Title  後鳥羽院御口伝  後鳥羽院御口傳  Author  後鳥羽院  Note  【かっこ】は入力者(新渡戸)注。国文学研究資料館の二十一代集の検索を使用。  Description 大和歌を詠ずるならひ、昔より今にいたるまで、人のいさめにもしたがはず、みづからたしなむにもよらず、唯天性を得たるをもて、をのづから風情の妙成をめぐらす。しかはあれども善惡こゝろにあらず、進退ときにしよる。その中姿まち/\にして一隅をまもりがたし。或はうるはしくたけ有すがたあり、或はやさしく艷なるあり、或は風情をむねとするあり、或は姿を先とするあり。これによりて心をのぶれば則詞つきず、要をとれば又旨あらはれがたし。今初心の人のために略してその至要をあぐるに七ケ條あり。但人によりて斟酌すべき亊也。  一 和歌學問して種々の難儀どもをさたし才學をわかつ亊は人によるべし。よのつねには、たゞ萬葉集ばかりよみたるやうに心得てをくべし。さほどのことをも用なしとてさたせねば、人の萬葉集の詞をとりて詠じたる歌をえよまぬなり。それは無下の亊にて、有ときに文字のうへばかりをよみすへむため、一反人にも問てきくべきなり。古今集にも、しらではあしくよまれぬべき歌ども有、又さま%\の歌どもつくしてのせられたり。必存知すべきなり。  一 道をこのむになりぬればめづらしきをことゝして、指燭一寸に詠じ、一時に百首を詠じなどする亊、練習のためにはよけれども、たゞ百首を詠じて、詠畢ぬれば又はじめ/\、或は無題或は結題をかへかへ詠ずるがいかにも始終よきなり。人にみせずしてよみをきたれば、卒爾の用にもかなひて、窮竟の亊にてある也。根こもらぬ歌は十廿首などにてよくみゆれども、百首度々になればすゑよはになる、遺恨の亊也。  一 まだしきほどに萬葉集みたるおりは、百首の歌半は萬葉集の詞よまれ、源氏等のものがたりみたる頃は、又其樣になるをよくよく心得て可讀也。  一 當世の上手などのおもしろく詠じたるをみれば、やがてその中にめづらしき詞ふとゝりてよむ亊、まだしき歌人のさだまれる亊也。用意あるべし。  一 時々かたき題を詠じならふべきなり。近代あまりさかひに入過て、結題の歌にも題の心いとなけれども、くるしからずとてこまかにさたすれば、季經が一具にいひなして平會する亊、頗いはれなし。寂蓮はおほきに不請せし亊也。無題の歌と結題の歌とたゞおなじ樣也。詮もなしと申き尤其謂ある亊也。寂蓮はことに結題をよくよみしなり。定家は題のさたいたくせぬものなり。これによりて近代初心のものみなかくのごとし。謂なきことなり。結題をばよく/\思入て、題の中を詠ずればこそ興もあることにて侍れ。近代の樣は念なき亊也。かならず時々よみならふべきなり。故中御門攝政は、結題ことに題をむねとすべきとこそ申されしか。池水半氷と云題にて  池水をいかにあらしのふきわけてこほれるほどのこほりなるらん 【続古今和歌集/続古今和歌集巻第六/冬歌】 【0631/家に十首歌合し侍けるに、池水半氷と云事を/後京極摂政前太政大臣】 【池水を/いかにあらしの/吹わけて/こほれる程の/こほらさるらん】 とよまれたりしも、歌がらはさまでなけれども、題の心はいみじくおもはへて、興ある亊にて侍りき。  一 歌合の歌をば、いたくおもふまゝによまれずとこそ、釋阿・寂蓮などは申せしか。詞の樣にてはなし。題の心をよくおもはへて、病なく、又源氏等の物語の、歌の心をばとらず詞をとるはくるしからずと申しき。すべて物語の歌の心をば百首の歌にもとらぬことなれども、近代は其さたもなし。  一 當座の會には、先さまでなけれども題毎に詠じをきて、其上に亊よろしきや出くると案ずれば、心のさはがでよきも出くる也。一番よりよろしからむと案ずれば、をそくなるにつけて心もさはぎて落題もする也。かくのごときの亊おほけれども、是を省略す。  凡歌のすがたは面のごとくにして、一樣ならずこと%\くのするにいとまあらず。但近き世の上手の中に、その題をしるし、或は歌をも少々かきのすべし。大納言經信ことにたけもあり、うるはしくて然も心たくみにみゆ。又俊頼堪能のもの也。歌すがた二樣によめり。うるはしくやさしき樣もことにおほくみゆ。又もみ/\と人はえよみおほせぬ樣なる姿もあり。此一樣則定家卿か庶幾するすがた也。  うかりける人をはつせの山おろしよはげしかれとはいのらぬものを 【千載和歌集/千載和歌集巻第十二/恋歌二】 【0707/権中納言俊忠家に恋の十首歌読侍ける時、いのれともあはさる恋といへる心を/源俊頼朝臣】 【うかりける/人を初瀬の/山おろしよ/はけしかれとは/祈らぬ物を】 此すがたなり。又  うづらなくまのゝ入江のはま風におばななみよる秋のゆふぐれ 【金葉和歌集/金葉和歌集巻第三/秋歌】 【0254/堀河院御時、御前にてをの++題をさくりて歌つかうまつりけるに、すゝきをとりてつかうまつれる/源俊頼朝臣】 【うつらなく/まのゝ入江の/はま風に/お花なみよる/あきの夕暮】 うるはしき姿也。故土御門内府亭にて影供のありしに、釋阿これほどの歌たやすくは出きがたしと申き。道を執したる亊もふかゝりけり。かたき結題を人のよませけるには、家中のものにその題をよませて、よき風情をのづからあれば、それを才覺にてよくひきなほして、おほくの秀歌共よみたり。俊頼の後には釋阿・西行・俊惠なり。すがたことにあらぬ體なり。釋阿はやさしくゑんに、心もふかくあはれなる所もありき。殊に愚意に庶幾するすがたなり。西行はおもしろくてしかもこゝろに殊にふかくあはれなる、ありがたく、出來しがたきかたもともに相兼てみゆ。生得の歌人とおぼゆ。これによりて、おぼろげの人のまねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり。清輔はさせる亊なけれども、さすがにふるめかしき亊まゝみゆ。  としへたる宇治のはしもりこととはむいくよになりぬ水のみなかみ 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第七/賀歌】 【0743/嘉応元年、入道前関白太政大臣宇治にて、河水ひさしくすむといふ事を人々よませ侍けるに/藤原清輔朝臣】 【年へたる/うちの橋守/ことゝはむ/いく世に成ぬ/水のみなかみ】 これ體なり。俊惠法師おだしき樣に侍り。五尺のあやあ草に水をかけたるやうに歌はよむべしと申けり。  たつた山こずゑまばらになるまゝにふかくも簾のそよぐなるかな 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第五/秋歌下】 【0451/題しらす/俊恵法師】 【竜田山/木すゑまはらに/成まゝに/ふかくも鹿の/そよくなる哉】 釋阿、優なる歌に侍ると申き。近き世にとりては、大炊御門前齋院・故中御門攝政・吉水大僧正これら殊勝也。齋院はことももみ/\とある樣によまれき。故攝政はたけをむねとして諸方を意たりき。いかにそやみゆる亊詞のなき歌ことによしあるさま、不可思議なり。百首などのあまり地歌もなく見えしこそ、かへりて難ともいひつべかりし、秀歌あまりおほくて、兩三首などはかきのせがたし。大僧正、おほやうは西行がふりなり。すぐれたる歌は、いづれの上手にもをとらず、むねとめづらしき樣をこのまれき。まことに其ふり、おほく人の口にある歌あり。  やよしぐれ木の葉に袖をくらぶべし 【不明】 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第六/冬歌】 【0580/時雨を/前大僧正慈円】 【やよしくれ/物思ふ袖の/なかりせは/*木のはの後に/何を染まし/*4木のはの後はイ】  ねがはくはしばしやみぢに 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第二十/釈教歌】 【1934/述懐歌の中に/前大僧正慈円】 【ねかはくは/しはしやみちに/やすらひて/かゝけやすまし/法の灯】 これ體なり。されども、よのつねうるはしくよみたる中に最上の物どもはあり。  あふげば空に     涙くもりて      雲にあらそふ  秋行人の       松を時雨の      庭のむら萩  かる人なしに     しぎたつさは     わすれ水 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第十八/雑歌下】 【1782/五十首歌中に/前大僧正慈円】 【思ふ事/なととふ人の/なかる覧/あふけは空に/月そさやけき】 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第四/秋歌上】 【0379/百首歌たてまつりし時、月のうたに/前大僧正慈円】 【いつまてか/涙くもらて/月はみし/秋待えても/あきそ恋しき】 【雲にあらそふ 不明】 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第十八/雑歌下】 【1789/題しらす/清慎公】【慈円ニ非ズ】 【道芝の/露にあらそふ/我身かな/いつれかまつは/きえんとすらん】 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第十/羇旅歌】 【0984//前大僧正慈円】 【たつた山/秋行人の/袖を見よ/木々のこすゑは/しくれさりけり】 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第十一/恋歌一】 【1030/百首歌奉りしときよめる/前大僧正慈円】 【わか恋は/松を時雨の/染かねて/まくすか原に/風さはくなり】 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第十四/恋歌四】 【1322/恋のうたとてよみ侍ける/前大僧正慈円】 【我恋は/庭のむら萩/うらかれて/人をも身をも/秋のゆふくれ】 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第六/冬歌】 【0618/百首歌中に/前大僧正慈円】 【霜さゆる/山田のくろの/むら薄/かる人なしに/のこる比かな】 【続古今和歌集/続古今和歌集巻第四/秋歌上】 【0359/日吉社百首歌に/慈鎮大僧正】 【夕ま暮/鴫たつ沢の/忘れ水/思ひいつとも/袖はぬれなん】 此外おほかりき。又、寂蓮・定家・家隆・雅經・秀能等なり。寂蓮はなほざりならず歌よみしものなり。あまり案じくだきし程に、たけなどぞかへりていたくたかくはなかりしかども、いざたけ有歌よまむとて、たつたのおくにかゝる白雲、と三體の歌によみたりし、おそろしかりき。おりにつけて、きと歌よみ、連歌しの至狂歌までも、にはかの亊も、ゆへ有樣にありしかたは眞實堪能とみえき。家隆は、若かりしおりはいときこえざりしかど、建久のころほひよりことに名譽も出きたりき。歌になりかへりたるさまかひ%\しく、秀歌どもよみあつめたるおほき、誰にもまさりたり。たけもあり心もめずらしく見ゆ。雅經はことに案じ、かへりて歌よみしものなり。いたくたけ有歌などは、むねとおほくはみえざりしかども、てだりとみえき。秀能は身の程よりもたけありて、さまでなき歌も殊外にいでばヘするやうにありき。まことによみもちたる歌どもの中には、さしのびたる物どもありき。しか有を、近年定家無下の歌のよしと申ときこゆ。 女房歌よみには、丹波やさしき歌あまたよめり。 