Title  『甲斐国志』 巻之51 古跡部第14  Subtitle  「西行坂」  Description  村ノ北駿州路ニ小坂アリ民戸アル処ヲ西行村ト名ヅク富士川此ニ漲リ東ヘ転ズルヲ西行滝ト云フ岸ノ高キ処ニ一株ノ松アリ老大ニシテ地ヲ覆ヒ盤根多ク露ハル実ニ数百歳ノ物ナリ里人ノ説ニ西行此ノ丘上ニ廬シテ憩息セリ駿河ナル富士ノ烟ノ空ニ消エテト詠ゼシハ此処ナリ因リテ地ニ名ヅクト云々。  0001:  あつまのかたへ修行し侍りけるにふしのやまをよめる               新古今集 西行法師 風になひくふしの煙の空に消て行衛もしらぬ我思ひかな  西行ノ撰集抄中山道東マ下リノ事ハ見エタレドモ全本ニ非ズ西行物語、同歌集、山家集等ニモ凡ベテ西行本州ヘ来リシコトハ見エズロ碑ニ伝フル歌多ケレドモ一モ徴スル所ナシ此所ノ歌トハナケレドモ玉葉集ニ、  0002:  いほりのまへに松のたてりけるを見てよみ侍る                西行法師 谷の戸にひとりそ松もたてりける我のみ友はなきかと思へは  0003: ひさにへて我後の世をとへよ松あと忍ふへき人もなき身は  西行去リテ後里人石像ヲ作リ此ノ樹下ニ安ンゼリ世ニ伝フル富士見西行ノ図ハ蓋シ是レヨリ模スルナリト云フ此ノ石像今ハ所在ヲ失セリ東ノ山低ク平ニ其ノ上ニ富士山現ハレ積雪常ニ皎ク恰カモ盆中ニ盛ルガ如シ北ニ河灘ヲ遥眺シ風景殊ニ勝レタリ富士ノ画ニ前ニ山ヲ置キ又月ヲ添へタルハ皆ナ本州ヨリ望ム所ノ山形ナリト云フコト然モアランカ。  深草元政身延道ノ記ニ二十五日万沢を出て坂あり馬おふもののいはく此坂を西行坂と申すこの松西行の松と申すといふ歌なとあらんとおもへととはんよしなし南部といふ村にやすみて午のさかりにそこをいつここをはなるれははや身延の高根も見ゆいま三里なんありと云フ  懸崖廻復転 偏信馬蹄痕 松老西行坂  雲深南部村 延山遥仰嶺 富水未知源  自此阻三里 一鞭到寺門  二十九日つとめて万沢をいつ、きのふの雨なこりなく晴て雪ふれり、馬おふものお山に雪降れは久しく、雨ふらすといへは又人富士に雪ふりてはれすといふ事なしと云けにひとむらの雲も見えす、山のすかたうつくしく絵に書たるによく似たり、すへて海道より見るにはまされり所のいへるは富士は甲州の山と申しつたふる。某いつかたも見けるに、こなたおもてはまさりて候といふ。誠にいふことく也、およそ此たひはかり心よく見し事はなしおもふ事いはまほしくやありけん。  0004: この世には心にかかる雲もなし富士のたかねもあくまてにみつ  0005:  又紀行中にそなたのかたに雲おほひて、富士の山見えす よしさらは中々くもれことのはの見てもおよはぬふしの高根を  0006:  口碑に伝ふる此所のうた       よみ人不知 わすれては雲とそ思ふまたたくひ中空にみる雪のふしのね  End   底本:  西行峠の伝説と文学   発行:  平成二年三月三十一日   編者:  富沢町/富沢町教育委員会   発行者: 富沢町/富沢町教育委員会   国際標準図書番号:   入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: IBM ThinkPad s30 2639-42J   入力日: 2003年11月13日  校正::   校正者: 大黒谷 千弥   校正日: 2003年12月14日  $Id: kai_kokusi.txt,v 1.9 2020/01/20 00:07:46 saigyo Exp $