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ケルベロスの肖像


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ケルベロスの肖像Link

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ケルベロスの肖像
著者: 海堂 尊
出版: 宝島社
ISBN: 4796698582
定 価: ¥ 1,600
出版日: 2012-07-06


オールスターキャストだ。「田口&白鳥シリーズ最終巻」だが、桜宮サーガは終わっていない・・・予感。

Kerberos は、コンピュータ関係者にはおなじみの単語。RFC1510で規定されたユーザ認証プロトコルである。Windows2000、XP、Vista、Windows7 や MacOS Xにも実装されている。・・・らしい。I hate MICROSOFTだし。antiAppleだし。 自分で調べた訳じゃないので、定かではない。unix~linuxにも実装されているよね。・・・たぶん。

ちょっと一服ひろばLink (R-20規制)JT 「一服の相対性Link
海堂尊  Smoker's View 突然の来訪者 / Nonsmoker's View 古巣への帰還

速水センセだ!

 

— posted by nitobe at 08:27 pm   commentComment [0] 

ADK2-24


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何が悲しゅうて、この歳で第二種電気工事士を取得せねばならんのだ?工業高校電気科のあんちゃんの資格だぞ。愛三電機株式会社Link平成二十四年度第二種電気工事士試験技能試験材料セットADK2-24Link である。AKB-48を意識したネーミングであることは明白だ。AKB-48の本拠地から1ブロック半しかはなれていないしねLink (0.5ブロック=ソフマップ本館)。「天地明察」にいちゃもんをつけるのに忙しくて、試験勉強もろくにしていないのだが、学科試験受かってしまった。ワイヤストリッパLink に慣れるという意味で。普段は、ペンチかニッパで剥いている。エコケーブルはまじめに鉛筆剥きだ。時代は変わって、電動工具でなければ、なんでも持ち込みOKなそうな。ワイヤストリッパなんぞを使う堕落した職人にはなりたくなかったのだが・・・。

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怪我と弁当と工具は自分持ち。

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候補問題が13、公開されており、その中の1つの出題。一問あたり862円弱と考えれば、安いもんか?
候補問題1

 

— posted by nitobe at 03:33 pm   commentComment [0] 

史遊会通信No.206


規則 6: 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する

面白いものをみつけた。

私設の史遊会ホームページLink  史遊会通信No.206Link 平成24年2月10日発行(保全済み)
自由執筆「メディアに扱われる数学(和算)」 佐藤健一

TBSドラマ「水戸黄門」、映画「天地明察」、NHK大河ドラマ「平清盛」全て平成和算界の大御所、佐藤健一先生が「指導」しているらしい。

(映画)「天地明察」について
           小説自体の科学的な
ことについては作者は全く正しい知識を持っ
ていないのですが、監督の滝田氏は作者とは
違ったものを想像することもあり、和算につ
いては考えられる範囲で作り直しをしまし
た。

「想像」−>「創造」? ひょっとして、文庫版とも違う変更が入るってことかな?

  確かに渋川春海の数学では出来そうもな
い改暦をしたのですから、関孝和の協力は必
要になるはずです。【云々】

「貞享暦」は、関孝和の協力があったということでしょうか?
「渋川春海の数学では出来そうもない改暦をした・・・」
・・・冲方某の与太話に毒されていませんか?佐藤健一先生。

ボロボロなのは渋川春海の数学ではなく、冲方某の数学ですからぁ~。残念。

まっ、論文じゃないから多少筆が滑ってもご愛嬌ですがね。いやぁ、笑わせていただきました。

 

— posted by nitobe at 10:59 pm   commentComment [0] 