【苔】  吉のたもとにかよふ松風      木葉くもりて  浦こぐ船はあともなし       わすれじのことの葉  ことのほかなる峯のあらしに 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第十八/雑歌下】 【1796//宜秋門院丹後】 【なにとなく/きけは涙そ/こほれぬる/苔のたもとに/かよふ松風】 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第六/冬歌】 【0593/宜秋門院丹後】 【吹はらふ/嵐の後の/たかねより/木のはくもらて/月や出らん】 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第十六/雑歌上】 【1507/和歌所歌合に、湖上月明といふ事を/宣秋門院丹後】 【終夜/うらこく舟は/跡もなし/月そのこれる/しかのからさき】 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第十四/恋歌四】 【1303//宜秋門院丹後】 【わすれしの/ことのはいかに/成にけん/たのめし暮は/秋風そふく】 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第十七/雑歌中】 【1623/鳥羽にて歌合し侍しに、山家嵐といふ事を/宣秋門院丹後】 【山里は/世のうきよりも/すみ侘ぬ/ことの外なる/嶺のあらしに】 この外も、おほくやさしき歌どもありき。人の存知よりも、愚意にことによくおぼえき。故攝政はかくよろしきよし仰くださるゝゆへに、老の後かさあがりたるよし、たび/\申されき。定家は左右なきものなり。さしも殊勝なりし父の詠をだにも、あさ/\とおもひたりしうへは、まして餘人のうたさたにもおよばず、やさしくえみ/\とあるやうにみゆるすがた、まことにありがたくみゆ。道に達したるさまなど殊勝なりき。歌み知たる景氣ゆゝしげなりき。但引級の心になりぬれば、鹿をもて馬とせしがごとし。傍若無人、ことはりも過たりき。他人の詞を聞に及ばず、惣じて彼卿が歌在知の趣、いさゝかも亊により折によるといふことなし。又ものにすきたる所なきによりて、我歌なれども、自讚歌にあらざるをよしなどいへば、腹立の氣色あり。先年大内の花のさかり、むかしの春の面影思ひ出られて、忍てかの木のもとにて、男ども歌つかうまつりしに、定家左近中將にて詠じていはく、  としをへて行幸になるゝ花のかげふりぬる身をもあはれとや思ふ 【新古今和歌集/新古今和歌集巻第十六/雑歌上】 【1455/近衛つかさにて年ひさしくなりてのち、うへのをのことも、大内の花見にまかれりけるによめる/藤原定家朝臣】 【春をへて/みゆきになるゝ/花の陰/ふり行身をも/哀とや思ふ】 左近次將として廿年にをよびき。述懷の心もやさしく見えしうへ、ことがらも希代の勝亊にてありき。尤自讚すべき歌とみえき。先達共も、必歌の善惡にはよらず、ことがらもやさしくおもしろくも有やうなる歌をば必自讚歌とす。定家がこの歌よみたりし日、大内より硯のはこのふたに庭の花をとり入て、中御門攝政のもとへつかはしたりしに、さそはれぬ人のためにや殘りけむと返歌せられしは、あながちに歌のいみじきにてはなかりしかども、新古今に申入て、このたびの撰集のわが歌には、是詮なりとて、度々自讚し申されけりと聞侍りき。昔よりかくこそおもひならはしたれ、歌いかにいみじけれども、異樣のふるまひしてよみたる戀の歌などは、勅撰うけ給たる人のもとへをくる亊なし。これらの故實しらぬものやはある。されども左近の櫻の歌うけられぬよし、たび/\歌評定の座にて申き。家隆等もきゝし亊也。諸亊これらにあらはなり。最勝四天王院の名所の障子の歌に、生田のもりの歌入ずとて、所々にしてあざけりそしる。剩種々の過言、かへりてはをのれが放逸をしらざる、まことに清濁を辨ぬは遺恨なれども、代々勅撰承たるともがらも、かならずしも萬人のこゝろにかなふ亊はなけれども、傍輩猶誹謗する亊やはある。惣じて彼卿が歌のすがた、殊勝のものなれども、人のまねぶべき風情にはあらず。心有樣なるをば庶幾せず。たゞ、ことばすがたのえんにやさしきを本體とせる間、其骨すぐれざらむ初心のものまねばゞ、正體なき亊になりぬべし。定家は生得の上手にてこそ、心なにとなけれども、うつくしくはいひつゞけつけたれば、殊勝のものにてこそはあれ。  