Title  花種記  Description 享保十七年如月の頃、河内國石川郡弘河寺圓位上人の古塚を石山寺の觀音薩〓(土十垂)の御示現にて、不思議に感得せしよりこのかた、年月うつり來て今年元文四年如月十六日彼上人五百五十年忌に當り給ひて、御追福の寸志に南無阿彌陀佛の六の字をわかち歌毎の上にすゑて、花の影六首手向て奉りし中に、ふの字を頭におきて  ふる塚を人とむらはゞ五百年や五十の春に花たてまつれ と詠みて奉りしに、同年長月の頃、津の國富田の里、清水某殊に杖をとゞめ日數をかさね侍りしに、同月八日の曉の夢にほのかなる我父哥ときゝしより、難波の春はなほありがたき。同九日曉の夢に大河の上を虚空に良材を東方より引きわたして、嚴島御社の大鳥居建立成就して悦びの神供物を載くと見侍りし。同十月の曉の夢  櫻花さけどさかねど櫻花櫻は花の名に榮えける かくの如く一夜ならず三夜まで夢見侍りし亊はかなき夢とはいひながら、あやしく思ひ侍りて、朝毎に家のあるじに、その亊を語りければ、連夜の夢相たゞごとにあらず、祥瑞ならんと深く感じ侍りし。其日此宿を出で立ちて、都へ赴きしに、山續のわたり、道の行きかひに旅人のいひけるは、此ふみはそこへ參らすべき由にて、人の頼みければ、屆け申すなり。かただよりぞといひすてゝ足とく行きすぎぬ。披きてみれば弘河寺僧徒中より、圓位上人の墓の前に拜堂建立并石燈籠一對手水鉢其外寄附など有りし。中にも長たる人を始め末ざまの人々も志をひとつにして、上人へ手向にとて塚のあたりなる山へ、櫻千本植ゑはべる由を告げ來たれり。實に此頃の夢の告げ、不思議に思ひつるに、かねてより佛神の御さとしもやありしとかたく思ひ奉りて、夢中のありさま心しづかにかうがへ見れば、八日の夢歌のさま、深意はかりがたし。されば道時をえて詞の花咲きぬべきさとしならぬか。九日の夢大鳥居建立の亊我ふるさと安藝の國なれば、いとけなき時より、彼國嚴島大明神を常に信じ奉るによりて、拜堂建立の禮を鳥居によそへてのさとしならむか。十日の夢は櫻千本の寄附のさとしならんかと思ひつづけて、有りがたさの餘りにロずさみ奉る。  春を經て詞の花も咲きそはん植うる櫻の千本のみかは 行末は春毎に花咲きそひなば、花見にとむれくる人おほかるべしとうれしく思ひ侍りて、又思ひかへせば、上人の歌に  花見るとむれつゝ人のくるのみぞあたら櫻のとがにはありける とよみ給へば、末の世にいたりて、此山のさか行くまゝに花の頃花の木蔭にて酒宴亂舞など催すともがらもありなば、此寺僧徒中よりかたく制すべし。此山の櫻はもとより上人の古塚へ手向なれば、その心ざしをわするべからず。又此後建立修覆の亊も此山松の柱艾ぶきにしつらひ侍りしは、それこそ上人の心ならめ。必ずしも美麗を好むべからず。又寄附の器物もあやしく、異やうなる古物を上人在世の時の御持物などといひなして手向る人ありとも是を用うべからず。さのごとく凡慮卑俗のはからひ正風閑雅の上人を後世あしざまにもてなし侍らば、心あらむ人は此寺の僧侶の心ざしまで、淺はかに思ひ眉をひそむべし。又歌奉納の人も言の葉をのみかざり、心の誠なくして千首萬首手向とも上人の心にはうけたまふまじ。たとひ捻先牧童牛の角もじもれきまへず、文字の數はあはずとも誠よりロずさみ、一技の花もさゝげなばいかばかり上人は嬉しくうけ給ひなむ。されば奉納の人のみならず、此等の僧徒達も無垢清淨にして奉納手むけの和歌をかけはべらば、上人の心にかなひて行末は寺々も花と共にさかえむ。もし御法の道になぞらへ、これによそへてたからをえまほしく思ふ輩もあらば、上人の本意にたがふべし。むかし上人鎌倉にてときの武將より白銀の猫を給ひしに、おも/\うけて輕く捨て給ひし亊おもひはかるべし。思ひはかりて上人の心にかなひなば、此寺本尊藥師如來高祖弘法大師のみ心にもそむかずして、月々年々に招かざるに幸來りて、此弘河寺の行末永く絶えず蘭さかえなむ亊たなごゝろを見るが如し。  行末の筐ともなれ弘河に今日書流す水莖の跡 釋似雲  元文五年卯月廿八日 河内國弘河寺圓位上人の古墳のかたはらの山に千もとの櫻を植侍りし亊を似雲法師録しはべる一まきなり。似雲誠實の志なくば此靈感もあらざらまし。古塚に植ゑおく花の年々に蘭上人の古跡はこゝなりと末の世迄も安くいひしらせむため呼びて花塚といふべきか。此亊を記してよとこふ。書附けはべりてせめをふさぐのみ。  元文五年四月廿八日     參議豫州權刺史實積   花種記終 西行上人似雲師の舊跡を尋ぬる人の道しるべにもなれかしとつたなき筆にて書きうつしはべる。  なみならぬ世を捨てし人の跡とひてたづぬえにしに殘す水莖   洛北花園西來禪寺現住了眞八十二歳にて冩置。 元文四年十二月廿六日弘河寺南之坊、時の間の煙となり侍りしに、此一卷のみ殘りける亊是も又大悲薩〓(土+垂)の御神通力并圓位上人の實徳、誠大火に入りぬれど火もことあたはず、竒なる哉、妙なるかな。  火にいりてやけぬ誓ひのなかりせば此一卷のいかで殘らむ 似雲(花押) 弘河寺へ諸所よりの道法(下略)  右以弘河寺出板本書冩畢、昭和十五年七月。  End  解題 花種記は同じく似雲法師の筆になるもので、西行の五百五十年忌、即ち元文四年に、拜堂建立、石燈籠一對、手水鉢其他の寄附、並に櫻樹千本植ゑた時の亊情を、同年四月下旬つゞつたもので、藤原實積が跋文をつけてゐる。本所收本はそれを了眞が書冩したもので、弘河寺出版本によつた。而してこの版本はその後幾度も版が重ねられ、版木は今日なほ現存し、最近も出版せられたとのことである。  底本::   著名:  西行全集 第二巻   校訂:  久曾神 昇   発行者: 井上 了貞   発行所: ひたく書房   初版:  1981年02月16日 第 1刷発行  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: MICRON AT 改 166MHzpentium 2GbyteHDD   入力日: 2001年08月28日  校正::   校正者:   校正日: