Title  為兼卿和歌抄  爲兼卿和歌抄  Author  藤原爲兼  Note  【かっこ】は入力者(新渡戸)注。「国文学研究資料館」の「二十一代集の検索」を使用。  Description  歌と申候物は、この比花下に集る好亊などのあまねく思ひ候樣にばかりは候はず。心にあるを志といひ、ことにあらはるゝを詩歌とは皆しりて候へども、耳にきゝ口にたのしみ候ばかりにて、心におさめ候かたくらく候ゆへに、たゞしらざると同時になりて候にけるよし沙汰候。然而我も我もとほこさきをあらそひ、才學をたて候まへは、いづれか是にづれか非、しりがたきに似候へども、此みちはあさきに似てふかく、やすきににてかたく、佛法ともひとへに候なれば、邪正をたづねきはめられ候はん時は、私あらむところはかなはずや候はんずらむ。されば和漢の字により候て、からの歌・やまと歌とは申候へども、うちに動く心をほかにあらはして、紙にかき候亊は、さらにかはるところなく候にや。文と申候もひとつことばに候よしは、弘法大師の御旨趣にも委見て候に、たぞ、境に隨てをこる心を聲ににだし候亊は、花になく鶯・水にすむかはづ・すべて一切生類みなおなじことに候へば、いきとしいけるものいづれか歌をよまざりけるともいひ、乃至、草木を風吹て枝をならすも何は歌也とて、それまでも歌なるよし、樸楊大師もみせられて候とかや。されば天地をうごかし、鬼神をも感ぜしめ、治世みちともなり、群徳之祖百福之宗也ともさだめられ、邪正をたゞす亊是よりちかきはなしなど心候にや。凡一切のこと成就するには、相應をさきとし候なればにや。伊勢大神宮・八幡・賀茂をはじめ奉りて、和國にあとをたれ給諸神も、沸菩薩も、權者も、代々の聖主、仁徳天皇、聖武天皇、聖徳太子、弘法大師、傳教大師以下皆是をよみ給。東大寺つくりて洪養あらむとての日、行基菩薩難波の岸にて婆羅門僧正を迎給時も、  0001: 靈山の釋迦の御まへに契てし眞如くちせずあひみつるかな。 【国文研/拾遺和歌集/拾遺和歌集巻第二十/哀傷】 【1348/南天竺より東大寺供養にあひに、菩提かなきさにきつきたりける時よめる/】 【霊山の/釈迦のみまへに/契てし/臣如くちせす/あひみつるかな】  とよみ給返しにも、南天竺より始てきたれる婆羅門僧正も、  0002: かびらへに昔ちぎりしかひありて文珠の御かほあひみつるかな。 【国文研/拾遺和歌集/拾遺和歌集巻第二十/哀傷】 【1349/返し/波羅門僧正】 【かひらゑに/ともに契し/かひありて/文珠のみかほ/あひ見つる哉】  とよみ給も、和國に來れば、相應の詞をさきとして和歌をよめり。すべて和國は神國なるゆへに、神明はことに、和歌をもてのみおほくは心ざしをもあらはし給も、相應のゆへと申にこそ。さればみちをもまもり、あらたなる亊も先規おほく侍にや。大方物にふれて、ことに心と相應したるあはひを、能々心みんことの、必草木鳥獸ばかりに限べからざるゆへに、よろづの道の邪正も志とはいへるにこそ。景物につきて心ざしをあらはさむも、心をとめ、ふかく思ひいるべきにこそ。かならずよく四時に似たるをもちひよ、春夏秋冬の氣色、時にしたがひて心をなして、これをもちひよとも侍れば、春は花のけしき、秋は秋のけしき、心をよくかなへて、心にへだてずなして言にあらはれば、おりふしのまこともあらはれ、天地の心にもかなふべきにこそ。氣性は天理に合とも侍にや、稽古に力入る人も、才學をこのみ、義を案じもちてはかり問答をする時、古人の詞をも我かたのをもむきにのみとりなし、心はいれてひがざまにことはり、我物に得ところもなし。無所得ばすゝむことなし。よみいだすふんも、不審をあぐるきはも、月輪のうちをいづる亊なきよし沙汰候也。されば年來の好亊、是をのみたしなむよしなるも、古人のさほどたしなむとや聞えざりけるも、よめる歌のさま、はるかにへだててをよぶ亊なし。京極入道中納言定家、千首をよみ送る人の返亊にかけるごとく、「歌はかならず千首萬首をよむにもよらず。そのみちを心得てよむ人は、十首廿首よりみゆべし。さればこれほどの心ざしならば、歌のやうを問聞てぞ讀べき」といへる、肝要なるべし。