたふきぬるをなん歎侍り。花七日をかきり、その後はとひくる人も侍らしと覚て、  我やとの花みかてらにくる人はちりなん後そこひしかるへき と読侍るも、実と覚て、あはれに侍り。山里は花こそやとのあるしなれ、とよみけん心ちして侍り。   <巻八第二四 花山院・歌> 花山院の道心の発り給へりける比、御<堂>室の御殿の御方より、紅梅の殊色も薫も妙に侍りけるを一枝まいらせける御返事に、  色香をはおもひもいれす梅のはなつねならぬ世にそよそへてそみる と読給へりける。哀に侍り。常なき世には色をも香をも思入し。花も世も常ならましかは、花にもかにも心をとめまし物を。実無常を思食しめさせ給へりける、いとかたしけなくそ覚侍る。御<堂>室の御殿も、殊哀に覚ていまそかりけるまゝに、そゝろに御袖をぬらさせ給へりと伝承侍し。   <巻八第二五 荻上風句> 昔、一条摂政の御もとに、人々連歌侍りけるに、  秋はなをゆふまくれこそたゝならね と云句の出きたりけるを、人々声をかしく度々になり侍りけれと、つくる人も侍らさりけるに、摂政殿の御子に義孝少将とて十三になり給けるか、  荻の上かせはきのした露 と付給へりけれは、殿大に御感ありて、是をはうちこめてはあるへきとて、又の日、此小冠しか/\仕り侍りとて、御堂殿へかくと聞え奉り給に、子はよくいとおしき物にて侍りけりとはかり仰られて、ことなる御詞もなく、なをさりかてらに、返々面白く侍りとはかりそ申させ給へりける。一条殿おほしけるは、年ほとよりもゆゝしくし給へりなんとねんころならんすらんとおほしけるに、なをさりかてらの御返事にて侍りけれは、よに本意ならす思食て、又上東門院へかくと申させ給に、中務と聞えし歌読の女房の、奉りの御返事に、いとこまかに、殊ありかたくて、人丸、赤人か、昔の目出かりし人/\の、再ひ生れたるかなんとまて御返事ありけるに、中務の、私にかく申そへたり。  荻の葉に風をとつるゝゆふへにははきのした露おきそましぬる と侍りける、おかしきさまして侍り。実やらん、其比は、此事をは天下のやさしきわさには申侍りける。   <巻八第二六 遍昭・歌> 昔、遍昭僧正の上東門院へ参り給へりけるに、今夜は御所にさふらひ給へきよし、馬内侍して仰られけるに、遍昭、さしてなすへきこと侍りとて、まかりいてんと云を、中務、いかにとよ、御前の野辺の女郎花をは見すこさせ給へきと、おかしきさまに聞えけれは、遍昭、  をみなへしおほかる野辺にやとりせはあやなくあたの名をやたつへき と読給て、すてにたゝれけるに、馬内侍、とりあへす、  花ゆへもあたなる名をはなかさしときけはたもとをひきもとゝめす とよみ侍りけり。遍昭の歌、馬内侍、女院御簾のうちにてきこしめして、たとへんかたなく目出かり給けるとそ。  花故に野をなをなつかしみひとよしてあたなる名をは、我に残さむ と云事は、柿本なり。しかるに、のへにすま居しなは、あやなくあたの名をたてん事の、胸いたく覚る程の情なき心にしあらは、我もひきとゝめて、又あたなるなをはのこさし物をと返し侍りけるにこそ。   <巻八第二七 四条大納言・歌> 経信の師大納言、八条わたりにすみ給ける比、九月はかりに、月のあかゝりけるに、なかめしておはしけり。きぬたのをとのほのかにきこえ侍れは、四条大納言の歌、  から衣うつ声きけは月きよみまたねぬ人を空にしる哉 と詠し給に、前栽の方に、  北斗星前横旅鳫、  南楼月下擣寒寒衣 と云詩を、実におそろしき声して、たからかに詠する物有。誰はかりかく目出き声したらんと覚て、おとろきてみやり給に、長一丈五六尺も侍らんとおほえて、髪のさかさまにおひたるものにて侍り。こはいかに、八幡大菩薩、たすけさせ給へと祈念し給へるに、此もの、なにかはたゝりをなすへきとて、かきけちうせ侍りぬ。さたかに、いかなるものの姿とは、よくも覚すと語給へりけり。朱雀門の鬼なんとにや侍りけん。それこそ其比さやうのすき物にては侍しか。   <巻八第二八 行尊・歌〔その一〕> 昔、一条院の御時、平等院の僧正行尊と申人いまそかりけり。斗藪の行年久しくなりて、聖跡をふみ給へること、幾度という数をわきまへ侍らす。笙の岩屋に篭りて、香は禅心よりして、火なきに煙たえす。花は合掌に開て、にもよらすして三とせを送れり。天のかこ山にこもりて、無量の化仏を十方に現し、香薫をいほの内にまて三年をすこす。行徳の一方にかきり給はす。笙の岩屋の卒塔婆に、  草のいほ何露けしとおもひけんもらぬ岩屋も袖はぬれけり と筆をとめて、其跡きりくちすみかれて、末の世まてのこり侍そあはれに侍る。ぬしは今はいつれの浄土にかいますらんに、手跡はひとり卒塔婆の面にのこりけるこそ、思入れ侍に、あはれにかなしく、なみたもところせくまてに覚侍れ。遺弟にていまそかりし桜井僧正行慶、彼岩屋にこもり給へりし時、師の僧正の歌の見えけるに、今更昔も恋しく、其跡もしのはしくおもひ給けれは、かたはらに書そへ給ける、  けにもらぬにそ袖もぬれける とありしをみしに、さもゆかしかりける人の有さまかなと覚侍り。かゝるゆゝしき人の歌のかたはらに、つたなき身にして、詞も姿もたかはぬ大和こと葉を書そへらんこと、そしりも多かるへき上、その恐も侍れとも、事のみすこしかたふ侍し中にも、結縁もあらまほしく覚て  露もらぬ岩屋も袖はぬれけりときかすはいかにあやしからまし と書そへてまかりすきしこと、なを/\其恐侍り。しかはあれとも、一つ蓮の露とも、今の歌の露はなれかしと思、草かくれなき跡まても我をそはむる事なかれ。   <巻八第二九 行尊・歌〔その二〕> さても、平等院僧正の目驚きて人申侍りけるは、空也上人と内にて参会給けるに、空也聖人の左の御手のかゝめりけるを、僧正、それは何とてかゝみ給にかと、問給に、是はおさなくてゑんより落てうち折て侍りと宣給ふ。さらは祈直してまいらせはや、いかにと宣給に、さも侍らは、然へきことにこそと侍れは、さらはとて、不空羂索の神呪をみて給ふ事、三反いまたおはらさるに、手の亀みなをり給にけり。法験も貴く、僧正も貴くそ覚給ふ。しかのみならす、一条院の御位のとき、大和より瓜をまいらせて侍けるに、雅忠と云医師のおりふし御前にさふらひけるか、此瓜の中に、その一には大なる毒を含めり。くいなんものは、やかてうすへしと申。此よし御門に奏し奉るに、不思義のことなり。清明申旨やある。彼をめせとて、清明と云陰陽師をめされて、此瓜の中にいかなる事かある。うらない申せと仰下さるゝに、清明程なく、大なる霊気ありと奏すれは、さらは行尊に祈らせよとてめされて、神呪にて祈給に、やゝ時もかへす、おほくの瓜の中に大なる瓜一、板敷より二三尺計をとりあかること度々にて、はては中より二にわれて、一尺あまりなる蛇一すちはひ出て、則死にけり。いとふしきにそ侍る。上古もかゝることをきかす、末代にもあるへしとも覚侍らぬ事に侍り。雅忠、清明、行尊、時の面目ゆゝしくそ侍りける。今世の下りて、かゝる目出人/\もをはせぬこそ、世を背ける事なれとも、かなしくおほえて侍れ。   <巻八第三〇 成通鞠〔その一〕> さいつ比、侍従大納言成通と云人おはしましけり。壮年より鞠を好みて、或はひとりも、或はともに交ても、是を興して、日にたゆること侍らさりけり。或とき、最勝光院にて、殊心をとゝめてけ給へりけるに、いつくのものいつ方より来りたりともしらぬ小男のみめことからあてやか〔に〕なるうすくまりて侍り。大納言あやしみおほして、誰にかと尋給に、我は是鞠のせいなり。君の目出け給によりて、鞠の実の姿をあらはすになんとて、かきけすやうにうせにけり。其のちも度々先のことくなる男出きて、目をもたゝかす鞠を見て侍りけり。いとふしきにそ侍る。そりたるくつをはきて、清水の舞台のかうらんにて鞠をけ給けるを、父の宗通の大納言、あさましううつゝ心なく覚給て、此こといさめんとて、よひよせ給けるに、畳の上五寸はかりあかりておはしけれは、化人にこそと思給けれは、手を合ておかみて、のき給けるを、成通も大に恐給けりとそ。彼大納言のゝ給しは、まりは、用明天皇の御時、太子の御つれ/\をなくさめ奉らんとて、月卿雲閣の造出し給へり。太子の鞠、目出く御坐けり。朝ほと一時は、人もめされて、何の所をもさしまはして、独りあそはしけるに、声は数十人か音のし侍りける。これは三よの賢聖達のあそはすとも申す。又、鞠のせいともなりとも申。何とも知りかたく侍り。但、扶桑記には、其跡たえにかうはしと注し侍ぬれは、けにも仏達のあそはしけるにこそ。いと目出貴く侍り。   <巻八第三一 成通鞠〔その二〕> 経信大納言、俊忠の中納言とて、当世の好者歌鞠の長者なる人いまそかりしか、申され侍けるは、君の御前なんとへ鞠とり出さんには、松もしは柳枝の三にわかれたらん中の枝に、いたくひきつめてつけつゝ、木の枝を上になし、てを上になして、第三のかゝりのもちにあゆみよりて、右のひさを突て、手をのへてをき侍へきなり。大方、鞠はいかにもすかたかたちをとゝのふへし。せんはたゝ装束のゑもんのたかはぬ程なり。かゝりにつたはんまりをは、声を出して、いかにもまりにつよくあたるへし。おとさしとこしらへ、我姿をもつくろひ侍らんことは、無下にそ侍へき。まりをつゝけて久しくもてる事は、唐国はしかりといへとも、我朝はこれをあしきにし侍也。三足おほからは、五足にはすき侍らし。すかたをはとゝのへ侍らて、鞠はかりにあたらんとし侍るは、みくるしきわさとや侍らん。松につたふまりは、上をはしり侍れは、のへにおつるなるへし。しかあれと、左の膝をつきて、右をのへんに、たより侍り。柳にかゝる鞠は、枝にしなひて、おつることなか/\きう也。されは、いかにもこしをそらし、身をたをやかにして、鞠をうたき侍へしとそ申されける。此二人の人は、まりのせいをみるまては、いかゝ侍けん。末世には有かたきほとの人ともにていまそかりけり。されは、侍従の大納言にあひをとり給はすとこそ、成通もほめ給へりけれ。   <巻八第三二 鳥羽院・琵琶〔その一〕> 鳥羽院の御位の初に、御鞠遊のありけるに、鞠を御前に出されんする有様のことをは、侍従大納言成通の、其人にあたりていまそかりけるに、いかなるさはりの侍りけるにや、日のたけぬるまてまいり給はねは、帥大納言経信卿計にて、松の枝に鞠をつけて出されけるに、成通の卿まいり合給て、あしとよ。御世の始のはるの鞠をは柳の枝にこそとて、つけなをされ侍り。松はいつもみとりにして、春をこむる色は、切に見ゑさむめり。柳は春のみとり、何にもまさりたるなれは也。其後、遥にとしへて、成通六そちにかたふき給て後、二条院の御世の始には、御鞠あそひの時、俊成中納言の、竹の枝に鞠をつけて出されけり。侍従大納言伝聞て、此人、父の俊忠の中納言にはまさりにけりとほめ聞え給へり。されは、かやうのことをは問ひとふらはて、いかにとしてかしり侍へき。   <巻八第三三 鳥羽院・琵琶〔その二〕> 鳥羽院かくれさせ給ひしかは、院中かみさひて、声々ねたつる虫は、我にともなふ心ちして、凛々たる秋月をのみうらみあいて、花の袂をかへて、こき墨染となす人/\いまそかりけり。御中陰には、光頼、成頼なんとのいまそかりけるなんめり。此人々、夜の更行まゝに、そのことゝなく悲ふ覚て、いねもせられておはしけるに、故院の常にすませおはしましし御<所>書の方に、琵琶の気高くいみしき音の聞え侍りけれは、胸さはきて、こはいかに。御中陰の程に。たれならんと、浅猿く聞(給ふ)程に、故院の正き御声にて、  第一第二絃索々、  秋風払松疎韻落、  第三第四絃冷々、  夜鶴憶子篭中鳴、  第五絃声最掩抑、  滝水凍咽(流)不得 といふ楽天の詩を、をし返/\両三度まてたからかに詠せさせ給へり。すこしもたかはぬ故院の御声にていまそかりけれは、不思義におもひて聞に、夜はの明かた近きまて、御琵琶は聞えさせ給へり。されは、こはなにゝならせ給へるそや。あまり御琵琶に御心を入させおはしましけれは、昔もろこしの妓女か野路に骨をとめて、夜もすから琴を引けることくにてやいまそかりけん。又魔道なんとにおちさせ給へりけるにや。又世には賀茂明神の生れかはらせ給へり。八条の二位殿あらたなる玉を給へりし上に、こま人の詞、化人とこそ覚侍しかは、実の明神にて、琵琶をもひかっせおはしますにや。   <巻八第三四 〔題欠(恵心臨終胸蓮事)〕> 昔、恵心の僧都と云人いまそかりけり。智恵さきらならひなきのみにあらす、実の月をも見て、よものうき雲心中にきやし給人になんおはしけり。しかれ共、生ある物は、かならす死する世のさかなれは、七旬にかたふき給て後、横川にて、御身のまかりけるに、胸の間に青蓮花三本侍りけり。かたしけなく侍り。此こと世に聞えしかは、君より彼蓮花をめされけるに、北嶺の衆徒僉議して、まいらすましきよし、かたく申けれは、さらては一本を奉れと仰下さるゝ時、学徒心ゆきて、一本をまいらせけり。(残)二本をは、文殊楼にこめ侍りぬ。君のめされたりける蓮花は、御室の御殿の帝の外祖にていまそかりける程に、その御方へ伝はり侍りけるを、宇治殿の御世に平等院の宝蔵に納められ侍り。此蓮花を平等院の宝蔵にこめさせ給へりけるには、大殿みゆきなり、諸卿列に立て、舞楽侍りて納めさせ給へり。比はきさらき中の十日の程にて侍りけれは、花舞台の上にちりかゝりて、空にしられぬ雪かとうたかはれ、かさしの梅の袂にかゝるに、二月の雪衣に落と造りけん、是ならんとおほえて面白く覚侍り。   <巻八第三五 〔題欠(糺四郎泰成粉川利生事)〕> 同宇治殿の御時、紀州那賀の郡ぬかふ田と云所に、紀四郎奉成といふ農夫侍り。下れるきはの物は、さしあたり朝夕の煙を立るはからいのみにて、後世のこと、露心にかけさんめるを、奉成、しかるへき先世の宿善や日を経て熟しけん、粉川観音を深く信し奉りて、しつか山田をかへすにも観音の御名を唱て、薗の桑をこくにも、此菩薩に心をかけ奉て、宝号おこたること侍らす、しかあれとも病はのかれぬ事にて、五十有余の春のくれより、病の床にふして、春くれ夏すきて、九月はかりに成にけり。日をふるまゝに、腹をとろ/\しくふくれて、苦しきことたとへて云へき方侍らさりけり。其時、奉成思やう、我観音をたのみ奉ることは、都にのほりたりし時、一人不成二世願、我堕虚妄罪過中、不還本覚捨大悲とて二世の悲願をすくひ給ふ。生老病死苦、以漸悉令滅と説れて、病をやめさせ給なりと説法の侍りしをきゝはさみて、今よりは心なかくたのみ奉と、誓を発して、三十年の間、五百反の宝号かきたてまつることなし。観音おほくおはしませとも、わきて粉川に月詣をする事、又これおこたらす。されは、我定業病を受て侍りとも、御誓実あらは、いかてか今度の命を生け給はさるへき。たとひ寿命かきりありて、身まかるとも、代受苦の御心ましまさは、なとかこれほとまて苦しみ侍へき。速に苦患を救まし/\て、行者の心を正念になし給へと、心に深く祈念し侍る程に、其夜夢に粉川の観音なりと名のり給て、貴けなる僧のいまそかりて汝申所殊にいはれありと思食て、薬を持て来。<はやくこれをのむへしとて、ちいさくまろなる物を三つたまはせけれは、かしこまりてし侍りて、二のをのみいれ、今一をはとりはつして、かたはらにおとしぬ。もとめむとするに、夢覚てけり。さはかりくじぇんありて、腹の大にいかめしけるもへり、かゝるすゝしくこゝちよきこと、たとふへきかたなし。かたはらにふしけるさいしをこして、しか/\と云に、おほきによろこひて、とりおとしけんひとつふのくすりをもとむるに、かたくちいさきはすのみなり。かうはしきわさ、ちんしや物の数にあらす。これをにしきのふくろにぬいくゝみて、まふりにかけてけり。さるほとに、七日をへて、いかゝならせ給へるとて、あけておかみ侍るに、此はすのみ二にわかれて、中よりちいさくありかたき青蓮花おひ出たり。ふしきにおほえて、人々に此よしをかたるほとに、宇治殿きこしめされて、泰成をめされて、みつから御たつね侍るに、はしめよりの事くわしく申入侍るに、殿きこしめし、すいきの御なみたかきあへすせ給はす。御(近衛本〔岩波文庫〕による)>結縁もあらまほしく、をかみ奉らせ給へしとて簾中に召入られて、御覧せられて、これをは速にゑさすへしとてとり奉らせ給て、奉成には、彼所に一期すくへきほと、子々孫々せよとて、田を給はせ給てけり。さて彼蓮花をは平等院の宝蔵にこめさせ給けり。此奉成は、病いゆるのみにあらす、田を給はりて、一期たいらかに侍りけれは、信仰いよ/\ふかしと〔て〕承はる。あはれ貴くそ侍る。現世の得益すてにあらたなる、後世あにうたかはんや。恵心の僧都の蓮はをゐんこと希奇に侍らし。是はたとへことに非すや。さても二をは飲、今一をはのこして、利益の名をひろくあめの下にほとこしき。人々信をひき、多の縁を結はせ給ひけん、有かたくそ覚侍る。さても此奉成は何れの所にか生して、観音の御哀みをふかく蒙らんと、返々もゆかしく侍り。   <巻九第一 内侍所御事・并鹿嶋御事> 我朝は是神国なり。仏法の仏法たる、是吾神の力、王法の王法たる、擁護の神力なり。一天のあるし、万乗の宝位祚歟とあふかれ給へる天子は、忝く伊勢の太神の御流、藤氏の長者、天下の摂政といつかれ給は、春日の明神の御末にいまそかりけり。百寮何れか神氏をはなれ給へるはおはします。昔、天照太神の天岩戸を閉て篭らせおはしまして、世中とこやみに侍し時、よろつの神たち、歎かせおはしまして、庭火を□き神楽を奏し給へりしに、目出させおはしまし給て岩戸を開かせ給しかは、天下忽にあきらかに成て、今にたえ侍らす。その時、天照太神の御誓に云く、我孫をもては、天下のあるしとせん。汝か孫をもては、天下の政を執務せしめよと、天小屋根の尊に、仰られし時、御請たしかなりき。その御契、いまにたえせすそおはしまし侍る。抑我百王を守らん。をの/\いかにと仰のなり侍しに、天小屋根をはしめ奉りて、各々冠のこしを地につけて、あへて綸言にそむき奉り給はさりしかは、さらは、我形を鋳写て、日本の主と同殿にすへ奉れとて、神達御姿を<う>□つしとゝめ給へりけるに、初は鋳そむしていまそかりける。次の度、心よくいおほせ給へり。今の内侍所にておはします。鋳損し奉り給へるは、紀伊国日前宮と申て、祝はれ給に侍り。内侍所をは、御誓の御詞にまかせて、主と同殿におはしましけり。崇神天皇御位の時、恐をなし奉せ給て、別の殿にうつし奉りにけり。宇多の御門の御時より、温明殿に入せ給へりけり。天暦の御世、天徳四年、なか月のすゑの比、左衛門の陣より火出きて、禁裏みなやけけるに、温明殿も程遠からぬ上に、誠の夜<中>□にて侍りけれは、内侍女官もまいらて、取出奉らさりけれは、清慎公いそきまいらせ給て、内侍所に焼させおはしましぬ覧、世はかうそとおほしなけき、泪くんていまそかりけるに、南殿の桜の木のすゑにかゝらせ給へり。光赫奕として、あらたにましますこと、山のはをわけて出る日よりもなをあらたにていまそかりけるを、拝み奉り給へるに、悦の涙かきあへす給はす。いそき右の御ひさをつき、左の御袂をひろけて、むかし天照太神は、百王を守奉らんといふ御誓、いまそかりける、その御誓、実に改らすは、実頼か袖にうつらせ給ゑと申給ゑと申給へるに、神鏡忽に袂にとひ入せ給へりけり。身つからみさきをまいらせさせ給て、大政官の賢所に渡奉給へり。末の世には、請取まいらせんと思寄人も侍らしかし。神鏡も又入せ給はしとそ覚侍る。神は昔の神にて、かはることいましまさゝれとも、凡夫のやみの深くのみなりゆきて、すめる月のあらはれさると<しる>智へし。扨も、九条殿のわらはやみにとりこめられ給て、さはかりの有智徳行の人々おとしかね給へりけるに、小野の宮殿、内侍所のうつらせ給へる御袖をときて、是にておとし給へとて、まいらせられけるを、御枕にをかせ給てけれは、やかてをちいまそかりけるとそ。実もいかなる恐霊も、なしかおちさるへきと覚て、かたしけなく侍れ。その御衣、公任の大納言にまいらせられけるか、大二条殿へ伝て侍りけるを、御跡の御こと、京極の大殿に申をかせ給ける中に、一の筆にしるされて、其の御方にまいれりけるか、今の世には近衛殿にありとそ聞え侍り。春日明神と申は、藤氏の大祖、法相擁護の神にて御座す。称徳天皇の御位に、常陸国鹿嶋、河内国平岡より、大和州の三輪の麓に移らせ給けるか、又の年に、三笠山に跡をたれさせまし/\けり。   <巻九第二 貞基事> 昔、大江の貞基と云博士ありけり。身は朝に仕へ、心は隠にのりて、常に人間栄耀は因縁浅、林下幽閑気味深と思ひとりなから、さるへき縁にあはさる程に、本鳥をさゝけて世中に交りて侍りけるか、年比さり難く覚ける女の身まかりけるより、ふつに思取て、清水の上綱と聞給へりし智者の御もとにゆきて、かしらおろし、戒うけ給へりにけり。其後、幾の程も経すして、保胤の内記のもとにおはして、ゑさらぬ方にさしとゝめられて、はしたなめ、わつらはしめられしうき世のほたしをはなれてこそ侍れと宣給はするに、内記も兼より浦山敷おもはるゝ道なれは、あさやかなる袂もしほるはかりにそ侍りける。つゐゐに内記も志をとけて、台嶺の幽閑に篭て、止観の明静なることを、僧賀上人にならひ伝て、徳到りてそいまそかりける。扨も大江の入道、かしこき智者ともにあひ給て、実の道を悟りきはめ、世をいとふ心のいやますにのみなりゆくまゝに、なにとなく、もろこしへわたらまほしく覚て、両三の同朋さそひつれ給にけり。一心にかゝること侍り。年老たる母のいまそかりける。我れもろこしに渡りぬると聞は、老のなみに歎き沈て、命もあやうかるへし。いかゝせんと思煩なから母の前にまうてゝいとまをこふに、母の云やう、恩愛別離の悲は、いかてかたとへて忍ふへき。されは、仏も、物の悲むことには、(悲)母の一子を思事にたとへ給へれは、われいかてか歎の心ならん。しかはあれとも、求法伝受の心さしをは、なとかよろこはさらん。それこそ尺子の甲斐に侍らめと聞けるに、入道、うれしさやらん方なく覚て、母のために善を修し、ける願文に、  我母是不人世之母、  是善縁之母也。  若万人緩頬苦心而諌之、  我未必従。  若一親形言変色而唱之我可何逆哉。  誠我勧于仏道、  寧非之慈堂哉。 とかけりけるに、聞者なみたをなかさすといふ事なし。此ことの、なを悲や覚けむ、たから寺にて静源供奉を請して、かさねて八講を修し侍りける〔に〕、けにもと哀には侍る。さもゆゝしかりける母の心かな。人のをやの子を思ふならひ、しはしの程の別をたにもたえかぬる物なるを、なを万里の波濤を隔てゝ又もあひみるましき最後の別を法の道に思<替>賛けむ心、ありかたくは侍らすや。すへてかゝるためしは、又もあるへしともおほえす。上人の私なき心を、みよの仏達のあはれとみそなはして、母の心をやはらけ給へりけるやらんとそ覚侍る。上人つゐにもろこしに渡り給て、法のしるし共数おほく施し給へりけれは、御門叡慮(殊)なひきて、円通大師と大師号をそつけられける。此事かきをける旧跡をみ侍しに、そゝろに泪をなかして侍りき。ことの見すてかたかりし上に、このをろかに注す所のふての跡、もれても人の見よかしあらは、賢き昔をも忍給て、一蓮のたねともなし給へかしと、思侍りて、かきのするに侍り。旧きたくみの詞を、いやしけに引なすわさの憚りよろつの罪をも此志一にかたとりて、草かくれなん跡まても、我をそはむるわさなかれとなり。   <巻九第三 安養尼事> 恵心の僧都の妹に、安養の尼といふ人侍りけり。年比あさからす思ひけるあるしにおくれて、やかてさまかへ、小野と云山里に篭居て、地蔵菩薩を本尊として、明暮行ひ給へり。或時、夜ふくるまて心を澄て勤めうちし、必す後生たすけ給へと祈申されて、うちいね給侍りける夢に、此地蔵菩薩おはして、いかにも助けむするそ、それに付ても勤むることを物うくすなと仰らるゝとおもひて夢さめ侍りけり。其後は、いよ/\心を発して、むらなく勤行給へりけるしるしありて、最後臨終のゆふへ、正く紫雲空に聳き、天〔火〕華交はり下て、往生の素懐をとけ給へりける、返々もいみしく侍り。此尼、われ病付侍らは、必らす渡て、最後の智識と成給へと、恵心の僧都に契り申され侍りけるか、僧都住山の間、俄に病出きて、此世限りと見え侍りけれは、日比いひ約束のことに侍れは、僧都にかくと聞けるに、住山の折ふしにて、山より外へ出る叶へからす。輿に助け乗て、西坂本へおはし侍れ。後世のことも聞えんとて有けれは、心地もきえ入やうにおほえ、身も例ならされとも、とかく助乗て西坂本へおはしける程に、みちにてつゐにはかなく成侍ぬ。僧都待にていそきみ給に、はや事切にけり。浅猿とも心うしともいふ計なし。なをもしやとおほえ給て、修学院の勝算僧正の庵室に、死せる人をかき入させ僧正に加持して与給へとあれは、大にかたき事に侍り。さりなから、不動の咒をみて給ふ。僧都また地蔵を念し給へりける。数返十返にみたさるに、尼いきかへり侍りて、語りけるは、不動地蔵の、我か二の手をひきて、冥途より返り給しに侍りとそ申されける。其後、六とせをへて、思ひのことく僧都の教化に預て、本意のまゝに往生し給てけり。定業非業はしらす、已に〓〔玉+炎〕魔庁庭に望待人のいきかへり待程の験徳はあり難は侍らすや。誰もさる程のいみしき人をしたしき方にもちたらは、なにしにか後世をも、しそなはかすへきと覚侍れ共、更かいなし。さる智者貴人を、兄にて弟にても持たらましかは、なん/\とあらなんと案したるは、兎角の弓に亀毛の矢をかけ、空華のまとをいんするにたかはす。又我身ををろそかにして、深きさきしもなけれは、たゝ物うくしてのみ明暮て、齡のいたつらとたけぬる事の悲さよ。扨も安養の尼のありさま、伝聞侍に、いかに心も澄ておはしけんと、返々うらやましく侍る。をろ/\天台の止観を詞に、海のほとりにゐて、より来る浪に心をあらひ、谷の深きにかくれて、峰の松風に思ひをすませと侍り。しら雪のよわふる道をふみわけて、とひくる人もまとをなる、麻の衣に身をやつし、或時はとふかとすれは、過行村雨をまとにきゝ、或時は、なるゝまゝにあれて行高ねの嵐をともとても、うき世の無常を思ひ智りて、閑に念仏していまそかりけむ、けに此世より仏の種と覚ていみしくそ侍る。されは章安大師の詞かとよ、所の怨幽歟閑、これ大なる智識なりせは、心は水のことし。うつは物に随てすみにこりの侍へきにや。あやしの我等にいたるまても、太山のすまいひとて、なんとなく世に交り侍しそのかみには似す、心もすみて侍れは、実の智識に社と覚て侍る。み山下に夢覚て、なみたもよほす滝の音、けに哀に侍る。   <巻九第四 親理大徳事> 昔、平の京に男女すみけり。いたく思下へき品の人にはあらさりけるなんめり。茨山に有蓬壷の雲をふみ、竹薗に望て令書のうけ給を事とせし人にていまそかりけるか、身くるしくまとしく侍りて、忠勤かれ/\に成て、里かちに侍りける也。しかあるに、年なかはたけて後、始て一の男子をまふけてけり。みめことのからのわりなさよ、父母いとをしむこと、今一きはいろをまし、明てもくれても夫婦の中におきて世のまつしく悲しきわさをも、是にてなくさみ侍りけるに、はからさる夫世心地に煩て、身まかりにけり。女も同し道にと悲み侍しこと、理にもすきて見え侍りけれと、日数のつもるまゝに、思も聊かはるけ侍るめるに、世の中のいとゝたえしさにいける心地もせて、朝夕はねをのみなきて侍りけり。此子十一といふ、母に云様たへ/\しき有様に、我を字みいとなみ給も悲く侍り。又かくても行末いかなるへしとも覚へ侍らねは、はやく我にいとまをゆるし給へね。水の底にも入か、又ものをも乞ても遠き方にまかりなんとかきくときいふに、母いとゝ悲くおほえて、故殿にをくれて、片時いきてあるへしとも覚え侍らさりしかと、我に心をなくさめてこそ過す事にてあれ。世の中のあるにもあらす、まつしきわさは、実に心苦しく侍れとも、されはとて又、命をなき物になすへきにあらすなんと、ねんころに泪もせきあへす聞え侍れは、此〔字〕ももろともに、なみたをなかし侍りけり。扨此子常に仏の御前に心をすまして、母の孝養する程の果報与へ給へと祈おこたり侍らぬことを、みよの仏達のあはれみをみそなはし給けるにや、十三に成ける年、思はさるに貞信公にめされて、御いとをしみわく方なく侍りけれは、母のまつしきすみかをも、こよなく御訪侍りけり。さる程に、春日明神の御たゝりありとて、山階寺に下て、かさりををろして、観理とそ申ける。智恵才<学>覚昔にも越〔く〕、三会の講匠をとけ、大僧都の位に備侍りけり。昔いみしき人のおほく侍りし中に、観理大徳と聞給ぬれは、智恵もかしこく、道心もさこそ深くおはしめけめと覚侍り。扨も孝養の心の殊にいまそかりけるこそ、をろかなる心にもいみしく覚て侍れ。情をしれらん人、誰かは父母の恩をしらさるはある。しかれとも、智恩報恩の心にけにまれなるに、此大徳いとけなくより、悲母の孝行を思はれけんこと、ありかたきには侍らすや。それ十月胎内にやとりて、三十八転に身をくるしめ、久しくひさの間に有て、百八十石の乳を吸しより、母の身をくるしめ、長久今まても煩いくそくはくそや。善悪のふるまひにつけても、何度憂喜の心をおこしけむな。其数、仏も争かかゝめさせ給へき。されは、或は子の命にかはらんと祈、或はもろ共に苔の下にふさゝる事を悲しふは、悲母の心はせなり。されは、心地観経にも、我若住世於一劫、説悲母恩不能尽と説れて侍そかし。孔雀は雷を聞てはらみ、求羅けは風を懐妊の縁とし、兎は月の光を見てはらむと侍れは、父の恩かけたるやからをのつから侍れ共、たれかひとりとして母の恩はなれたるは侍る。此理を閑におもふ時には、いかにも其恩を報し奉らんと思侍れと、うちつゝく心のいかにもあり難く侍こそ、返々本意なく覚て侍れ。あはれ此観理大徳のことくなる心はせを、仏の我にいさゝかつけ給はりて、報恩の事のみ心にかゝる身となし給へかし。   <巻九第五 馬頭顕長発心> 御堂の大殿の二郎の御子、高松原の馬頭顕長と申す人いまそかりけり。内外の才智ほからかにして、人にとりて英雄ひてゝいまそかりけり。御堂の御子にておはしませは、御もてなしもさこそ侍りけめ。然あるに、但馬守高雅といふ人、大殿に夙夜して忠勤人にことなりけれは、殿さりかたく思食されはべりけるまゝに、御子の馬頭を聟になり給へと被仰せ侍りけるを、我身いやしと申なから、忝く御子のすゑはとまかりなりて、心には竊に氏の長者にあらん事を思ひ侍り。されは、受領を父とたのみ侍らんこと、何かと度々辞し聞え給けれとも、殿すへてそのもちいおはしまさねは、力なく月日を送給けるなんめり。或時、この馬頭、閑に思ひ給へりけるは、父の命に随はんとすれは、この世はいたつらに成なん。我心さしをとけんとすれは、不孝の身に成ぬへし。しかしかさりを下して一すちに後世の良因を結はん、と思ふなり給て、手つから本鳥をきり、比叡山によち登りて、僧賀上人のおりふし山へ出られたりける室に尋至り給て、戒うけなんとし給へりけるなり。聖人も、いかゝとためらひ給けれ共、はや此殿の又なき心をみそなはし給てけれは、聖人自ら髪をそり、戒さつけ申され侍りける。大殿此こと聞召驚かせ給て、いそき山ゑ尋入せ給て、御覧し給に、すて<に>あてやかなる僧に成給にけれは、中/\とかくの事仰せらるゝに及はす。御泪さらにせきあへさせ給はす。近く侍りける人々、或は座を立て声をあけて叫、或は面を壁に向、或は直衣の袖をかほにあてゝ、なきあひ給しわさ、けに理に侍り。やゝ程へて、大殿泣泣の給はせ侍けるは、かくはかり思とるへしとは思はさりき。凡夫程口惜き事はなかりけり。かゝらましとたにしらましかは、我れ、強にいさめましや。是はされは夢かとよともたへさせ給へるに、此新発も泪せきかねて、とかく物の給はすることなし。今は云甲斐なし。扨も名をは何とか云と問はせ給に、行真と申と聞〔て〕給へりけるに、大殿、御かほゝうつふけて、今更かゝる名を聞へしやとて、泣せ給けるにそ、そ〔は〕の人々、つゝます声をあけてさけはれ侍りし。かくてもはつへきにあらされは、御堂殿は後会の御契り有て、帰らせ給にけり。御発心の有様承はるそ、殊身にしみて哀に侍り。