秋とだにふきあへぬ風に色かはるいくたのもりの露のした草 【続後撰和歌集/続後撰和歌集巻第五/秋歌上】 【0248/名所歌奉りける時/前中納言定家】 【秋とたに/吹あへぬ風に/色かはる/生田の杜の/露の下草】 まことに、秋とだにとうちはじめたるより、ふきあへぬ風に色かはるといへる詞つゞき、露の下草とをける下の句、上下あひかねて優なる歌の本體とみゆ。かの障子の生由の森の歌には、まことにまさりてみゆらむ。しかはあれども、如此の失錯自他、いまもいまもあるべき亊なり。さればとて、ながきとがきになるべきにはあらず。この歌もよくよくみるべし。詞のやさしくえんなる外は、心もおもかげもいたくはなきなり。森の下にすこしかれたる草のあるより外は、景氣もことはりもなけれども、いひながしたることばつゞきのいみじきにてこそあれ。案内しらぬものなどは、か樣の歌をばなにとも心えぬ間、彼卿が秀歌とて人の口にある歌おほくもなし。をのづからあるも、ぬしが心には不受なり。釋阿・西行などが最上の秀歌は、詞も優にやさしきうへ、心ことにふかくいはれも有ゆへに、人の口にある歌不可勝斗。凡顯宗なりともよきはよく愚意に覺る間、一すぢに彼卿が我心にかなはぬをもて、無左右歌見しらずと定ことも偏執の義なり。すべて心にはかなはぬなり。歌見しらぬは亊かけぬ亊なり。撰集にも入て、後代にもとゞまる亊は歌にてこそはあれ。たとひ見しらずとても、さまでうらみにあらず。 仁治元年十二月八日於大原山西林院普賢堂、以教念上人所持御宸筆本書冩之畢頗有由來。尤可爲珍寶之。 件の教念上人は、彼院に遠所まで付まひらせて、いまはの御時まで候ける人とかや。かやうの物どもみなやき捨られける中に、あまりおしく覺て、一卷ぬすみ書之。 貞和六年二月朔日粟田口寄宿坊書冩之。先年以察花園上人本書留之處、法勝寺六僧坊炎上時令燒失、仍重而字之。  寛正六年十月廿四日                左近太夫(花押)  Description  解題           【久松潛一】  本書は後鳥羽院の御著であり、後鳥羽院口傳抄、後鳥羽院御抄ともいはれる。群書類從本の奧に「仁治元年十二月八日、於大原山西林院普賢堂、以教念上人所持御宸筆本書冩之畢頗有由來、尤可爲珍寶之」とある。教念上人といふのは後鳥羽院の隱岐遷幸にも御伴を仕つた人とある。本書には成立的に見て院の御筆のまゝであるかにはなほ考察の餘地はあるが、内容から見ても院の御書と見るべきである。たゞ隱岐御遷幸の以前か以後か明らかでない。郡書類從本の以前に古語深祕抄に收められている。本書は初めに歌の初心者のために至要なる七ケ條を擧げて、難題、歌合、當座の會等、歌の一般的知識を説かれ、次にその時代の歌人を批評されてあるが、その御批評には凱切なるものがある。院の重んじられたのは西行・俊成で、その言葉の優にやさしく、心も深いのを賞して居られる。古い時代では源經信、源俊頼を重んじられ、藤原定家に對してはそのすぐれたことは認めて居られるが、定家が心あるさまを求めず、言葉すがたのえんに優しきを本體とするから人の眞似るべきでないとして居られる。要するに本書の御批評はこの時代の歌人の批評を代表するものである。かくの如き意味で重んずべきであるのみならず、新古今集の御撰定に深い關係を有する後鳥羽院の歌に對する御見解を窺ひ得る點からも重んずべき御書である。  End  底本::   著名:  中世歌論集   編者:  久松 潛一 編   発行所: 岩波書店   初版:  昭和九年三月五日   発行:  昭和十三年七月三十日 第四刷  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: IBM ThikPad s30 2639-42J   入力日: 2003年03月10日〜2003年03月14日  校正::   校正者: 大黒谷 千弥   校正日: 2003年06月03日