下ざまの好亊の中に、不審をいだし、才學をたつる人も、久方の空とは何とていふぞ、あらがねのつちとはいかなる心にいひそめたりなどいふ亊をのみ問たるを、いみじきことゝせり。是もまことにあるべき亊なれど、かやうの亊はたゞさと知るばかりにて、おほきなる得分なし。歌はいかなる物ぞ、いかにとむきて、いかにとよむべきぞ、よしとはいかなるをいひ、あしとはいかなるをしるべきぞ、昔今のかはれるは、いづくかゝはれるぞとも、いかにして人のさかしをろかなるをもしり、われも人となりすんべきなどは、まづはじめの一重なる不審にもせられぬべきを、さはみなむかはずして、入られぬみちよりいらむとし、をよばれぬかたよりむかしにもをよばんなどのみする輩、我くらきまゝに、人の心のかやうに問をもそねみ、あらぬかたへのみいひなす也。古歌を多くおぼえ、家々の抄物をみるばかりによりて、歌の能よまれば、末代の人ぞ次弟にみてはかしこくあるべき。されど人丸・赤人をはじめとして、われとまことあるところにて、たれをまなび、たれを本とせざりしかど、是にをよばぬを恥づる亊は、古賢一同の亊也。いにしへにたちならはんと思はゞ、古におとらぬところはいづくよりいかにぞすべきぞと、かなはぬまでもこれこそ委大亊にてもあるに、たゞ姿詞のうはべをまなびて、立ならびたる心地せんは叶侍なんや。古人はわれと心ざしをのぶ。これはそれをまなばんとする心なれば、おほきにかはれる也。京極入道中納言、寛平以住の歌にたちならはんとよめるは、物の心さとりしらぬ人は、あたらしき亊出きて、歌のみちあたらしくなりにたりといふなるべしといへり。まことにその理ふかきにこそ。されば、鎌倉右府將軍に歌のみちをさづけ申にも、寛平以住の歌にたちならはんと讀べきよしを申。年號の中に寛平にさす心は、光仁天皇御宇、參議藤原濱成和歌式をつくり、寛平の御時、孫姫・喜撰かさねて式をつくり、歌の病をさだめ、同亊ふたゝびはよむまじき亊になり、心もをこらぬ輩も、題といふ亊さかりに成て、折句・沓冠などまでも、人の能にしてよむすがたの、寛平よりさかりになれり。これをくだして寛平以住とは云也。古今にも假名・眞名序ともに歌やう/\くだれることをいへり。萬葉の比は心のおこる所のまゝに、同亊ふたゝびいはるゝをもはゞからず、藝晴もなく、歌詞たゞのこと葉ともいはず、心のおこるに隨而ほしきまゝに云出せり。心自性をつかひ、うちに動心を外にあらはすにたくみにして、心も詞も體も性も優に、いきをひもをしなべてあらぬ亊なるゆへに、たかくも、ふかくも、をもくもある也。是にたちならはんとむかへる人々の、心をさきとして詞をほしきまゝにする時、同亊をもよみ、先達のよまぬ詞をもはゞかる所なくよめる亊は、入道皇太后宮大夫俊成・京極入道中納言・西行・慈鎭和尚などまで殊おほし。されば五條入道が、  0003: おもへばゆめぞあはれなるうき世ばかりのまどひとおもへば 【不明】  ともよみ、こよみをまきかへして猶春と思はゞやとも、ほださしあはせてなどのたぐひ多し。同亊ふたゝびあるも、人によりて晴の歌合にも難ぜず。慈鎭和尚の百首ながら勅撰に入程の歌を讀て、日吉社にこめんとてよまれたるにも、初五字に、まひる人のとも、らちの外なる人のこゝろともよまれたる風情のみにてあれど、後鳥羽院、皆御合點ありて、おさまれり。新古今にもかやうの沙汰までいできたるしるしに、古人の歌ならで、當世の人の中によみたりとも、よからむをば、わざと入るべきよし被仰下て、あまた入うち、家隆卿  0004: あふとみてことぞともなくあけにけりはかなの夢のわすれがたみや 【国文研/新古今和歌集/新古今和歌集巻第十五/恋歌五】 【1387/百首歌たてまつりしに/家隆朝臣】 【あふとみて/ことそともなく/*あけにけり/はかなの夢の/忘形見や/*3あけぬなりイ】  なしと云亊二所あれどのせらる。京極中納言入道歌にも、このすがたも同亊よめれど、我心にあふ歌をば、百首十首の中にもそればかりをおぼえ、心にあはぬ歌をば、古人の歌なればそしりはせねど、みすゝてその人の歌體はかくこそあれとばかりいふも、みなその程みゆる亊なり。されば右府將軍は、山はさけ海はあせなむとも、市にたつたみもわがおもふ人をうるときかなくになど、風情の歌も多こそ侍れ。