三笠山、雲居名高く聞ゆる藤のうらはの末にむすへる身にしからは、しはしの程かりそめのあひたなりとも、いやしき草の下葉には、露はおかしと思給へりける、賢き御心はへには侍らすや。しかも御年十に六はかりあまり給へりけるとやらん。行末はる/\とをい出給はんまゝの賢さ思やられて、何となくそゝろに泪のこほるゝに侍り。行法功積て、いひしらす目出く法のしるしともを顕し給ていまそかりける。僧賀上人に随て、多武峰と云所におはしましけるか、弘法利生のために、天台山にまかり給て、広く有縁無縁をいはす、貴賎上下を論せす、求法の志ありとあるやからを集めて、止観等の貴き文を授け給けり。是さへ有かたくそ侍る。徒衆を謝<遣>遺して、山谷に隠居すと侍るも、詮はたゝ身を閑にして、まきるゝ事なからんとにこそは侍らめ。かゝるも心のすみえぬ程のことなり。されは、空也聖人も、町のすまひは心すむと侍り。けにも心のとまりいてん後は、設ひ雑類み見えん所なりとも、なしかは乱るへきな。ます/\こそ心はすみ侍らめ、我は、実の心にしつまりて、深き法を他の為にあけくれ説給へりける、けに貴くそ侍る。   <巻九第六 道希法師事> 以往、高僧伝を見侍しに、もろこしの道希法師、伝法のために印土の堺に渡て、火弁論師に合奉て、深き法を授かりて、婆羅提寺といふ所に独篭りて、諸経を漢字にうつされ侍しほと(に)、はかなき世のさかにうせられ侍りき。其後、道希の弟子、登法師といひし人、六とせをへて、翻訳の為に渡られて侍りけるか、師の跡おほつかなしとて、婆羅提寺に尋至侍りけるに、堂舎荒廃して、仏像独り立て、屋壁傾て、止住の僧侶も見えす、秋の草とほそを閉て、虫声声にかなしみ、松風冷く吹、うつらひめむすになく、あれたる様を見るに、泪袂をうるほす。やうやく尋入てみるに、道希の身まかりて、漢字の経はかり残りけるを見侍りけるに、そゝろに悲く覚て、泣々漢字の経を取て、もろこしに渡し侍りけり。実に哀にこそ侍める。流砂等の道の險難をしのき、虎狼のやからの宮を遁て、渡天し給しかは、さり共とこそ思ひ侍しに、さははかなくなり給けん悲さ、たとへん方もなく覚侍り。諸経論を翻訳して、もろこし返り給はさるは、恨の中の恨、歎の内の悲なるといへとも、一ツ悦へる所侍り。もし道のほとりにて、いかにもなり給て、みのりにあはす、仏跡をも拝み給はさらましかは、なを余執もふかゝらましな。扨も、婆羅提寺のあれはてゝ、人もなき閑室をしめて、静に経論をみそなはかし奉られけん事、殊貴くそ覚侍る。哀、生死の無常か、かやうの人には所をおきて、つたなき我等こときの物に賛ても、口惜そ侍る。此こと遊心集にもかたはかり載て侍りき。とにかくに、事のみすこしかたさに、是をかき入をはりぬ。   <巻九第七 空親房事> 此此、高野の空観なと申すは、いまたかさりををろし給はさりしさきに坊城の宰相成頼とそ申侍りけり。去ぬる永暦の末の比より、心を発して此御山に篭り給へりけり。いみしき道心者と聞給ぬれは、なにとなくゆかしく覚給しまゝに、尋まかりて侍しに、方丈のいほりに阿弥陀仏の三尊うつくしく立ならへ、華香あさやかに備て、彼御前に立て静に念仏し給き。見奉るに貴く侍り。扨も後世のつとめにいかなる御勤か侍ると尋申侍しに、我に仏性ありつれとこしなへに明静なり。此故に、我なす所みな彼の仏界より等流せり。しかあれは、よもの振舞、ゐて思ひおきて思事、みな仏法なりと、この思をなして、観念し侍ること、日ことにおこたる時なし。又、心仏及衆生、是三無差別とて、心仏衆生はなれさるに侍れは、人をにくみあさむくこと侍らす、をのつから善を修しても、こと/\く自他の法界に廻向するに侍りとの給はせしに、伝聞侍しよりも、貴く覚侍りて、随喜のなみた袂をうるをし侍りき。扨、帰る道すから、此事を思に、上人の給はせしことけにと覚て侍り。章安大師かとよ、夜な/\仏と共にふし、あさな/\仏に随ておくとの給けるを、恵心僧都、是を見しのへらるゝに、これはこれ三十七尊住心城の心地也。われ本より仏也。我をきふしは、則仏のおきふしなる。章安大師いまた此〔此〕こゝろをのへ給はすと書置給へるに、ふつと叶て侍そ。又、是三無差別の心になり居て、所作の功徳を普く自他の為に廻向し侍らん殊いみしく侍り。よきもあしきも、みな我にはなれされは、用捨正に絶す、一切の衆生、我外にあらされは、平等の慈悲堅固なり。されは、仏達は、此心を悟給ていまそかりけれはこそ、そゝろに無縁の大悲をは発し給へな。自利々他心平等、是則名真供養仏、たな心にて叶て侍り。あはれ、是三無差別の理まては智り侍らす共けにさそとも覚ゆる心かつきて、人をそはむるわさの露はかりも侍らて、我身にいさゝかもおとらぬ思ひを、仏のつけ給はせよかしと覚て、その事となく泪をなかし侍りき。実に、我等か思ひ侍ることの心仏衆生かことならは、仏もよもそゝろに大悲はおこり給はし。されは或尺の中に、仏菩薩の大悲は、無縁にはあらす、自身無間の火にこか(る)れは、是を歎給、有縁なりといへり。此宰相入道の世を遁れて此心のみのうちつゝきて、閑に観念し給覧ありかたくそ侍る。抑しつかに我心を思ふに、駒となりて森の下草をすさめ、牛と生れてしつかあら田をかへし、峰におきふすさほ鹿としては露をこひ、野原にあさるきゝすと成ては、卵の為に身をほろほす時も侍りけむ。山に住禽、海にそたついろくつとなりて、残害の悲に遇て、ます/\悪趣の報をきさし、或は蘭麝よもに薫し、秋風の名残を送る身として、朝には鸞鏡に向て、柳の黛はそくかきいて、人の目をよろこはしめ、名夕歟にはなつかしき薫を衣にうつして、人思をまして、胸の中の月には、よも心はかけ侍らし。されは、今心をかけて思ひをつくす女の色も、智す、過し世の父母にてや侍らん。しかあらは便なかるへし。又草村中にそいりて人にをちられし蛇にもや侍らん。又、口にくふところのいろくつ、世々の恩愛といふことを弁へす。しかあれは、仏はいきとしいけるたくひをひとしくあはれみ給。誰ももてはなれしとは思侍れとも、思ひかけぬに、草むらより蛇の出侍れは、心さはきてにけ迷ふことの悲さよ。今より後は、縦ひかしらにかゝる侍りとも、さはく心は侍らしと思ひさためて侍り。况や、又、是三無差別の理をわきまへんには、なとかかりにもそはんへきな。   <巻九第八 江口遊女事> 過ぬる長月廿日あまりの比、江口と云所を過侍しに、家は南北の河岸にさしはさみ、心は旅人のゆききの船を思ふ遊女の有様、いと哀にはかなきもの哉と見てりし程に、冬をまちえぬ村時雨のさてくらし<侍>ましかは、けしかるしつかふせやに立より、はれ間まつまのやとをかり侍りしに、あるしの遊女、ゆる気色の見て侍らさりしかは、なにとなく、  世の中をいとふまてこそかたからめかりのやとりをおしむ君かな と読て侍しかは、あるしの遊女うちわらひて、  家をいつる世をいとふイ人としきけはかりの宿に心とむなとおもふはかりそ と返て、いそき内に入れ侍りき。たゝ時雨の程のしはしのやとゝせんとこそ思侍しに、此歌の面白さに一夜のふしとゝし侍りき。このあるしの遊女は、今は四そち余りにや成ぬらん、みめことからざさもあてにやさしく侍りき。夜もすから、何となく事とも語りし中に、此遊女の云やう、いとけなかりしより、かゝる遊女と成侍りて、年比そのふる舞をし侍れとも、いとしなく覚て侍り。女は殊罪の深きと承はるに、此振舞さへし侍事、けに前の世の宿習の程思智られ侍りて、うたてしく覚侍しか、此二三年はこの心いと深くなり侍し上、年もたけ侍ぬれは、ふつにそのわさをし侍らぬ也。同し野寺の鐘なれ共、夕は物の悲くて、そゝろに泪にくらされて侍り。このかりそめのうき世には、いつまてかあらんすらんと、あちきなくおほへ、暁には心のすみて、わかれをしたふ鳥の音なんと、殊にあはれに侍り。しかあれは、ゆふへには、今夜すきなはいかにもならんと思ひ、暁には此夜あけなはさまをかえて思とらんとのみ思侍れ共、年を経て思なれにし世の中とて、雪山の鳥の心地して、いまゝてつれなくてやみぬる悲さとて、しやくりもあへす泣めり。此こと聞に、あはれに難有おほへて、墨染の袖しほりかねて侍りき。夜明侍しかは、名残はおほへ侍れとも、再会を契りて別侍ぬ。さて、帰道すから、貴く覚ていくたひか泪をおとしけん。今更心をうこかして、草木をみるにつけても、かきくらさるゝ心地し侍り。狂言綺語の戯れ、讃仏乗の因とは是かとよ。かりの宿をもおしむ君かなといふこしをれを、我よまらましかは、此遊女やとりをかさゝらまし。しからは、なとてかかゝるいみしき人にもあひ侍へき。此君故に、われも聊の心を、須臾の程発し侍りぬれは、無<上 >菩提の種をも、いさゝか、なとかきさゝるへきとうれしく侍り。さて、約束の月、尋まかるへきよし思侍りし程に、或上人の都より来て、打まきれて、空く成ぬる本意なさに、便の人を語て、消息し侍りしに、かく申送り侍りき。  かりそめの世には思をのこすなときゝしことの葉わすられもせす と申<遣>遺て侍りしに、たよりに付てその返事侍りき。いそきひらいて侍しかは、よにもおかしき手にて、  わすれすとまつきくからに袖ぬれて我身はいとふ夢の世の中 と書て、又、おくに、さまをこそ<替>賛侍りぬれ。しかはあれと、心はつれなくてなんと書て、又、かく、  髪おろし衣の色はそめぬるになをつれなきは心成けり と書て又侍りき。泪そゝろにもろくて、袂にうけかねて侍りけり。さもいみしかりける遊女にてそ侍りける。左様のあそひ人なむとは、さもあらん人になしみ愛せられはやなんとこそおもふめるに、其心をもてはなれて、一筋に後世に心をかけん、有難きに侍らすや。よもをろ/\の宿善にても侍らし。世々にたくわへおきぬる戒行ともの、江口の水にこるをされぬるにこそ、歌さへ面白くそ侍る。扨も又、よひには、此夜すきなはと思ひ、暁には、あけなはと泪を流すに語り侍りし心の、つゐにうちつゝきぬるにや、さまかへぬるは、其後も尋まかりたく侍しを、さまかへて後は、江口にもすますとやらむ聞侍しかは、つゐに空くてやみ侍りき。彼遊女の最後の有様、なにと侍るへきと、返々ゆかしく侍り。宵暁に心のすみけん、理にそ侍る。何とある事やらむ、我等まても、夕べは物の悲くて、おきの葉にそよめき渡る秋風、あらしかよふとすれは、み山へは木の葉乱て、もの思時雨にまよふ木の葉にも、袂をぬらす夕くれの空也。長松の暁、さひたる猿の声を聞、胡雁のつらなれる音をきゝ侍には、その事となく心のすみて、そゝろに泪のこほるゝそとよ。   <巻九第九 三条北方御仏事> 過ぬる比、三条のおうきおとゝ北の御方の第三年の御仏事いとなみ給しに、御導師は三輪の明遍とかや聞え給し。若学生と申侍しかは、心とむへき一ふしもきかまほしくて、其庭に望て侍しに、人々諷誦あまた読上らるゝ中に、御子実房と申侍しか、御年十一にて、童御〓〔米+斤〕と申侍し御方の諷誦は、身つからあそはしたりけるなむめり。漢字に処々に大和文字をあそはし、ませられ侍り。其詞云、母儀去て後、年をかそふれは、三とせに及ひ、日をつらぬれは、一千日になん/\とす。悲の泪袂にとゝめかねて、色の帯已にすすかれ、又何の年か歎はるゝことあらん。何の月にか思おこたることあらん。真珠か母の陵傍に旬年か間ふして、雷を厭ひ、照寂か永父の同棺に入し思ひに相<替>賛らすといへ共、一夜としても、彼苔の上にふさす、片時も同棺に望事なし。但ししけれるおとろの上にふして、雷を歎し、真珠か泪、よも無間の炎をはきやさし。空苔の下に入て、共に朽にし照寂も、しての山路の伴とはならし。獄卒のいてさる道には、ひさをかゝめてひとり歎き、魔に呵〓〔口+責〕の詞をは、我はかりにそ聞らる。しかしはや歎の心を改て、偏に作善をはけまんと侍を、導師よみあけらるゝより、雨しつくと泣さまたれ侍り。簾内簾外、心あるもこゝろなきも、泪にくれふたかり侍り。導師、やゝ且くへて、なみたをしのこいて、ほの伝承はる。此御諷誦の施主は、御年一そちあまりとかや。いつしか内外の才智いまして、和漢の風儀に達し給へること、いかに三よの仏も哀とみそなはし、亡魂も悲とおほすらんとの給に、実にもと覚て、泪を流侍りき。額に渭浜の浪をたゝみ、眉商山の霜をたれて侍る人も、内の情を智る人はすくなく、筆に物をいはするたくひは、希なんめるそかしな。栴檀は二葉より薫し、梅花はつほめるに香ありとは、かやうの事にて、しられ侍り。さても其日の説法に、六塵の境に心をこむなと侍し事、心にいみしくしみて、今に至まても、いたく境に思ひをとめ侍らぬ也。されは、般若等のおほくの中<に>、万法空寂の旨を説れて侍る。詮は、たゝ六塵の境に着する思ひをやらんとにこそ。この明遍の説法、聞しよりも貴く、内徳たけ、悟証実ありと見え侍りき。抑、次を以て都の中を廻るに、没後の仏事をいとなむ家多し。鳥部山の煙をたえせす、舟岡の死人、隙さらす、哀哉、何れのときにか、船岡鳥部のほとりに骨をさらして、空き名のみをのこさん。悲哉、いかなる時にか薪にうつまれて、はれぬ雨のくもりそめけん雲のたねともならん。朝露消やすく、春の夜の夢長にあらす、刹那の歓楽、還て苦の縁となる。世中に思ひを留て、生死の無常を思はさる、口惜には侍らすや。さても六塵の境に心をとゝめしと侍れ共、思なれぬる名残のなをしたはれて、眼を開けは、境界あてやかにて、心うこき耳をそはたつれは、歌詠音楽品々にして、思ひをすゝむ。是実にかたきに似侍れとも、万物は心の所変なり。心をはなれて顕色音楽ある事なし。顕色音楽、心か所作にて実非すは、彼を執する心、又なかるへし。しかあれは、何に思ひを残し、いつれにか心をとゝめむな。衆罪は露として、草むらことにおくといへ共、恵日はこれをきやすことはやしとは、説法の理を思ひ開けはなり。誰ももてる恵日なれは、けに/\しき心になりはて、深きさきらをあらはして、六塵の境に思ひをとめすして、罪露をきやし給へ。   <巻九第一〇 於長谷寺逢故人> 其昔、かしらおろして、貴き寺にまいりありき侍し中に、神無月上の弓はり月の比、長谷寺にまいり侍りき。日くれかゝり侍て、入あひの鐘の声はかりして、物さひしきありさま、木すゑのもみち嵐にたくふ姿、何となく哀に侍りき。扨、観音堂にまいりて、法施なんとたむけ侍りて後、あたりを見めくらすに、尼念珠をする侍り。(心をすまして念珠をする侍り)。あはれさに、かく、  思入てする鈴音の声すみておほえすたまる我なみたかな とよみて侍を聞て、此尼声をあけて、こはいかにとて袖にとりつきたるをみれは、年比階老同穴の契あさからさりし女の、はやさまかへにけるなり。浅猿く覚ていかにといふに、しはしは泪むねにせける気色にて、兎角物云ことなし。やゝ程経てなみたをおさへていふやう、きみ心を発して出給し後、何となくすみうかれて、よひ毎の鐘もそゝろに泪をもよほし、暁の鳥の音もいたく身にしみて、哀にのみ成まさり侍しかは、過ぬる弥生の比、かしらおろして、かく尼になれり。一人の娘をは、母方のをはなる人のもとに預置て、高野の天野の別所に住侍るなり。さても又、我をさけて、いかなる人にもなれ給はゝ、よしなき恨も侍りなまし。是は実の道におもむき給ぬれは、露はかりのうらみ侍らす。還て智識となり給ふなれは、うれしくこそ。別奉りし時は、浄土の再会をとこそ期し侍りしに、思はさるに、身つから夢とこそ覚ゆれとて、泪せきかね侍りしかは、さまかへける事のうれしく、恨を残ささりけん事のよろこはしさに、そゝろに泪をなかし侍りき。(扨)あるへきならねは、さるへき注文なんといひをしへて、高野の別所へ尋ゆかんと契て、別侍りき。年比もうるせかりし者とは思ひ侍りしかとも、かくまてあるへしとは思はさりき。女の心のうたてさは、かなはぬに付ても、よしなき恨をふくみ、たえぬ思ひに有かねては、此世をいたつらになしはつる物なるそかし。しかあるに、別の思を智識として、実の道に思ひ入て、かなしき独り娘を捨けん、有難きには侍らすや。此事、書載ぬるも、はゝかりおほく、かたはらいたく侍れとも、何となく見すて難きによりて、我をそはむる人の心をかへりみさるへし。   <巻九第一一 覚英僧都事> そのかみ、陸奥国の方へさそらへまかりて侍しに、しのふの郡くつの松はらとて、人里遠くはなれる所侍り。偏に山にもあらす、又ひたふる野ともいふへからす。いみしき岡と見えて、木草よしありてしけり、清水よもになかれち(れ)り。〔て〕世を竊に遁れて、此江のほとりにすみたき程に見え侍り。やうやく奥さまに尋至りて侍に、松の木の繁る下に、竹の負とあさの衣と残りて、其身はまかりぬと覚所あり。いかなる人の跡ならん。先悲ふ覚て見るに、そはなる松の木をけつりのけて、かく書たり。昔は応理円実の覚徒して、公家の梵延に列り、今は諸国流浪の乞食として、終身をくつの松原にとる  世の中の人にはくつの松はらとよはるゝ名こそうれしかりけれ 于時、保元二年二月十七日、権少僧都覚英、生年四十一、申尅におはりぬ とかゝれたり。此僧都は、後二条殿の御子、冨家入道殿の御弟にていまそかりけり。  華をのみおしみなれたる三善野の木の間におつるあり明の月 といふ名歌よみ給へる人にこそ。一乗院覚信大僧正の門弟にてすみ給けるか、御年はたちあまりの比、夜俄に発心して、さはかりさむき比をひ、小袖ぬきすて、ひとへなる物はかりにて、いつち共人にしられてまきれ出給ふにけり。そのゆくすゑをしり奉る人なかりけれは、尋奉るにも及はて、此十箇廻あまり<欠>て、空く年を送り給へりと、ほの承はり侍りき。はや、諸国流浪していまそかりけるか、此所にて終始けるにこそ、返々哀に覚侍り。一寺に管主として、三千の禅徒にいつかれ給へき人の、名利の思をふり捨て、人にはくつの松原とよはるゝ、猶心にしめて、最後の時節をおほえ給けん、かたしけなきにはあらすや。高僧伝とものむかしの跡をきく中にも、又はけさかしの玄賓僧都の古は、聞も心のすむそかしな。此覚英の君は、猶たけありてそ覚侍る。世をすつとならは、かくこそあらまほしく侍れ。あはれかなしかりける心かな。かり初の名利につなかれて、玄賓覚英の心をよそにする事を。   <撰集抄跋>  抑、今生空くはせすきなは、何を以てか人界の思出とせん。それ六趣形、しな/\なれ共、仏道にとなり。仏教にあへるは、人身なる此身を受ぬる時は、いかにもはけみて、昔の五戒十善の吉種をもうるほすへきに、只徒として、昨日も暮、今日もたけ、羊のあゆみ近つき、生死速勧は、白髪をいたゝきぬる事の悲さに、遠く伝聞、近く耳にふれし昔賢き跡、まのあたり見侍し中にも、いみしき人々を書のせて、且は彼人々のことくならんと欣求し、且は閑居の友とせんとて、九巻に注載せ侍り。此中に、何となき物かたりの品々なる、詩歌雑談を入たり。是思としても、昔の跡こひしく心とまるへき一ふしもやと思ひて、まめやかのそゝろことをものせぬるに侍り。新羅の元暁法師の詞に、他作自受の理なしとい<へ>ゑとも、縁起難思の力ありと侍れは、同くかきつらぬる中の雑は、他りきをも蒙れかしと思ひ侍りて、事は多しといゑ共、九帖として書注しぬ。于時寿永二年むつきの下の弓はり、讃州善通寺の方丈のいほにてしるしおはりぬ。本云   正和四(一三一五)年乙卯八月十五日令書写畢又云   長禄三(一四五九)年九月日書畢  End 駒澤大学・駒澤短期大学国文学科 情報言語学研究室