東遊記後編 卷之二 松前の津波


規則 4: 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。

東遊記後編Link
松前の津波の項を追加。寛保元年七月十九日(1741年8月29日)、火山活動に伴う渡島大島北側斜面の山体崩壊によって発生した(という説がある)寛保津波の伝聞である。興味のある方は「寛保津波」をググってね。
卷之二
 〇松前の津波
奧州津輕領三馬屋といへる所は、松前渡海の湊にて、其間纔に七里を隔てたり。兩方の
山々の鼻相臨める所は、三四里許にても達すべし。此三馬屋に逗留せし頃、一夜此家の
近きあたりの老人來りぬれば、家内の祖父祖母抔打集り、圍爐裏にまと居して、四方山
の物語せしに、彼者共語しは、扨も此二三十年已前松前の津波程おそろしかりしことは
あらず。されど佛神はあらかじめよくしろしめして、其告もありしかど、おろかなる人
間、其時まで露しらずして、海邊の者皆死うせしなり。定て上方にても聞及び給ひて
んと云。膝すり寄りて、いかなる事にて有りしやと問ふに、其頃風も靜に、雨も遠かり
しが、唯何となく空の氣色打くもりたるやうなりしに、夜々折々光り物して、東西に
虚空を飛行するものあり。漸々に甚敷、其四五日前に到れば、白晝にもいろ/\の
神々虚空を飛行し給ふ。衣冠にて馬上に見ゆるもあり。或は龍に乘り、雲に乘り、或は
犀象のたぐひに打乘り、白き裝束なるもあり。赤き、青き、色々の出立にて、其姿も亦
大なるもあり、小きもあり。異類異形の佛神空中にみち/\て、東西に飛行し給ふ。我
我も皆外へ出て、毎日々々いと有難くをがみたり。不思議なる事にて、まのあたり拜み
奉ることよと、四五日が程もいひくらすうちに、ある夕暮沖の方を見やりたるに、眞
白にて雪の山のごときもの遙かに見ゆ。あれ見よ又ふしぎなるものの海中に出來たれと
いふうちに、だん/\に近く寄り來りて、近く見えし島山の上を打越して來るを見るに、
大浪の打來るなり。すは津波こそ、はや迯よと、老若男女我さきにと迯迷ひしかど、し
ばしが間に打寄て、民屋田畑草木禽獸まで、少しも殘らず海底のみくづと成れば、生殘
る人民、海邊の村里には一人もなし。我々も遙に見しに、其浪數千里の沖より來りて、
其高きこと雲のごとく、磯近き迄は、浪といふ事思ひもよらざりしなり。されど唯一
寄せにて直に引たり。いかなるゆゑといふ事しる人なし。扨こそ初に神々の雲中を飛行
し給ひけるは、此大變ある事をしろしめして、此地を迯去り給ひしなるべしといひ合て、
恐れ侍りぬと語りぬ。其座にありける四五十以上の老人は、皆まのあたり見覺えて、口
口に語りぬ。此事にて思ひ合すれば、我友塘雨諸國行脚の時、石見の國にて海邊を通り
しに、海の底より潮卷上り來て。川上遙にゆり上り、懸り居し船など、大に驚き大變な
りと騒ぎあひ、海嘯といふものならんや抔いひたると語りし。其年月此頃に當れり。す
べて北海邊は、此時皆何方も海の底大に潮湧返りて騒動せしと、何れの國にてもいひし
なり。彼松前の波先の響北溟一面に動きしとみえたり。誠に希代の珍事なりき。又後世
の心得にもなるべき事なり。
飛行体は火山活動による噴煙と推察する。「天地明察」盗作疑惑からどんどん遠ざかってきているが・・・。

 

— posted by nitobe at 08:53 pm   commentComment [0] 

東遊記後編 卷之二 三馬屋


規則 17: ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。

東遊記後編Link
三馬屋の項を追加。「三馬屋」表記だ。「タッピ」がカタカナだ。「ヲコペ」は「奥戸」で「サイ」は「佐井」であろう。

卷之二
 〇三馬屋
奧州三馬屋は松前渡海の津にて、津輕領外が濱にありて、日本東北の限りなり。むかし
源義經、高館をのがれ、蝦夷へ渡らんと此所迄來り給ひしに、渡るべき順風なかりし
かば、數日逗留し、あまりにたへかねて、所持の觀音の像を海底の岩の上に置て順風を
祈りしに、忽風かはり、恙なく松前の地に渡り給ひぬ。其像今に此所の寺にありて、義
經の風祈の觀音といふ。又波打際に大なる岩ありて、馬屋のごとく、穴三ツ竝べり。
是義經の馬を立給ひし所となり。是によりて此地を三馬屋と稱するなりとぞ。扨此所よ
り松前へ海上十里なり。此三馬屋の西北に當りて、タツピとて突出たる山あり。是より
七里なり。されども松前への渡海は、皆三馬屋より渡るなり。此渡たやすからず、海
中に別に大河のごとく漲り流るゝ潮筋三筋あり。南をタツピの汐といふ。其次を中の汐
と云。北を白神の汐と云。皆幅は纔なれども、其流の急にして汐先の勢五十里に及
べり。晝夜とも常に西北より東南へ落て、さし引往來なく、あだかも海中に三ッの大瀧
をかけたるがごとし。下の方、松前の箱館と南部のヲコペの間の海にては、其汐合して
一筋と成り東へ落るゆゑ、いよ/\急なり。松前三馬屋の前の海底には、大なる巖ある
ゆゑ、其汐三ッにわかるゝといふ。松前へ渡る船は、至極の順風の強時を見合せて、帆を
十分に張り、件の汐の所に至れば、むしろ抔を海中へ抛入て、其ひまに矢を射るごとく横
に乘切る事なりとぞ。少しにても風たゆむ時は、此汐に押落さるゝなり。もし落さるゝ
時は五十里程またゝく間に流れ下りて、大海へ出て、汐の勢少しゆるき所に至りて
船をとゞむ。五十里より前方にて船を留る事は、人力にては及ばずとなり。其汐は初に
もいへるごとく、常に西より東へ落るのみにて、其理解しがたき事なり。かくのごとき
所ゆゑ、我も松前へ渡らんと三馬屋にしばし逗留せしかど、順風なくして得渡らずして
歸りぬ。毎日順風なる事もあり、又二十日三十日も順風なき事もあり。それゆゑに、反
つて此渡海にては昔より難船なしと云。南部の田名部のサイ或はヲコペの邊より、松前
の箱館邊は甚近くして、天氣よければ海を隔てゝ衣類のほしてあるも見ゆると云。南部
のサイ、ヲコペの邊は、三馬屋などよりも大に北東へ出たる地なり。三馬屋より北の方
に藍のごとき山々遙にみゆる。是蝦夷地の山といふ。又田名部のヲコペの邊の山なりと
いふ。其邊實に日本の東北の限なれども、湊にあらざる故、他國の人は名をだにもしら
ず。

 

— posted by nitobe at 11:57 pm   commentComment [0] 

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