入道民部卿も、  0005: をのづからそめぬこの葉をふきまぜていろ/\にゆく木がらしのかぜ 【国文研/玉葉和歌集/玉葉和歌集巻第六/冬歌】 【862/題しらす/前大納言為家】 【をのつから/そめぬ木の葉を/吹ませて/色々に行/木からしの風】  とよみたるをば、人々「木の字二字あり。三句を、そめぬした葉とはなど侍らぬぞ」と申けるにも、まことに、した葉といひては、そめのこす心も思入たるさまにて、病をもされば、かた%\そのいはれあるかたは侍れども、風にしたがひて、とをる木のはにむきては、下葉やらん、うは葉やらんげにはしらず、ただ木のはとこそみゆれ、下葉といへば歌の體くだくるなり。たゞさてあるべきよし申て病にては侍也。又その心にはおちゐずしてうはべばかりをまなびて、わざと先達の讀ぬ詞を讀み、同亊をもよまんは返々無其詮。いまやうの御沙汰につきて、ふるき體も心得おほせぬともがらも、わづかにまなび讀亊あれば、是をあなぐりもとめて亊をいひそへ、又あらぬ句をとりかへ、さま%\の亊をつくり出て披露するたぐひ聞ゆる。實任侍從の歌に、  0006: のきのすゞめのすにかよふこゑ 【不明】  とよみたりけるとかや。これをも當時の體に被賞翫歌とて、なげしのうへに、すゞめすくへりとかやなして、披露する人あるよし聞ゆ。返々似無其詮歟。大かたは、すゞめ貫之も題に出し、京極中納言入道もよめり、鶯にもふるすともよむ。なにかくるしからむ。この拾遺、此風體の御沙汰を委承てよむにもあらねば、いかにもあれなんとか樣のたぐひ多し。たゞ明惠上人の遺心和歌集序にかかれたるやうに、すくは心のすくなり、いまだ必しも詞によらじ。やさしき心やさしき也、なんぞさだめて姿にしもあらむとて、心に思亊はそのまゝによまれたれば、世のつねのにおもしろきもあり、さまあしきほどの詞どもゝ、萬葉集のごとくよまれたれど、心のむけやうさらによもかはる所侍し。いまもその風體を約束しさだめてこのみよみ、入ほかにさたこともなし。花にても月にても、夜のあけ日のくるゝけしきにてもう(本ノマゝ)。亊にむきてはその亊になりかへり、そのまことをあらはし、其ありさまをおもひとめ、それにむきてわがこゝろのはたらくやうをも、心にふかくあづけて、心にことばをまする(本ノマゝ)に、有興おもしろき亊、色をのみそふるは、こゝろをやるばかりなるは、人のいろひあながちにくむべきにもあらぬ亊也。こと葉にて心をよまむとすると、心のまゝに詞のにほひゆくとは、かはれる所あるにこそ。何亊にてもあれ、其亊にのぞまばそれになりかへりて、さまたげまじはる亊なくて、内外とゝのほりて成ずる亊、義にてなすともその氣味になりいりて成と、はるかにかはる亊也。是をもとゝして、古歌にもなう/\のやうなる亊も、又かりそめにうき世の中を思ぬるかなといはるゝに、しら露のをくての山田ともむすびくるは、又それに、さる亊人の氣によりて、昨日はわろしといふこと、今日はよしといひ、一人にながくよむまじきよしいひて、又他人にはよしといふ亊もあり。京極中納言入道新作して、和歌所にていまはとゞめらるべきよし沙汰ありしこと葉どもゝ、よろづの人まことにはおちゐずしてこのむを、にくみていへること、人によりてのみゆるすも、先例もあり、子細もある亊也。大かたは、天象地儀はその字を慥よめ、こと葉の字はまして心をよめ、結題はかみしもにその心を分てよみいれよ、詞は三代集の中にてたづぬべくともをしへ、ふかく入たる人にむけては、又かはる亊多し。それみなその謂ふかくして、たゞかくいひをかむとばかり、先賢の所爲、古人の詠歌、みなわがおもふかたの色をそへ、得分にもなりまさり行亊にや。歌といふ物をべちにをきて、其心を見さたする人と、まことに歌の心をみるとはかはること。花の下のともがら風情の好亊がさたする心は、上句に旅衣といひたるに、日數かさねてとも、又たちかへるともいへるは、心ありとさだめ、いたく衣の才學くはしく、さて旅の嵐・夜半のつゆ・しほるゝ衣のありさまにつけても、ふる郷の戀しきなどいひなせるばかりは、よはしなどさだむるものならずしも、さのみあるまじき亊にや。可然人々あつまれる會に、雲客、  0007: あさかやまかげさへみゆる山のゐのあさくは人をおもふものかは 【国文研/古今和歌集/(別巻)/(異本歌)】 【1143//うねめなりける女】 【あさか山/かけさへ見ゆる/山の井の/あさくは人を/おもふものかは】 【*ナシ】 【注記【伊達本の仮名序古注にあり、采女の歌】】  といへる歌をいひいでゝ、歌の父母といふほどの歌、いたづら詞はよもあらじとおもふに、かげみゆる山井にては心えられ侍るを、さへの詞いかにもいひおさめたるにか、おぼつかなきよし申けるに、面々才學の人々、まことにかく云時はおぼつかなしにてはてけるも、かのうねめこの歌をよめる心、何ゆへにおこりていかにとよまるべき所よりいできたるぞと、源にもとづき見ずして、山井といへばそれにむきてよめるやうに心えて、不審ひらけぬにや。人の妻にて人にみゆべきみにもあらねど、まうけをろそかなるとてとがむれば、おとこのいふにしたがひて、かのおほぎみすかさむとて出たる身なれば、かはらけとりてもこの人をすかさむと思心にて、みゆべきもなきわがかげをさえ見えたてまつるは、あさくは思はぬぞといふによりきたる山井なれば、ことぐさにとりよせたるにてこそ侍を、やがて山井といへばとて、このさへを山の井のぬしになして見ば、まことにおぼつかなし。わがかげになしてみれば、おぼつかなき亊なし。かやうの亊をだにみわかずしておもひ見たらむは、かくのみぞあるべき。中納言入道申けるやうに、上陽人をも題にて詩をもつくり歌をもよまば、その才學をのみもとめてつゞけてよむうちにも、よしあしおほけれど、ひとつわれうちなり。又それよりは心に入て、さはありつらむと思やりてよめるはあはれもまさり、古歌の體にも似也。猶ふかくなりては、やがて上陽人になりたる心ちして、なく/\ふるさとをもこひしう思、雨をきゝあかし、あさゆふにつけてたへしのぶべき心ちもせざらむ所をも、能々なりかへりてみて、其心よりよまん歌こそ、あはれもふかくとをり、うちみるまことにこたへたる所も侍べけれといふに、委心をかし。されば戀の歌をはちきか(本ノマゝ)つきて人の心にかはりても、なく/\その心を思やりてよみけるとぞ、かやうにむかはぬ人の歌は、さは/\ともおもしろきやうなるはあれど、いかにぞいふのそひ、いきおひのふかき亊はなくて、古歌にかはれる亊也。されば紫式部もいへるやうに、いでやさまで心ばへしろ××(蟲損)のよまるゝなめり、はづかしげの歌よみやとは見えず。まことの歌よみにこそ侍らざめれなどいへるにこそ。  Description  解題           【久松潛一】  本書は藤原爲兼の歌論書である。爲兼は爲家から分れた二條・京極・冷泉三家の中、京極家の流れに屬するが、二條家の平淡美の歌論にあきたらず、萬葉的な眞實と冩實とを根抵として新古今的な官能的傾向をも加へて、心を中心として詞のにほひゆくのを認めた見解をもつて居る。この立塲から歌を詠ずるとともに玉葉集を撰して居る。花園上皇は爲兼の歌風を好まれ、御宸記の中にも爲兼の見解をみとめられるとともに風雅集を御自ら撰定遊されてその歌風を發展せしめられている。この和歌抄はかくの如き爲家の見解を見られるもつともまとまつた書である。もとより爲世と論難した延慶兩卿訴陳状や、伊達家藏古今和歌集にある爲兼の加へた跋によつてもその見解を知り得るが本書が中心であることはいふまでもない。版本なく、冩本は宮内省圖書寮に一本を藏せられ、福井久藏氏によつて謄冩複製せられた。本書はそれによつて本書に收めたがなほ誤冩と思はれる所もあるのでより善き本の出現がまたれる。  End  底本::   著名:  中世歌論集   編者:  久松 潛一 編   発行所: 岩波書店   初版:  昭和九年三月五日   発行:  昭和十三年七月三十日 第四刷  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: IBM ThikPad s30 2639-42J   入力日: 2003年05月3日〜2003年05月10日  校正::   校正者: 大黒谷 千弥   校正日: 2003年08月01日